場面10:学習とAI進化の予兆
小屋の中を片付け、ようやく最低限の生活空間を確保できた夜。俺は揺らめく焚き火の炎を眺めながら、セラに昼間受け取った金属片について尋ねてみることにした。
彼女の首には、まだあの痛々しい金属の首輪が嵌まったままだ。所有権自体は俺にあるはずだが、このままにしておくわけにはいかない。
「なあ、セラ。この首輪と…金属片のことなんだが。あの奴隷商人は『隷属の証』だと言っていたけど、具体的にはどういう仕組みなんだ?」
俺がトークンを示すと、セラはびくりと肩を震わせ、俯きがちに小さな声で説明してくれた。
「……それは、隷属の首輪、です。所有者の命令に従わせるための……魔術的な強制力が働きます。この金属片が、所有権を示す鍵のようなもの。……あの者たちは所有権を放棄しましたが、トークンを受け取ったことで……今、わたしの所有者は、ユウ様、あなたになっています」
所有権は俺に移っている、か。彼女が奴隷であるという事実は変わらない、ということになるのか……。俺は思わず眉をひそめた。
「所有権が解除された状態であれば、ただの金属の首輪と同じなのですが……これを外すには、特別な鍵か、あるいは……高位の解呪魔法が必要です。わたしには……」
セラの声が力なく途切れる。その表情には、諦念と、深い絶望の色が浮かんでいた。外す手立てがないのなら、所有権が移ろうと意味はない、そう言いたいのだろう。
「そうか……。辛いことを思い出させて、すまなかった」
俺は彼女の細い肩に、そっと手を置いた。
「……セラ、約束する。今はまだこの森で生き延びるのに必死だけど、必ず安全な場所を見つけて、その首輪を外して君を完全に自由にする。だから、それまで……俺に力を貸してくれないか?」
セラは俺の言葉に驚いたように目を見開き、そして……ゆっくりと顔を上げた。その碧い瞳には、まだ不安の色は残っているものの、確かな光が宿っている。彼女は静かに、しかし強く頷いた。
「……はい。ユウ様を……信じます」
その真っ直ぐな言葉に、俺は改めて責任の重さを感じるとともに、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
◇◆◇
翌日からも、俺たちは小屋を拠点に、周辺の探索や食料調達を続けた。少しずつ生活が安定し始めた頃、俺は小屋の中を改めて調べてみることにした。狩人が使っていたものなら、何か役に立つものが残っているかもしれない。
そして、埃をかぶった古い木製の棚の奥で、俺は一冊の分厚い本を見つけたのだった。
手に取ると、ずしりとした重み。表紙は未知の生物のものらしい滑らかな黒革で装丁され、時を経ているはずなのに劣化はほとんど見られない。中央には複雑で美しい紋様が、銀色の金属のようなもので象嵌されており、そこから微かに温かいような、不思議な力が発せられている気がした。
埃を丁寧に払い、ページを開いてみる。しかし、そこに記されているのは見たこともない文字ばかりで、召喚時の加護を受けた俺にも全く読むことができなかった。
「なんだこの本……? 文字が全然読めないけど、ただの本じゃなさそうだ……」
俺が首を捻っていると、そばで休憩していたセラが顔を上げ、興味深そうに本を覗き込んできた。そして、表紙の紋様を見た瞬間、彼女は「あっ!」と小さく息を呑み、その碧い瞳を驚愕に見開いた。
「その紋様は……!? それに、この文字は……古代エルフ語……! ええと、『アルカディア…叡智の…断片…第7巻』……? ま、まさか、シルヴァリエの……深淵図書館の失われた記録……?」
セラの声は興奮と、そしてどこか深い悲しみを帯びて震えている。
「一族の記録が……こんな辺境の小屋に……!」
「えっと、シルヴァリエって……? それに、深淵図書館ってのは? 悪いが基本的なところから教えてくれないか?」
俺が尋ねると、セラはわずかに顔を伏せ、記憶を手繰るように、そして絞り出すような声で答えた。
「シルヴァリエは…わたしの一族の名です。この世界には、世界の理そのものに関わる『五大ダンジョン』と呼ばれる場所が存在します。その一つ、あらゆる『記録』が集まるとされる『深淵図書館』を、わたしの一族は遥か昔から守護してきました」
彼女は言葉を続ける。その瞳には、誇りと悲しみが入り混じったような複雑な色が浮かんでいた。
「世界の知識を守り、悪用を防ぐ……それがシルヴァリエの使命でした。でも……数年前、王国……いえ、一部の人間の欲によって、故郷は襲われ、一族も……ほとんどが失われてしまったのです。だから、こんな場所に一族の管理していたダンジョンの、その秘奥が残っていたなんて……信じられません」
声が途切れる。五大ダンジョン、深淵図書館、失われた記録……重要なキーワードと共に、彼女の壮絶な過去が垣間見えた気がした。彼女の言葉の端々から、深い悲しみと、そして目の前の本への強い想いが痛いほど伝わってくる。
察するにこれは、とてつもなく重要な情報源なのかもしれない。それに、セラにとっても、計り知れないほど大切なものなんだろう。俺はそう確信した。
「アリア、この本、学習できるか?」と内心で問いかける。
『おけおけ、見てみるね。……うぉ! 何その本! ヤバそうなオーラ出てる! 超絶レアデータの予感! 絶対すべきっしょ!』
アリアも即座に興奮気味だ。この本には、俺たちの想像を超える価値があるのかもしれない。
だが、学習モジュールは対象物を消費するんだったな。この貴重そうな本が、セラの目の前で消えてしまうのは……。それに、MPコストもかなり大きかったはずだ。ファングラビットの学習ですら結構なMPを持っていかれたのだ。この本はそれ以上にコストがかかるだろう。
躊躇する俺の心を読んだかのように、セラが口を開いた。
「ユウ様。もし、その力がこの本の内容を読み解き、未来に繋がるというのなら…わたしは構いません。記録は形ではなく、意志の中にこそ宿るものだと…祖父も申しておりましたから」
彼女の瞳には、悲しみではなく、強い意志の光が宿っていた。
……やるしかない! 俺は覚悟を決めた。
俺はセラに向き直り、力強く頷いた。
「セラ。ありがとう。君の、そして君の一族の想い、絶対に無駄にはしない。この本で得た知識で、必ず未来を切り開いてみせる」
俺は本をスキルウィンドウにかざすようなイメージで、プロンプトを口にした。
「『プロンプト:この書物……『アルカディア叡智の断片・第7巻』を学習!』」
『アイよ! 学習モジュール、起動! 対象をスキャンしてデータ化するよ!』
アリアの威勢の良い声と同時に、本が眩い白銀の光を発し、古代エルフ語の文字がページから浮かび上がるようにして輝き始めた! それはファングラビットの時とは比較にならない、神々しさすら感じる強い輝きで、俺は思わず目を細める。
そして、ページそのものが端からゆっくりと光の塵に変わり、スキルウィンドウへと吸い込まれていく。まるで、太古からの叡智が解き放たれ、俺のスキルに取り込まれていくようだ。
本が完全に消え去った瞬間――俺の脳内に、凄まじい情報奔流と共に、アリアの絶叫が響き渡った!
『うっひょおおおお! 神データ降臨キタァァァ! ヤバイヤバイヤバイ! 脳内アラート鳴りっぱなし! 処理落ち寸前だけど、この快感マジパねぇッ!!』
うおっ!? おいアリア、大丈夫か!? 俺は内心で叫ぶ。
脳内に響くアリアの絶叫は、これまでのどんな反応とも違う、異常なまでの興奮と歓喜に満ちていた。まるで、極上の情報を摂取してトランス状態にでも陥ったかのようだ。
同時に、俺自身のMPが一気に持って行かれる感覚に襲われる。ファングラビットの時とは比べ物にならない、立っているのがやっとなくらいの激しい消耗感だ。
やはり、コストも半端じゃない…! と俺は痛感する。
急激な消耗感に、思わず壁に手をついてしまう。立っているのがやっとだ。
俺がふらつきながらも驚いていると、隣で一部始終を見ていたセラが、固唾を飲んで尋ねてきた。彼女にも、ただ事ではない何かが起こったことは伝わっているのだろう。
「……ユウ様!? 何が起こっているのですか!?」
彼女の不安げな声に、俺はまだ混乱した頭で、何と答えればいいのか分からなかった。