第42話 水面下の波
王都は、穏やかだった。
市場は賑わい、
子どもたちは通りを駆け回る。
誰も知らない。
王宮の奥で、
大きな力が動き始めていることを。
◇ ◇ ◇
レオは評議会の席で、淡々と提案を述べていた。
「第一段階として、薬剤管理制度の再検査を行います」
ざわめき。
グランディル侯爵がゆっくりと目を細める。
「突然ですね」
「突然ではありません」
レオは静かに答える。
「王族の投薬管理は最優先事項です」
柔らかい言葉。
だが、狙いは明確。
R-17。
軍事管理薬物の流通経路。
それを合法的に洗い出す。
◇ ◇ ◇
「疑っているのですか?」
侯爵の声は穏やかだ。
だが目は笑っていない。
レオは視線を外さない。
「疑いではなく、確認です」
静かな、力の応酬。
周囲の貴族たちは息を呑む。
エドワードがさりげなく補足する。
「これは王命に基づく管理強化です」
王の名を出された瞬間、
侯爵はそれ以上踏み込めなかった。
だが。
その指先が、机を静かに叩く。
怒りの合図。
◇ ◇ ◇
屋敷。
ミレイは庭でルナと遊んでいた。
ソラは乳母に抱かれている。
平和な景色。
だが最近、衛兵の数が増えた。
門の外には見慣れない顔もある。
「まま、あのひとだれ?」
ルナが小声で聞く。
門の陰。
視線を外さない男。
ミレイは笑顔で答える。
「町の人よ」
嘘だと、自分でも分かる。
(監視……? それとも牽制?)
◇ ◇ ◇
夜。
レオが帰宅する。
疲労は見せない。
だが視線が鋭い。
「外、変わったことは?」
ミレイは頷く。
「同じ人が、三日」
レオの拳がわずかに固まる。
「侯爵側の圧だな」
「揺さぶり」
ミレイが問う。
「危険ですか?」
レオは少し考える。
「今は“脅し”だ」
「でも、進めば実害になる」
◇ ◇ ◇
その夜。
ルナは静かに言った。
「ぱぱ」
「うん?」
「ぱぱ、たたかってるの?」
レオは一瞬止まる。
どう答えるべきか。
ミレイが見守る。
レオはしゃがみ、目を合わせた。
「たたかってるよ」
「でもね」
「誰かをやっつけるためじゃない」
「守るため」
ルナは少し考える。
「ルナのため?」
レオは微笑んだ。
「もちろん」
「ソラも、ままも」
ルナがぎゅっと抱きつく。
「ぱぱ、つよい?」
レオは軽く抱きしめる。
「うん。でもね」
「一番強いのは“家族”なんだよ」
ミレイの目に涙が浮かぶ。
◇ ◇ ◇
同じ夜。
グランディル侯爵邸。
「薬剤管理を洗うだと?」
低い怒声。
「焦るな」
古傷の男――アルヴェルトが静かに言う。
「まだ証拠は足りない」
「だが、あの男は止まらない」
侯爵の目が細くなる。
「家族を揺らせ」
空気が重くなる。
「父親は、子どもが弱点だ」
◇ ◇ ◇
翌朝。
屋敷前に、花束が置かれていた。
白い花。
美しい。
だが中央に一輪だけ、黒い花が混ざっている。
ミレイの手が凍る。
レオが無言で拾い上げる。
花の根元に、小さな紙。
『選べ』
ただ、それだけ。
静かな圧力。
戦いは、もう始まっている。
◇ ◇ ◇
「選べ——か」
レオは紙片を指先で挟み、静かに見つめた。
白と黒の花。
分かりやすい脅し。
「改革か、家族か」
ミレイの声は震えていなかった。
ただ、静かだった。
レオは花を暖炉へ放り込む。
炎が一瞬だけ黒く揺らめいた。
「選ばせると思っているなら、甘い」
低く、しかし確実な声。
◇ ◇ ◇
その日の夕刻。
レオは単身、エドワードの執務室を訪れた。
「薬剤管理の再検査、早めます」
「予定より一月前倒しで」
エドワードが驚く。
「圧力に屈しないという宣言ですか」
「違います」
レオは首を振る。
「揺さぶりに時間を与えない」
「動くなら、こちらも全速で動く」
エドワードの目が鋭くなる。
「王宮内部に、まだ侯爵派はいます」
「当然です」
「だからこそ、“表”で進めます」
裏で暴けば、反動が来る。
だが、公開監査なら止められない。
レオの目は、冷静だった。
以前の激情はない。
選んだ戦い方。
守るための速度。
◇ ◇ ◇
一方。
グランディル侯爵邸。
アルヴェルトが報告を受ける。
「監査前倒し?」
侯爵の眉が動く。
「焦っているな、父親殿は」
アルヴェルトは口元を歪めた。
「追い詰めれば、必ず綻ぶ」
「娘に近づけ」
侯爵は言い放つ。
「だが、触れるな」
「恐怖だけ植え付けろ」
アルヴェルトは静かに頷く。
「心得ています」
◇ ◇ ◇
夜。
レオは子どもたちの寝顔を見ていた。
ルナは小さく寝返りを打ち、
ソラは小さな寝息を立てる。
ミレイが隣に立つ。
「怖くないのですか」
レオは少し考えた。
「怖いよ」
正直な答え。
「でも、止まる方がもっと怖い」
ミレイは彼の腕にそっと触れる。
「私は、あなたを止めません」
「でも、一人にはしません」
レオは笑った。
わずかに、柔らかく。
「知ってる」
◇ ◇ ◇
翌朝。
ルナが庭で遊んでいると、
塀の向こうに視線を感じた。
振り向く。
遠く。
黒い外套。
あの夜と同じ、古傷の男。
しかし――
今回は、距離がある。
完全に衛兵の外側。
挑発だ。
ルナは一瞬、固まる。
だが。
次の瞬間、大きな声で呼んだ。
「ぱぱー!」
レオは即座に出てくる。
視線を辿る。
すでに影は消えている。
だが、地面には足跡。
わざと残した足跡。
レオは静かに言った。
「挑発か」
ルナが不安そうに見上げる。
レオはしゃがむ。
「大丈夫」
「さっき呼んだの、正解」
ルナは小さく頷く。
「こわかった」
レオは抱きしめる。
その胸の内側で、
怒りが静かに積もる。
◇ ◇ ◇
夜。
レオはエドワードと最終確認をしていた。
「監査と同時に、軍事薬品庫を封鎖」
「アルヴェルトの経歴再精査」
「侯爵派の資金流れの洗い出し」
エドワードが低く言う。
「いよいよ正面衝突ですね」
レオは息を吐く。
「避けられない」
そして、はっきり言う。
「向こうも、家族を揺らしてくる」
「だからこそ、終わらせる」
守るだけではなく。
断ち切る。
◇ ◇ ◇
深夜。
王都の塔。
アルヴェルトが夜景を見下ろしている。
「お前は強くなったな、レオ」
「だが」
目が細くなる。
「父親は、必ず迷う」
袖の中から、小さな金属片を取り出す。
軍印付きの古い鍵。
王室医薬庫の内鍵。
五年前のまま、保管していた。
「核心へ、ようこそ」
◇ ◇ ◇
屋敷。
レオは窓辺に立つ。
月明かりの中、ただ静かに呟く。
「もう終わらせる」
改革も。
闇も。
揺さぶりも。
そして。
守るべき日常を、絶対に守る。
戦いは、次の段階へ。




