其之捌拾玖話 焦げた卵焼き
「ならば……死ね……」
そう言い放つと妖しき者は、剱を持った手を振り上げた。一縷は、恐怖と悲しみが入り混じり、精神が混乱し『応戦』『逃げる』というたった二つの選択すらできなかった。
『お母さん…ごめんなさい…』
目を瞑り心の中でそう呟いた。
その時、何処からとも無く…
(一縷……顔を上げなさい…)
と、母の声が聞こえた気がした。
その声に『はっ』と顔を上げた一縷、しかしその目に映ったのは、剱を振り上げた妖しい者…状況は変わっていない。
その時!
『バアァァァァン!!』
妖しき者が爆音と共に真横にふっ飛ばされ、その勢いで道場の壁を突き破り道外に放り出された。
茫然とする一縷が視線を入り口の方へ向けると……靄の中に人影が……。それが次第に晴れ…其処に立っていたのは…一縷の目の前で絶命したはずの母、神舞だった。
「お………お母…さ……………お母さんっ?!」
一縷は、その姿に驚きの声をあげる。それもそのはず、確かに母は目の前で絶命した……手には母の赤い血がついている。両手を見ながらそう思った。
「一縷……」
娘の名を呟く母。
その時、ぽっかり空いた壁の穴からのっそりと猿面の者が出てきた。
あれだけ激しく吹っ飛ばされたのに傷一つ負っていなかった。
片手で纏の埃を『パンパン』と掃うと背筋を伸ばし言い放った。
「神に仕える身でありながら神に手をかけるとは……汝…その所業……万死に値する行為ぞ……」
母……神舞は、座り込む一縷に静々と歩み寄りながら猿面の者に言い放った。
「神? 貴方こそ恐れ多き神の名を語る不届き者……そして邪悪な心を持つ悪しき妖者……とっとと地獄へお帰りなさい……」
「クックックッ……言ってくれます…………ねっっ!!」
と言いつつ、行き成り剱を振りかざし、舞に斬りかかった!
「ガギィン!!…ィン…ィン…ィン…ィ……ン……………チリリィィィィン…………」
その太刀を難無く受け止めた舞。と同時に、微かに鈴の音色が聞こえる。その鈴の音は、金色に輝く神楽鈴…太刀を受けた神楽鈴から奏でられたもの…。
『ギギギギギッギリッギリリッ…………ギリギリッギギギギギッ…………』
金属と金属がこすれ合う。其処から激しい鍔迫り合いの音が道内に響く。
「どうした? 愚か者よ…その程度の力か? もうよい…お前も死ね…」
舞は、その言葉にゆっくりと目を閉じると、一つ…鼻で笑うと無表情で答えた。
「フッ……貴方…………貧弱……貧弱です、そしてその言葉遣い…気に入りません…」
『パリッ、パリリッ…パリッ…バァァァァァァンンンッ!!』
「雷獣……羅神剱」
乾いた音を出しながら舞の身体から小さく青白い雷が放電を始めた。そして凄まじい音と共に、掲げた神楽鈴に一筋の雷撃が舞い落ち、神楽鈴が雷神の剱に変化した。
「親友の仇…………我が怒り…その身に受け、苦しんでお逝きなさい……」
『パアァァァァァァァァン!!!』
更に、その落雷の衝撃と雷壁に阻まれ、妖しき者は後方へ退く事を余儀なくされた。
眩い雷光の中から現れたのは、青白い稲妻を身体に纏い、手には白銀に輝く剱を持つ舞の姿。
そしてその傍らには、白く煌めく雷獣が低い声で唸りながら、妖しき者に今にも飛び掛る勢いで身を低くし構えていた。
『ヴァル……ルルルル……」
息をゆっくりと吸い込みながら、舞が剱を大きく振りかぶりながら呟き、刀を振り下ろす。
「極…雷神斬…」
「ヴガァアアアアアアァァァァァオォォォォォォンンンッ!!!」
斬撃と共に雷獣、羅神の化身が首元に喰らいつく!
『パパパパパパァァァァン!!』
「ぐっ?! ごぉっ?! ぐぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
断末魔を上げる猿面の者。その身体を一本の稲妻が貫き、同時に激しい電撃に包まれる!
『バリッバリバリバリバリッバリッバリバリッ…バンッ!!バンッボッワワァァンンンンッ!!』
そして青白い炎が猿面の身体に纏わりつく様に燃え盛り、瞬く間に焼き尽くして灰となって消えた。
すべてが終わり舞は、手に持っている剱を腰にある鞘に戻した。そして呆然とする一縷に近づきひざを折るとそっと頭に手をのせ微笑んだ。しかし何かに気付いた舞は、次の瞬間再び剱を抜き、一縷を抱き寄せると暗闇の方へ剱を指し示した。
「誰?」
すると暗闇の中から『スゥゥゥ…』と前に出てきたその者は、白い袴を纏い、顔には鳥の面を付けていた。その者は二人に一礼をするとか細い声で語りかけた。
「月姫を……月下の刀…で……どうか……お守りくださいませ……」
そう言って頭を垂れるとそのまま暗闇の中に打ち解けながら消えていった。
(月下の刀……月姫を守る……)
そう思う舞の胸の中で一縷は、寝息を立てていた。
【偽物の母】
朝、目を開けると自室のベッドの上で寝ていた。昨夜の事、色々あり過ぎてまだ頭の中は少し混乱していた。
蘭子が母と争っていて…猿面を着けた何者かが現れて…そして…自分を庇い絶命した母。その母が生き返って自分を助けた?……其れは全て夢だったのか。
いや、そうに違いない。其の証拠に、いま自分の部屋にまで漂って来るこの匂い……母が作っている朝食の匂いだ。
神家の朝食は、何時も一縷が大好きな卵焼き、母が作ってくれる甘くて厚い卵焼きだった。今日の朝も何時もと変わらない、卵焼きと味噌汁の匂い。
一縷は、急いで制服に着替え鞄を持ち台所に入った。其処には何時もと変わらない母の後ろ姿。
「お…お母さん? おはよう…」
「おはよう、一縷!ご飯出来てるよ!」
その声とその表情、やはりいつもの母だった。一縷はほっと胸を撫で下ろしハンギョドンのご飯茶碗と味噌汁が用意されている自分の席に付いた。
そして母は、最後に卵焼きが盛られた皿を目の前に置いた。
その卵焼きを見た一縷は、表情が一変した。そして箸を箸置の上に戻しゆっくりと頭を垂れ、暫くすると、一縷の体が小さく震えだした……と同時に卵焼きの上に大粒の涙が『ポツ…ポツ…』と落ち始めた。
一縷が呟く……
「やっぱり…やっぱり夢じゃ…なかったんだ…」
「一縷…」
母親は、一縷の名を呼びながら肩に手を添えた、がしかし…
『パシッ!!』
その手を勢いよく振り払い、母の顔を『キッ』と睨みつけ言い放った。
「お母さんが作る卵焼きはっ!こんなにっ!こんなに焦げてないっ!こんなに焦げてっ!ないもん!」
そう叫ぶと勢いよく席を立ち上がり『バアァン!』と扉を開け家を飛び出していった。
トボトボと、項垂れ歩く一縷…もう何も考えられなかった。昨夜の事、あれは夢だった…夢であってほしい…夢に違いない…そう願っていた、いやそう自分に言い聞かせ現実から逃げていた。母親が自分の目の前で殺されてしまった、何もできなかった自分に…何より大好きだった母親に成りすまし母の振りをするあの女が何者なのか、そして怒りを覚える。そんなことが頭の中で考えながら歩いていると後ろから自分を呼ぶ声が…
「一縷ぅぅぅ!」
蘭子が大きく手を振りながら走って近づいてくる。蘭子の顔が目に入ったと同時に昨日の事が脳裏に浮かびとても笑ってはいられない。走り寄る蘭子を無表情で見つめていた。
「おはよう一縷! ハァハァ……昨日はごめんなさい! びっくりしたでしょう、私貧血で倒れるなんて!」
一縷は、もう何を言われても驚く事はなかった。
「師範にも家まで送ってもらってさ、ご迷惑をおかけしちゃって! お詫びに今度美味しいケーキ持っていくからねっ!」
一縷は、その話を瞬き一せず聞いた後、何も言わず無表情のままくるっと蘭子に背を向け、歩き始めた。
「ちち、ちょっと一縷!? ねぇ聞いてる? ちょっと待ってよっ!」
あの時の蘭子は、あの妖者に操られていた……蘭子は悪くない…それは分かっている…しかし母に刃を向けた彼女をどうしても許せない気持ちの方が其れを勝っていた、しかも母はその者のせいで命を奪われたから尚更である。
そして、教室に入り席に着く。鞄から教科書を出し机の中へ仕舞っていると、蘭子が前の席の椅子に座りいつもの調子で話しかけてくる。
「ねぇ朝のテレビ見たぁ?!ほら加藤千隼!また新しいドラマの主役だって?!一縷千隼の事好きって言ってたから絶対見るでしょ?!楽しみぃ!ねっ!」
蘭子が何気に発した『朝』と言う言葉にぴくっと反応する。それは今朝の出来事、あの焦げた卵焼きの事だった。その言葉と同時に心の奥底から、何とも言えない怒りが込み上げてきた。そして頭を垂れると肩を震わせながら思わずこう言い放った。
「私に……私に……話しかけないで…………私に話しかけないでぇぇっ!」
はっと我に返り顔を上げると…蘭子の顔が強張り見る見る両目が赤くなりその瞳から涙が溢れ出した。一縷は、居たたまれなくなりがガタッと席を立ち上がり逃げるように教室を出た、そしてその足は、自然と屋上へ向かった。
一縷は、走りながら自分のした事に自問自答した。
(私は悪くない!…蘭子のせいで…蘭子のせいでお母さんは死んだんだっ!あんなの友達でも何でもない!私だけなんでこんな目に合わなくちゃいけないのっ?なんで私に笑って話しかけてこれるのっ!お母さん死んじゃったのにぃ!)
そして屋上の柵に凭れ、遠くに連なる山々を見ながら思った。それは蘭子と初めて会った時の事だった。
(そう言えば…中学校に入って初めて出来た友達は………蘭子だった…一人で不安だった私に『剣道やりたい』って声を掛けてきてくれた最初の…………友達…)
そう思いつつ、その時の事を思いながら目に涙を浮かべる一縷。
自分の中では、分かっていた、確実に分かっていた。母が死んだのは、蘭子のせいじゃないと。蘭子は妖者に操られ、仕方なく母に刃を向けたのだと…本当は分かっていた。でも自分ではどうしようもないこの感情を抑えきれず、何も知らない蘭子にぶつけてしまった…その自責の念に押し潰されそうだった。一縷はその日、蘭子と会話を交わすどころか目を合わせる事も無く、その苦しい気持ちのまま一日を終え、帰宅の途に就いた。
自宅の前、門をくぐり扉に手を伸ばす。いつもであればここを開ければ…いつも母親が台所のドアから顔話出して笑顔で『お帰り』って言ってくれる…いつもだったら…………そう思いながら俯きながら扉を開けた。
『ガラ……ガラガラ…………ガラ…ガラ…』
そして俯いたまま…黙って一歩…土間に入った。
『パタ……パタ…パタ、ガラガラガラガラ!』
「一縷、お帰りなさいっ!」
スリッパでの足音の後、台所の扉が開き母親が顔を出して迎えてくれた。しかし一縷は、その声に返事を返すどころか顔すら上げず、拳をぎゅっと握りしめ、小さく肩を振るわせた。そして顔を上げ母親を睨みつけながら叫んだ!
「何よっ!!馴れ馴れしくしないでっ!あんたはお母さんじゃないっ!!お母さんの振りをしないでよっ!!気持ち悪いっ!!」
思いつく限りの罵声を浴びせると靴を脱ぎ棄て、母親の身体にわざとぶつかりって押しのけ、廊下を走り抜けていった。そして自分の部屋へ飛び込むと鞄を投げ捨て、ベッドにうつ伏せに飛び込み枕に顔を押し付け…
「うわあああああぁぁん!!おかぁぁさぁぁぁぁん!ああああああああっうあっうあっうわああああああああぁぁあんん!!」
今日一日の怒りと悲しみを吐き出すように母を呼びながら力の限り泣き叫んだ……。
つづく……
次回の纏物語は…………
「こんにちは……貴方が神…一縷さん?」
見知らぬ女性が声を掛けてきた。年の頃は母親と同じくらい。髪は肩までのショートカット、体は小柄、白いシャツに青いデニムのパンツ。どこか遠いところから来たのか左手は大きなスーツケースを引いていた。
纏物語『其之玖拾壱話 来訪者』
ご期待ください…




