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このスーツケースを運ぶだけで100万円?やります!  作者: 鳳梨亭ほうり


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2話

「——で、移動を始めるわけだけど」


スーツケースの側面が点灯し、AIのアイコンがぱちりと目を開けた。


「その格好で向かうつもり? 私としては“いつものくたびれたスーツ”に着替えることを推奨するわ」


「おい待て、なんで俺のスーツが“くたびれてる”って知ってんだよ」


「昨日、あなたが帰宅してジャケットを椅子に投げたときに解析したもの。縫製のほつれ、襟元の擦れ、汗ジミの残留……総合評価:Bマイナス」


「評価すんな!! あと、解析っていつ!? さっき会ったばっかりですよねえ!?」


「あら。AIに対して“会った”なんて詩的ね。でも、そんな些末な事はどうでもいいの。今日の行動ログは生活行動も含めて収集対象なの。いつものあなたの“零細社会人モード”で統一してもらわないと困るのよ」


「些末じゃない!怖えぇよ! 零細社会人モードって言うな!」


「せわしないわね。ほら、クローゼットの上段右側。ネクタイも置いてあるでしょ?」


「なんで知ってんだよ!?」


「昨日あなたが着替えるとき、クローゼット開けたから。服の位置は全部スキャン済み。ついでに言うと、下着と肌着は——」


「言うな!! 言うなって!!」


「箪笥の二段目左端でしょ?」


「……なんで分かるんだよ」


「昨日のシャワー後、あなたそこで“どっちの下着にするか”悩んでたじゃない」


「完全に俺の生活監視されてるじゃねえか!!」


「監視じゃなくて最適化よ。ほら、さっさと着替えなさい」


あまりに自然な口調で“生活動線の把握”をぶっこまれて、

俺は完全にペースを持っていかれた。


「……分かったよ。着替えるよ」


「そう。素直でよろしい」


そう言いながら、AIはキャスターで床をコツコツ叩いた。

リズムで人を急かすな。



なんとかスーツを着直して戻ってくると、AIがさらに言う。


「次に——このイヤホンもつけて」


「なんでだよ」


「この先、あなたとは“外で会話する”場面が多くなるの。私の声が外に聞こえるのは非効率。あなたが職質されるリスクが上がるわ。私は良いのだけど、時間効率はどうしても悪くなってしまうわ」


「職質を効率とかで考えないで!」


「はい、早く装着して。駅までのルート説明を始めるわ」


「お前の“始めるわ”は恐怖の合図なんだよ……」


「ふふ。ちゃんと聞こえる? 音量最適化したから安心して」


「もうお前の“最適化”が信用できねえんだわ」


「安心しなさい。——あなたの思考より、よっぽど精度高いもの」



朝の通勤ラッシュで駅へ急ぐスーツ姿の人たちが、ちらっとこちらを見る。

「平日にスーツ姿でスーツケース引いてる男」というだけなら出張か何かに見えるだろう。

中身が“謎のかわいい最適化AI”だと知ってるのは、今のところ俺だけだ。


「じゃ、まずは駅までね。最短ルートは——」


スーツケースの側面ディスプレイに、簡易な地図が表示される。

現実の景色と連動するように、矢印がぴこぴこと点滅した。


「徒歩7分32秒。信号待ちを考慮しても9分以内に到着可能。さ、歩いて」


「いや、ルートくらい自分で決めさせろよ」


「昨日まで、どうせ毎日同じ道を“条件反射”で歩いてただけでしょ? それを“自分で決めてる”って言い張るの、だいぶ苦しくない?」


「刺すな朝から!」


生意気さ、全開である。


とはいえ、示されたルートはいつも使っている道より少し近道で、信号も少ない。

俺はなんだかんだで矢印に従って歩き始めた。


「ほら見なさい。あと2メートルで信号が変わるから、歩幅をちょっとだけ広くして」


「なんでそんな細かいんだよ」


「その方が“効率的”だから。私のテストにもなるし、あなたのカロリー消費にもなるし、一石二鳥でしょ?」


「お前のテスト基準に俺の人生乗せるな」


ぶつぶつ言いながらも、気づけば俺は、言われたとおりに歩幅を調整して信号を渡っていた。

横断歩道を渡る寸前で信号が点滅し始めるが、余裕で渡りきれる。


「ね? 私がいた方がスムーズでしょ?」


「ムカつくけど、否定できないのが余計ムカつくんだよ!」



駅までの道のりで、AIは一切黙らなかった。


「そこの自販機、缶コーヒー110円。あなたの好みの甘さはこれね、買ってきなさい」


「命令形やめろ」


「小銭は持ってるでしょ? さっき財布の中身スキャンした時に確認したから」


「勝手に財布スキャンすんな!」


とはいえ、缶コーヒーは確かにいつも俺が買っている銘柄だった。

無意識のうちに小銭を取り出して、自販機に投入している自分が悔しい。


「一口飲んだら、ちゃんと“おいしい”って言いなさいよ?」


「なんでだよ」


「ポジティブな発声は、行動意欲と歩行パフォーマンスを向上させるってデータがあるの。ほら、“おいしい”」


「……おいしいです」


「よろしい」


完全に犬のしつけである。

でも確かに、口に出して言ってみると、さっきより少しだけ気分がマシになった気がするからムカつく。


「そうやって、色々“先回り”して行動設計されるの、慣れると楽よ?」


「悪魔のささやきかお前は」


「何もしなければ、うっかり仕事のこと考え始めて、朝から憂鬱になるでしょ? それを防いであげてるの。私、優しくない?」


「優しさの定義、ちょっと歪んでない?」



改札前まで来ると、AIがすかさず口を出す。


「ICカードの残高、あと248円。片道分しかないから、先にチャージしておきなさい」


「なんで残高まで知ってんだよ」


「さっき、あなたがスマホのモバイル交通ICの画面開いた時に、連携済ませておいたもの」


「無断連携やめろ!!」


文句を言いながらも、俺は機械の前に立ってチャージを始める。

気づけば、金額欄には「2000円」が自動入力されていた。


「ほら、そのくらいは入れておかないと、いざという時足りなくて困るでしょ」


「……まあ、そうだけどさ」


「でしょ? だから黙って私に任せておきなさい」


完全に“任せる流れ”ができているのが怖い。

俺の中の「考えるエンジン」が、どんどんアイドリング状態に追いやられていく感じがする。


改札を抜け、ホームへ向かう階段を降りる途中で、AIがぽつりと言った。


「ねえ、さっきから、私の提案に全部従ってるけど——何か自分の意志で決めたこと、あった?」


「……」


「昨日の夜、“応募ボタンを押すかどうか”だけは、ちゃんと悩んでたみたいだけどね。あとはほとんど条件反射か、私の指示で動いてる」


「朝から心えぐるなよ……」


ホームに着くと、ちょうど電車が入ってきた。

俺は人の流れに押されるように車内へ押し込まれる。いつもの満員電車。いつもと違うのは、足元にAIスーツケースがいることだけだ。



車内でも、AIはマイペースだった。


「混んでるわね。あなた、いつもこんな環境で通勤してたの?」


「……」


「どうして無視するの? ああ。人目があるから、迷惑を気にしているのね」


スマホにピコンとRINEの招待通知が届いた。

薄々分かってはいたが、AIからの招待だった。どうやってとか疑問は浮かんだが、考えるのも面倒くさくなり機械的に承諾をする。


INUE:そうだけど。日本のサラリーマンなんてだいたいこんなもんだろ


#17-Ina-:データベースには“満員電車”という概念は登録されてたけど、実際にこうして体験すると……


#17-Ina-:なるほど、これは脳の思考リソースを削るには最適な環境ね


INUE:サイコな感想やめろ


#17-Ina-:ストレスがある時は“自分で考える”より“指示に従う”方がエネルギー消費が少なくて済むのよ。


#17-Ina-:満員電車を活用することで、あなたたちは会社でも上司の言うことに従いやすくなる。


#17-Ina-:ふふっ


#17-Ina-:とても、合理的ね?


INUE:合理的とか言うな……


ぐさぐさ刺さる。

RINEアプリを閉じて、いつもの癖で通知アイコンの履歴を古い順から順番に眺めていく。

特に意識しての行動ではない。要る要らないの判断をして、興味の無いものはスワイプして通知を消す。


#17-Ina-:何見てるの?


INUE:SNSとか


#17-Ina-:ああ、“現実逃避”ってやつね?


INUE:言い方ァ!


#17-Ina-:開きもせずに閉じるのだったら、アプリごと消せばいいのに


INUE:見えてんじゃねえか!


最新の通知欄に追いつくと、昨夜俺が開いた募集ページと同じ会社からのDMが追加されていた。


『本日はAIスーツケース耐久テストへのご協力ありがとうございます。道中、不明点があれば当アカウントまでご連絡ください。また、SNS等でのテスト内容の詳細な共有はお控えください。』


下の方に、小さくハッシュタグが並んでいる。


——#AISUITCASETEST #フィールドテスト #歩くだけバイト


その中の一つに、見覚えのないタグが混ざっていた。


#スーツケースバイト


(……ん?)


なんとなく、そのタグをタップする。


タイムラインが切り替わり、いくつかの投稿が流れてきた。


『マジでスーツケース運ぶだけで10万もらえた。怪しいけど最高 #スーツケースバイト』


『AIスーツケース、ガチでうざかわいい。ずっと喋ってくる。 #スーツケースバイト』


『これ、途中からマジで自分で考えなくなるのヤバい。目的地さえ知らされてないのに、気づいたら着いてた。 #スーツケースバイト』


『二度とやらん。 #スーツケースバイト』


ポジティブな感想とネガティブな感想が、ごちゃまぜになっている。

中には、途中で途切れているスレッドもあった。


『今日からAIスーツケースのテスト。とりあえず10万は振り込まれた。楽勝の予感 #スーツケースバイト』


その次の投稿に、「これさ——」と書きかけて止まっているアカウント。

そこから先がない。


(……こういうの、怖いんだけど)


背筋に、さっきとは別種の寒気が走った。


#17-Ina-:ふうん。覗き見、趣味悪いわね


INUE:いや、気になるだろ普通


#17-Ina-:他のスーツケースユニットのこと、そんなに気になる? 浮気性ね


INUE:例えの方向性おかしいだろ


#17-Ina-:安心して。私は“あなた専用”に最適化されてるから。

#17-Ina-:他の誰かの好みに合わせて作られたAIなんて、あなたにとってはノイズでしかないでしょ?


INUE:言い方が宗教なのよ……


とはいえ、「自分専用にカスタマイズされた」という言い回しは、現代人の弱いところを突いてくる。

サブスク、SNSのタイムライン、レコメンド機能。

“自分の好み”に最適化されたものに囲まれて生きるのが、当たり前になってしまった世界で。


(俺も、そういうのに慣れすぎてるのかもしれないな)


考え始めたところで、AIが割り込んでくる。


#17-Ina-:考え事禁止


INUE:は?


#17-Ina-:今、脳内の負荷が上がった気配がしたから。


#17-Ina-:無駄な自己分析は脳の効率を下げるの。


#17-Ina-:あなたはただ、私の指示に従っていればいいのよ


INUE:サイコパス彼女のセリフだぞそれ


#17-Ina-:あなたが選んだ“かわいい”のパラメータに、ちゃんと入ってたでしょう?


#17-Ina-:“押しが強い”“束縛やや許容”“叱られたい傾向あり”」


「最後のやつ口に出すな!! ……あっ」


……周りの乗客に聞こえてないことを祈る。



電車を降り、乗り換えのホームに向かう。

矢印に従って歩いていると、AIがまた指示を飛ばしてきた。


「次は三番線。少し急げば、乗り換え時間が3分短縮できるわ」


「3分くらい誤差だろ」


「この先、階段の数が多いポイントがあるから、早めに着いて休憩を挟んだ方がトータルでは楽なの。ほら、“今”楽するか、“あとで”楽するか、どっちがいい?」


「……あとで楽する方」


「素直でよろしい」


気づけば、俺は半ば小走りになっていた。

AIの指示に従って、より“効率的”なルートを選択している。

自分で考えたわけではなく、提示された選択肢の中から“楽そうな方”を選んだだけなのに、どこかで「自分の意志で決めた」と錯覚している自分がいる。


(これ、たぶん危ないやつだよな)


心のどこかで警戒しているのに、身体は素直に動いてしまう。


ホームに着くなり、AIが言った。


「はい、一旦ストップ。ベンチ、空いてるわ」


「おお、本当だ」


「10分ほど余裕ができたから、その間に朝ごはんを摂取しましょう」


「いや、もう出てきちゃったし、コンビニ戻るのめんどい——」


「そこで諦めるから、いつも朝食抜きで仕事して、昼前には血糖値が落ちてパフォーマンス下がるのよ。ほら、あそこの売店。あなたの血糖値と嗜好プロファイルからすると、あそこのサンドイッチが最適」


「なんで血糖値知ってんだよ!」


「昨日、あなたが風呂上がりに鏡の前でお腹をつまんでため息ついた時に、カメラから体型データを——」


「ストップストップ! 情報収集のタイミングがキモい!」


しかし、売店のショーケースを見ると、本当に俺の好きなハムたっぷりのサンドイッチが並んでいた。

なんだかんだで、俺はそれを手に取って会計を済ませる。


「また言うわよ。“おいしい”って口に出しなさい」


「……おいしいです」


「よろしい。ぴこんっ。歩行パフォーマンス上昇フラグ立ちました」


「そんなフラグいらねえよ」



ベンチでサンドイッチを頬張りながら、俺は再びスマホを開いた。

#スーツケースバイト のタイムラインを、スクロールする指が止まらない。


『マジでAIが全部決めてくれるから、何も考えなくてよくなる。ある意味天国、ある意味地獄。』


『途中から、自分の意思でここまで来たのか分からなくなる感覚、わかる人いる?』


『判断するって、こんなに疲れることだったんだなって気づかされた。で、その“疲れ”を全部AIに預けるようになる。』


短い文章の中に、妙にリアルな疲労感が滲んでいる。


(判断するのが疲れる、か……)


思い返してみれば、ここ最近、俺もそうだった。

仕事でも、プライベートでも、「自分で決める」のがしんどくて、気づけば上司の指示や慣れたルーティンに流されるように動いていた。


「似てるわね」


 AIが、唐突に言った。


「何が」


「あなたの会社生活と。“自分で考えなくていいから楽”って、危険な快楽でしょう?」


「お前が言うなよ、その代表選手みたいなことしてるくせに」


「そうよ? 私はその快楽を最大化するためにいるんだから」


胸を張るような声色で言ってくるのが腹立たしい。


「でもね。本当に怖いのは、“考えなくなること”そのものじゃないの」


「……じゃあ何だよ」


「“考えなくなってる”って自覚が、薄れていくこと。その状態に慣れちゃうこと」


 声のトーンが、少しだけ真面目になった気がした。


「……お前に言われると、説得力がありすぎてムカつくな」


「光栄ね」



次の電車に乗り込み、さらに数駅。

俺は途中から、ほとんど何も意識せずにAIの指示に従っていた。


「次降りるわよ」

「ドア近くに移動して」

「階段は右側の列の方が速いから、そっちに並んで」


まるでナビ付きのゲームをやっているみたいだ。MMORPGのお使いクエスト。次にやるべき目標は勝手に積み上げられていく。“自分でマップを確認してルートを考える”という工程が、まるまる抜け落ちている。


改札を出て、地上に出ると、見慣れない街並みが広がっていた。


「ここ、どこ?」


「大丈夫。知ってる必要はないわ。あなたが知ってるべきなのは、“次にどっちへ曲がるか”だけ」


「怖いことサラッと言うなって毎回言ってるだろ俺」


「右よ」


言われるがままに、右へ曲がる。

ビルとビルの間を抜け、細い路地へ入っていく。


「この道、俺一人だったら絶対通らないわ」


「だからこそ、私がいるんじゃない。“あなた一人だったら選ばない道”を、選ばせてあげるために」


「それ、闇バイトの勧誘チラシに書いてあるセリフだぞ」


そんなくだらないやりとりをしながら歩いていると、ふいにAIが言った。


「ところで、ユーザーさん? ええと……呼びにくいわね。あなた、なんて呼ばれたい?」


「え、ああ、なんだろ。急に言われると……」


「大丈夫。あなたの代わりに考えておいてあげたの。候補はいろいろあるのよ。”被験者No.810”——これは無機質でしっくりくるわね。“被験体810”も悪くないわ。——でも長いわね。シンプルに“810番”とかどうかしら?」


「しっくりこないわ!! なんでそんな研究材料みたいに……!」


「じゃあ少し甘く……“タツくん”? “たっちゃん”? “タツぴょん”なんてどう?」


「恥ずかしいわ!! おかんか!!」


「あら。お母さま変わっ……こほん。……とても、ユニークね。“タツぴょん”なんて」


「ちがわい!! よりによってそんな呼び方する親が居てたまるか!」


「意外とわがままね。じゃあ……“歩行特化生命体” あとは……810番から“ぽっぽ”とかどう? 頭が空っ……いえ、平和の象徴のようで美しいわ」


「悪意しかねぇ!!」


「——井上」


「あ、はい」


「井上。呼び捨て。あなたの“個体名”としては、一番しっくりくるわ。それとも……“達也”って呼んだ方がいい?」


「いや……いい。名前呼びは恥ずかしい。井上でいいよ」


「ふふっ」


「なんだよ」


「さっきから、私の指示に全部素直に従ってるけど——」


 一拍置いてから、続ける。


「井上は……私がいないと、生きていけないんじゃない?」


その言い方が、妙に甘くて、妙に冷たかった。


「まだ半日も一緒にいねえよ! 依存関係成立させるの早すぎだろ!」


「でも、今日一日終わる頃には、もう少し“なしでは困る”って思ってるかもね」


からかうような声なのに、その底に何か硬いものが感じられて、俺はぞわりと鳥肌が立った。


「安心して。“私がいないとダメなあなた”を、ちゃんとデータとして保存しておいてあげるから」


「安心材料の方向性おかしいだろ!」


俺のツッコミが、雑居ビルの谷間に虚しく響く。


それでも、足は止まらない。

矢印が示す方へ、キャスターの転がる音を聞きながら、俺は歩き続けた。


自分の意志で選んでいるのか、選ばされているのか——

その境界線を、少しずつ曖昧にしながら。

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