第二話 八冠王の対局
翌日、私は渡部君の対局を見ることにした。彼の仕事姿を見たいのだ。
正直将棋はあの事件が起きてから一切見ていなかったし、将棋というワードすら苦手となっていた。
でも、渡部君の対局姿なら見れそうだ。
ルールや、駒の動かし方は昨日教わったが、あくまでも基本だけだ。応用はしていない。
楽しめるのかなと不安になりながら、将棋中継サイトを見る。
すると、渡部君の顔が映った。
――あ、凛々しい。
そう、彼の姿を見て思った。その、真剣に将棋を指しているその姿を見て。
昨日の彼とは違う。昨日は優しそうだったが、今日は本気モード。表情が明らかに違う。
やる気があるのか、なんていう批判が来ると言っていたが、そんなことは無い。私には、本気のように見える。本気で将棋に向き合っているという感じが見える。
その顔はまさにイケメンと言って差し支えないだろう。
その対局中。対局相手の羽田九段は必死に時間を使って指しているのに対し、渡部君は時間をあまり使わないで指している。
その威圧感で、対局相手の棋士の精神が削れていっているように見える一方、渡部君は余裕そうだ。
その証拠に先ほどから欠伸が多い。よく見たら、段々と局面が進んでいくにつれて少しずつ本気度が下がっているような印象を感じる。
もう、勝ちが見えてしまったのだろうか。
これがもしかしたらやる気がないと言われている理由なのだろうか。
私も、ゲームは楽しいが、NPCとの対戦は簡単に一位になってしまうからあまり楽しくない。
それと同じことなのだろうか。
実際彼の様相を見ていると、余裕というよりも、退屈している様子が見える。
相手の棋士も強いと評されているみたいだけど、それさえも渡部君にとってはとるに足りない相手なのだろうか。
本気ではあるけども、本気ではない。そのような感想を抱いた。
そして、対局の評価値も見ているが、本当に彼にどんどんと傾いて行っている。
五十六パーセント、六十四パーセントと、どんどん増えていく。終盤に少しだけ羽田九段が取り返していったが、結局渡部君が押し切った。
渡部君は結局時間の四時間のうちたったの二〇分しか使っていなかった。将棋をあまり知らない私にも、これはすごいことだと思えた。
同時にああ、そう言う事なのかなと、すぐさま納得した。
渡部君は遊び感覚、いや、つまらない将棋を面白くするために頑張って遊んでいるのだ。
必死で、必死で楽しくしようと、良い将棋にしようと思ってるんだなという事は、将棋初心者の私にもわかることだ。
そう思ったら昨日の渡部君の笑顔は貴重なのだと思った。
すぐにでも彼に会いたくなってしまった。
でも、今行くと迷惑だ。明日にしよう。
そう思い時間が過ぎるのをひたすらに待った。
そして早速翌日彼の家に行った。彼がいない時間は本当に長く感じた。
それだけでも、私のつまらない人生になんていい彩りをつけてくれたのだと思う。
その相手が将棋棋士であることはやはり少し複雑ではあるけれど。
「昨日の対局見たよ」
開口一番、そう言った。
「どう思った?」
「正直に言っていい?」
「なんだ?」
「退屈で、寂しそうだった」
それが私の感想だ。
彼はその感想に対して、ただ「そうか」とつぶやいた。
「僕は、やっぱりそう見えているんだな」
そして彼はスマホを取り出して私に見せてきた。
それはSNSだった。
「ここに、僕の悪口がたくさん書いてあるんだ」
そこには(渡部って強いけどつまらなさそうだな)
(渡部ってさあ、将棋界面白くなくしてる戦犯だよ。あんな将棋をなめているとしか思えないやつに将棋の頂上なんて将棋界終わったな)
(渡部くそ、渡部氏ね)
そんな批判や悪口が書いてある。
「僕としてはこんなのどうでもいいんだ。事実だとは思うし。ただ、僕は必至で将棋を指してきただけなのに、最後に待ち受けているのはこんなに面白くない景色なのか、と少しショックなんだよ」
確かに私も、努力をした結果悪口を言われる。そんな結末なんて嫌だ。
「僕は将棋界を劣化させているつもりはない。ただ、今更将棋に真摯に向き合えないのも事実なんだ。実のことを言うと、あの公園の時も直接の原因はこれなんだ」
そう、悲しい顔をする渡部君。あの時もそうだったのか。
「そうだ、次の対局はいつ?」
「三日後だけど」
「なら、三日後まで将棋のこと考えるの禁止。その日まで私と一緒に将棋以外のことをしよう!」
元々計画していたことだ。そして、彼の手を引っ張る。
「やろうよ、ゲーム!」
そう言って私はにかっと笑った。
早速彼にゲーム機を渡した。
すると彼はそれをきょとんとした顔で受け取る。
「一緒に、ゲーム楽しもうよ!」
そして、やるゲームは勿論のことカートレース。初心者である渡部君に分かりやすいように教えるつもりだ。
早速彼は私の言うとおりにマシンを動かす。なんだか、その動きがたどたどしくてかわいい。
レースはもはや最下位独走だ。だけど、やっと正常通りに動き始めた彼のマシンは段々と速度を上げていく。
私もそれに合わせて自分のマシンを動かし、リードする。まるで、競輪の先導みたいな形で。
そして、結局は最下位で、「面白くない……」と渡部君はつぶやく。でも、そんな彼がかわいくて、つい私まで笑ってしまった。
そのまま数試合して、別のゲームもやる。そのゲームに対しても渡部君は覚えが悪く、悪態をついていた。でも、いい気分転換になればいいなと思い、根気強く教える。
そのためか、最終的には私よりもうまくなった。流石は天才だ。何という学習能力なのだろうか。
これが、将棋の力か。
「ふう、これで全部か」
私が持ってきた六個のゲームをついに渡部君はやり終わった。相当な数がある中で、ここまでよく私、教えるの頑張ったよ。
しかも恐るべきことにすべてのゲームでほぼ無双状態だ。
「それで、何が楽しかった?」
「まあまあだった。時間つぶしにはなるって感じだな」
そう言って地面を指でなぞり始める渡部君。そんな彼が愛しくなり、頭をなでる。
「何するんだよ、葵」
「いやー、別に?」
「ったく」
そう言ってため息をつく渡部君もまた可愛かった。