第66話 広がる疑い
フェルトハイムの夕暮れは、ゆっくりと町を染めていく。
広場の店は次々と店じまいを始め、通りには帰路につく人々の姿が増えていた。
その穏やかな光景の中で、レオはガレスと並んで歩いていた。
「……どこから出た噂なんだ?」
レオが聞く。
ガレスは腕を組み、渋い顔をした。
「分からねぇ」
「でもな」
少し声を落とす。
「広場でも聞いたし、港の方でも聞いた」
つまり——町全体だ。
レオは息を吐いた。
誰かが、意図的に広めている。
◇ ◇ ◇
金獅子亭に戻ると、ミレイがすぐ気づいた。
「何かあったんですね」
レオは頷いた。
「噂が出ている」
ミレイの表情が曇る。
「どんな噂ですか」
レオは少し迷った。
だが隠しても意味はない。
「僕が三国を操っている、という話だ」
ミレイは驚いた。
「そんな……」
ガレスが言う。
「町の連中は信じちゃいねぇ」
「でもな」
「噂ってのは、広がるのが早い」
レオは静かに頷いた。
それが狙いだ。
◇ ◇ ◇
そのとき、ルナが階段を降りてきた。
「ぱぱ!」
元気な声。
レオはすぐ笑顔を作る。
「どうした?」
「ソラ、おきた!」
ソラはミレイの腕の中で、小さく声を出していた。
「うー」
レオはソラの手を握る。
小さくて温かい。
この子たちは、まだ何も知らない。
政治も、陰謀も。
ただ、家族がそばにいるだけで安心する。
レオはその小さな手を見つめながら思った。
守る。
何があっても。
◇ ◇ ◇
一方、フェルトハイムの市場。
夜の帳が下り始めた頃。
黒い外套の男は酒場の隅に座っていた。
周囲では商人たちが酒を飲みながら話している。
「聞いたか?」
「影の王子の話」
「三国会談を裏で動かしてるらしい」
男は静かに酒を飲む。
部下が小さく言った。
「うまく広がっています」
男は頷いた。
「人は戦争より」
低く呟く。
「疑いで壊れる」
部下が聞く。
「次は?」
男は微笑んだ。
「まだだ」
「噂は、育てるものだ」
◇ ◇ ◇
その頃。
三国の使節団の宿舎では、小さな議論が起きていた。
セルゲイの部屋。
「王国の顧問」
「影武者」
「三国を操る男」
報告書が机に置かれる。
セルゲイはそれを読み、笑った。
「くだらん」
だが側近は言う。
「しかし、兵の間では広がっています」
セルゲイは腕を組んだ。
「噂は兵を弱くする」
「だが」
目を細める。
「時には国も揺らす」
◇ ◇ ◇
同じ頃。
アシュレイもまた報告を受けていた。
公国の侍従が言う。
「王国顧問に関する噂が広がっています」
アシュレイは小さく笑った。
「なるほど」
窓の外を見る。
フェルトハイムの町。
「均衡は」
静かに呟く。
「外からではなく」
「内側から壊れる」
◇ ◇ ◇
金獅子亭。
夜。
レオは窓の外を見ていた。
町の灯りが揺れている。
穏やかな夜。
だがその裏で——疑いが広がっている。
ミレイが隣に立つ。
「大丈夫です」
レオを見る。
「町の人たちは、レオさんを知っています」
レオは少し笑った。
「そうだね」
だが彼は分かっていた。
疑いは、人を変える。
そして——。
均衡は、ほんの小さな噂から崩れることもある。
フェルトハイムの夜は静かだった。
だがその静けさの中で、見えない戦いは確実に進んでいた。




