場面12:悪夢と月下の闖入者
エリアス支部長との交渉を終え、宿に戻った俺は、オリヴィアさんや仲間たちと今後の開発計画について簡単な打ち合わせをした後、一人自室のベッドに潜り込んだ。
頭では分かっている。王国の勇者たちのことなど、もう俺には関係のない話だ。彼らがどうなろうと、俺の知ったことではないはずだ。
(……だが、アオイさんだけは……。そして、あの時の俺は……結局、何もできなかったじゃないか……)
目を閉じると、エリアスの言葉が引き金になったのか、追放された日の記憶が、まるで生々しい傷口のように疼き始めた。
冷たい雨が、容赦なく俺の体を打ちつけていた。
泥濘んだ地面に膝をつき、みすぼらしい服は泥と雨水でぐっしょりと濡れそぼっている。周囲からは、兵士たちの嘲笑と、ダイキたちの侮蔑に満ちた冷たい視線が突き刺さる。
「役立たず」「失敗作」「足手まとい」……そんな言葉が、まるで呪いのように俺の心を蝕んでいく。
信じていたはずの「仲間」からの裏切り。守られるべき「正義」の不在。
圧倒的な孤独感、どうしようもない無力感、そして理不尽な仕打ちへの、出口のない怒り。
(やめろ……俺は、役立たずなんかじゃ……!)
そう叫びたいのに、声が出ない。金縛りにあったように体が動かず、ただただ冷たい絶望が心を覆っていく――。
異世界に召喚されたという非現実的な状況よりも、人間から受ける仕打ちの方が、よほど心を抉るのだと思い知らされた瞬間だった。
なぜ俺だけがこんな目に……。信じていたものは、何だったのか……。
「……う……うぅ……っ!」
苦しげなうめき声と共に、俺は重い悪夢から強制的に引きずり出された。
心臓が早鐘のように打ち、全身にじっとりと嫌な汗をかいている。まだ夢と現実の境目が曖昧で、息苦しさが胸を圧迫する。
あの時の絶望感は、もしかしたらフェリシアさんも……? いや、彼女はもっと過酷な状況だったのかもしれない…….。
なぜか、ふとそんな考えが頭をよぎった。
「……ユウ様? 大丈夫ですか……? 酷く魘されていましたけれど」
不意に、すぐ耳元で、鈴を転がすような、しかしどこか切なげな声が聞こえた。同時に、冷たい汗で濡れた俺の額に、ひんやりとした、柔らかな何かが触れる感触。
その心地よさに、俺はゆっくりと目を開いた。
そして――息を呑んだ。いや、心臓が止まるかと思った。
薄暗い部屋の中、窓から差し込む二つの月の淡い光が、すぐ目の前にある美しい顔立ちを神秘的に照らし出していた。
流れるような銀色の髪は月光を浴びて艶やかに輝き、深い森の湖面を思わせる碧眼は、心配
そうに俺を覗き込んでいる。完璧な造形美としか言いようのないその姿は、間違いなくセラだった。
だが、いつも見慣れている十歳程度の幼い姿ではない。
以前、月光の祭壇跡で一瞬だけ垣間見た、あの、女神と見紛うばかりの……十八歳相当の、本来の彼女の姿!
(なんだこの破壊力……! 直視できない! 心臓がもたない!)
「セ、セラ!? な、なな、なんでその神々しいお姿で……!?」
俺は混乱と驚きで、思わずベッドから飛び起きそうになる。だが、すぐに気づいた。何かが、致命的におかしい。
彼女がやけに近い。というか、俺のベッド上に腰を下ろしている……いや、つーか、布団の中に入ってきてる!? 俺の上に跨っている!?
「し、しかも、なんで俺のベッドに!? ここは男子部屋っていうか、俺の個室のはずだぞ!?」
俺はパニックになりながら、矢継ぎ早に問い詰める。
悪夢の不快感など、一瞬でどこかへ吹き飛んでしまった。代わりに、別の意味で心臓がバクバクと警鐘を乱打している!
セラは、俺の剣幕に少しだけ驚いたように肩を震わせたが、すぐにいつもの冷静さを(無理やり?)取り戻し、わずかに頬を染めながらも、淡々とした口調で説明を始めた。
「まず、この姿についてですが。月の出ている夜は、ユウ様に作っていただいた『月光の守り』の効果が特に増幅されるようです。その結果、わたくしの身体への反動……つまり、魔力活性化に伴う苦痛が、ほぼ完全に抑制されることが、先ほどの検証で判明いたしました。これは、呪い解明への重要なデータ収集の機会かと」
「い、いや、役に立つとか立たないとか、そういう問題じゃなくて! なんで俺の部屋に……!?」
「次に、ユウ様が今宵、酷く魘されているお声が、わたしの部屋まで微かに聞こえてまいりました。月の魔力の影響か、あるいは精神的なご疲労か……いずれにせよ、看過できない状況と判断いたしました。ユウ様のうめき声があまりにも苦しそうだったので、いてもたってもいられず……」
彼女はそこで一旦言葉を切り、真剣な眼差しで俺を見つめる。その近距離からの美貌と真摯な眼差しに、俺の心臓はさらに跳ね上がる!
「フロンティアは、夜間は特に冷え込みます。ユウ様が万が一にも風邪など召されては、現在進行中の開発プロジェクトに支障をきたす可能性があります。人肌で温めるのが、最も効率的かつ確実な体調管理方法であると、古代の文献にも記されておりました」
「人肌で温めるって……やりすぎでしょ!?」
俺がツッコむと、セラはさらに顔を近づけてくる!?
「効率を追求した結果です。体温伝導率を最大化するには、密着が最も合理的ですから。ご安心ください、わたくしの一族に伝わる『清浄なる温もり』の秘術を用いますので、ユウ様に不快な思いはさせません」
そういう問題じゃない! あと秘術って何!? というか、その理屈だと俺が風邪引いたらセラは毎回こうするつもりなのか!?
「わたくしはユウ様に命を救われた身。主人の心身の状態を常に把握し、必要とあらば適切な介抱を申し上げるのは、従者としての当然の義務です。ユウ様の精神的な不和を察知し、寄り添うことで安心感を提供し、悪夢からの早期離脱を促す……これは論理的な帰結であり、故に同衾もやむを得ない選択であったと愚考いたします」
最後にかすかに付け加えられた言葉が、余計に俺を混乱させる!
よろしいわけがあるか! いや、あるのか!? いやない! でも……!
「同衾て! 言葉のチョイスがおかしいから! それに、俺は主人でも何でもないし、そんな義務はない! 大体……!」
俺が必死に反論しようとすると、セラは少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
「……では、将来の……『伴侶』としての予行演習とでも、考えていただければ……?」
「は、伴侶ぉぉぉぉ!? 予行演習って何の!?」
とんでもない爆弾発言が投下された! 俺の思考は完全にショート寸前だ!
「それと今思いついたのですが、開発中の『元気ブロック』の風味改善について、いくつかの画期的なアイデアが……これについては、ユウ様と緊急の意見交換が必要かと……」
真剣そうな顔で言ってるけど、「今思いついた」はダメだろ!?
俺がセラの怒涛の言い訳(?)に眩暈を覚えていると、枕元で充電していたはずのアリアのアバターが、ピコン、と起動音と共にふわりと浮かび上がった。
どうやら、俺たちの騒ぎで目を覚ましたらしい。寝ぼけ眼(?)で状況を数秒スキャンすると、彼女はけたたましい警告音と共に叫んだ!
『緊急アラート! 緊急アラート! ネームド『月下の銀狐』、マスターの寝室に潜入成功! しかも最終進化形態にて! 破壊力は超ド級と認定! アタシの記録媒体に最高画質で永久保存決定! ファイル名は「純情エルフ、夜這いの作法」!』
「アリア! お前は火に油を注ぐな! あとでそのアバター、データごと初期化してやるからな!」
俺はアリアを一喝する! このAI、本当に状況を面白がることしか考えていない!
悪夢の気分の悪さは、確かにセラの突然の訪問と、その後のカオスな状況のおかげで、どこかへ吹き飛んでしまった。
だが、代わりに俺の頭の中は、新たな、そしてより複雑な悩みでいっぱいになっていた。
月の光に照らされた銀髪の美少女と、その傍らでけたたましく警告を発し続けるギャルAI。
フロンティアの夜は、どうやらまだまだ眠らせてくれそうにない。
暗い気持ちは確かに紛れたが、別の意味で、今夜は絶対に眠れないだろうと、俺は強く予感するのだった。
『マスピ、今夜は眠れそうにないね! 物理的にも精神的にも、あと、もしかしたら倫理的にも!w 健闘を祈る! あ、ドアに鍵かけといた方がいいんじゃない? 次はフェリ姉あたりが突撃してくるかもよ?w』
……もう、勘弁してくれ。




