第40話 小さな目撃者
夜。
屋敷は厳戒態勢だった。
外には近衛騎士。
門には二重警備。
窓も内側から施錠。
それでも――空気は重い。
◇ ◇ ◇
「ぱぱ……」
ルナが、レオの袖を握った。
「どうしたの?」
「みんな、こわいかおしてる」
レオは少しだけ困ったように笑った。
「大人は、難しい顔するのが仕事なんだよ」
「そうなの……?」
「そう」
レオはしゃがんで目を合わせる。
「でも、ルナは安心してていい」
「お父さんがいるから」
ルナは少し考えて、うなずいた。
「うん」
◇ ◇ ◇
その夜。
ソラは眠り。
ミレイも疲れが出て、早めに床に就いた。
レオは書斎で書類を読んでいる。
警備報告。
拘束された元官僚の証言。
王子毒殺疑惑の再調査状況。
(予想以上に根が深いな……)
その時。
カタン。
小さな音。
レオは顔を上げた。
廊下の奥。
静まり返っている。
(気のせい……?)
再び、書類に目を戻した。
◇ ◇ ◇
一方。
ルナは、目を覚ました。
「……まま?」
静か。
「ぱぱ?」
誰もいない。
少し、喉が渇いていた。
ベッドから降りる。
ぺたぺた、と廊下を歩く。
月明かりだけが差し込む。
静かな屋敷。
◇ ◇ ◇
その時。
庭側の回廊の窓。
ほんの僅かに――開いていた。
布が揺れる。
ルナは立ち止まった。
「……?」
黒い、影。
窓の向こう。
庭の木立の間。
誰かがいる。
大人。
背が高い。
黒い外套。
顔は――半分、影の中。
ルナは固まった。
その人物が、ゆっくり顔を上げる。
月光が――その目を照らした。
鋭い。
冷たい。
視線が、ルナに向く。
完全に、目が合った。
ルナの心臓が、強く鳴る。
黒衣の男は、口の端をわずかに上げた。
――笑った。
ルナの喉から、小さな声が漏れる。
「……っ」
動けない。
足がすくむ。
男が、ゆっくりと指を口元に当てた。
「シー……」
音は届かないはずなのに。
確かに、その仕草は伝わった。
ルナの目に、涙が溢れる。
その瞬間。
遠くで、騎士の足音。
「巡回異常なし!」
声が響く。
男は、すっと後退した。
闇に溶けるように消えていく。
◇ ◇ ◇
ルナは、その場に崩れ落ちた。
「……こわい……」
小さな手が震える。
その時。
扉が開く。
「ルナ?」
レオだった。
「どうしたの? こんなところで」
ルナは振り返る。
顔が真っ青。
涙が止まらない。
「ぱぱ……」
レオはすぐに抱き上げた。
「大丈夫、大丈夫」
「こわいゆめ?」
ルナは首を横に振る。
震えながら、庭を指差した。
「あそこ……」
「だれか……いた」
レオの心臓が、止まった。
「誰?」
「くろい……ひと」
「わらってた……」
空気が変わる。
冷たい感覚が背筋を走る。
レオは、即座に窓へ向かった。
確かに。
鍵が緩んでいる。
外に視線を走らせる。
闇。
静かな庭。
だが――
地面に、薄く残る足跡。
(……入られた)
背筋が冷える。
娘は――犯人の顔を見た。
レオはルナを強く抱きしめた。
「もう大丈夫」
声は穏やか。
だが、瞳は氷のように冷たい。
「絶対に、守る」
ルナはレオの首にしがみつく。
「ぱぱ……」
その小さな震えが。
レオの中の何かを、完全に変えた。
守るだけじゃ足りない。
終わらせる。
◇ ◇ ◇
廊下の影。
窓の外の闇。
すぐ近くまで、敵は来ている。
そして。
小さな目撃者が――その顔を、覚えてしまった。
◇ ◇ ◇
ルナを抱いたまま、レオは冷静に命じた。
「第一警備班、庭を封鎖。南門も閉じろ」
声は低く、短い。
すぐに騎士たちが動き出す。
「何があったのですか、レオ殿?」
隊長が駆け寄る。
「侵入者だ。黒衣。娘が目撃した」
空気が一瞬で凍った。
「侵入……!? この警備を抜けて?」
「現実に抜けた」
レオの瞳は冷えきっていた。
「痕跡はまだ新しい。行け」
騎士たちは庭へ散開する。
◇ ◇ ◇
室内。
ミレイも騒ぎに気づいて駆けてきた。
「ルナ……!」
ルナはまだ震えている。
「まま……こわい……」
ミレイはすぐに抱き寄せた。
「大丈夫よ。お父さんがいるから」
けれど、ミレイの手もわずかに震えている。
レオはそれを見た。
そして静かに言う。
「……本当にすぐ近くまで来ている」
ミレイの目が揺れる。
「私たちを、狙って……?」
「違う」
レオは首を振った。
「"僕を"だ」
重い沈黙。
◇ ◇ ◇
庭から戻った騎士が報告する。
「足跡あり。城壁付近で消失」
「内部に協力者がいる可能性は?」
「否定できません」
レオは思考を巡らせる。
今回の目的は――
誘拐ではない。
暗殺でもない。
違う。
(確認だ)
娘が見ていることに、気づいていた。
わざと、視線を合わせた。
わざと、笑った。
心理的威嚇。
「家族に近づける」と示すための行為。
レオの拳が、ゆっくり握られた。
◇ ◇ ◇
その夜。
ルナはなかなか眠れなかった。
「ぱぱ……」
レオは横に座る。
「さっきの人、どんな顔だった?」
ルナは少し考える。
「おめめ、つりあがってて……」
「ここ、きずあった」
自分の頬を指さす。
レオの心が止まる。
傷?
「どっち側?」
「こっち」
右頬。
斜めに。
レオの頭の中で、情報が繋がる。
◇ ◇ ◇
翌朝。
レオはエドワードに会った。
「右頬に古傷のある男に心当たりは?」
エドワードの顔色が変わる。
「……一人います」
「誰ですか」
「元近衛副隊長。五年前に失脚」
レオの背筋に冷たいものが走る。
「理由は?」
「王子の急逝後、王室記録室に不正侵入」
空気が凍る。
「……まだ毒殺疑惑を追っている者がいる?」
「あるいは、隠蔽した側の残党」
レオは静かに立ち上がった。
「名前を」
「アルヴェルト・リドウ」
◇ ◇ ◇
午後。
レオは部屋に戻る。
ミレイは不安そうに待っていた。
「分かった?」
「ある程度」
レオは真っ直ぐに言う。
「もう恐れる必要はない」
「相手の顔も、経歴も、掴めた」
ミレイは少し息をつく。
「レオさん……怒ってますね」
レオは一瞬、笑う。
だがその目は冷たい。
「当然だ」
「僕に何をしてもいい」
「だが、家族に触れた」
静かな、燃えるような怒り。
「それだけは許さない」
◇ ◇ ◇
その夜。
庭の木立。
遠くの屋根の上。
黒衣の男が、王宮を見下ろしていた。
「気づいたか、レオ顧問」
口元が歪む。
「いい」
「守ることを覚えた人間ほど、壊しやすい」
男は小さな紙片を握る。
そこには、レオン王子の署名が模写された記録。
「真実を暴いてやる」
「お前がどれだけ偽物だったか」
風が吹き抜ける。
影は消えた。
◇ ◇ ◇
ベッドの中。
ルナは両親に挟まれて眠る。
ミレイは囁く。
「怖い?」
レオは首を振る。
「違う」
「今は、はっきりしている」
「守るべきものがある」
レオはそっとルナの髪を撫でる。
もう、受動的にはいない。
影武者の時代は終わった。
今は――
守る側だ。
「次は僕の番だ」
夜は静かに更ける。
だが、水面下では。
より大きな波が、うごめいていた。




