第九話 葵の過去
「どういうことだ?」
会場内が騒然となる。まずそう叫んだのは勇人君だ。
「あの子のね実の父親はDV父親なの。そしてその父親を殺して……」
「待って!! ……私が自分から彼に伝えるわ。だからお願い。黙ってて」
人に言われるよりも、私が話した方が、絶対にうまくその状況を説明できる。
なぜ、私は父親を殺したのか。
「じゃあ分かった。今ここで伝えてよ」
そんなことを言わされるとは思っていなかった。私の口で、今ここで。
私はただ、結婚式を挙げるだけのはずだったのに。
「言わなくてもいい。言わなくてもいい!」
そう、お父さんが叫ぶ。だけど、言わないわけにはいかない。ここまで勇人君を気にさせるわけには。
「私は確かに実の父親を殺した。私のこの手で」
あの出来事は今も思い出される。
「あいつはずっと私に暴力をふるってた。そして、私に性的な暴力をふるっていた。キスの強要とか、胸を揉んだりとか。私には子どもながらそれが我慢できなかった。何しろ、暴力も振るわれてたから。その頃は多分中一だったと思う」
そして、私はついにその怒りを行動に移した。
「私は自分で実の父親を刺したの、包丁で。その時は中一の力だったから一撃では殺しきれなくて、あいつは抵抗してきたわ。それをなんとか包丁数本を使って、最終的に出血多量で殺せた。その時の感触は気持ち悪かった。だって人を殺したのだもの」
あれは、完全に嫌な思い出だ。今も人を殺した感触は残っているんだもん。
「それから施設に送られ、そこから今の両親に拾われた。最初は気分が悪かった。でも今は両親を愛してる。……これで満足?」
そう、美晴の方を向いて言う。
「ええ、つまり前科一犯というわけよ。これを聞いてどう思う?」
そう言って美晴は勇人君の方を見る。確かに保護処分程度で終わった。
だけど、人を殺したことがあるという事実は消えるわけでは無い。
どこかで聞いたことがあるのだが、人は一度人を殺すと倫理的なストッパーが外れる。
すると、人を殺すのが怖くなくなるけースがある。少年犯罪の犯人の再犯率が高いのと同じ理由だ。
私は施設の人にも、今の両親にも気にすることは無いと言われてきた。相談くらいはしてほしかったけど、殺すに値する理由があるって。
でも、だからと言って人を殺していい理由にはならないことを私は知っている。
当時から殺人は悪い行為だと分かっていたのだ。
「どうもしないけど。そんな過去なんてどうでもいい」
「それは、これを見ても思える?」
そこにあったのは私の実の父の写真だ。
「この人物を知っているだろ? 佐渡川永世棋王。実の娘に殺されたとニュースでやってた人。それが葵の父なの」
それを見て、勇人君は「どういうことだよっ!」
そう叫ぶ。
「確か、ニュースで言ってたわ。あんたが将棋を始めたのは羽田九段のおかげ。でも、そのあとに佐渡川という棋士の棋譜を見るのが好きだったって、でも、その人はもういない。全部葵のせいでしょ?」
それが、私が言いたくなかった理由。私は彼の尊敬する棋士をこの手で殺したんだから。
「私は……」
美晴を責めたい。だけど、そんなことをしたら逆効果だ。
何しろ私は罪を犯しているのだから。
「勇人君、ごめんね、今まで言い出せなくて」
そう言って私は頭を下げた。
「私は、言うのが怖かったの。その事実を知ってから、隠してきてた」
そう、怖かった。勇人君から嫌われるのが怖くてひたむきに隠してきた。
私が悪いのだ。
あの日も、知られないようにしてたのは悲しませないようにではなく、失望させないようにだった。
私はずるい。
勇人君が好きな人があいつだと知りながら、嫌われるの恐れ何も言ってなかったのだ。
「僕は君を責めないよ。確かに佐渡川さんが亡くなって彼の新しい棋譜を見れなくなったことは悲しいことだが、現実生活では、人間性では問題があったと聞いている。君は悪くない」
「なんでそんなに言ってくれるの?」
「僕が君のことを好きだからだ」
「勇人君」
「葵……」
そして私たちはハグをする。
私は勇人君をもっと信じるべきだった。
勇人君が私を嫌うかもなんて、一瞬でも考えた私がばかだった。
その時大きい舌打ちが聞こえた。大本は美晴だった。
「そう言えばなんでこんなこと言ったの?」
私は美晴に訊く。
「……私は許せなかった」
「え?」
「私はあんたが結婚するのが許せないの。しかも有名人と」
嫉妬なのかなと、すぐに思った。
だからこそ、ここでその事実を言って破局させてやろうとでも思ったのだろう。
「ねえ、美晴って、私のこと嫌いなの?」
私と美晴は今までずっと仲良くやってきたつもりだ。中学高校と、ずっと一緒にいたのだし。
だから、不思議でたまらないのだ。
まさかこのタイミングで勇人君に暴露するなんて考えてもなかったのだから。
「私は……あなたに負ける私がずっとみっともなかった。なんでいつもあなたは私よりモテて、私よりもいい点数取って、あんな過去があるのに幸せそうな顔をしたことが許せなかった。だってそうでしょ? 私も虐待されてたの。でも、私には父親を殺す勇気がなかった。もう気が付いたころにはもう少年法は適応されるけど、罪は重くなる時期だった。もう、そうなったら殺せない。だったらどうするかって? 我慢するしかないのよ。警察も児相も動いてくれないしね。
だから私はずっとあなたがうらやましかった。だから、今こう言ったのよ。所詮、貴方の過去を知れば、結婚を取りやめるような人だと思ったから。……それにね、貴方は最近渡部八冠とばかりいっしょにいるでしょ? みじめだわ。私なんてしょせんただの彼氏ができるまでのつなぎだったんだなって、思って。
私って、貴方にとって幸せを見せつける下位の人間だったんだなって。だから、ここで破局させてやろうと思ったの。破局させて、貴方を不幸にしてそのうえで私を頼ってくるように。私でも言いたいことがまとまってない。でも、私はあなただけ一抜けで幸せになるのが許せなかったの」
「私だって、ただ幸せぶってたわけじゃないよ。あの時いつも付き合ってたのは、寂しさを男で埋めるためだもの。
あの時の私は色々と荒れてた。それが幸せそうに見えたのなら、私の周りに強く見せるっていう作戦は成功してたと思う。
でも、一つ言わせてほしい。私は、あの時の私美晴を大切に思ってた。だから私の過去も打ち明けたわけなのだし。でもそれが、自慢してるように見えたのなら私の方こそごめん。私はそんなつもりじゃなかったのだから。だって、彼氏なんて何人作っても、美晴のことが一番大事だったから。
確かに勇人君と付き合ってから、美晴の存在をないがしろにしたのはごめん。
でも、それは勇人君と一緒にいたかったからというのもあるし、中々美晴に頻繁に会う余裕がなかったの。私も最近会えてなかったので罪悪感を感じてたからこそ、貴方を結婚式に呼んだの。だから、一つだけ。私は美晴のこと好きだよ」
「なんでよ、なんで、貴方は好きって言ってくれるの? こんな暴露をした私を」
「それは……私にも非があるから」
勇人君と一緒にいたおかげで、美晴とあまり会ってなかった事、中学時代に美晴に頻繁に彼氏自慢をしていた事、そして美晴が会おうと言っても勇人君を理由に断ってたこと。美晴の性格なら、私が一番よくわかっている。
寂しかったからこそ、今日怒りが爆発したのだ。
事実、今日もあまり美晴と一緒に喋っていなかったのだし。
「それに私自身勇人君に隠してた過去を美晴のおかげで勇人君に告白することが出来たのだし」
このままだと、勇人君に対して隠し事があるという事で、順風満帆な結婚生活を送れなかっただろう。
それについては感謝だ。
「うぅ、いい子過ぎるでしょ。むしろ心配になるわ。ごめんね、意味もなく過去を暴いちゃって、でも、私のもやもやを晴らすためなら仕方のなかったことなの。私を殴るなら甘んじてそれを受け入れるわ。だって、仕方のないことなのだもの」
「美晴。私こそごめんね。あなたの心の闇に気が付かなくて」
美晴は苦しいだけなのだ。
美晴は恐らく、ずっと我慢してきたのだろう。
美晴はずっと、私に対してSOSを送っていたのだ。あくまで私がそれに気が付かなかっただけで。
「私はたまたま救われて、美晴はたまたま救われなかっただけ。寂しかったのなら言ってくれたらよかったのに。私、いつでも美晴に付き合うからさ」
当時はそう言う話はなかったのだもの。
「……そんなのずるいよ。本当に優しいじゃん」
そう言った美晴の目から水が流れてくる。
涙だろう。
「ごめんね。私が悪かったわ。あなたの事をもっと心が汚いと思ってた。全部私の勘違いだった。本当にいい子過ぎ」
そう言って、美晴はその場に座り込んだ。
「私の友達がごめんね。結婚式なのに」
「いや、それは構わないけど」
「それと……今まで隠しててごめん。嫌われるかと思ってて」
「そうだな。もし、葵以外だったら嫌ってたかもしれない。……でも、葵は別だ。僕は葵のことをもうすでに好きになってしまっているのだから」
「ありがとう」
「……思うんだけど、イチャイチャしすぎじゃない?」
いつの間にかいた美晴がそう言った。立ち直りが早い。
いや、空気を悪くしないように、笑顔を取り繕っているだけなのか。それが、私たちにとって一番いいと思って。
「いや、これは新婚らしい空気感だから許してくれ」
そう言って勇人君は軽く頭を下げる。
「ふふ、いいわ。私も恋人作ろうかな? 羽田さんとかってフリー?」
「あの人結婚しているぞあと、僕が言うのもなんだが、プロ棋士はやめとけ。価値観が合わないかもしれない」
「え、なんで?」
そう、驚く美晴。だが、私は勇人の真意を知っている。これもプロ棋士と多くかかわり、将棋界を嫌いになった人なりの価値観なのだろう。
「まあ、いいわ。新婚生活楽しんでおいてね」
「うん」
そして私たちはハワイの観光地を堪能した。