第9話 王子を捨てた男と、待ち続けた少女。
レオが「レオン王子を辞める」と宣言してから、三日が経った。
王宮は、大混乱に陥っていた。
「殿下! お考え直しを!」
「これは、王国の危機です!」
貴族たちが、次々とレオの部屋を訪れた。
でも、レオは——誰の言葉にも、耳を貸さなかった。
「僕の決意は、変わらない」
冷静に、しかし確固として。
「僕は、『レオン王子』を辞める」
「し、しかし!」
「本物の王子は、もういないんだ。いつまで、この茶番を続けるつもりだ?」
レオの言葉に、貴族たちは黙り込んだ。
その通りだった。
本物のレオン王子は、五年前に亡くなっている。
それを隠し続けることに——もう、限界が来ていた。
「では……殿下は、どうなさるおつもりで……」
「僕は、ただの人間として生きる」
レオは、窓の外を見た。
「愛する人と、一緒に」
◇ ◇ ◇
その頃、ノルン村では。
ミレイは、毎日森で待っていた。
レオからの返事は、まだ来ない。
でも——待ち続けた。
「レオさん……」
泉のほとりに座り、空を見上げる。
来てくれるよね。
必ず、来てくれるよね。
信じることしか、できなかった。
「ミレイ」
声がした。
振り返ると——マリアおばあさんが立っていた。
「おばあさん……どうしてここに?」
「心配でね。あんた、毎日ここにいるでしょう?」
おばあさんは、ミレイの隣に座った。
「まだ、来ないの?」
「……はい」
ミレイは、小さく頷いた。
「でも、待ってます。絶対に来てくれるって——信じてますから」
「そう……」
おばあさんは、優しく微笑んだ。
「あんた、強くなったわね」
「え……?」
「前のあんたなら、すぐに諦めてた。『どうせ私なんて』って」
おばあさんは、ミレイの頭を撫でた。
「でも、今のあんたは違う。自分で決めて、信じて——待ってる」
「おばあさん……」
「それが、愛なのよ」
ミレイの目から、涙が溢れた。
「私……レオさんのこと、本当に愛してるんです……」
「分かってるわよ」
「会いたい……会いたいです……」
「会えるわよ。きっと」
おばあさんは、ミレイを抱きしめた。
「だって、あんたがこんなに想ってるんだもの。相手も同じはずよ」
「……はい」
ミレイは、涙を拭った。
そうだ。
レオさんも、私を想ってくれてる。
だから——必ず、来てくれる。
信じよう。
◇ ◇ ◇
その夜。
王宮で、緊急会議が開かれた。
「レオン殿下が、役を降りるとおっしゃっている」
グレゴリーが、深刻な顔で報告した。
「どうする? このままでは、王国の信頼が——」
「新しい後継者を、立てるしかあるまい」
老齢の貴族が、言った。
「幸い、王族の血を引く者は他にもいる」
「しかし、それでは——今まで『レオン王子』として築いてきたものが、全て崩れてしまう」
「仕方がない。殿下の決意は、固いようだ」
会議室に、重い空気が流れた。
その時。
扉が開いた。
レオが、入ってきた。
「殿下!?」
「話は、聞かせてもらった」
レオは、真っ直ぐに前を見た。
「僕が辞めることで、混乱が起きる。それは分かっている」
「ならば……!」
「だが」
レオは、全員を見渡した。
「いつまで、嘘を続けるつもりだ?」
会議室が、静まり返った。
「本物のレオン王子は、もういない。それを隠し続けることに——何の意味がある?」
「それは……国民のためです」
グレゴリーが、言った。
「混乱を避けるため——」
「混乱を避けるために、僕の人生を犠牲にするのか?」
レオの声が、鋭くなった。
「僕にも、生きる権利がある。愛する権利がある」
「殿下……」
「僕は、もう演じない」
レオは、静かに、しかし確固として言った。
「真実を、公表してくれ。本物のレオン王子は亡くなったと。僕は、ただの影武者だったと」
貴族たちは、ざわめいた。
「そ、そんなことをしたら……!」
「混乱するだろう。でも、それが真実だ」
レオは、一歩前に出た。
「嘘の上に築かれた平和なんて——いつか、崩れる」
「殿下……」
「僕は、人間として生きたい。愛する人と、一緒に」
レオの目が、決意に満ちていた。
「だから、お願いだ。僕を——解放してくれ」
長い沈黙。
やがて——。
「……分かりました」
グレゴリーが、深くため息をついた。
「殿下の意思を、尊重しましょう」
「本当か?」
「ええ。ただし——」
グレゴリーは、レオを見た。
「真実を公表した後、殿下は全ての地位を失います。王族としての特権も、財産も」
「構わない」
レオは、即答した。
「それでも、構わない」
「……そうですか」
グレゴリーは、書類を取り出した。
「では、これにサインを。これで、殿下は正式に——『レオン王子』ではなくなります」
レオは、迷わずサインをした。
ペンを置く。
その瞬間——。
レオは、自由になった。
『レオン王子』という役から。
完璧でいなければならない重荷から。
全てから、解放された。
「ありがとう」
レオは、深々と頭を下げた。
それから——部屋を出た。
もう、振り返らなかった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
王国中に、公告が出された。
『レオン王子殿下逝去の真実について』
本物のレオン王子は、五年前に病で崩御されていたこと。
これまでの「レオン王子」は、影武者であったこと。
全てが、明かされた。
国民は、衝撃を受けた。
混乱した。
でも——同時に、影武者として五年間演じ続けた「彼」に、同情の声も上がった。
「あの完璧な王子様が、実は影武者だったなんて……」
「でも、よく五年も演じきったわ……」
「可哀想に……自分の人生を、生きられなかったのね……」
様々な声が、王国中に広がった。
でも、レオは——もう、それを聞くことはなかった。
なぜなら——。
彼は、もう王宮にいなかったから。
◇ ◇ ◇
ノルン村。
ミレイは、今日も森で待っていた。
もう、何週間になるだろう。
でも——諦めなかった。
その時。
足音がした。
ミレイは、顔を上げた。
そして——。
レオが、そこにいた。
「レオ……さん……!?」
ミレイは、信じられないという顔をした。
レオは——いつもと違った。
王宮の服ではなく、シンプルな旅装束。
髪も少し伸びて、顔には疲労の色が見える。
でも——。
その目は、今までで一番——輝いていた。
「ミレイ……!」
レオは、ミレイに駆け寄った。
二人は、抱き合った。
「会いたかった……! 会いたかった……!」
レオが、何度も繰り返す。
「私も……! 私も、会いたかったです……!」
ミレイの目から、涙が溢れた。
ああ、やっと。
やっと、会えた。
二人は、しばらくそのまま——抱き合っていた。
離れたくないと、言わんばかりに。
やがて、レオがミレイの顔を見た。
「ミレイ、僕ね——」
「はい……」
「『レオン王子』、辞めたんだ」
ミレイは、目を見開いた。
「え……?」
「もう、王子じゃない。影武者も、辞めた」
レオは、少し寂しそうに笑った。
「だから、僕——もう何もないんだ。地位も、お金も、名誉も」
「レオさん……」
「それでも——」
レオは、ミレイの手を握った。
「君と、一緒にいたかった」
ミレイの胸が、熱くなった。
「レオさん……」
「ごめんね。こんな、何もない男で」
レオは、申し訳なさそうに俯いた。
「君に、何も与えられない。守ることすら、できるか分からない」
「レオさん」
ミレイは、レオの頬に手を添えた。
「私が欲しいのは——」
レオの目を、真っ直ぐ見つめる。
「レオさん、あなただけです」
その言葉に、レオの目から涙が溢れた。
「ミレイ……!」
「地位も、お金も、名誉も——何もいりません」
ミレイは、微笑んだ。
「ただ、レオさんと一緒にいられれば——それだけで、幸せです」
「本当に……?」
「本当です」
レオは、ミレイを抱きしめた。
強く。
温かく。
「ありがとう……ありがとう……」
何度も、何度も。
「君がいてくれて、本当によかった……」
「私も……レオさんに会えて、よかったです……」
二人は、また抱き合った。
もう、何も邪魔するものはない。
王宮も。
監視も。
完璧でいなければならない重荷も。
全て、消えた。
今、ここにあるのは——。
ただ、愛し合う二人だけ。
「ねえ、ミレイ」
レオが、顔を上げた。
「うん?」
「僕と——一緒に、生きてくれる?」
その問いに、ミレイは迷わず答えた。
「はい」
満面の笑みで。
「ずっと、一緒にいます」
レオは、嬉しそうに笑った。
子どものような、無邪気な笑顔。
それから——ミレイの額に、優しくキスをした。
「愛してるよ、ミレイ」
「私も……愛してます、レオさん」
二人の唇が、重なった。
柔らかく。
温かく。
愛おしく。
これが、新しい始まり。
王子でも、影武者でもない——。
ただの「レオ」として。
そして、「ミレイ」として。
二人の、本当の人生が——今、始まる。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
ミレイは、レオを自分の家に連れて行った。
小さな、質素な家。
「ここが、私の家です」
「うん」
レオは、周りを見渡した。
「いい家だね。温かみがある」
「お世辞じゃなくて……?」
「本当だよ」
レオは、微笑んだ。
「王宮より、ずっといい」
二人は、家の中に入った。
「あの……レオさん」
ミレイは、少し緊張した顔で言った。
「これから、どうするんですか……?」
「どうするって?」
「だって、レオさん——お金も、行くところも……」
「ああ」
レオは、少し考えた。
「とりあえず、この村で仕事を探そうかな」
「仕事……?」
「うん。畑仕事とか、力仕事とか——何でもやるよ」
レオは、前向きに言った。
「僕、働いたことないけど——頑張るから」
その言葉に、ミレイは胸が温かくなった。
「……私も、手伝います」
「ミレイ……」
「二人で、頑張りましょう」
ミレイは、レオの手を握った。
「一緒に、生きていきましょう」
レオは、嬉しそうに笑った。
「うん。一緒に」
それから、二人は——これからのことを、たくさん話した。
どんな仕事をするか。
どんな風に暮らすか。
小さな夢を、たくさん語り合った。
王宮での生活とは、全く違う。
でも——。
こんなにも、幸せだった。
レオは、ミレイの隣に座りながら——心から、そう思った。
君と一緒なら——。
どんな人生でも、幸せだ。
ミレイ。
愛してる。
レオは、ミレイの手を握りしめた。
そして、ミレイも——同じことを思っていた。
レオさんと一緒なら——。
どんな困難も、乗り越えられる。
これから、どんなことが待っていても——。
二人で、生きていこう。
◇ ◇ ◇
こうして、レオとミレイの新しい人生が始まった。
王子と村娘の、秘密の恋は——。
ただの男女の、愛の物語へと変わった。
でも、これは——まだ、始まりに過ぎない。
二人には、これから——。
乗り越えなければならない試練が、待っている。
でも、今は——。
ただ、この幸せを——噛みしめていたい。




