場面3:辺境への投棄
謁見の間から引きずり出された俺は、そのままどこか別の小部屋に一時的に押し込められた。どれくらいの時間が経ったのか、もうよく分からなかった。
ただ今は、俺を後ろから追い立てる兵士たちの無慈悲さと、彼らの鎧が立てる無機質な音だけが、やけに耳につく。
向かう先は城門。つまり、俺はこれから文字通り、城の外へ放り出されるということだ。
冷たく薄暗い石造りの廊下を、ただ無言で歩かされる。抵抗などできそうもない。悔しさと情けなさで、奥歯をギリリと噛み締める。
(追放……か。スキルが使えないだけで、こんな仕打ちを受けるなんて……)
理不尽だ。だが、ここはもう俺の知る日本ではない。常識も、法律も、何もかもが違う異世界なのだと思い知らされる。
……もうどうでもいい……そんな投げやりな思考が頭をよぎった、その時だった。
廊下の角を曲がろうとした、まさにその瞬間。
物陰から、すっと小さな人影が現れた。サトウさんだ。彼女は息を潜め、兵士たちの死角に入るように素早く俺に近づくと、何かずしりと重い革袋を俺の手に押し付けてきた。
チャリン、という金属音も微かに聞こえた。中には大量の硬貨が入っているみたいだ。
(これは……まさか、彼女に支給されたはずの支度金の一部……!? これを俺に渡すなんて、バレたらただじゃ済まないはずだ……! それほどの危険を冒してまで……!)
「ごめんなさい……でも、どうか、生きてください……!」
その手は小さく、震えていた。一瞬触れただけだが、温かかった。
俺が何かを言う前に、サトウさんは再び物陰へと姿を消した。兵士たちは革袋には気づいていないようだ。
(サトウさん……!)
胸が熱くなる。あの絶望的な状況で、たった一人、俺を助けようとしてくれた少女。そして今また、危険を冒してこんなものを……。懐に入ったずしりとした革袋の重みが、彼女の想いの重さのように感じられた。
(ありがとう……! この金があれば、もしかしたら……! 絶対に、無駄にはしない……!)
サトウさんの行動に勇気づけられ、同時に、この革袋に込められた想いに応えなければならないという責任感が湧き上がってくる。
城門を出ると、そこには粗末な荷馬車が一台用意されていた。俺はその荷台に無造作に放り込まれる。
御者台には、先ほど俺を連行してきた兵士とは別の、さらに無愛想な顔つきの兵士が二人。彼らは俺を一瞥すると、面倒くさそうに手綱を引いた。
ガタン、と大きな音を立てて荷馬車が動き出す。
石畳の道から、やがて整備されていない土の道へ。揺れはどんどんひどくなり、容赦なく尻を打つ。だが、そんな痛みよりも、これからどうなるのかという不安と、王国への怒りの方がはるかに大きかった。
どれくらい走っただろうか。
空はいつの間にか厚い雲に覆われ、ポツポツと冷たい雨が降り始めていた。
景色は、王都の華やかさとは無縁の、寂れた田舎道へと変わっていた。やがて道はさらに細くなり、道の両側には鬱蒼とした森が迫ってくる。辺境、と呼ばれる地域なのだろう。
雨脚は次第に強まっていく。降りしきる雨が荷馬車の幌を叩く音だけが、やけに大きく聞こえた。
そして、森との境界線らしき場所で、荷馬車は唐突に止まった。
「おい、降りろ」
兵士の一人が、荷台の俺に向かって顎でしゃくる。有無を言わせぬ口調だ。
俺がもたついていると、もう一人の兵士が舌打ちし、乱暴に俺を荷台から突き落とした。
「ぐっ……!」
泥濘んだ地面に叩きつけられる。冷たい泥と雨水が服に染み込み、惨めさが一層増した。足元の泥が、ズブリ、と重く足を取る。
兵士の一人が、懐から銅貨を数枚取り出し、俺の足元に投げ捨てた。チャリン、と軽い音が泥の上に響く。
「役立たずへの餞別だ。せいぜい、森の魔物にでも可愛がってもらうんだな、ハッ」
兵士たちは嘲るような笑い声を残し、すぐに荷馬車を発進させて去っていった。
あっという間に、俺は一人、雨の降る森の入口に取り残された。
(辺境……つまり、王国の支配も行き届かない、無法地帯に近い危険な場所ということか。そんなところに、丸腰で放り出すとは……本気で死ねと言っているようなものじゃないか!)
冷たい雨が容赦なく体を打ち、体温を奪っていく。泥まみれの惨めな姿。孤独感と絶望感が、どっと押し寄せてきた。
だが――。
俺は泥の中から銅貨を拾い上げ、そして、懐のサトウさんがくれた革袋を強く握りしめた。
(サトウさん……ありがとう。きっとこれだけあれば、当面の食料や装備くらいは……いや、今はまず生き延びることが先決だ。絶対に、生き延びてやる……!)
そうだ、まだ終われない。こんなところで、魔物の餌になってたまるか。
(そして、俺をこんな目に遭わせた奴らに、思い知らせてやる……!)
王国への、俺を見捨てた連中への怒りが、心の奥底で黒い炎のように燃え始めた。
雨に打たれながら、目の前に広がる暗く、深く、不気味な森を見つめた。日の光すら拒むかのように木々が密集し、奥からは獣の咆哮とも風の音ともつかない不気味な音が響いてくる。ここに入れば、もう後戻りはできない。
今はただ、生き延びるために。
そして、いつか必ず――。
俺は、降りしきる冷たい雨の中、重い体を引きずるように、暗い森の中へと第一歩を踏み出した。