第1話 わたしが物理おじさんに!? ありえない!
「そこまでよ! ネガティブ同盟!」
わたし、名川珠姫。
魔法少女ルミナス・パールに変身して、人々に無駄にネガティブな思考を植えつけるネガティブ同盟と日夜戦う14歳の中学生。
「お寿司に醤油をつけるとき、ネタとシャリがバラバラになった日は何をやってもうまくいかない__なんて意味のわからないネガティブを広めるのはやめなさい!」
ネガティブ同盟の全身黒タイツみたいな戦闘員達が、わたしの姿を見て身構えた。
わたしは一歩、前に出て、胸の前で両手を重ねる。
何度もやってきた、いつもの変身の構え。
「……ルミナス・パール、変身!」
胸の奥に、光が集まる感覚。
喉を開いて、歌に入る。
「♪ひかりを――」
その瞬間だった。
ぐぅ゛、ん゛……
喉の奥で、なにかが絡んだ。
「っ……!?」
一瞬、息が詰まる。
唾でも、空気でもない。
ぬめっとした、嫌な存在感。
でも、止められない。
ここで止めたら変身は中断される。
「♪ひ゛、ひかりを……だ、抱いて……っ」
声が、引っかかる。
音程が、落ちる。
喉の奥から、ごろっ、ぐちゅっという、あってはいけない音が混じった。
「――きらめきを、ちからに変ぇ゛……っ……ぇう゛ぅ゛ん゛、ごふっ」
声が潰れた。
同時に、光が来た。
いつもより、重たい光だった。
身体が浮かない。
回転しない。
代わりに、地面が――近い。
どん、と足裏に衝撃が走った。
「……?」
視界が戻る。
まず見えたのは、自分の腕だったもの。
太い。
ありえないほど、太い。
指が、長くて、節張っている。
手の甲に、見覚えのない産毛が生えている。
「……なに、これ……」
声が、低かった。
喉の奥で、ずしんと鳴る声。
自分のものとは思えない。
慌てて胸元を見る。
光のフリルはない。
ルミナス・パールの象徴だった、あの淡い装束もない。
代わりにあるのは、張り付くようなタンクトップと、異様に発達した筋肉の輪郭。
呼吸するたび、筋肉が大きく上下する。
「……は?」
足元を見る。
ブーツが、でかい。というかこれ、パパが仕事で使ってる安全靴だ。
つま先に、鉄板が入ってるタイプの。
「……え」
試しに、足を一歩動かす。
がつん、と地面が鳴った。
軽く踏み出しただけのはずなのに、
コンクリートに、はっきりと振動が返ってくる。
「……ちょっと……待って……」
喉に手を当てる。
さっきまで、あれだけ絡んでいたはずの痰は__綺麗さっぱり、なくなっていた。
呼吸が、異様に楽だ。
深く吸っても、引っかからない。
むしろ、肺が広がりすぎている。
「……あ」
声を出す前から、分かってしまった。
「……テスト」
出た音は、低くて、太くて、よく通るバリトンだった。
ネガティブ同盟の戦闘員たちが、一斉に、半歩ずつ後ずさる。
「……なんだ、あれ」
「ルミナス・パール……じゃ、ないよな……?」
わたしは、ゆっくり拳を握った。
きゅ、と皮手袋が鳴った。
……皮手袋?
「…………」
視線を上げる。
黒タイツの戦闘員たちの向こうで、
夜の街灯が、やけに低い位置に見えた。
――違う。
わたしが、高い。
そのとき、辛うじて魔法少女の要素が残ったブレスレットから、ハートのコアの聞き慣れた声が、いつもより落ち着いた調子で響いた。
『変身、完了』
「……完了じゃない」
即座に言い返したつもりだったが、
声が低すぎて、怒鳴っているみたいになった。
『魔法少女形態:正常――』
「どこが!」
『代替形態、起動』
一拍。
嫌な沈黙。
『――物理的最適解、適用』
「待って、待って待って待って」
手を振る。
やけに大きい。
「ルミナス・パールは!? わたしの、きらきらは!?」
返事はなかった。
代わりに、身体の使い方が、なぜか分かる。
どこを踏み込めばいいか。
どの距離なら、届くか。
ネガティブ同盟の戦闘員の一人が、恐る恐る、武器を構えた。
「……く、来るぞ……!魔法少女……いや、変態おじさんが!」
その瞬間。
わたしの身体が、勝手に、前に出た。
「――え?」
安全靴が、地面を削る。
次の瞬間、拳が――ものすごく、自然に、振り抜かれていた。
踏み込んだ瞬間だった。
ばきんっ――
足元のアスファルトが、音を立てて砕けた。
「……え」
驚く暇もなかった。
身体が、正解を知っている。
腰が入る。肩が回る。
拳が、迷いなく前に出る。
――速い。
風を切る音すら、遅れて聞こえた。
ごうっという、空気そのものを押し潰すような音。
拳は、ネガティブ同盟の戦闘員に触れてすらいなかった。それでも。
どんっ!!
衝撃が、爆発する。
「ぐっ――!?」
拳圧だけで、
黒タイツの戦闘員が吹き飛んだ。
身体が宙を舞い、そのまま、十メートル先のフェンスに叩きつけられる。
「……は?」
別の戦闘員たちが、一斉に、凍りついた。
「ちょ、待っ――」 「魔法、使ってないぞ……!?」
わたしの拳は、まだ、前に出たままだった。
軽い。
軽すぎる。
今まで、魔法を撃つときに感じていたあの“消耗”が、まったくない。
代わりにあるのは、身体の奥から湧き上がる、雑で、確かな力。
「……ちがう」
これは、光じゃない。
きらめきでも、希望でもない。
殴れる、という事実だ。
「……ひっ」
ネガティブ同盟の戦闘員が、
完全に戦意を失った声を出した。
「撤退! 撤退だ!!」 「なんだあいつ……魔法少女じゃ……!」
彼らが逃げていくのを、
わたしは、ただ呆然と見送った。
拳を、ゆっくり下ろす。
――震えていない。
怖くない。
それが、何より怖かった。
「……ねえ」
誰に向けたわけでもなく、呟く。
「これ、間違ってるよね……?」
そのとき。
ブレスレットのあの声が、やけに事務的に響いた。
『戦闘終了、確認』
『変身適合、確認』
「やめて」
嫌な予感が、背中を駆け上がる。
『対象:名川珠姫』
『適合形態――』
一拍。
無駄に、間があった。
『――物理おじさん』
「やめてってば!」
『コードネーム』
次の言葉が来る前に、
わたしは、必死に首を振った。
「違う、違う!
わたしは――」
『――まきお♂マッチョ』
夜の公園に、
容赦なく宣告が落ちた。
「…………」
数秒、言葉が出なかった。
握りしめた拳を、
ぎゅっと、胸の前に引き寄せる。
タンクトップ越しに、
異様な筋肉が、はっきり動く。
「……いや」
低い声で、
でも、はっきり言った。
「わたしは……」
魔法少女ルミナス・パールなんですけど!?
返事は、なかった。
街灯の下で、
砕けたアスファルトだけが、
静かに、事実を主張していた。




