1.[発端 / ハウル]
「ごめんねぇ、ハウル君……」
「いえ、大丈夫ですよ。様子見て俺も帰りますから」
年老いた館長の申し訳なさそうな声に苦笑いで手を振り、遠ざかっていく心配そうな背を見送る。そしてレンガの家々の影に姿が見えなくなったのを確認してそっと裏口の扉を閉めれば、帰路を急ぐ人々の声も、夕方を報せる時計塔の鐘の音も遠く霞む。
そんなすっかり閉館時間を過ぎた街の小さな図書館で、俺は1人呑気に体を伸ばしていた。
「さっ、てと~」
灯りは射し込む夕日か、腰に付けている魔具式ランタンだけ。
節約の為に主要な灯りは消してしまったし、利用客は当然、俺以外の司書だっていない完全に1人きりの空間。けれどその薄暗くて静かな環境というのは、5年程前から自宅がそうなってしまった身からすれば別に何時に帰っても帰らなくても変わらない訳で、館長をはじめ他の司書達には大変申し訳なさそうにされたけれど、俺はこの本読み放題タイムをどう有効活用するかばかり考えていた。
とは言え、俺がこうして閉館後の図書館で留守番をすることになったのは、今日別の街から届くはずの本を受け取る為。
なので断じて明日の朝まで読書に没頭していて良い訳では無いし、そもそもどれだけ遅くてもただでさえ治安が悪く野盗の多いこのセレスタ国で、完全に陽が沈んだ森の中を馬車で走る御者は滅多に居ないだろうから、あと2時間程して来ないなら今日の配達は無いと判断して帰らなければならない。
ということで内心、出来れば今日は来ないか2時間ギリギリくらいに御者が来てくれることを願いつつ、意気揚々と書架を見上げた。
「うーん、大体3冊くらいかなぁ」
そのくらいの量なら読み終えると大体2時間のはず。
そう思って、何度も読んだ薬草学の論文と館長に頼まれている本の翻訳に役立ちそうな異国の随筆、あとは好きな冒険小説の3冊を手に取って受付カウンターに積み、職員用の椅子に座って持って来ていた手作りマドレーヌを1つ口に放り込みつつ、読書を中断されないようランタンの中身である魔具にパパッと魔力を注ぎ込む。そしてそれが済めばようやく、文字の世界に飛び込んだ。やはりこれが司書の1番の醍醐味だろう。
そうしてご機嫌に読書に勤しんでいた訳だが、1冊読み終えても2冊読み終えても一向に図書館の表玄関の戸を叩く者はいない。そして遂に3冊目を読み終えてしまえば、もう館内にある灯りはランタンの物だけだった。
「今日はもう来ないか」
静かな館内に、小さな独り言が響く。
けれど別に期日通りに物が届かないことなんて珍しくは無いし、多分明日には来るだろうと席を立つ。それから母さんの形見である白いコートに袖を通し、肩掛け鞄は一旦カウンターに置いてから先に本を書架に戻しに行った、その時だった。
──カチャ
小さな、裏口の開く音。
勿論最初は本が届いたのだと思った。けれど蹄の音も車輪の音も聞こえなかったし、何よりわざわざ路地に面した裏口から勝手に入ってくることは無いだろう。かと言って一般客という線もあり得ない。なんせこのエイダンという小さな街で閉館時間を知らない人は居ない。なら残る可能性は。
「……館長?」
家族の居ない俺を気に掛けてくれる優しい、それこそ多分世間一般で言う祖母のような人。
なのでもしかしたら俺の様子を見に来てくれたり、家族との食事に誘いに来てくれたのかもしれない。
(いつもは申し訳なくて食事も断るけど……わざわざ様子見に来てくれたなら今日はお世話になった方が良いのかな)
あんまり遠慮しすぎるのもなぁと内心苦笑いしつつ、ランタンを掲げて裏口がある方に目を向ける。けれど物音は1つも聞こえなくて、首を傾げながらもう1度「館長?」と呼び掛けた。そこに不安は、何も無かった。
だってここはエイダンだから。
ここは平和が売りと揶揄される程に、何も無い辺境の街だから。
そしてここはただの図書館で、俺だって今はただの司書なのだから。
──けれど。
「悪く思うなよ」
唐突に背後から返ってきたのは聞き覚えのない低い男の声と、言葉のやり取りにしては明らかに重量オーバーの返事。
もとい、後頭部への衝撃だった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます!
ウキウキ(だった)読書家の運命や如何に……。




