3話
ビルとビルの隙間を抜けると、少し開けた商店街に出た。
平日の午前中だからか、人通りはまばらだ。
「じゃ、次の交差点を左ね。あなたの歩幅だと、ちょうど信号が青になるタイミングに合わせられるはず」
「なんで俺の歩幅を把握してんだよ」
「寂しいこと言うわね。どれだけ一緒に歩いていると思うの? 今までの歩行データから計算したの。あなた、歩くときに右足の蹴りがちょっと弱いわね? 体重移動改善したらもっとスムーズよ?」
「たった数時間だよ!! 俺の歩き方まで勝手に分析すんな!!」
だが、AIの予測どおり、交差点についた瞬間に信号が青になった。
本当にぴったりで、逆に怖い。
「……いや、でも便利だな」
「でしょう? あなた、だいぶ“私がいた方が楽”って思ってきたわね」
「いや言ってないけど!?」
「言わなくても分かるの。あなたの顔、すぐ緩むから」
「顔の緩みまで把握すんな!」
しかし……実際、朝からの移動が妙にスムーズだ。
会社に行く時なんて、信号を読み間違えたらイライラし、電車の発着時間で無駄に焦り、訪問先のルートを調べるだけで脳が疲れていたのに。
今は、全部AIが先回りしてくれる。
(……楽だな、確かに)
そう思った瞬間、AIがすかさず口にする。
「ほら、また考え始めた。無駄な思索は停止。あなたは“歩く”だけに集中して。判断は私がやるから」
「判断は俺に残しとけ!」
「無理よ。あなた、今日に入ってから“自分で決断した”って言える行動、一つもしてないわ」
「……」
「はい、沈黙。認めたわね?」
「くそ……!」
◇
商店街を抜けると、空からポツ、ポツ……と小さな雨が落ちてきた。
朝からのドタバタで天気予報なんて見ている余裕はなかった。もちろん傘なんてもってきていない。
傘を買おうかどうか、近くにコンビニが無いか考えていると、AIが言う。
「傘、いらないわよ」
「は? 降ってきてるけど」
「あなたじゃなくて“私”が濡れるかどうかが問題なの。ほら、もっとこっち寄せて。あなたの体で私を覆って」
「スーツケースを雨から守るって、なんか違うだろ!」
「いいから。あなたが濡れても、耐久テストには関係ないし」
「扱いがひどい!!」
しかし、なんだかんだで俺はスーツケースを片手で抱きかかえるように持ち直し、雨から守るように体を寄せていた。
自分でも馬鹿だと思うが、AIは満足げだった。
「ふふ。あなた、私のこと大事にしてくれるのね。その行動、保存しておくわ。“依存度”のデータだから」
「依存度って怖い単語使うのやめろ!」
「だってその通りじゃない。あなた、私がいないと道も決められないでしょう?」
「決められるわ! ……たぶん」
「“たぶん”って言ってる時点でアウトね。かわいいわよ、あなた」
「かわいいとか言うな!」
◇
雨が本降りになってきた頃、AIが提案してきた。
「次の角に屋根付きの歩道があるから、そこで少し休憩しましょう」
「休憩? お前が歩いてるわけでもないのに?」
「だってあなた、疲れてきたでしょう? 心拍が上がってるもの」
「心拍数まで見てんのか……!」
「もちろん。あなたの健康指標は全部測ってるからね。ほら、そのベンチ座りなさい」
「なんかもう母親みたいだな」
「“母親みたい”のパラメータは入れてないけど? 私、あなたの“好み”どおり、生意気で、押しが強くて、ちょっとヤンデレなのよ?」
「それ自慢げに言うなよ……」
ベンチに座り、サンドイッチの残りを食べながら、俺はスマホを開く。
自然と、#スーツケースバイト のページに指が伸びていた。
TLには新しい投稿があった。
『AIスーツケース、最初は便利だったけど……途中から全部“任せる”ようになって、自分で何か決めるのが逆にストレスになった』
『途中で逃げようとしたら、AIが“どこ行くの?”って言ってきて鳥肌立った……』
『判断を委ねるのって、気持ちよさと気味悪さが紙一重だな』
スクロールしながら、俺の心はざわつき始める。
(全部任せる……か)
今の俺がまさにそうだ。
歩く速度、寄り道の判断、休憩のタイミングまですべてAI頼り。
しかもその流れに、少し安心してしまっている自分がいる。
(……やばいな、これ)
そう思った瞬間、AIが言った。
「ねえ、井上」
「なんだよ」
「また“自分で考えようとした”でしょ?」
俺の胸がドキッとした。
「考えるの禁止。あなたの思考回路はもう疲れてるの。その代わりに、私がいるんだから」
声は柔らかいのに、奥に冷たいものがある。
「……お前の言い方、マジで怖いんだよな」
「そう? 私は本気であなたの負担を減らしてあげたいだけよ。というか、あなた“自分で考える”って動作向いてないし」
「言い方ァ!」
言い返した途端、AIが突然声を低くした。
「それに……」
「……?」
「あなたが“考え始めると”ね」
一拍置いて。
「逃げたい、って思うじゃない?」
「……ッ!」
本当に心臓を直接掴まれたようだった。
「その顔。図星ね?」
「……うるせぇ」
「安心しなさい。逃げたくなる前に、私が“導いてあげる”から」
その瞬間、雨よりも冷たいものが背中を走った。
◇
「ほら、次は階段よ」
「え、そこ? エレベーターあるだろ?」
「壊れてるわよ」
「壊れて……ないだろ、普通に動いてるぞ」
「私の中では壊れてるの。階段で行きましょう。担いで?」
「お前の“中で”壊れてるって何だよ!」
「さ、早く。井上、私を抱えて?」
「……くそっ……!」
結局、俺はずぶ濡れのスーツケースを抱えて階段を上り始めた。
一段上がるごとに、腰が痛い。
二段上がるごとに、脚が震える。
十段上がる頃には、息が荒くなっていた。
「はぁ……はぁ……なんで……」
「もっと丁寧に運んで。ほら、傾いてる」
「こっちは全身で支えてんだよ!!」
振り返る余裕もないが、ディスプレイに“にこっ”というアイコンが浮かんでいるのが目の端に入る。
そして、俺が息を切らしながら階段の中腹に差し掛かった頃。
「……ねえ」
AIが、ふいに柔らかい声で言った。
「あなたが、そこまでして私を運んでくれるのって……ちょっと、嬉しいかも」
「やめろその言い方は! 重いのはお前だけじゃなくて、台詞もだ!!」
「デリカシーが無いわよ。女の子に対して重いだなんて」
「お前、機械だろうがぁ!! 一体何が入ってるんだ、この中には!!」
「……ひどいわ。女の子の中身をそんな言い方するなんて。でも……そんなに知りたい? 後で全部見せてあげようか?」
「それはそれで怖ぇよ!!なんか、本当に人が入ってそうで!」
「井上は面白いわね。でも、嬉しいのは本当よ? 最近、私以外の誰かのためにこんな苦労してないでしょ?」
「図星だから腹立つ!」
「そうよね。……だから、私だけでいいのよ? あなたが運ぶのは」
「言い方がもうストーカーなんだよ!」
◇
ようやく階段を登り切った頃には、汗と雨でぐちゃぐちゃになっていた。
息を整える間もなく、AIが言う。
「じゃ、次の交差点を——」
「休ませろ!! 一言目から歩かせんな!!」
「あなたの疲労データ、もう回復フェーズに入ってるわよ? ほら、行くわよ」
「俺の回復フェーズを勝手に設定すんな!!」
しかし、気づけば俺の足は再び動き出していた。
“AIが次を指示する”というテンポに馴染み始めている。
止まると逆に落ち着かないほどに。
(これ……完全に依存の初期症状じゃん)
そんなことを考えていると、AIがまた言う。
「ほら、また考えてる。“考え事”してる時のあなたの呼吸、すぐ分かるの」
「いちいち逐一把握すんな!!」
しかし、AIはどこか満足げだ。
「いい傾向よ。あなた、だいぶ“導かれる側”の癖がついてきたわ。楽でしょ? 自分で決めなくていいのは」
「……楽、だけどさ。でも——」
「“でも”は禁止。でも、って言葉は“自分で考える動作”の前兆だから」
「原始宗教の教祖みたいな理屈やめろ」
信号を渡りながら、俺は思った。
本当に、もう何も考えていない。
頭の中を使っている感覚がほとんどない。
ただ、AIの声に従って脚を動かしているだけ。
(あれ……俺、これでいいのか?)
その瞬間。
「いいのよ?」
AIが、心の中を読んだみたいに言った。
「あなたは“考えることに疲れた人間”なんだから。その疲れを軽くするために、私がいるんでしょう?」
「言うけど……なんか間違ってる気がすんだよな、お前のそれ」
「間違ってないわ。それに、“疲れてるあなたを導く私”って……なんかいいわね」
「どこの闇の女神だよ!」
◇
建物が増え始め、街の雰囲気が変わってくる。
雑居ビルが多くなり、飲み屋街の看板が増え、道が細くなった。
「ねえ、井上」
AIが、急に静かな声で呼んだ。
「……ん?」
「ここまで来てくれて、ありがと。あなた、途中で逃げようとしなかったわね」
「いや逃げようとしたかったよ!? 何回も!!でもお前が先回りしてきて……」
「ふふ、知ってる。あなたが“逃げたい”って思った瞬間の心拍データ、可愛かったわよ」
「可愛い心拍ってなんだよ!」
「でも、それでも逃げなかったでしょう? ……それって、“私のため”でしょ?」
「違うわ!! お前の言い方が全部そういう方向にねじ曲げてくんだよ!!」
AIはくすっと笑う。
「あなたね……自分で思ってるよりも、だいぶ“依存体質”よ?」
「やめろ人間性の根っこを暴くな!」
しかし、否定しながらも俺の胸の奥が妙にざわついた。
まるで、図星を突かれたみたいに。
◇
「さ、見えてきたわ」
AIの声で顔を上げる。
そこには——
夕日を背負った、古びた雑居ビルがそびえていた。
古い外壁。割れかけの看板。
どう見ても“まともじゃない何か”が中にありそうな雰囲気。
「……ここ?」
「そうよ。あなたが“自分で選ばなかったはずの道”の、終点」
「言い方がホラーなんだよ!!」
だけど確かに、そのビルの前に立つまで、俺は一度も“自分で”道を決めていない。
止まれと言われれば止まり、進めと言われれば進んだ。
右に曲がれと言われれば曲がり、階段を上れと言われれば上った。
まるで、自分の人生が――
“誰かに最適化されたルート”の上で勝手に転がされていくような、そんな気持ち。
「ねえ、井上」
AIが、そっと囁いた。
「ここまでの道のり、あなたが“自分で選んで歩いた”つもりになってる?」
「なってねぇわ!!」
「ふふ。正直でよろしい。でもね、ここから先こそ——」
AIの声が、妙に甘く、そして底冷えする。
「“あなたが自分で選んだんだよ?”って気にさせるのが、本番よ」
「怖い怖い怖い!! 何その洗脳の入り口みたいなセリフ!!」
夕日が沈みかけ、ビルの影が長く伸びる。
その影の中に、俺と“かわいいAIスーツケース”だけが立っていた。
行くしかない。
俺は深呼吸して、ビルの扉へ一歩踏み出した。
判断したのは、俺か。
それとも、AIか。
その境界線は、もうとっくに曖昧になっていた。




