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第57話 均衡の揺らぎ

フェルトハイムの議事館。


 三国の代表が向かい合う円卓には、まだ結論の影も見えない。

 だが沈黙の質は、会談の最初とは明らかに変わっていた。


 互いに、相手の腹を探り始めている。


   ◇ ◇ ◇


 北方連邦代表、セルゲイ・ヴァルコフがゆっくりと口を開いた。


「王国は均衡を望む」


 低い声だった。


「だが、均衡とは何だ」


 視線はレオへ向けられる。


「連邦と公国、どちらにも属さないと言うが——」


「それは単に、どちらの責任も負わないという意味ではないのか?」


   ◇ ◇ ◇


 会議室の空気が冷える。


 挑発だった。


 だがレオは静かだった。


「違います」


 短い返答。


「責任は負います」


 レオは続けた。


「ただし、それは“従う責任”ではありません」


   ◇ ◇ ◇


 南方公国代表アシュレイが、興味深そうに笑う。


「では何の責任かな」


 レオは答えた。


「橋になる責任です」


   ◇ ◇ ◇


 その言葉に、セルゲイの眉が動いた。


 レオは続ける。


「王国は北と南の中間にあります」


「交易も、文化も、流れは必ずここを通る」


 レオはテーブルの地図を指した。


 フェルトハイム。


 王国中央。


 北の街道。


 南の港。


「だから王国は」


「壁ではなく、橋になる」


   ◇ ◇ ◇


 沈黙。


   ◇ ◇ ◇


 セルゲイが腕を組む。


「橋は踏まれる」


 レオは頷いた。


「そうです」


「でも橋が壊れたら、誰も渡れない」


   ◇ ◇ ◇


 アシュレイがくすっと笑う。


「つまり王国は」


「どちらにも利用されることを受け入れる、と?」


 レオは首を振る。


「違います」


「利用されない橋になります」


   ◇ ◇ ◇


 セルゲイが笑った。


「そんなものは存在しない」


 レオは静かに答える。


「だから、この会談を開いた」


   ◇ ◇ ◇


 窓の外。


 フェルトハイムの広場。


 市場の準備が始まっていた。


 パンの匂い。


 子どもの声。


 馬のいななき。


 この町は、いつもと同じ朝を迎えている。


   ◇ ◇ ◇


 レオは窓を指す。


「この町には軍がいません」


「城もありません」


「でも、人がいます」


   ◇ ◇ ◇


 アシュレイが言う。


「それが?」


 レオは答える。


「この町が壊れたら」


「誰も得をしない」


   ◇ ◇ ◇


 セルゲイは少し黙り、そして言った。


「……王国は賭けをしている」


「戦争が起きないという賭けだ」


 レオは否定しなかった。


「ええ」


   ◇ ◇ ◇


 アシュレイが静かに言う。


「そしてもし戦争が起きたら?」


   ◇ ◇ ◇


 レオは迷わず答えた。


「そのときは」


 一度、窓の外を見る。


 フェルトハイムの町。


 金獅子亭の屋根。


 あの場所に——家族がいる。


   ◇ ◇ ◇


「僕が戦います」


   ◇ ◇ ◇


 その言葉は、静かだった。


 だが確かな重みがあった。


   ◇ ◇ ◇


 セルゲイがレオを見つめる。


 アシュレイも。


 二人とも、気づいていた。


 この男は、ただの外交官ではない。


 影武者だった男。


 だが今は——


 王国の意思そのものだ。


   ◇ ◇ ◇


 そのとき。


 会議室の扉が静かに叩かれた。


 侍従が顔を出す。


「失礼します」


「至急の報告です」


   ◇ ◇ ◇


 エドワードが書簡を受け取る。


 目を通した瞬間——


 顔色が変わった。


   ◇ ◇ ◇


「……これは」


   ◇ ◇ ◇


 レオが聞く。


「何があったんですか」


   ◇ ◇ ◇


 エドワードは静かに言った。


「北方街道で」


「武装集団の動きが確認されました」


   ◇ ◇ ◇


 会議室の空気が一瞬で変わる。


   ◇ ◇ ◇


 セルゲイの目が細くなる。


 アシュレイの笑みが消える。


   ◇ ◇ ◇


 三国会談。


 それは今、外交ではなく——


 現実の危機に触れようとしていた。


   ◇ ◇ ◇


 フェルトハイムの朝は、まだ静かだ。


 だがその外側で。


 戦争の影が、ゆっくりと動き始めていた。


 物語は、さらに大きく動き出す。

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