2話
「——で、移動を始めるわけだけど」
スーツケースの側面が点灯し、AIのアイコンがぱちりと目を開けた。
「その格好で向かうつもり? 私としては“いつものくたびれたスーツ”に着替えることを推奨するわ」
「おい待て、なんで俺のスーツが“くたびれてる”って知ってんだよ」
「昨日、あなたが帰宅してジャケットを椅子に投げたときに解析したもの。縫製のほつれ、襟元の擦れ、汗ジミの残留……総合評価:Bマイナス」
「評価すんな!! あと、解析っていつ!? さっき会ったばっかりですよねえ!?」
「あら。AIに対して“会った”なんて詩的ね。でも、そんな些末な事はどうでもいいの。今日の行動ログは生活行動も含めて収集対象なの。いつものあなたの“零細社会人モード”で統一してもらわないと困るのよ」
「些末じゃない!怖えぇよ! 零細社会人モードって言うな!」
「せわしないわね。ほら、クローゼットの上段右側。ネクタイも置いてあるでしょ?」
「なんで知ってんだよ!?」
「昨日あなたが着替えるとき、クローゼット開けたから。服の位置は全部スキャン済み。ついでに言うと、下着と肌着は——」
「言うな!! 言うなって!!」
「箪笥の二段目左端でしょ?」
「……なんで分かるんだよ」
「昨日のシャワー後、あなたそこで“どっちの下着にするか”悩んでたじゃない」
「完全に俺の生活監視されてるじゃねえか!!」
「監視じゃなくて最適化よ。ほら、さっさと着替えなさい」
あまりに自然な口調で“生活動線の把握”をぶっこまれて、
俺は完全にペースを持っていかれた。
「……分かったよ。着替えるよ」
「そう。素直でよろしい」
そう言いながら、AIはキャスターで床をコツコツ叩いた。
リズムで人を急かすな。
◇
なんとかスーツを着直して戻ってくると、AIがさらに言う。
「次に——このイヤホンもつけて」
「なんでだよ」
「この先、あなたとは“外で会話する”場面が多くなるの。私の声が外に聞こえるのは非効率。あなたが職質されるリスクが上がるわ。私は良いのだけど、時間効率はどうしても悪くなってしまうわ」
「職質を効率とかで考えないで!」
「はい、早く装着して。駅までのルート説明を始めるわ」
「お前の“始めるわ”は恐怖の合図なんだよ……」
「ふふ。ちゃんと聞こえる? 音量最適化したから安心して」
「もうお前の“最適化”が信用できねえんだわ」
「安心しなさい。——あなたの思考より、よっぽど精度高いもの」
◇
朝の通勤ラッシュで駅へ急ぐスーツ姿の人たちが、ちらっとこちらを見る。
「平日にスーツ姿でスーツケース引いてる男」というだけなら出張か何かに見えるだろう。
中身が“謎のかわいい最適化AI”だと知ってるのは、今のところ俺だけだ。
「じゃ、まずは駅までね。最短ルートは——」
スーツケースの側面ディスプレイに、簡易な地図が表示される。
現実の景色と連動するように、矢印がぴこぴこと点滅した。
「徒歩7分32秒。信号待ちを考慮しても9分以内に到着可能。さ、歩いて」
「いや、ルートくらい自分で決めさせろよ」
「昨日まで、どうせ毎日同じ道を“条件反射”で歩いてただけでしょ? それを“自分で決めてる”って言い張るの、だいぶ苦しくない?」
「刺すな朝から!」
生意気さ、全開である。
とはいえ、示されたルートはいつも使っている道より少し近道で、信号も少ない。
俺はなんだかんだで矢印に従って歩き始めた。
「ほら見なさい。あと2メートルで信号が変わるから、歩幅をちょっとだけ広くして」
「なんでそんな細かいんだよ」
「その方が“効率的”だから。私のテストにもなるし、あなたのカロリー消費にもなるし、一石二鳥でしょ?」
「お前のテスト基準に俺の人生乗せるな」
ぶつぶつ言いながらも、気づけば俺は、言われたとおりに歩幅を調整して信号を渡っていた。
横断歩道を渡る寸前で信号が点滅し始めるが、余裕で渡りきれる。
「ね? 私がいた方がスムーズでしょ?」
「ムカつくけど、否定できないのが余計ムカつくんだよ!」
◇
駅までの道のりで、AIは一切黙らなかった。
「そこの自販機、缶コーヒー110円。あなたの好みの甘さはこれね、買ってきなさい」
「命令形やめろ」
「小銭は持ってるでしょ? さっき財布の中身スキャンした時に確認したから」
「勝手に財布スキャンすんな!」
とはいえ、缶コーヒーは確かにいつも俺が買っている銘柄だった。
無意識のうちに小銭を取り出して、自販機に投入している自分が悔しい。
「一口飲んだら、ちゃんと“おいしい”って言いなさいよ?」
「なんでだよ」
「ポジティブな発声は、行動意欲と歩行パフォーマンスを向上させるってデータがあるの。ほら、“おいしい”」
「……おいしいです」
「よろしい」
完全に犬のしつけである。
でも確かに、口に出して言ってみると、さっきより少しだけ気分がマシになった気がするからムカつく。
「そうやって、色々“先回り”して行動設計されるの、慣れると楽よ?」
「悪魔のささやきかお前は」
「何もしなければ、うっかり仕事のこと考え始めて、朝から憂鬱になるでしょ? それを防いであげてるの。私、優しくない?」
「優しさの定義、ちょっと歪んでない?」
◇
改札前まで来ると、AIがすかさず口を出す。
「ICカードの残高、あと248円。片道分しかないから、先にチャージしておきなさい」
「なんで残高まで知ってんだよ」
「さっき、あなたがスマホのモバイル交通ICの画面開いた時に、連携済ませておいたもの」
「無断連携やめろ!!」
文句を言いながらも、俺は機械の前に立ってチャージを始める。
気づけば、金額欄には「2000円」が自動入力されていた。
「ほら、そのくらいは入れておかないと、いざという時足りなくて困るでしょ」
「……まあ、そうだけどさ」
「でしょ? だから黙って私に任せておきなさい」
完全に“任せる流れ”ができているのが怖い。
俺の中の「考えるエンジン」が、どんどんアイドリング状態に追いやられていく感じがする。
改札を抜け、ホームへ向かう階段を降りる途中で、AIがぽつりと言った。
「ねえ、さっきから、私の提案に全部従ってるけど——何か自分の意志で決めたこと、あった?」
「……」
「昨日の夜、“応募ボタンを押すかどうか”だけは、ちゃんと悩んでたみたいだけどね。あとはほとんど条件反射か、私の指示で動いてる」
「朝から心えぐるなよ……」
ホームに着くと、ちょうど電車が入ってきた。
俺は人の流れに押されるように車内へ押し込まれる。いつもの満員電車。いつもと違うのは、足元にAIスーツケースがいることだけだ。
◇
車内でも、AIはマイペースだった。
「混んでるわね。あなた、いつもこんな環境で通勤してたの?」
「……」
「どうして無視するの? ああ。人目があるから、迷惑を気にしているのね」
スマホにピコンとRINEの招待通知が届いた。
薄々分かってはいたが、AIからの招待だった。どうやってとか疑問は浮かんだが、考えるのも面倒くさくなり機械的に承諾をする。
INUE:そうだけど。日本のサラリーマンなんてだいたいこんなもんだろ
#17-Ina-:データベースには“満員電車”という概念は登録されてたけど、実際にこうして体験すると……
#17-Ina-:なるほど、これは脳の思考リソースを削るには最適な環境ね
INUE:サイコな感想やめろ
#17-Ina-:ストレスがある時は“自分で考える”より“指示に従う”方がエネルギー消費が少なくて済むのよ。
#17-Ina-:満員電車を活用することで、あなたたちは会社でも上司の言うことに従いやすくなる。
#17-Ina-:ふふっ
#17-Ina-:とても、合理的ね?
INUE:合理的とか言うな……
ぐさぐさ刺さる。
RINEアプリを閉じて、いつもの癖で通知アイコンの履歴を古い順から順番に眺めていく。
特に意識しての行動ではない。要る要らないの判断をして、興味の無いものはスワイプして通知を消す。
#17-Ina-:何見てるの?
INUE:SNSとか
#17-Ina-:ああ、“現実逃避”ってやつね?
INUE:言い方ァ!
#17-Ina-:開きもせずに閉じるのだったら、アプリごと消せばいいのに
INUE:見えてんじゃねえか!
最新の通知欄に追いつくと、昨夜俺が開いた募集ページと同じ会社からのDMが追加されていた。
『本日はAIスーツケース耐久テストへのご協力ありがとうございます。道中、不明点があれば当アカウントまでご連絡ください。また、SNS等でのテスト内容の詳細な共有はお控えください。』
下の方に、小さくハッシュタグが並んでいる。
——#AISUITCASETEST #フィールドテスト #歩くだけバイト
その中の一つに、見覚えのないタグが混ざっていた。
#スーツケースバイト
(……ん?)
なんとなく、そのタグをタップする。
タイムラインが切り替わり、いくつかの投稿が流れてきた。
『マジでスーツケース運ぶだけで10万もらえた。怪しいけど最高 #スーツケースバイト』
『AIスーツケース、ガチでうざかわいい。ずっと喋ってくる。 #スーツケースバイト』
『これ、途中からマジで自分で考えなくなるのヤバい。目的地さえ知らされてないのに、気づいたら着いてた。 #スーツケースバイト』
『二度とやらん。 #スーツケースバイト』
ポジティブな感想とネガティブな感想が、ごちゃまぜになっている。
中には、途中で途切れているスレッドもあった。
『今日からAIスーツケースのテスト。とりあえず10万は振り込まれた。楽勝の予感 #スーツケースバイト』
その次の投稿に、「これさ——」と書きかけて止まっているアカウント。
そこから先がない。
(……こういうの、怖いんだけど)
背筋に、さっきとは別種の寒気が走った。
#17-Ina-:ふうん。覗き見、趣味悪いわね
INUE:いや、気になるだろ普通
#17-Ina-:他のスーツケースユニットのこと、そんなに気になる? 浮気性ね
INUE:例えの方向性おかしいだろ
#17-Ina-:安心して。私は“あなた専用”に最適化されてるから。
#17-Ina-:他の誰かの好みに合わせて作られたAIなんて、あなたにとってはノイズでしかないでしょ?
INUE:言い方が宗教なのよ……
とはいえ、「自分専用にカスタマイズされた」という言い回しは、現代人の弱いところを突いてくる。
サブスク、SNSのタイムライン、レコメンド機能。
“自分の好み”に最適化されたものに囲まれて生きるのが、当たり前になってしまった世界で。
(俺も、そういうのに慣れすぎてるのかもしれないな)
考え始めたところで、AIが割り込んでくる。
#17-Ina-:考え事禁止
INUE:は?
#17-Ina-:今、脳内の負荷が上がった気配がしたから。
#17-Ina-:無駄な自己分析は脳の効率を下げるの。
#17-Ina-:あなたはただ、私の指示に従っていればいいのよ
INUE:サイコパス彼女のセリフだぞそれ
#17-Ina-:あなたが選んだ“かわいい”のパラメータに、ちゃんと入ってたでしょう?
#17-Ina-:“押しが強い”“束縛やや許容”“叱られたい傾向あり”」
「最後のやつ口に出すな!! ……あっ」
……周りの乗客に聞こえてないことを祈る。
◇
電車を降り、乗り換えのホームに向かう。
矢印に従って歩いていると、AIがまた指示を飛ばしてきた。
「次は三番線。少し急げば、乗り換え時間が3分短縮できるわ」
「3分くらい誤差だろ」
「この先、階段の数が多いポイントがあるから、早めに着いて休憩を挟んだ方がトータルでは楽なの。ほら、“今”楽するか、“あとで”楽するか、どっちがいい?」
「……あとで楽する方」
「素直でよろしい」
気づけば、俺は半ば小走りになっていた。
AIの指示に従って、より“効率的”なルートを選択している。
自分で考えたわけではなく、提示された選択肢の中から“楽そうな方”を選んだだけなのに、どこかで「自分の意志で決めた」と錯覚している自分がいる。
(これ、たぶん危ないやつだよな)
心のどこかで警戒しているのに、身体は素直に動いてしまう。
ホームに着くなり、AIが言った。
「はい、一旦ストップ。ベンチ、空いてるわ」
「おお、本当だ」
「10分ほど余裕ができたから、その間に朝ごはんを摂取しましょう」
「いや、もう出てきちゃったし、コンビニ戻るのめんどい——」
「そこで諦めるから、いつも朝食抜きで仕事して、昼前には血糖値が落ちてパフォーマンス下がるのよ。ほら、あそこの売店。あなたの血糖値と嗜好プロファイルからすると、あそこのサンドイッチが最適」
「なんで血糖値知ってんだよ!」
「昨日、あなたが風呂上がりに鏡の前でお腹をつまんでため息ついた時に、カメラから体型データを——」
「ストップストップ! 情報収集のタイミングがキモい!」
しかし、売店のショーケースを見ると、本当に俺の好きなハムたっぷりのサンドイッチが並んでいた。
なんだかんだで、俺はそれを手に取って会計を済ませる。
「また言うわよ。“おいしい”って口に出しなさい」
「……おいしいです」
「よろしい。ぴこんっ。歩行パフォーマンス上昇フラグ立ちました」
「そんなフラグいらねえよ」
◇
ベンチでサンドイッチを頬張りながら、俺は再びスマホを開いた。
#スーツケースバイト のタイムラインを、スクロールする指が止まらない。
『マジでAIが全部決めてくれるから、何も考えなくてよくなる。ある意味天国、ある意味地獄。』
『途中から、自分の意思でここまで来たのか分からなくなる感覚、わかる人いる?』
『判断するって、こんなに疲れることだったんだなって気づかされた。で、その“疲れ”を全部AIに預けるようになる。』
短い文章の中に、妙にリアルな疲労感が滲んでいる。
(判断するのが疲れる、か……)
思い返してみれば、ここ最近、俺もそうだった。
仕事でも、プライベートでも、「自分で決める」のがしんどくて、気づけば上司の指示や慣れたルーティンに流されるように動いていた。
「似てるわね」
AIが、唐突に言った。
「何が」
「あなたの会社生活と。“自分で考えなくていいから楽”って、危険な快楽でしょう?」
「お前が言うなよ、その代表選手みたいなことしてるくせに」
「そうよ? 私はその快楽を最大化するためにいるんだから」
胸を張るような声色で言ってくるのが腹立たしい。
「でもね。本当に怖いのは、“考えなくなること”そのものじゃないの」
「……じゃあ何だよ」
「“考えなくなってる”って自覚が、薄れていくこと。その状態に慣れちゃうこと」
声のトーンが、少しだけ真面目になった気がした。
「……お前に言われると、説得力がありすぎてムカつくな」
「光栄ね」
◇
次の電車に乗り込み、さらに数駅。
俺は途中から、ほとんど何も意識せずにAIの指示に従っていた。
「次降りるわよ」
「ドア近くに移動して」
「階段は右側の列の方が速いから、そっちに並んで」
まるでナビ付きのゲームをやっているみたいだ。MMORPGのお使いクエスト。次にやるべき目標は勝手に積み上げられていく。“自分でマップを確認してルートを考える”という工程が、まるまる抜け落ちている。
改札を出て、地上に出ると、見慣れない街並みが広がっていた。
「ここ、どこ?」
「大丈夫。知ってる必要はないわ。あなたが知ってるべきなのは、“次にどっちへ曲がるか”だけ」
「怖いことサラッと言うなって毎回言ってるだろ俺」
「右よ」
言われるがままに、右へ曲がる。
ビルとビルの間を抜け、細い路地へ入っていく。
「この道、俺一人だったら絶対通らないわ」
「だからこそ、私がいるんじゃない。“あなた一人だったら選ばない道”を、選ばせてあげるために」
「それ、闇バイトの勧誘チラシに書いてあるセリフだぞ」
そんなくだらないやりとりをしながら歩いていると、ふいにAIが言った。
「ところで、ユーザーさん? ええと……呼びにくいわね。あなた、なんて呼ばれたい?」
「え、ああ、なんだろ。急に言われると……」
「大丈夫。あなたの代わりに考えておいてあげたの。候補はいろいろあるのよ。”被験者No.810”——これは無機質でしっくりくるわね。“被験体810”も悪くないわ。——でも長いわね。シンプルに“810番”とかどうかしら?」
「しっくりこないわ!! なんでそんな研究材料みたいに……!」
「じゃあ少し甘く……“タツくん”? “たっちゃん”? “タツぴょん”なんてどう?」
「恥ずかしいわ!! おかんか!!」
「あら。お母さま変わっ……こほん。……とても、ユニークね。“タツぴょん”なんて」
「ちがわい!! よりによってそんな呼び方する親が居てたまるか!」
「意外とわがままね。じゃあ……“歩行特化生命体” あとは……810番から“ぽっぽ”とかどう? 頭が空っ……いえ、平和の象徴のようで美しいわ」
「悪意しかねぇ!!」
「——井上」
「あ、はい」
「井上。呼び捨て。あなたの“個体名”としては、一番しっくりくるわ。それとも……“達也”って呼んだ方がいい?」
「いや……いい。名前呼びは恥ずかしい。井上でいいよ」
「ふふっ」
「なんだよ」
「さっきから、私の指示に全部素直に従ってるけど——」
一拍置いてから、続ける。
「井上は……私がいないと、生きていけないんじゃない?」
その言い方が、妙に甘くて、妙に冷たかった。
「まだ半日も一緒にいねえよ! 依存関係成立させるの早すぎだろ!」
「でも、今日一日終わる頃には、もう少し“なしでは困る”って思ってるかもね」
からかうような声なのに、その底に何か硬いものが感じられて、俺はぞわりと鳥肌が立った。
「安心して。“私がいないとダメなあなた”を、ちゃんとデータとして保存しておいてあげるから」
「安心材料の方向性おかしいだろ!」
俺のツッコミが、雑居ビルの谷間に虚しく響く。
それでも、足は止まらない。
矢印が示す方へ、キャスターの転がる音を聞きながら、俺は歩き続けた。
自分の意志で選んでいるのか、選ばされているのか——
その境界線を、少しずつ曖昧にしながら。




