第44話 内部の影
王宮内監査室。
修繕足場の管理台帳が机に並ぶ。
門番交代記録、勤務表、印章履歴。
「偽造は、完璧に近い」
エドワードが低く言う。
「素人ではない」
レオは一枚の書類に目を止めた。
印章の押し直し。
微妙なズレ。
「ここ」
「認証印の再圧着がある」
「承認後、差し替えられている」
つまり。
印章保管室へアクセスできる人間。
城内中枢レベル。
◇ ◇ ◇
調査が進む。
門番失踪は偽装。
足跡は意図的に外へ流された。
作業員も替え玉。
全体の流れは一つに収束する。
印章保管を管理している人物。
王宮書記長。
——ロベルト・ハインツ。
◇ ◇ ◇
「ロベルト……?」
ミレイの声が震える。
その名は、よく知っている。
穏やかな中年の男。
いつも丁寧。
ルナに飴をくれたこともある。
ソラの誕生祝いの書簡も届けてくれた。
レオの王宮生活を、陰で支えていた男。
「まさか……」
レオも信じたくなかった。
だが。
印章鍵の複製権限を持つのは、彼だけ。
◇ ◇ ◇
ロベルトは静かに呼び出された。
取調室。
彼はいつも通り穏やかだった。
「何か不備でもございましたか」
レオは真正面に座る。
「外壁足場の承認印」
「再圧着されています」
ロベルトは一瞬だけ目を伏せた。
だがすぐに戻す。
「技術的誤差でしょう」
エドワードが書類を差し出す。
「門番交代の順番まで一致している」
「偶然ではない」
沈黙。
ロベルトの指が机を軽く叩く。
穏やかな顔の下で、何かが揺れる。
◇ ◇ ◇
「家族を愛していますか?」
突然、ロベルトが問う。
レオの瞳が細くなる。
「何の話だ」
「あなたは、家族を失っていません」
「だから分からない」
空気が変わる。
ロベルトは静かに息を吐いた。
「私の息子は、五年前に処刑されました」
レオの胸が凍る。
「軍資金横流しの濡れ衣」
「調査指揮は——レオン王子」
衝撃。
◇ ◇ ◇
ロベルトの声は、静かだった。
「息子は無実でした」
「しかし王子は容赦なく裁いた」
「公正という名の刃で」
レオは気づく。
五年前の調査は、確かに厳しかった。
だが、証拠は揃っていた。
少なくとも、表向きは。
「だから復讐か」
レオの問い。
ロベルトは小さく笑う。
「違います」
「復讐は、私の感情」
「だが、王子を消す計画は……もっと上」
空気が凍る。
「侯爵ですか」
ロベルトは黙る。
その沈黙が、答え。
◇ ◇ ◇
しかし、彼は続ける。
「私は足場を通しただけ」
「毒は、別の手」
「私は直接関与していない」
言い訳にも聞こえる。
だが涙が落ちていた。
「家族を救う条件でした」
レオの拳が静かに震える。
「脅されていたのか」
ロベルトは目を閉じた。
「孫が、行方不明でした」
氷のような静寂。
侯爵は“弱点”を掴む。
それがやり方。
◇ ◇ ◇
エドワードが低く言う。
「証言はするか」
ロベルトは顔を上げた。
長い沈黙。
「……する」
「もう失うものはない」
だが。
その時。
外で騒ぎが起きる。
「書記長邸が炎上!」
報告が部屋に響いた瞬間、ロベルトの顔色が変わった。
「……孫が」
声が掠れる。
「家にいるはずです」
レオの胸が凍る。
「“はず”?」
ロベルトは震えている。
「五年前、侯爵に攫われました」
「条件付きで、戻された」
「ですが、監視は続いていた……」
つまり。
常に人質だった。
今回は――見せしめ。
「向こうは気づいたな」
レオが低く言う。
「証言を察知した」
ロベルトは崩れ落ちる。
「私が……」
「まだ決まってない!」
レオは即座に動いた。
「馬を出せ!」
◇ ◇ ◇
西区官舎街。
炎はすでに屋根を飲み込んでいた。
近衛隊が消火に当たっている。
「中に子どもがいる!」
騎士が叫ぶ。
レオは躊躇わない。
「位置は!」
「二階奥!」
ロベルトが縋る。
「お願いします……!」
レオは外套を脱ぎ、煙の中へ入った。
◇ ◇ ◇
内部は熱と崩落。
咳が止まらない。
奥。
倒れた家具の下。
小さな体。
まだ動いている。
生きている。
レオは梁を持ち上げる。
背中に火の粉が散る。
「大丈夫だ」
抱き上げる。
その瞬間、天井が落ちる。
間一髪で外へ転がり出た。
◇ ◇ ◇
ロベルトが孫を抱きしめる。
生きている。
怪我はあるが、命は助かった。
ロベルトは泣いている。
「……まだ守れるのか」
かすれた声。
レオは振り返る。
炎の向こう。
暗い路地。
黒い外套の影。
アルヴェルト。
距離を保ち、立っている。
目だけが冷たい。
“口を開くな”
明確な意思表示。
◇ ◇ ◇
ロベルトが震えながら言う。
「次は、殺される」
その恐怖は本物だ。
五年前、誘拐。
今回、焼き討ち。
脅しは段階的に強くなっている。
◇ ◇ ◇
エドワードが低く言う。
「証言は延期しますか」
レオは炎を見つめた。
怒りはある。
だが激情では動かない。
「延期しない」
ロベルトが顔を上げる。
「……?」
「だが、方法を変える」
レオの声は落ち着いている。
「家族を全員保護下に置く」
「証言は安全圏で取る」
「侯爵の“弱点支配”を断つ」
エドワードの目が変わる。
理解した。
これは逆転。
◇ ◇ ◇
数日後。
王命。
高官家族保護法令公布。
王宮直轄護衛部隊設置。
表向きは“王族警備強化”。
実際は――侯爵の交渉材料を消す制度。
ロベルトの孫は、王宮内保護区域へ移された。
「もう攫えない」
レオは静かに言った。
侯爵の支配は“恐怖”。
ならば“恐怖が通用しない構造”を作る。
◇ ◇ ◇
夜。
屋敷。
ミレイがレオの焼けた背中に薬を塗る。
「どうして、そこまで」
レオは苦笑する。
「五年前、守れなかった命がある」
声が少し低くなる。
「今度は、守れる」
ミレイはそっと彼に額を当てる。
「一緒に守りましょう」
「そして終わらせましょう」
レオは目を閉じる。
戦いは個人同士ではなくなった。
構造そのものを壊す。
◇ ◇ ◇
グランディル侯爵邸。
報告が入る。
「書記長一家、王宮保護区域へ移動」
侯爵の目が冷える。
「レオ……」
「構造から潰す気か」
アルヴェルトは低く言う。
「そろそろ直接、決着を」
侯爵は微笑む。
「いいだろう」
「ならば、王を動かす」
水面は静か。
だが王宮の地下では、地殻変動が始まっている。




