場面14:商人ギルドとの対立・交渉(2)
先日、オリヴィアさんとフェリシアさんの助けを借りて、なんとか商人ギルドのエリアス支部長から開発素材の供給ルートを確保した俺たち。
だが、それも束の間、数日後には再びエリアス支部長から「ぜひお話したいことがある」と、わざわざ代官屋敷のオリヴィアさん経由で、丁寧な(しかし有無を言わせぬような)招待状が届いたのだ。
その知らせを聞いた時、俺の胸には嫌な予感が広がった。
「……間違いなく、試作品の情報が漏れたな」
オリヴィアさんの執務室で招待状を見ながら、俺は深いため息をついた。
元気ブロックやタクミ・グリップの試作品は、まだごく一部の関係者にしか見せていないはずだが、あのエリアスのことだ。どこからか嗅ぎつけたのだろう。彼の情報網は、このフロンティアにおいて蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
「ええ、おそらくは。ユウ様の生み出す物品の『価値』に、あの抜け目のない商人が気づかないはずがありませんわ。……面倒なことにならなければ良いのですが」
オリヴィアさんも、普段の優雅な微笑みの下に、わずかな警戒の色を浮かべている。
結局、俺とオリヴィアさん、そして例によって「護衛だ。何かあってからでは遅い」と言い張るフェリシアさんの三人で、再び商人ギルド支部へと向かうことになった。フェリシアさんの腰の剣が、心なしかいつもより物々しく見えるのは、俺の気のせいではないだろう。
「ユウ殿、オリヴィア様! いやはや、お待ちしておりましたぞ!」
支部長室に通されるなり、エリアスは前回とは比べ物にならないほど上機嫌な、そしてどこか粘つくような笑顔で俺たちを迎えた。その両手には、俺たちが試作した元気ブロックとタクミ・グリップ(のサンプル品)が、まるで宝物のように恭しく握られている。
彼の目は、鑑定士が希少な宝石を品定めするかのように、俺たちと試作品とを交互に見比べ、値踏みするような光を宿していた。
「素晴らしい! 実に素晴らしい品ですな、ユウ殿! この『元気ブロック』、冒険者ギルドだけでなく、軍のレーションとしても莫大な需要が見込めますぞ! そしてこの『タクミ・グリップ』、全ての職人工房に導入されれば、生産性は数倍に跳ね上がるでしょうな! これならば、王都の商人たちも黙ってはいられませんぞ! 我がギルドが先んじて手を打たねば、この千載一遇の好機を逃すことになりましょう! まさにフロンティアの、いや、この大陸の未来を変える発明品と言っても過言ではありますまい!」
エリアスは芝居がかった口調で、試作品をこれでもかと褒めちぎる。
だが、その目は笑っておらず、俺たちの反応を鋭く観察しているのが分かった。
俺が警戒を強めていると、エリアスは自信満々に続けた。
「つきましては、ユウ殿! これらの素晴らしい商品を、是非とも我が商人ギルドで『独占的』に扱わせてはいただけないでしょうか!? ユウ殿のこの素晴らしい技術、我がギルドが責任を持って管理・流通させることで、模倣品や粗悪品の出現を防ぎ、そのブランド価値を確立する。そのための『包括的パートナーシップ契約』ですぞ。このフロンティアで、いえ、いずれは大陸全土へ、我がギルドの販売網を駆使して広めてご覧にいれます!」
(包括的パートナーシップ契約……か。聞こえはいいが、要するに独占販売契約ってことだな。やはり、そうきたか)
俺は内心で警戒レベルを引き上げる。エリアスは、契約書らしき羊皮紙をテーブルの上に広げた。
「つきましては、こちらの条件で……」
提示された契約条件は、俺の予想を遥かに超える、あまりにも一方的で不当なものだった。
販売価格の設定権はギルド側。利益の大部分は「今後の開発への再投資資金」という名目でギルドが管理し、俺たちへの配分は雀の涙ほど。しかも、今後俺たちが開発するアイテムについても、優先的にギルドが交渉権を持つという、奴隷契約も真っ青な内容だ。
(ふざけるな……! 俺たちの努力を、こんな形で搾取しようというのか! だが、ここで下手に反発すれば……素材供給を止められたら開発は頓挫する……!)
「そ、それは少し……あまりにも、ギルド側に有利すぎるのでは……」
俺が言葉を濁しながらも難色を示すと、エリアスの表情から笑顔がすっと消えた。
その瞳の奥に、冷たい計算の色が浮かぶ。
「おや、ユウ殿、ご不満で? ですがねぇ、フロンティアでこれだけの規模の事業を展開なさるおつもりなら、我々商人ギルドの協力なしでは、素材の安定供給も、販路の確保も、難しいと思いますがねぇ……? これはまだ『卵』の状態。大きく育てるには、まず我々がリスクを取って投資する必要があるのです。そのための、ほんの『初期投資』とお考えくだされば…」
その声には、先ほどまでの賞賛とは打って変わって、明確な圧力が込められていた。
素材供給の停止を匂わせ、俺たちを脅しているのだ。
「貴様……!」
瞬間、隣に座っていたフェリシアさんの纏う空気が変わった。
ゴトリ、と剣の柄に置かれた彼女の手が、強く握り締められる音が聞こえる。その緑色の瞳が怒りの炎を宿し、エリアスを射抜く。その動きは、獲物に飛びかかる寸前の雌豹を思わせた。
(まずい……! フェリシアさんがキレたら、交渉どころじゃなくなる!)
俺が慌てて彼女を制止しようとした、その時だった。
「お待ちになって、フェリシア」
凛とした、しかし氷のように冷たい声が、部屋の空気を支配した。オリヴィアさんだ。
彼女は優雅な仕草でティーカップをソーサーに戻すと、静かにエリアスを見据えた。
「エリアス支部長。その契約条件では、開発者であるユウ様への敬意も、フロンティア全体の利益も、著しく損なわれると存じますが? そのような一方的な契約が、果たして健全な商取引と呼べますでしょうかしら。再投資という名目でも、ユウ様への正当な対価が支払われなければ、今後の開発意欲を削ぐことになりかねませんわ。その『初期投資』に見合うだけの『リターン』が、開発者であるユウ様に保証されなければ、それは単なる『搾取』と呼ばれても仕方ありませんわね。それはフロンティア全体の損失です」
オリヴィアさんの言葉は穏やかだが、その瞳の奥には、鋭い刃のような光が宿っている。
(これが……本当の交渉か……力だけじゃない、情報と、相手の心理を読む洞察力……俺も学ばなければ)
俺はオリヴィアさんの手腕に内心で舌を巻きながら、戦況を見守る。
「もちろんですとも、オリヴィア様! これはあくまで初期の提案でして……ユウ殿への報酬は十分に考慮しておりますとも!」
さすがのエリアスも、オリヴィアさんの気迫に押されたのか、額に脂汗を滲ませ、慌てて言い繕う。
「エリアス支部長の『投資』や『管理』が、常に双方にとって最善の結果をもたらすとは限りませんでしょう? むしろ、自由な競争と多様な販路こそが、真の価値を育むのではなくて? 例えば……隣町の『頑固一徹工房』さんの件などは、少々残念な結果になったと記憶しておりますけれど? あの時も、素晴らしい技術が、いささか一方的な『管理』によって輝きを失ってしまったとか……」
よく分からないが、エリアス支部長によって良いようにされた例が他にもあったらしい。オリヴィアさんの言葉に、エリアスの顔からサッと血の気が引く。図星だったようだ。
「……っ! あ、あれは……あの工房主が頑固すぎただけで……わ、我がギルドに非は……」
エリアスは追求の言葉にしどろもどろになっている。オリヴィアさんは、その隙を逃さなかった。
「もし、支部長がこれほどまでに『フロンティアの利益』を軽んじるご判断をなさるのでしたら、わたくしども代官府といたしましても、考えがございますわ。例えば、先日我がフロンティアに好意的な視察に来られた、ソラリス同盟の有力商会『七色の帆船』などは、ユウ様の技術に大変興味を示しておりましたわ。彼らとの独占契約も、十分に考えられます。フロンティアの自立のためには、複数の交易ルートを確保しておくのが当然の戦略ですわ。あるいは、ユウ様のこの素晴らしい技術を、王都のセレスティア王女殿下にご紹介し、王国直轄の事業として進める、という選択肢もございます。そうなれば、素材の調達も、販路の確保も、もはや商人ギルドの力をお借りする必要はなくなりますわね?」
それは、エリアスにとって悪夢のようなシナリオだろう。オリヴィアさんの言葉は、単なるブラフではない。彼女なら本当にやりかねない、という迫力がそこにはあった。
「そ、それは……! い、いやはや、オリヴィア様、何かの手違いで……! わ、私といたしましては、ユウ殿の才能を最大限に評価し、フロンティアの発展に貢献したいと、心から願っておるのですぞ! ですから、その……条件については、改めて……ええ、もちろんですとも! こちらではいかがでしょうかな……!?」
エリアスは、先ほどの強気な態度はどこへやら、完全に狼狽し、震える手で契約書に新たな条件を書き込み始めた。
ここで関係を拗らせるのは愚策。そんな彼の内心の計算が透けて見えるようだ。
提示されたのは、最初の条件とは比べ物にならないほど、俺たちにとって有利な内容だった。利益配分は適正化され、独占販売権についても、一定期間後の見直しや、他の販路を模索する権利が明記されている。
俺は、オリヴィアさんの見事な交渉術と、その背後にあるフロンティアへの強い想いに、ただただ圧倒されていた。彼女がいなければ、俺は間違いなくエリアスの言いなりになっていただろう。
「……これで、よろしいですわね? ユウ様」
オリヴィアさんが俺に優しく微笑みかける。
俺は力強く頷き、差し出された契約書にサインした。
エリアスは、契約成立に安堵しつつも、どこか悔しさを滲ませた複雑な表情で、俺たちを見送った。彼の商人としての野心は、まだ潰えてはいないだろう。
だが、少なくとも今日は、オリヴィアさんという強力な後ろ盾のおかげで、俺たちは不当な契約を回避し、未来への大きな一歩を踏み出すことができたのだ。
(オリヴィアさんのような交渉力、フェリシアさんのような揺るぎない存在感…そして、アリアの情報分析。俺一人では、到底太刀打ちできなかった。仲間がいることの心強さを、改めて噛み締める)
俺は、頼れる仲間への感謝を胸に、新たな決意を固めた。




