第68話 疑いの火
金獅子亭の夜。
店内は賑わっているはずだった。
笑い声。
酒の匂い。
料理の音。
だがその空気の中に——明らかな“歪み”があった。
視線。
言葉が止まる瞬間。
そして、どこか張り詰めた沈黙。
レオが店に入ったとき、それははっきりした。
数人の客が、こちらを見る。
そしてすぐ逸らす。
だが——遅かった。
レオはすべてを理解する。
もう、噂は“空気”ではない。
形を持ち始めている。
◇ ◇ ◇
「おかえりなさい」
ミレイが静かに迎える。
だがその声にも、わずかな緊張が混じっていた。
「ただいま」
レオは答える。
そのとき——。
「なあ」
低い声。
店の奥からだった。
中年の男が立ち上がる。
少し酔っているが、目は真剣だ。
周囲の空気が、一気に凍る。
◇ ◇ ◇
「聞きたいことがある」
男はレオを見据える。
「お前——」
一拍。
「三国を操ってるって、本当か?」
◇ ◇ ◇
完全な静寂。
皿の音も止まる。
誰も動かない。
◇ ◇ ◇
ガレスが一歩前に出る。
「おい」
だがレオは手で制した。
◇ ◇ ◇
レオはゆっくり歩み出る。
男の前へ。
距離は数歩。
逃げ場のない距離。
◇ ◇ ◇
「違います」
短く、はっきりと。
◇ ◇ ◇
男はレオを睨む。
「本当か?」
「だったらなんで」
拳を握る。
「こんなことになってるんだ!」
◇ ◇ ◇
ざわめき。
誰かが息を呑む。
◇ ◇ ◇
「兵が来て」
「見慣れねぇ奴が増えて」
「町が落ち着かねぇ!」
男は言う。
「全部、お前が来てからだろ!」
◇ ◇ ◇
言葉が、刺さる。
それは——正論でもあった。
◇ ◇ ◇
レオは少し目を伏せた。
否定できない部分がある。
自分が来たことで、町は変わった。
◇ ◇ ◇
そのとき。
「やめてください」
ミレイの声。
◇ ◇ ◇
ミレイが一歩前に出る。
ルナの手を握りながら。
「レオさんは——」
「この町を守ろうとしているだけです」
◇ ◇ ◇
男は言い返す。
「守る?」
「結果はどうだ!」
周囲を見渡す。
「平和だった町が、こんな空気だ!」
◇ ◇ ◇
ルナが不安そうにミレイにしがみつく。
「まま……」
◇ ◇ ◇
その姿を見た瞬間。
レオの中で、何かが変わった。
◇ ◇ ◇
レオは前に出る。
男と正面から向き合う。
◇ ◇ ◇
「……あなたの言う通りです」
◇ ◇ ◇
店内が揺れる。
◇ ◇ ◇
レオは続ける。
「僕が来たことで、この町は変わりました」
「危険も増えました」
◇ ◇ ◇
ミレイが息を呑む。
◇ ◇ ◇
だがレオは止まらない。
「それでも」
「守ります」
◇ ◇ ◇
男をまっすぐ見る。
◇ ◇ ◇
「この町を」
「あなたたちの生活を」
「僕の家族を」
◇ ◇ ◇
沈黙。
◇ ◇ ◇
「逃げません」
◇ ◇ ◇
その言葉は、静かだった。
だが、重かった。
◇ ◇ ◇
男はしばらくレオを見ていた。
やがて——。
「……そうか」
ゆっくり座る。
◇ ◇ ◇
ざわめきが戻る。
だが、完全ではない。
空気はまだ揺れている。
◇ ◇ ◇
レオはその場に立ったまま、深く息を吐いた。
◇ ◇ ◇
ミレイがそっと手を握る。
温かい。
だが——。
不安も、確かにそこにある。
◇ ◇ ◇
その夜。
フェルトハイムの外れ。
黒い外套の男は報告を聞いていた。
「接触が発生しました」
◇ ◇ ◇
男は笑う。
「いい」
◇ ◇ ◇
「均衡は揺れた」
◇ ◇ ◇
窓の外に町の灯り。
◇ ◇ ◇
「次は」
低く言う。
「壊す」
◇ ◇ ◇
金獅子亭。
レオは窓の外を見ていた。
町の灯り。
人々の暮らし。
◇ ◇ ◇
守ると決めた。
だが——。
◇ ◇ ◇
均衡だけでは、守れないかもしれない。
◇ ◇ ◇
疑いは、すでに刃になり始めていた。
物語は——
さらに深い局面へと進んでいく。




