第49話 見えない種火
南方との軍事演習準備が進むなか――
王都の空気が、妙にざわつき始めた。
最初は小さな噂だった。
「港の税率が上がるらしい」
「軍費が膨らんでいる」
「外交のせいで生活が苦しくなる」
誰が言い出したのか分からない。
だが、広まり方が異様に速い。
◇ ◇ ◇
城下市場。
商人同士がひそひそと話している。
「演習なんていらねえよな」
「戦になる前触れじゃないのか」
「レオ顧問が強気すぎるんだ」
その会話の端。
見慣れぬ男が、静かに頷いている。
南方風の外套。
だが、王国語は流暢。
◇ ◇ ◇
王宮内でも同様だった。
若い貴族たちの間で囁かれる。
「港管理を拒否するなんて強硬すぎる」
「南方を怒らせると面倒だ」
「顧問は理想に走りすぎでは」
火は小さい。
しかし、確実に広がる。
◇ ◇ ◇
エドワードは眉をひそめた。
「不自然に流れています」
「誰かが煽っています」
レオは即座に理解する。
「公国の“第二手”だ」
直接圧力ではなく、世論操作。
◇ ◇ ◇
数日後。
証拠が一つ上がる。
港近くの倉庫で、南方公国の密輸書簡が発見された。
「“世論が傾いた頃に第二段階へ”」
文面は暗号めいている。
だが明らかに、公国の工作。
◇ ◇ ◇
レオは静かに言う。
「港ではない」
「狙いは“王国の分断”だ」
内部不満を育てる。
王と顧問の間に疑念を生む。
貴族と庶民を割る。
王位の正統性を揺らす。
それが公国の本当の刃。
◇ ◇ ◇
その夜。
屋敷。
ミレイは不安げにレオを見る。
「また……暗い顔をしています」
「南方は、直接ではなく内部を攻めてきた」
レオは低く言う。
「疑心を植え付ける」
ミレイは静かに頷く。
「種を蒔いて、芽吹くのを待つ」
まさにそれだ。
◇ ◇ ◇
翌日。
公国使節団の宴席。
アシュレイは穏やかな笑みを浮かべていた。
「王都は活気がありますね」
その目は笑っていない。
レオは分かっている。
この男は、火を灯している。
そして様子を見ている。
炎がどれほど広がるかを。
◇ ◇ ◇
王宮地下、監査室。
押収された書簡が、慎重に広げられている。
レオは一枚を持ち上げた。
「筆跡では断定できません」
静かな前置き。
周囲の貴族が息を止める。
「しかし」
彼は紙を示す。
「この紙は、南方公国の外交府が使用する透かし入り羊皮紙です」
光に透かすと、細かな紋章が浮かび上がる。
公国の三叉槍章。
王国内では流通していない。
◇ ◇ ◇
「さらに」
監査官が別の報告書を開く。
「使用インクの成分に、南方沿岸で採取される鉱物顔料が確認されました」
王国内では産出しない素材。
偶然では済まない。
◇ ◇ ◇
レオは続ける。
「そして文体」
彼は書簡の一節を読み上げる。
『王家の権威は“揺らぎの中でこそ試される”』
「この構文は、公国外交府の定型文書に見られる契約表現と一致します」
エドワードが補足する。
「我々は過去十年分の公国通商書を保管している」
「語尾の言い回しが同一系統だ」
ざわめきが広がる。
断定ではない。
だが積み上がる状況証拠。
◇ ◇ ◇
その時。
若い子爵が蒼白な顔で立ち上がった。
「私は……」
膝をつく。
「南方の商館員と接触しました」
会場が凍る。
「軍事演習反対の声を広めてほしいと」
「資金提供を受けました」
逃げ道は消えた。
◇ ◇ ◇
レオはアシュレイを見る。
「筆跡で国は特定できません」
「ですが」
「紙、顔料、文体、そして資金流入」
「偶然が重なりすぎている」
冷たい沈黙。
◇ ◇ ◇
アシュレイは笑みを崩さない。
「巧妙な偽装かもしれません」
見事な切り返し。
完全な証拠ではない。
だが。
王座側の空気は変わった。
“疑念は公国へ向いた”。
種火は逆流した。
◇ ◇ ◇
王が静かに言う。
「正式抗議を送る」
公国使節団の空気がわずかに張る。
外交は崩壊寸前で踏み止まった。
◇ ◇ ◇
晩餐後の廊下。
アシュレイがレオに近づく。
「見事だ」
低い声。
「だが証拠はまだ灰色だ」
レオは答える。
「灰色でも、光に当て続ければ白黒は出る」
二人の視線が交差する。
ここからは消耗戦。
情報戦。
信用の戦い。
◇ ◇ ◇
夜。
レオは家族の寝顔を見つめる。
疑念は完全には消えない。
だが。
無根拠ではなくなった。
外交の舞台は、次の段階へ移る。
王国は試されている。
だが――折れない。




