場面24:月光の涙と守護者
複雑なタイルギミックの試練を突破した俺たちの目の前には、下へと続く新たな通路が現れていた。
ひんやりとした、しかし先ほどの通路よりは清浄な空気が流れてくる。ここが、この『月光の祭壇跡』の最奥部へと続いているのだろうか。
俺たちは気を引き締め直し、一列になって通路を慎重に進んでいく。
しばらく進むと、通路は開けた空間へと繋がっていた。そこは、ドーム状の高い天井を持つ、広大な円形の広間だった。
壁や床は磨かれた黒曜石のような石材でできており、所々に月長石が埋め込まれ、淡い光を放っている。その光が部屋全体を神秘的に照らし出し、まるで星空の下にいるかのような錯覚を覚えた。
そして、広間の中央。そこには、ひときわ大きな石造りの祭壇が鎮座していた。
その祭壇の上には……あった!
「あれが……月光の涙か!」
俺は思わず声を上げた。
祭壇の中央に安置されていたのは、親指ほどの大きさの、涙の雫のような形をした乳白色の宝石だった。
それは自ら淡い光を放ち、まるで本物の月光が凝縮されたかのように、清らかで、そしてどこか儚げな輝きを湛えている。周囲の月長石の光とは比較にならない、圧倒的な存在感だ。
間違いない、あれがセラを救うためのキーアイテム、『月光の涙』だ!
「……あ……」
隣にいたセラが、宝石に引き寄せられるように、ふらふらと祭壇へ近づこうとする。その瞳には、強い期待と、そして長い苦しみからの解放を願うような切実な光が宿っていた。
彼女が祭壇に手を伸ばそうとした、その時だった。
ゴゴゴゴゴ……ッ!
祭壇の周囲の床が、突然、地響きと共に激しく振動し始めた!
「来るぞ! ボスだ!」
フェリシアさんが鋭く叫び、即座に剣を構える!
祭壇の四方から、黒い影のようなものが噴き出し、それが周囲の石材と一緒に徐々に集まって実体化していく! 現れたのは、全長3メートルはあろうかという巨大な黒い石像だった。
風化した石でできたその体は、まるで古代の戦士のようであり、両腕には分厚い石の盾と、巨大な石の剣を装備している。そして何より厄介なのは、その石像の周囲に、常に黒い影が何重にも渦巻いていることだ。
影は生き物のように蠢き、石像の姿を曖昧に隠しているだけでなく、時折、鋭い先端を持つ触手のように伸びては床を叩き、威嚇するような動きを見せる。
あれが、このダンジョンの守護者か……! その威圧感は、これまでのどの魔物とも比較にならない。
「でっかい石像にゃ! しかも影がいっぱい! なんかヤな感じするのだ!」
ミミが警戒の声を上げる。
「アリア、分析を!」
俺は敵を睨みつけながら、アリアに指示を出す。
「『プロンプト:出現した敵性体の構造、材質、動力源、攻撃パターン、弱点を最優先で分析! 特に周囲の影の特性と、本体との関連性を解析せよ!』」
「解析中! ボス名『影蝕の石像』! でも、これヤバイ! 強力な情報プロテクトがかかってて、名前以外の詳細データ……弱点とか行動パターンとか、全然読み取れないよ! 分かるのは、あの影が物理攻撃をかなり軽減してるってことと、ゴーレム本体が異常に硬いってことくらい!」
(なんだと!? 弱点も分からないのか!? 鑑定系のスキルへの対抗措置を持っているってことか!?)
アリアの報告に、俺は内心で舌打ちする。これまでの敵とは訳が違う。
「フェリシアさん、ミミ、セラ! 敵の詳細は不明だ! だが、あの影が厄介なのは間違いない! 影の動きに注意しつつ、本体の隙を探るぞ!」
俺の言葉に、三人が緊張した面持ちで頷く。
「任せろ! 【王国式重剣術・改――鉄砕斬】!」
フェリシアさんがゴーレムに突進し、影ごと叩き斬らんとばかりに大剣を振り下ろす! 地響きと共に、フェリシアさんの剣がゴーレムの影に叩きつけられ、鈍い金属音と衝撃波が広間を揺るがした!
しかし、ゴーレムはびくともしない。フェリシアさんの剣は、渦巻く影にその威力を吸い込まれたかのように、本体に届いていない。
「くっ……! この影、斬撃を吸い込んでいるのか!? 手応えがまるでない!」
フェリシアさんが驚愕の声を上げる。
ゴーレムは重々しい動作で石の剣を振り下ろす! フェリシアさんはそれを盾で受け止めるが、ズシリとした衝撃に顔を歪め、数歩後ずさる!
「ぐぅ……! なんて馬鹿力だ……! 【鋼鉄の意志】がなければ耐えられん! 皆は絶対に攻撃を受けるな!!」
その隙を突くように、床や壁から影の触手が無数に伸び、俺たちを襲う!
「隙ありなのだ! 【獣人感覚(猫)】全開!」
ミミが持ち前の俊敏さでゴーレムの足元を駆け回り、影を切り裂こうとナイフを振るうが、やはり影は実体がないかのようにするりとかわし、逆に影の触手がミミを捕らえようと伸びてくる!
【軽業】スキルを駆使し、アクロバティックにそれを避けるミミ! しかし、影の触手は執拗に彼女を追い、時折鋭い先端がミミの服を掠める!
「きゃっ! うっとうしいにゃ、この黒いの! ちょこまか逃げるなー!」
「【ライト・アロー】! ……ダメです、影に威力が吸われてしまいます!」
セラの放つ光の魔法も、影に吸収されて威力が半減しているようだ! ゴーレムはびくともせず、影の触手を鞭のようにしならせ、今度はセラを狙う! 影の刃が床から突き出し、俺たちの足元を脅かす!
「危ない!」
俺はセラを突き飛ばし、影の攻撃を間一髪で避ける。
(ダメだ、このままじゃジリ貧だ! 攻撃が通じないし、影の攻撃も厄介すぎる……! 何か、何か手がかりは……!)
「ユウ様!」と追い詰められた俺にセラが叫んだ。
「伝承によれば、影の魔物は聖なる光を極端に嫌うとされています! そして、ゴーレムの類は、その胸部に魔石のコアが動力源として埋め込まれていることが多いとも……!」
(聖なる光と、胸部のコア……! でも、セラの光魔法も威力が減衰してる……どうすれば……)
「あっちの影、一瞬だけ薄くなった気がするにゃ! ゴーレムがなんか胸を押さえた時!」
ミミが、ゴーレムが胸部を庇うような仕草をした瞬間を指差して叫ぶ。
(間違いない! あそこにコアがある! だが、どうやってあの影を突破する……!?)
俺は必死に思考を巡らせ、アリアに問いかける。
「アリア! 『プロンプト:影のエネルギーの組成を分析。この影を一時的に無力化、あるいは減衰させることが可能な対抗手段(属性、現象、特定エネルギーなど)の仮説を複数提示せよ』!」
「了解……あの影、高密度の魔力粒子で構成されてるみたい。だから、瞬間的な超高輝度の光エネルギーなら、影の魔力構造を一時的に『飽和』させて中和できるかも! でも、相当な出力が必要だよ!」
(超高輝度の光……! 閃光弾か!)
俺は懐を探る。以前、ロックリザードの巣穴の奥で見つけた、太陽光を浴びると発熱する性質を持つ『陽光石のかけら』と、ギルドから冒険者プレートと一緒に貰ったドワーフ製の『魔力伝導合金のお守り』を持っている。
これらを触媒にして、一か八か、賭けてみるしかない!
「『プロンプト:『陽光石のかけら』と『魔力伝導合金のお守り』を触媒とし、周囲の影を一時的に完全に消滅させ、ゴーレム本体の動きを阻害するほどの強力な閃光を放つ、投擲可能な魔道具”を複数生成! 及び、使用者の防御力を短時間大幅に向上させる使い捨ての護符『アダマント・シール』を同じ触媒で一つ生成!』」
「了解! 創造モジュール、閃光弾&防御護符の作成開始! これなら一発逆転かも!」
MPをかなり消費するのを感じながら、数秒後、俺の手の中に、金属製の小さな球体と、硬質な輝きを放つ小さな紋章型の護符が生成された。球体――サンフラッシュ・グレネードと名付けられた――には複雑な魔術回路のようなものが刻まれ、内部から微かに熱を帯びている。
「みんな、目を閉じて!」
俺は叫びながら、サンフラッシュ・グレネードをゴーレムの足元へ投げつけた!
カッ!!!
視界が真っ白になるほどの強烈な閃光が広間全体を包み込む! 一瞬、轟音と共に何も見えなくなるほどの眩しさだ!
「うおっ、眩しいにゃ!」
ミミの悲鳴が聞こえる。
光が収まると……よし! ゴーレムを覆っていた黒い影が、綺麗さっぱり消え去っている!
そして、ゴーレム本体も、強烈な光に目が眩んだのか、動きが明らかに鈍くなっている!
チャンスは一瞬だ!
「今だ! 影が再生する前に、コアを狙え!」
俺の指示に、全員が動く!
「そこだにゃ!」
ミミが【軽業】スキルでゴーレムの懐に飛び込み、胸部にあるコアらしき部分――ミミの【獣人感覚(猫)】が捉えた微弱な魔力の揺らぎの源――を、ナイフで切りつける!
「――古き月の光よ、聖なる楔となりて邪悪を砕け! 【ルナティック・バースト】!」
さらにセラの放った最大級の光の魔法が、ミミがナイフで傷を入れたしたゴーレムの胸部――魔石コアの位置――に直撃する!
ギャァァァン! という甲高い金属音と共に、コアの部分に大きな亀裂が入るのが見えた!
「グオオオオオッ!」
しかし、ゴーレムはまだ倒れない! コアに亀裂が入ったまま、最後の力を振り絞るかのように、その巨大な石の剣を振り上げ、無差別に周囲を薙ぎ払おうとする! 全身から黒い影のエネルギーが逆噴射し、凄まじい衝撃波が広間を襲う!
「まずい、暴走したか!?」
俺は咄嗟にセラとミミを地面に伏せさせて庇う!
「……!? フェ、フェリシアさん!?」
その無慈悲な一撃に対し、フェリシアさんは退かずに盾を構え、真っ向から受け止めようとしていた!
(無茶だ! あの威力じゃ……!)
俺は瞬時に判断し、生成しておいた『アダマント・シール』をフェリシアさんに向かって叫びながら投げ渡す!
「フェリシアさん、これを! 盾に!」
「なにっ!?」
フェリシアさんは驚きながらも、飛んできた護符を掴み取り、即座に盾の内側に叩きつけるように装着する! 護符は盾に吸い込まれるように融合し、盾全体が黄金のオーラを力強く放ち始めた!
直後、ゴーレムの渾身の薙ぎ払いが、強化された盾に激突!
ゴオォォン!!! という耳をつんざくような轟音と、激しい火花が散る!
フェリシアさんの体が大きく揺らぎ、膝が折れそうになるが、彼女はスキル【鋼鉄の意志】で歯を食いしばり、その一撃をギリギリで受け止めた!
「うおおおおおっ!」
体勢を立て直したフェリシアさんが、雄叫びを上げる!
「これで、終わりだぁっ! 【王国式重剣術・奥義――竜牙閃】!」
ゴーレムの暴走した攻撃でがら空きになった胸部のコアへ、フェリシアさんの渾身の力が込められた剣が、まるで竜の牙のごとく、深々と突き刺さる!
ズガァァァン!!
影蝕の石像は、断末魔のような轟音を上げながら、胸のコアから激しい光を噴き出し、そして……ゆっくりと崩れ落ち、ただの石くれへと変わっていった。
「はぁ……はぁ……やった、のか……?」
激しい戦闘の後、広間には静寂が戻る。俺たちは息を切らしながら、動かなくなったゴーレムを見つめていた。
「やったー! ミミたち、勝ったのだ!」
ミミが最初に歓声を上げる。
「ふぅ……なんとか、な。最後のあれは肝が冷えたぞ」
フェリシアさんも剣を下ろし、安堵の息をつく。その額には玉のような汗が光っていた。
「皆さん、お見事でした。ユウ様の機転と、フェリシア様の最後の一撃……素晴らしかったです」
セラも緊張が解けたのか、柔らかい微笑みを浮かべている。
「うん、みんなのおかげだ! アリアもナイスサポートだったぞ!」
「当然でしょ! アタシとマスピのコンビは最強なんだから!」
アリアが胸を張る。
そして、俺たちの視線は、再び祭壇の上の宝石へと注がれた。守護者を失った今、それは静かに、しかし確かな輝きを放ち続けている。
『月光の涙』。
ついに、手に入れたんだ……!




