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第1話 完璧王子は、噂だけの存在でした。

「ミレイ! また薬草を間違えたの!?」


薬師のマリアおばあさんの叱責が、小さな工房に響く。


ミレイは縮こまりながら、頭を下げた。


「ごめんなさい……セージとタイムが、どうしても見分けが……」


「もう三年も経つのに! あんた本当に、薬師に向いてないんじゃないの?」


「うっ……」


ぐさり。


心に刺さる。でも、反論できない。その通りだから。


マリアおばあさんは、大きくため息をついた。


「まあいいわ。今日はもう帰りなさい。明日、また一から教えるから」


「はい……すみません……」


ミレイは、とぼとぼと工房を後にした。


あれから三日。


森でレオと出会ってから、三日が経っていた。


「また、会えるって言ってたけど……」


ぽつりと呟く。


本当に来るのだろうか。もしかしたら、あれは熱に浮かされた夢だったのかもしれない。いや、そもそも——あの出会い自体が、ミレイの妄想だったのかもしれない。


「はぁ……」


ため息をつきながら、ミレイは村の広場を横切った。


すると。


「聞いた!? 明日、王都からお偉いさんが来るんですって!」


「本当!? 誰が来るの?」


「なんでも、レオン様らしいわよ!」


「えええっ!? あの、完璧王子のレオン様が!?」


井戸端で、村の女性たちが盛り上がっている。


ミレイは、足を止めた。


レオン様——。


セントラル王国の第一王子。二十一歳。容姿端麗、文武両道、誰からも愛される完璧な王子として、国中で知らない者はいない存在。


ミレイも、噂だけは聞いたことがあった。


「金色の髪に、紫の瞳ですって!」


「まあ! 絵画で見たことあるけど、本当に美しいのよね!」


「でも、こんな辺境の村に、どうして……?」


「視察ですって。最近、王族が各地を回ってるらしいわよ」


女性たちは、きゃあきゃあと騒いでいる。


ミレイは、何となく胸がざわついた。


金色の髪。紫の瞳。


——まさか、ね。


首を振る。


レオは、王子様みたいだとは言っていたけれど、「比喩」だと言っていた。それに、あんな森の奥で倒れているような人が、王子様のはずがない。


「ミレイ、あんたも明日は広場に来なさいよ! 一生に一度のチャンスかもしれないんだから!」


村長の娘、セリーヌが声をかけてきた。


「あ、うん……」


「まあ、あんたみたいな落ちこぼれが見に行っても、レオン様の目に留まるわけないけどね」


くすくすと笑いながら、セリーヌは去って行く。


ミレイは、また胸が痛んだ。


でも——慣れている。


こういう扱いには、もう慣れている。


「……森、行こう」


ミレイは、そう決めた。


明日、村は王子様の訪問で大騒ぎになる。ならば、その間に森で薬草を採ろう。それに——もしかしたら、レオが来てくれるかもしれない。


そう思うと、少しだけ胸が温かくなった。


   ◇ ◇ ◇


翌日。


朝から村は、異常な活気に包まれていた。


広場には花が飾られ、村人たちは一張羅に着替えている。子どもたちは興奮して走り回り、女性たちは化粧に余念がない。


「ミレイ、あんた本当に森に行くの?」


マリアおばあさんが、呆れた顔で聞いてきた。


「はい。どうせ私なんて、場違いですし……」


「まあ、あんたらしいといえばらしいけど」


おばあさんは肩をすくめた。


「気をつけてね。今日は村中が浮かれてるから、森には誰も来ないでしょうけど」


「はい」


ミレイは薬草籠を持って、森へ向かった。


村を出ると、途端に静かになる。


鳥の声。風の音。いつもの、穏やかな森。


ミレイは、深く息を吸った。


「ここが、一番落ち着く……」


森の小道を進む。


目指すは、あの泉。レオと出会った場所。


もしかしたら——。


いや、来るわけないか。あれからもう三日も経っている。きっと、もう忘れているだろう。ミレイのことなんて。


「……やっぱり、私の勘違いだったのかな」


そう呟いたとき。


「ミレイ!」


——え?


声がした。


振り返ると——。


そこに、レオがいた。


金色の髪が、朝日を浴びて輝いている。白いシャツに、黒いズボン。シンプルな服装だけど、それでも彼から放たれる気品は隠せない。


「レオ……さん?」


「会えた! よかった、君がここに来るかもって思って、朝からずっと待ってたんだ!」


レオは、満面の笑みで駆け寄ってきた。


その表情は——まるで子犬のように、無邪気で。


「え、あ、その……」


ミレイは、戸惑った。


こんなに嬉しそうに、自分を待っていてくれる人なんて——生まれて初めてだった。


「ごめんね、三日も会えなくて。色々あって、なかなか抜け出せなくて」


「い、いえ! 大丈夫です! というか、本当に来てくれると思わなくて……」


「え? だって、また会えるって約束したじゃん」


レオは、きょとんとした顔で首を傾げた。


「約束したら、守るよ。当たり前でしょ?」


ああ、この人——。


ミレイは、胸がきゅっと締め付けられた。


本当に、まっすぐな人なんだ。


「あのね、ミレイ」


レオは、少し照れくさそうに笑った。


「僕、この三日間、ずっと君のこと考えてた」


「えっ……」


「また会えるかなって。また話せるかなって。君に会いたくて、会いたくて——」


そこまで言って、レオははっと我に返った。


「あ、ごめん! 重い? 重いよね? 気持ち悪いって思った?」


「そ、そんなことないです!」


ミレイは慌てて首を横に振った。


「嬉しい……です。そんな風に、思ってもらえるなんて……」


「本当?」


「本当です」


ミレイが微笑むと、レオは安堵したように息をついた。


「よかった……あのね、僕——」


言いかけて、また言葉を切る。


「僕、ずっと思ってたんだ。こんな風に、誰かと話せたらいいなって」


「こんな風に……?」


「うん。作らないで、話せる相手。計算しないで、笑える相手」


レオは、泉を見つめた。


「君といると、僕——楽なんだ。何も繕わなくていい。失敗してもいい。完璧じゃなくてもいいって、思える」


完璧。


また、その言葉。


「レオさんって……普段は、完璧でいなきゃいけないんですか?」


「うん」


レオは、少し苦笑した。


「僕の立場だと、ね。常に見られてる。常に期待されてる。一挙手一投足が評価される。だから——失敗できない」


「それって……辛くないですか?」


「辛いよ」


あっさりと、レオは認めた。


「すっごく辛い。でも、それが僕の役割だから」


「役割……」


「うん。みんなが望む、完璧な——」


そこまで言って、レオは口を閉じた。


何かを隠している。


ミレイは、それを感じ取った。


でも、問い詰めることはしなかった。


きっと、まだ言えない何かがある。それでいい。無理に聞き出す必要はない。


「ねえ、ミレイ」


「はい?」


「君は、何か夢とかある?」


「夢……」


ミレイは、少し考えた。


「薬師として、一人前になることです。でも……無理かもしれません」


「どうして?」


「だって、私——何をやってもダメなんです。薬草は覚えられないし、調合も失敗するし。村のみんなからも、落ちこぼれって言われてて……」


「落ちこぼれ?」


レオは、眉をひそめた。


「そんなわけないじゃん」


「え……?」


「だって、君——僕を助けてくれたでしょ? あの時、適切な処置をしてくれたから、僕は回復できた。それって、すごいことだよ」


「でも、あれは……ただ、おばあさんに教わった通りにしただけで……」


「それができるのが、才能だよ」


レオは、真っ直ぐにミレイを見た。


「君は、優しくて、思いやりがあって、人を助けられる人だ。それって——何よりも素晴らしいことじゃないか」


ああ。


涙が、溢れそうになった。


こんな風に、認めてくれる人——初めてだった。


「ミレイ」


レオが、そっと手を伸ばしてきた。


ミレイの頬に、触れる。


「泣かないで。君は、十分すぎるくらい頑張ってる」


「……レオさん」


「だから——もっと自分を、褒めてあげて」


その言葉が、胸に染み入った。


ミレイは、こくりと頷いた。


そのとき。


遠くから、鐘の音が聞こえた。


村の鐘だ。


「あ……」


レオは、はっとした顔で空を見上げた。


「もう、こんな時間……」


「レオさん、何かあるんですか?」


「うん。ちょっと、行かなきゃいけない場所があって」


レオは、名残惜しそうにミレイを見た。


「ごめん。もう少し一緒にいたかったんだけど……」


「大丈夫です。お仕事、ですよね?」


「……まあ、そんなところ」


レオは、苦笑した。


それから——。


「ねえ、ミレイ」


「はい」


「また、明日も来ていい?」


「え……?」


「僕、君にまた会いたい。毎日でも会いたい。ダメ、かな?」


紫紺の瞳が、不安そうにミレイを見つめている。


ミレイは、胸がいっぱいになった。


「ダメじゃ、ないです」


「本当?」


「本当です。私も……嬉しいです」


レオの顔が、ぱあっと輝いた。


「ありがとう! じゃあ、明日も来る! 絶対来る!」


「はい。待ってます」


「うん!」


レオは、子どものように嬉しそうに笑って——それから、森の奥へと走って行った。


ミレイは、その背中が見えなくなるまで、手を振り続けた。


「……不思議な人」


ぽつりと呟く。


でも、嫌いじゃない。


むしろ——。


ああ、どうしよう。


また会いたいって、思ってる。


胸の中で、何かが芽生え始めている。


それが何なのか、まだ分からない。


でも——。


「明日が、楽しみだな」


ミレイは、自然と笑顔になっていた。


   ◇ ◇ ◇


その頃、ノルン村の広場では。


豪華な馬車が到着し、村人たちがどよめいていた。


扉が開く。


そこから降りてきたのは——。


金色の髪に、紫紺の瞳を持つ、美しい青年。


白と金の礼服に身を包み、その立ち居振る舞いは優雅そのもの。微笑みは完璧で、目配せは計算され尽くしている。


「ようこそ、レオン様!」


村長が深々と頭を下げる。


「お忙しい中、このような辺境の村まで……」


「いえいえ」


青年——レオン王子は、柔らかく微笑んだ。


「全ての領民を知ることが、私の務めですから」


その声は、穏やかで、品があり、完璧に計算されていた。


表情も、仕草も、言葉も——全てが、完璧。


完璧王子、レオン。


村人たちは、その姿に見惚れている。


まるで、絵画の中から抜け出してきたような、非の打ちどころのない王子。


でも。


その完璧な笑顔の奥で——。


レオンの心は、どこか遠くにあった。


(ミレイ……)


森の中で出会った、あの少女。


自分を、ただの「レオ」として見てくれた、唯一の存在。


(また、会いたいな)


心の中で呟きながら、レオンは完璧な笑顔を保ち続けた。


誰にも悟られないように。


誰にも気づかれないように。


この仮面を——外すわけにはいかない。


少なくとも、ここでは。


「さあ、皆様。今日は楽しい一日にいたしましょう」


完璧王子の声が、広場に響く。


村人たちは、歓声を上げた。


誰も知らない。


この完璧王子が、たった今まで——森で、一人の村娘に心を開いていたことを。


誰も知らない。


この笑顔が、どれほどの重荷を背負っているかを。


そして、ミレイも——まだ知らない。


自分が出会った「レオ」が、誰なのかを。


   ◇ ◇ ◇


運命の歯車は、静かに回り始めていた。


少女が真実を知るとき——物語は、大きく動き出す。

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