場面19:ダンジョン攻略への備え
ギルドでの初依頼を無事に終えた翌日。
俺たちは「風見鶏の宿」の一室に戻り、改めて『月光の祭壇跡』攻略に向けた作戦会議を開いていた。
テーブルに広げられたのは、ミリアさんから貰った簡単な地図。
そこに記された『月光の祭壇跡』の位置は、街の北東に広がる丘陵地帯の一角を示していた。
「祭壇跡、か……」
フェリシアさんが腕を組み、厳しい表情で地図上のその場所を指さす。
「名前は綺麗だが、油断はできんぞ。あれも古代遺跡の一つでな」
彼女は続ける。
「表層部は低ランクの冒険者が小遣い稼ぎに利用しているが、奥は未調査。噂では、内部には古代の罠が数多く残っており、アンデッドや、影に潜むような魔物の目撃例もあると聞く。最奥部に何が潜んでいるかは、誰も知らん」
「月の祭壇……」
隣で話を聞いていたセラが、小さな声で呟いた。
「古代において、月光は特別な魔力を持つとされていました。浄化、幻惑、あるいは……狂気。何らかの儀式場だったのかもしれません。もしそうなら、強力な守護機構が残っている可能性も……」
古代遺跡、未知の罠、アンデッドに影の魔物、そして強力な守護者……。
(俺たちの今の状態で、本当に大丈夫なのか……?)
セラの言葉に、俺は改めて不安を覚える。
フェリシアさんが、俺、セラ、そしてベッドで丸くなっているミミの装備を順番に、値踏みするように見回した。
「この装備では正直、話にならんぞ。特にユウ、お前はほぼ平服じゃないか」
ぐっ……。痛いところを突かれた。言い返す言葉もない。
フェリシアさん自身の剣や鎧は、さすが元騎士だけあってしっかりしたものだが、俺たち三人は無防備に等しい。
俺の服は召喚された時のヨレヨレのパーカー。セラも森で着ていた粗末なワンピース。ミミも擦り切れた革ベストだ。武器らしい武器も、ミミが持っている刃こぼれしたナイフくらい。
ああ、いや。俺にはとっておきの装備品があったんだった。
俺は胸元に手をやり、首から下げていた小さな銀色のチャームをそっと取り出した。
それは、追放される直前、サトウさんが俺にこっそり託してくれたものだ。雫のような形をした、高純度のミスリルでできているらしいそれは、手のひらに乗せると微かに温かく、清浄な魔力を放っているように感じられた。
あの時、彼女が震える手で握らせてくれた日本語のメモの言葉が、脳裏に蘇る。
(サトウさん……君が信じてくれた俺の力で、必ずセラを助けてみせる。そして、いつか君にも……この恩は必ず返す)
俺がチャームを握りしめ、決意を新たにしていると、セラとフェリシアさんが不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「ユウ様……?」
セラが遠慮がちに尋ねてくる。
「ああいや、何でもない。よーし、装備を整えようか!」
俺はチャームを再び懐にしまい、気を取り直して仲間たちに向き直る。
「じゃあ、ミミにはピカピカ光るミスリルの鎧と、ドラゴンも倒せる伝説の聖剣が欲しいのだ!」
ミミがベッドの上で寝返りを打ちながら、夢のようなことを言い出す。
「馬鹿者! 我々にそんな金がどこにある! そもそもドラゴンなどどこにいる!」
フェリシアさんの怒声が飛ぶ。昨日の依頼報酬なんて、銅貨が数十枚程度。伝説の剣どころか、まともな鉄の剣すら買えるかどうか……。
「まあ、新しいものは無理でも、今あるものを少しでもマシにすることはできるかもしれない」
俺はそう言って、自分のスキルに望みを託す。
「俺のスキルで、試してみる価値はある」
俺はテーブルの上に、手持ちの素材――森で採取したもの、ロックリザードから剥ぎ取った鱗や爪、市場で最低限買い足した鉄片などを広げる。数は少ないし、どれも上等なものとは言えない。
「まずは、これらの素材と、今使ってる装備の現状把握からだな」
俺は肩の上で羽を休めているアリアに声をかける。
「アリア、分析モジュール起動! この素材一式と、俺たちの装備の特性・強度を分析してくれ!」
俺が声に出して指示すると、フェリシアさんが不思議そうな顔をしたが、セラやミミは特に気にする様子はない。少しずつ、俺のこの奇妙なやり取りにも慣れてきたのだろうか。
『アイアイサー! 分析モジュールVer.2、起動! 対象をスキャン……ふむふむ……解析完了!』
アリアが元気よく答えると、俺のスキルウィンドウに分析結果が表示される。
『鱗と爪は硬いけど、割れやすい部分もあるね。加工難度はちょい高め。蔓は引っ張りには強いけど、切れやすい。鉄片は……まあ、普通の鉄クズだね。ミミのナイフは…うん、これで戦ってたのが奇跡レベル! マスピの服は……論外!』
(手厳しい評価だが、まあ事実だ。だが、これを組み合わせれば……)
俺はロックリザードの鱗を手に取り、自分の服に当ててみる。
「防御力を上げるなら、どこを補強するのが一番効果的だろうか?」
俺が尋ねると、フェリシアさんがすぐに答えてくれた。
「ふむ……。戦闘では心臓部を狙われることが多いから胸部は当然として、背後からの奇襲もある。だが、それ以上に重要なのは腕や足の動脈部だ。特に利き腕の前腕部は狙われやすい。そこを重点的に守るべきだろうな」
(なるほど、前腕部か……さすがは経験者、的確なアドバイスだ)
俺はフェリシアさんのアドバイスを元に、アリアに指示を出す。
「アリア、頼む! この服の胸部、背部、そして両前腕部に、ロックリザードの鱗の破片を粉砕・圧縮して接着、補強してくれ! デザインは目立たず、動きを阻害しないように頼む!」
『オッケー! プロンプト受理! 創造モジュールVer.2、起動! 鱗カチカチ! 樹脂ネバネバ! 合体!』
アリアの声と共に、俺の着ているパーカーが淡い光を放つ。光が収まると、胸部、背部、そして両前腕部の内側に、硬質な感触が加わった。
触ってみると、鱗を砕いて固めたような層が形成されている。少しゴワゴワするが、動きを阻害するほどではないだろう。
「ふむ、気休めかもしれんが、無いよりマシか」
フェリシアさんが腕を組んで、ぶっきらぼうに、しかし少しだけ安堵したような表情で評価する。次はミミのナイフだ。
「ミミ、ナイフ貸してみろ」
「ん? いいけど、何するのだ?」
俺はミミから刃こぼれしたナイフを受け取ると、アリアに指示を出す。
「アリア、このナイフの切れ味を上げてくれ! ロックリザードの爪を使って、可能な限り鋭利に研ぎ直して改良だ!」
『あいよ! シャキーンとさせちゃうよ!』
ナイフが再び淡い光に包まれ、微かな金属音と共にその形状がわずかに変化する。光が収まると、刃の部分が以前よりも鋭い輝きを放っているように見えた。
「ほら、ミミ。これで少しはマシになったはずだ」
俺がナイフを返すと、ミミはそれを受け取り、目を輝かせた。
「おー! なんかキラキラになった気がするのだ!」
彼女は嬉しそうに、その場でナイフを素早く振り回し始めた。シャッ、シャッと空気を切る音が鋭い。
「これでオークだってザックリにゃ!」
「こら! 危ないだろうが!」
危うくフェリシアさんに当たりそうになり、ゴツン、と軽い拳骨を食らっていた。本当に懲りない奴だ。
最後に、ダンジョン探索に必要な基本的な道具を生成する。松明、ロープは必須だろう。それと、簡単な回復薬も欲しいところだ。
市場で買った安い油や布、森で拾っておいた丈夫そうな蔓、そして薬効がありそうな数種類の薬草。これらを素材(触媒)として使う。
「アリア、この油と布で、長時間燃える松明を三本」
「続けて、この蔓で、10メートルの丈夫なロープを」
「最後に、この薬草と清水で、切り傷用の回復軟膏をいくつか作ってくれ」
MPを消費しながら、俺は次々とアリアに指示を伝えていく。
Ver.2になった創造モジュールは、以前よりもスムーズに、そして多少要求に近い品質のものを生成してくれるようだ。実用レベルの松明とロープが、淡い光と共にテーブルの上に現れた。
問題は回復軟膏だ。生成されたのは、ドロリとした緑色の、あまり効果がありそうには見えないペースト状の物体だった。
俺がその効果を訝しげに眺めていると、隣で見ていたセラが静かに口を開いた。
「ユウ様、お待ちください」
彼女は生成された軟膏を注意深く観察し、そして俺が素材として使った薬草の残りを手に取ると、
「この薬草は確かに止血効果がありますが、単独では刺激が強いのです。この『月雫草』の葉を少しだけ混ぜて練り直せば、治癒効果を高め、肌への負担も和らげることができます」
そう言って、彼女は自分の小さなポーチから、月の光を浴びたかのように淡く輝く小さな葉を数枚、取り出して差し出した。
(すごいなセラ……薬草の知識まであるのか。本当に頼りになる)
俺は彼女の知識と、その気遣いに感心し、素直に感謝した。
「ありがとう、セラ。助かるよ」
俺はセラの差し出した『月雫草』を受け取り、アリアに再度指示する。
「アリア、今の軟膏に、この『月雫草』を加えて改良してくれ! 効果と安全性を最適化するんだ!」
『りょーかい! 薬効アップグレード! 創造モジュール、リ・スタート!』
軟膏は再び光に包まれ、出来上がったものは、色も香りも先ほどよりずっと穏やかな、いかにも効きそうなものに変化していた。
セラがそれを見て、ふわりと微笑む。
「これなら、少しは安心です」
その微笑みは、彼女が普段見せることのない、年相応の少女のような、とても愛らしいものだった。俺は思わず見とれてしまう。
「MP、結構ギリギリだよマスピ! やっぱ高品質な物とか、回復薬みたいなのを作るには、もっといい材料と、アタシのレベルアップが必要だね! 頑張ってレア素材ゲットしてよね!」
アリアの声で我に返る。
どうやら、これだけ生成・改良を繰り返したことで、俺のMPも限界に近いらしい。ステータスウィンドウを確認すると、MP残量は本当に危険水域だ。
(完璧な準備とは言えない。素材もMPも足りないし、生成物の品質もまだまだだ。それでも……)
俺は改良された服、ナイフ、そして生成された道具一式を見渡す。
「よし、これで少しはマシになったはずだ。MPが回復したらもう少し追加で作るとして、終わったら月光の祭壇跡に挑戦だな!」
俺がそう言うと、一連の作業を黙って見ていたフェリシアさんが、腕を組んだまま、感嘆とも呆れともつかない声で言った。
「……それにしても、ユウ。お前のそのスキル……いや、アリアと言ったか? 本当に底が知れんな」
彼女はテーブルの上に並んだ、生成されたばかりの松明やロープ、改良されたナイフ、そして俺の服の補強箇所を順に見ながら続ける。
「正直、最初は半信半疑だったが……素材と『指示』次第で、これほどの多様な『創造』と『改良』が可能とは……。呆れた汎用性だ。使い方次第では、武器や防具の類すら作り出せるのではないか?」
その声には、純粋な驚きと、そしてわずかな警戒心が滲んでいるように聞こえた。
「さっきのロックリザードとの戦いもそうだ。戦闘中に敵モンスターの弱点を突くようなアイテムを作り出すなど、通常では考えられん。いくら必要な情報を持ち合わせていて、素材が手元にあったとしても、それを元に瞬時に創造するなど馬鹿げている」
たしかにセフィリアさんの指摘通りだと思う。もといた世界でも、生成AIは人間には実行不可能な処理速度をもって、俺達人間のタスクを肩代わりし始めていた。このスキルもその点は同じと言える。
隣でセラも静かに頷く。
「まるで、失われた古代の『万能生成』の魔法のようです。使用者の発想次第で、可能性は無限に広がる。ですが、それ故に……」
セラの言葉を引き継ぐように、フェリシアさんが厳しい表情で俺を見た。
「ああ。この力は、我々以外には知られてはならん。万が一、悪用されれば……想像するだけで恐ろしい。いいな、ユウ。軽々しく人前で使うなよ」
フェリシアさんの真剣な眼差しに、俺はゴクリと喉を鳴らす。
「分かってる。この力は、正しく使わないと……」
このスキルの持つ可能性と危険性。それを、俺自身が一番理解しているつもりだ。だからこそ、慎重に、そして仲間を信じて使っていかなければならない。
「ねーねー、ユウ! じゃあミミのおやつも『生成』してほしいのだ! お魚がいいな!」
そんなシリアスな空気の中、ミミが目を輝かせながら俺にねだってきた。……こいつ、話聞いてたか?
「貴様は食べることばかりか! ……ちなみに何が作れるんだ?」
説教かと思ったが、案外フェリシアさん(腹ペコ)も乗り気である。あのー、今あなたが、このスキルを安易に使うのは危険だとおっしゃったのですが……。
俺はその光景に苦笑しながらも、決意を新たにしていた。
「行こう、みんな! 月光の祭壇跡へ!」
俺は仲間たちに向き直り、力強く宣言した。
「セラ、必ず『月光の涙』を手に入れるぞ!」
俺の言葉にセラ、フェリシアさん、ミミもそれぞれの表情で力強く頷き返してくれた。
俺たちプロンプターズ(仮)の、最初のダンジョン攻略が、いよいよ始まろうとしていた。