場面12:元騎士との出会い
小屋を拠点にして数日。俺たちは少しずつ行動範囲を広げ、周辺の探索や食料になりそうな植物の採取に励んでいた。幸い天気は回復し、森の中にも明るい日差しが差し込んでいる。アリアは相変わらず俺の肩の上で、物珍しそうに小さな首を絶えず動かしている。
「この森…エルダーウッドって言ったか。鬱蒼としているけど、どこか神秘的な空気も感じるな」
俺が周囲を見回しながら呟くと、隣を歩いていたセラが静かに頷いた。
「はい。テラ・マギカ大陸でも有数の広さを持つ、古から存在する森林地帯です。わたしたちエルフにとっては故郷のような場所ですが…その全容を知る者は少ないと言われています」
「へぇ…。じゃあ古くからってことは、古代の遺跡ってやつも、この森のどこかにあったりする?」
「そうですね。アルカディアには…特に辺境と呼ばれる地域には、そういった古代の遺跡が多く残されています」
「へえ……歴史があるんだなあ」
「はい。遥か昔、この世界には『アーティファクト・エイジ』と呼ばれる、現代とは比較にならないほど高度な魔法文明が栄えていた時代がありました。ですが…約三千年前、『大崩壊』と呼ばれる原因不明の大災害によって、その文明は滅び去ったのです。今、大陸各地に残る遺跡やダンジョンの多くは、その時代の遺物だと…」
セラは淡々と語る。アーティファクト・エイジ、大崩壊…俺の知らない世界の歴史が、ここには確かにあるのだ。
「遺跡には危険な罠や、当時の遺物が暴走した魔物のようなものも多いと聞きます。ユウ様も、どうかお気をつけて…」
「ああ、ありがとう、セラ」
そんな話をしている時だった。
森の少し奥の方から、鋭い剣戟の音、そして獣じみた咆哮が、静かな森の空気を切り裂いた。
「今の音…! 戦闘か!?」
俺とセラは顔を見合わせる。緊張が走った。アリアも俺の肩の上でピタリと動きを止め、気配を探るように耳を澄ます(ような仕草をする)。
俺たちは息を潜め、音のする方へ慎重に近づいていく。
茂みの隙間から覗き見ると、少し開けた場所で、一人の女性が二体のオークを相手に激しく立ち回っていた。
そこにいたのは、赤みがかった茶髪をポニーテールに束ねた、長身の女剣士だった。鍛え上げられたしなやかな体躯で、大ぶりの剣を、まるで手足のように自在に振るっている。その剣筋は鋭く、洗練されていて無駄がない。間違いなく手練れだ。
だが、相手は二体のオーク。緑色の醜悪な肌を持つ、棍棒を振り回す巨体だ。一体一体がかなりのパワーを持っているようで、女剣士は巧みな剣捌きで攻撃を受け流し、あるいは最小限の動きで回避しつつも、徐々に押されているように見えた。額には汗が滲み、呼吸もわずかに乱れている。一体のオークの棍棒を剣で受け流した瞬間、もう一体が死角から迫る。紙一重でそれを躱すが、頬にかすかな赤い線が走った。
「くっ……!」
女剣士が小さく悪態をつく。
「ねぇマスピ、あの赤毛の姉ちゃん、強そうだけどピンチじゃない? オーク二体! 左のはデカいけど動き鈍め、右のはちょいすばしっこい! どっちも防御は甘そう! 特に右のヤツ、振りかぶる瞬間に一瞬だけ脇腹の筋肉が緩むクセ発見! 超ピンポイントだけどね! ……てか、さっきからめっちゃお腹鳴ってない? ウケるwww」
アリアが高速分析と、いつも通りの余計なツッコミを入れてくる。腹? 確かに、剣戟の合間に、ぐぅ、と低い音が響いたような……?
いや今はそんなことどうでもいい! 助けないと! 俺は内心で叫んだ。
彼女が何者かは分からないが、苦戦しているのは明らかだ。見捨てるわけにはいかない。
「加勢するぞ! 『プロンプト:オークの動きを一時的に阻害できる、操作が簡単な小型の粘着糸射出装置を生成! 素材はこの辺の木の樹脂とか蜘蛛の糸とかで!』アリア、使い方をセラに!」
指示と同時に、周囲の木の幹から樹脂が、地面近くの蜘蛛の巣から糸が、淡い光と共にスキルウィンドウに吸い込まれていく。
創造モジュールVer.2の即座の応答。以前とは比較にならない速度だ。俺の手元に、金属と昆虫の外骨格(キチン質)を合わせたような、異形の装置が光と共に生成された。見た目はクロスボウっぽく、引き金は節くれだった虫の脚のようだし、先端にはネバネバした粘液が詰まった透明なカプセルが見える。
「おっけー! セラたん、こいつは狙ってトリガー引けばネバネバ糸が飛ぶから! あの右のオークが振りかぶった瞬間とか狙い目だよ!」
アリアがアバターでセラのそばへ飛び、使い方を実演するように説明する。
セラは一瞬戸惑ったが、すぐにこくりと頷き、生成された射出装置の一つを手に取った。そしてアリアの指示通り、右のオークが棍棒を振り上げた瞬間を狙って、引き金を引いた。
ビュッ、と音を立てて射出された高強度の粘着糸が、正確にオークの棍棒を振り上げた腕に絡みつき、筋肉の動きを阻害する! オークは一瞬、完全に動きを止められた!
セラは息を呑み、自分の放ったものが役に立ったことに驚いているようだった。だが、すぐに次の脅威に備え、再び警戒の表情に戻る。
「グルァ!?」
腕に絡みついた糸に気を取られ、オークが僅かに体勢を崩した――その一瞬の隙を、赤毛の剣士は見逃さなかった。
鋭い踏み込みから放たれた剣閃が、もう一体のオークの首筋を正確に捉える。断末魔の叫びを上げる間もなく、一体が崩れ落ちた。
残った一体も、体勢を立て直した彼女の流れるような追撃によって、すぐに沈黙させられた。まさにAIの分析と生成がもたらしたチャンスだったと言えるだろう。
戦闘が終わると、女剣士は荒い息をつきながらも、油断なく剣を構え、警戒するようにこちらへ向き直った。
その緑色の瞳には、強い意志と、俺たちへの疑念が浮かんでいる。
「……何者だ?」
低く、しかし凛とした声で問われる。
「あ、いや、敵じゃない! たまたま通りかかったんだ。俺はユウ。こっちはセラと、このちっこいのはアリア」
俺は慌てて両手を上げて敵意がないことを示し、自己紹介する。
彼女は俺、セラ、そして肩の上で浮いているアリアを順に見やり、少しだけ警戒を解いたようだ。
「……助かった、礼を言う。私はフェリシアだ」
フェリシアと名乗った彼女は、改めて俺と、肩の上のアリア、そしてセラを鋭い目つきで観察している。助けられたとはいえ、得体の知れない俺たちへの警戒は解いていないようだ。……その時だった。
静寂を取り戻した森に、しかし、間の抜けた音が響き渡った。
ぐうぅぅぅ~~~~……。
それはもう、聞いているこちらが恥ずかしくなるほど、長く、盛大な腹の虫の音だった。
音の発生源は、言うまでもなく目の前の女剣士――フェリシアさんだ。
「こ、これは!? な、なんでもない!」
フェリシアさんは顔をカッと赤く染め上げ、剣を握りしめたまま叫ぶが、その動揺ぶりは誰の目にも明らかだった。さっきアリアが言っていたのは、これか。
俺は思わず苦笑してしまった。
目の前の彼女は、長身で、革鎧越しにも分かるほど引き締まっているのに女性らしい曲線も豊かで…戦いの中で少し乱れた赤毛のポニーテールと、強い意志を宿した緑の瞳が印象的な、間違いなく美人だ。そんな彼女が凛々しさはどこへやら、今は盛大な腹の音に、耳まで真っ赤にして狼狽えているのだから、そのギャップがなんとも……。
「あはは……もしよかったら、食料、ありますけど……さっきのキノコ(ヒトヨタケモドキ)しかないですが」
「……!」
フェリシアさんは一瞬、驚きと羞恥で目を見開いたが、すぐに空腹が勝ったらしい。ややあって、観念したように小さく頷いた。
「……恩に着る」
こうして、俺たちは強くて(腹ペコな)女剣士、フェリシアさんと出会ったのだった。