第20 話 旧友
「おとーさん、おとーさん!!」
愛ちゃんがやってくる。それも元気に、
そんな彼女を勇人君は抱きしめた。
「不満なんてないよな……」
そう彼がつぶやいたのを私は聞き逃さなかった。
YOUTUBEで回復したかに見えた彼の精神は段々とひどくなっていっている。
見てわかるのは、そう、勇人君の寝言だ。
毎日またうなされ始めた。また新しい楽しみを持ってきてあげないと。囲碁? チェス? いや、同じことだろう。ゲームも主な対戦ゲームはやった。なら、スポーツ?
野球、サッカー。三〇である彼は今更プロの世界で戦うなんて無理だ。
だけど、頭依存ではなく体依存だから勇人君には楽しめるかもしれない。
せいぜい、草野球あたりが関の山だろうけど。
だが上手くいかなかった。
スポーツはやらせてあげたけど、そこまでハマらなかったみたい。
なんだか違うって。
これは手詰まりという物かもしれない。
「はあはあ、はあはあ」
次の手を考え込む私の隣で、勇人君が苦しんでいる。
何をやっても無双してしまう彼の苦悩。
それは確実に凡人には理解不能の悩みだ。
だけど、今まさに勇人君は苦しんでいる。もう、頂点を取るべき道は失われてしまったのだ。
勇人君が天才じゃなかったら、そんなことを何度でも考える。でも、もはや今更無理なんだ。自分を馬鹿にするような機械や飲み物なんてないし、あったとしても確実に体に悪いものであることは間違いのないことだ。
結局私には何もできないのか。数日間迷っていた時だった。
家のインターフォンが鳴った。
「すみません。俺、渡部の友達なんすけど」
その瞬間、私は警戒モードに入る。
当然だ。何しろ勇人君の家は秘匿情報だ。マスメディアにも嗅ぎ付けられないように細心の注意を払ってきた。
「それは本当?」
インターフォン越しで私はそう問いかける。
「本当です。緑川小学校、知ってますよね」
これはメディアに伝わってる情報のはずだ。
その一言だけでは友達なのかの信用はできない。
「そこの、飯田雄太って、あいつに伝えてください」
「分かったわ」
結局勇人君が知ってるかどうかだ。見た感じ棋士ではなさそうだから旧友なのかな。
「勇人君、飯田雄太っていう方が来たけど知ってる?」
愛ちゃんと遊んでいた彼にそう言う。
「雄太か⁉」
明らかに顔が明るくなる。それほどまでに嬉しい相手なのだろうか。
「彼は僕に将棋を教えてくれた人だ」
あら、重要人物じゃない。
「家に上げてくれ」
勇人君の言葉に従い、私は玄関まで行き、ドアを開けた。
「あー良かった。家に上げてもらえて」
「分かってると思うけど」
「分かってる。勇人のことは外には漏らさない」
それを聞きほっとする。
「おー勇人じゃないか、大きくなって」
「ああ、そうだな。雄太」
そして二人は軽い抱擁を交わし、そして部屋に引っ込んでいった。
そして飯田君と勇人君は談笑している。
邪魔したら悪いなと思い、私は愛ちゃんを連れて自室に向かう。
「おかーちゃん、あの人誰?」
「お父さんの旧友よ」
「へー、私遊びたい遊びたい」
「だめよ。邪魔したらだめ」
「えー」
そう言ってブーブーいう愛ちゃん。可愛い。
SIDE渡部勇人。
まさかの旧友が来た。僕に将棋を教えてくれた人だ。もしかして、棋士をやめた僕を心配してくれたのだろうか。思えば、僕はひどいことを言った。
一番しんどい時期だったから、家に来ないでくれと怒鳴ってしまった。それで気まずくなり、結婚式にも呼ばなかった。
そんな彼がなぜ来たのだろうか。
「俺はお前が心配だ」
そう言って彼が見せたのは、僕のYOUTUBEアカウントだ。
「なんでそれを知って」
名前を出してないし、声も出していない。声は基本的に機械音声でやっているから。
「普通気付くだろ。これがお前のだって。だって、勇人って感じがしたから」
「なんだよそれ」
どういう理屈かは分からない。
ただ動画の感じだけで気が付いたのなら、それは凄い才能だと思う。
「それで今どうなんだ? 数年前は辛かったって言ってたけど、てか、あの人はお前の彼女? てか、娘もいるの?」
「質問が多すぎないか?」
すると、雄太は「ごめんごめん」と、平謝りをする。
「僕は今は葵と結婚している。それで、愛、あの子供の父親をやってる」
「あの勇人が結婚ねえ。時の流れは速い」
「だな。……それで、今はどうなんだ?」
「辛いよ。それは変わらない」
あの、八冠王になった日から、将棋の頂点に立ってから将棋が面白くない。そしてそれに代わる趣味も見つけられていない。一時的な興奮は手にはいるが、それだけだ。すぐに熱は冷め、しょうもないものに思えてしまう。
それに、
葵は好きだけど、将棋の代わりにはなりえない。
「僕は、将棋の代わりを見つけられていないんだ。あの日からずっと。だから、葵と、愛が唯一の俺の救いだ。彼女たちがいなかったら僕の心はとっくの昔に壊れてたと思うから」
そう、僕の心はいつだって不安定だ。そんな僕がまだ現世にしがみつけているのも、葵のおかげだ。
「僕の精神は鬱みたいなもの。だから、今まで何回も、死にたくなった。だけど、そばに葵たちがいるから頑張れているんだ」
そう、僕は彼女たちのために生きているようなものなのだ。
「しかし、もう、将棋を勇人に教えたのがだいぶ前みたいな感じだな」
そう言って笑う雄太。
そうだ、もう二〇年以上もたっているのだ。今となってはいい思い出だ。
「あの時は楽しかったな」
「ああ。お前が将棋大会に出たときが懐かしいよ」
「そうだな。雄太は必死に止めてたな」
「出たところで予選落ちが関の山ってな」
「まさかそれが優勝するとは思っていなかったがな」
そう言って僕たちは笑った。それからも互いの話をする。彼の話によれば、彼は医者になっているらしい、
驚くべきことだ。賢いと思ってはいたけど、医者になっているとは。
僕とは違う道で、いい仕事についている。羨ましい。
「尊敬するな」と言ったら、お前が言うなと突っ込まれた。
僕は純粋な気持ちで言っただけなのに。
そして会話の中で、雄太が驚くべきことを言った。
「お前、今もずっと死にたいんだろ?」




