第三話 遊園地
そして、その翌日。さすがに今日もゲーム尽くしは嫌だという事で、彼を遊園地に連れてきた。
彼は変装してなので少し目立つけど……。それでも、渡部勇人八冠王とばれて、騒ぎを起こすことに比べたら幾分かましだろう。
しかし、やはり有名人という物は、不自由を強いられる。有名税とでもいうのだろうか。本当にくだらない。私はそう思った。
「なあ、これまるでデートじゃないか?」
着いて早々に彼はそう呟いた。そっか、これはデートになるんだ。
デートとは、男女二人でお出かけすることなのだから。
本当に全く意識してなかったな。だって、渡部君は彼氏じゃなく、あくまで友達なのだから。
「まあね。でも、目的は渡部君を楽しませるためだから!」
それに、これは渡部君を楽しませる遊園地デート。恋愛とかじゃなくただ純粋に楽しんだもの勝ちだ。
「ああ、葵。……本当に遊園地なんて生まれて初めてだ」
「え……? 本当に生まれて初めてなの?」
そんな人がいるんだと、失礼ながらに思った。だって、遊園地よ。ふつう行くじゃん。
小学生の時とかに。
「ああ、昔は本当に将棋しかしてなかったからな。……それも自発的に」
「ふーん」
それからジェットコースターの列に並んでいる間に彼からたくさんの話を聞いた。
「僕は将棋を友達から教わって以来ずっと将棋を指してきたんだ。夢中だったよ。何しろ、こんなに楽しいものに出会ったのは初めてだったから。将棋は運が必要ないんだ。必要なのは実力なんだ」
確かに、将棋は実力の世界って聞いたことがある気がする。
運が絡まないから面白いってあいつも言っていた。
「だからこそ僕にはハマった。他の子がゲームやら何やらで楽しんでいる間も僕は将棋をし続けた。そしていつの間にか僕に将棋を教えてくれた子も抜いてしまったんだ。そして、ある日初めて大会に出たんだ。友達は優勝無理だろって言って止めたんだけど、僕は小学生名人戦でも優勝してしまった。その時に子供心ながらに思ってしまった。将棋は本当に楽しいって。そこからは毎日寝る魔も惜しんで指していた。学校の授業中にも将棋のことしか考えていなかった。
そして、奨励会に入った。奨励会では、妙にライバル視をしてくる人がいたが。
本当に楽しかった。将棋で勝ち続けて、奨励会の級位がどんどんと上がっていくのも楽しかったし、段々と強くなるという感じがして、嬉しかった。でも、楽しくなくなったのはタイトルを取り始めてからだ、その時にはもう互角の勝負なんて無くなってしまった。だからこそ、将棋中にわざと悪手を指したりなどをして、遊ぶようになってきた、それからだよ。段々と、将棋が楽しくなくなってきたのは。他の棋士に本当に申し訳なくなってきた。皆が必死で指してるのに、僕だけ……」
その彼の顔は絶望に満ち溢れているように感じた。
それを見て悲しいことを思い出させてしまったなと、反省した。
今日は将棋の事なんて考えさせないようと思ってたのに、いつの間にか渡部君の過去の話を聞くのが楽しくなってきた。確かに話を始めたのは、渡部君だ。だが、それを楽しそうに聞いてしまったのは私だ。
私に責任がある。
「ごめんね。もうその先はいいよ。今日はとにかく楽しも?」
「ああ」
そして、それからは将棋の話ではない楽しい話をした。
渡部君も愛想笑いかもしれないけれど笑ってはいた。私はまだ彼と付き合いが長いわけでは無い。
まだ、今日で三回目だし。
だが、愛想笑いだとしても、渡部君が少なくとも、楽しんでいないとは思わない。
少なくとも、公園の彼よりも笑顔があふれている。
そして、話しているうちにあっという間に順番が来た。
「勿論、乗ったことなんてないよね」
「ああ」
「人生変わるよ」
本当に、ジェットコースターという物は臨死体験をさせてくれる。所謂バンジージャンプのようなものだ。本当の恐怖を味わう事で、彼の世界観も変わるかも。
しかもここのジェットコースターは日本有数の恐ろしいジェットコースターで、走ってる最中にも車が回転したりする恐ろしい乗り物だ。本当にジェットコースターが好きな人しか乗らないと噂で、ジェットコースター初心者の渡部君はどうなることやら。
早速坂を上り始めた車は一気に頂上から駆け下りていく。ああ、ものすごいスピード。怖い……!
だけど、それが楽しかったりする。
ああいいなあ。そして渡部君の顔見たさで隣を見る。渡部君は盛大に笑っていた。怖さからなのか、楽しさからなのかは分からない。でも、楽しそうだ。
そして、いろいろ回転していったりしてついにゴール地点についた。およそ五分間の旅だった。
「どうだった? 渡部君」
「楽しかったな。でも、怖かった。こんなに怖いなら前もって言ってくれたらよかったのに」
「それはごめん。で、結局のところ乗ってよかった?」
「ああ、良かった」
彼がそう笑っていたことで少し嬉しくなった。
渡部君は、ジェットコースターが楽しいと思える人間でよかった。
この楽しさを味わえるのだもん。
「ただ、僕は……」
そう思ったのもつかの間、彼はつらそうな顔を見せた。
「僕は将棋を……」
そう言ってそのままその場で倒れてしまった。
「僕は、僕は……」彼はうなされている。
「えっと、えっと」混乱しながら近くの警備員に救助を頼む。すると手慣れた動きで、渡部君の体調を確認し、救急車を呼んでくれた。
もしかして、ジェットコースターに乗せた私のせい?
救急車内での緊急隊員の話を聞くと、検査するまでは分からないが、今のところただの寝不足の可能性が高いそうだ。
それなのに、ジェットコースターなんて危険なものに乗せて、少しだけ罪悪感を抱く。
今も、苦しそうな顔で「76歩、34歩、26歩」などと言ってうなされている。
私は彼の手をぎゅっと掴んだ。彼に力を与えるように。
すると、段々と彼の寝言は静まっていき、眠りについた。
そして病院で、彼は目を覚ました。病院に着いてから四時間後のことだった。
もうすでにただの寝不足であるという事は医者の先生から正式に伝えられている。
「葵……」
「渡部君」
「僕は……分からないんだ」
彼は辛そうにそう言った。
「最近眠れていないんだ。寝るとすぐに悪夢を見てしまう。延々と将棋を指す悪夢を。延々と負けることのない面白くもない将棋を指す夢を。だからこそ、最近睡眠をとれていなかったつけが、ここで来たようだな。本当に葵には申し訳のないことをした。せっかくの遊園地だというのに」
そう、考察をする彼。なるほど、言ってなかっただけでそう言ったつらさもあったのね。
「私は別にいいよ。渡部君が主役だし。それに、私こそ勝手に連れてきてごめんね。ジェットコースターに乗せたのも行けなかったかもしれないし」
渡部君は悪くない。寝不足な事を言えなかったのも、恐らく私が強引だったからだ。
「いや、僕が言わなかったのが悪いよ。……ただ、君が手を握っててくれて、途中から少しだけ悪夢が収まった気がするよ」
私と彼の手はまだつながれたままだ。
そう言う彼を見て少し安心した。
「私が力を送ってたんだよ。ギュって手を握って」
「……そうか。ありがとう」
そう感謝を告げる彼の手をまた握った。