其之捌拾捌話 消えた火焔の灯火(ともしび)
最近、何処からとも無く視線を感じる時がある…気のせいなのか、起きている時間、かなりの頻度で気配や視線を感じるのである。
例えば…家を出てすぐ道向こうの電柱の後…信号待ちをしている横断歩道の向こう側…友達と歩く渡り廊下の奥……とにかくここ最近、頻繁にそんな気がするのだった。意識してみようとしても何も見えない。
『意識して見る』とは…小さい頃から見えない者が見える一縷は、見えない者を見ようとは思わず見えない振りをしようと考えた。すると自らの意思で意識しなければ見えなく出来るようになった。
ちょっと、ややこしい話になるが簡単に説明すると、要するに見たくない者を無意識に自分の視界に映らなくする事が出来るのである。
今日もクラスメート数人で次の授業のある理科室に向かう途中の事…廊下が十字になる所で再び視線を感じた一縷。立ち止まり右、左、後ろと視線を向ける。
「どうしたの一縷? キョロキョロしちゃってさ」
「あ、う、うん……それがね、最近さぁ…ふと誰かに見られているような気がしてさぁ、でも何処にも誰も居ないんだよねぇ…気のせいかなぁ」
そう言いながらさらにキョロキョロと周りに視線を泳がせる。
「なになに? それって気になる男子からの熱い視線じゃない?! 誰よ、気になる男子はっ?!」
「よっ自意識過剰娘っ!」
「ナルシぃぃ一縷!」
「ははははははっ!」
「ち、ち違うよっ!」
顔を赤らめながら否定する一縷、皆で笑い合いながら足早に教室に向かった。
そして……そう思い始めたその日から、余り遠くない日に…こんな時が来るとは……思ってもいなかった。
【蘭子の乱】
「ごめん蘭! 私、今日掃除当番なんだ、帰りちょっと遅くなるから先に道場に行っててよ!」
「うん、分かった! じゃぁ先に帰って行ってるね、でも何時も一縷が帰ってくるまでお菓子御馳走になりながら待ってるんだけどねっ!」
「ハハッ! 今日は、お菓子じゃなくてケーキが出てくるかもしれないよっ! 今日のお昼に昨日のチラシに載ってたケーキ屋さんに行くって言ってたから!」
「えっ? ホント?! うっわぁぁすっごい楽しみっ! 全部食べちゃっていい?」
「えぇぇぇ? 私の分も残しておいてよっ!」
「冗談冗談! じゃ、私先に行くねっ、一縷も早く来なよっ」
「うん! じゃあね」
そう言いながら手を軽く上げ蘭子と別れ一縷は、掃除用具入れの方へ箒を取りに行った。はやく掃除を終わらせ帰りたい一縷。しかしこんな時に限ってトラブルが起きる、ほんの些細な事で男子と女子が小競り合いを始めてしまったのだ。始まりは一対一だったのだが次第に周りを巻き込み四(女子)対三(男子)にまで拡大した。一縷と数人が間に入り仲裁するが収まる気配がなく仕方なく担任の先生を呼び、ようやく終息した。しかしそのせいで下校が一時間程遅れてしまった、鞄を持ち学校を出る一縷。走っては止まり走っては止まり、急ぎ道場、家を目指す。
「ハァハァ……やばいやばい、帰るのが遅くなってしまった……ハァハァ……流石にもう練習始めてるかな…ハァハァ…ケーキ残ってますようにっ!」
何時もは、三十五分ほどかかる家までの道のりを、結構な距離を走ったおかげで十五分程で到着した。
「ハァハァハァハァ……はぁぁぁぁぁ着いたぁぁぁぁ! もう髪もぐちゃぐちゃになっちゃったぁ!」
と言いながら玄関の戸を勢い良く開け声を掛けた。
『ガラガラガラガラ!!』
「お母さん、蘭ただいまぁぁぁ!!」
「...............」
「あれ? 静かだなぁ……」
返事がない……『もう道場で修練を始めているのかな』そう思いつつ靴を脱いで土間から上がったその時…
『ガッチャァァァァァァァァァンンンッ!!! ドガッガチャン! パリィィン!』
居間の方から凄まじい物音が響いてきた! ただならぬ気配に鞄を投げ出し廊下を走り居間に飛び込んだ! そして目に入った光景、それは、火焔の纏を纏った母、舞と刀を持った田中蘭子が相見えている姿だった。
呆然とする一縷には、この状況を理解するのに十分な時間が必要だった。
(お母さん……なんで燃えてるの?蘭子が持ってるの刀?……あれは玩具……本物? 二人で遊んでるの?これ……夢?私……夢を見てるの?)
色々な言葉が頭の中を瞬時に駆け巡る。
しかし一縷はある物が目に入ると……これは現実だと認識させられた。其れは……二人の足元にあった割れたケーキ皿とコーヒーカップ、そしてぐちゃぐちゃになったケーキと、それが入っていたであろう箱がケーキごと潰れているのを見た時……。
『今、真剣を持った蘭子が母親と目の前で戦っている』
そう認識した。
「蘭子ぉぉぉッ止めてぇぇぇッ!!」
そう叫ぶと、その声に反応した蘭子が『キッ!』っと一縷の方を睨んだ。その顔に有る右目は黄色く輝き、まるで蛇の目の様に眼が縦に割れていた。
すると蘭子は舞いを離れ、目にも止まらぬ速さで一縷目がけて突進してきた、刀を大きく振りかぶり斬りかかるつもりだ。一縷は腰の短刀に手を掛けるが間に合わない、『斬られるっ!』と咄嗟に目を閉じる一縷、その時!
『カッキィィィン!!』
甲高い音が目の前に響く。恐る恐るゆっくり目を開けると目前に舞が立ってその剣を受け止めてくれていた。『ギリッギリリッ……』と鋼と鋼が擦れる音が聞こえてくる。
「一縷っ大丈夫?!」
「あ、あ……あ……あ……は……あ……」
呆然とし返事が出来ない一縷。
「こら!!! いちるっ!! しっかりしなさいっ!!」
「あ……あああ……は……い……はいっ!!」
「いいぃ?! 一縷! 蘭子ちゃんは、何者かに操られているのっ! ここは私がどうにかするから貴方は私が合図をしたら、逃げなさい! 私の事は気にしないでとにかく逃げなさい、いいわねっ!」
「わ、分かった…」
そう言うと舞は、力いっぱい蘭子の刀を振り払い間合いを取った。そして刀を構え唱えた。
「鬼焔斬……陸……たぁぁぁぁぁぁッ!!」
焔の渦が蘭子を包み込む、するとその焔が赤い焔から青白い焔に変わり蘭子の動きが止まりパタッと力なく倒れた。
「行きなさい! 一縷!」
その声と同時に走り出す一縷、そして道場へ向かう出口を開け出ようとしたその時!
『ドスッ!』
何処から飛んできたのか、鈍い音を立て歪な形の剱が手を掛けた扉の横にめり込む様に突き刺さった。その剱に驚き立ち止まった一縷。振り向くと二本目の剱が目前に迫ってきていた。それに気付いた時には、もう手遅れ、避ける事が出来い!(駄目っ!)と目を閉じ肩をすくめると……ふわっと甘い香りが……。目を開けると母親が後ろから自分を抱きしめ、庇ってくれていた。
「お母……さ……ん?」
一縷が呟くと舞は『ニコリ……』とほほ笑んだ。だが、そのほほ笑んだ口元から一筋の血が『ッゥゥゥ……』っと流れ出て床に『ポタッ……ポタッ……』と落ち行き、その顔から見る見る血色が失せていった。そして力なくうつ伏せに倒れる母……その背中には、大きな剱が深々と突き刺さっていた。その剱は、独りでに舞の背中から抜けると廊下の奥の暗闇の中に吸い込まれて行き、そして……その闇の中から何者かがゆっくりと歩み出てきた。その姿は細身で背丈があり、真っ白い袈裟を纏い、顔には猿らしき面を付け表情は見て取れぬ妖しい者だった。
その姿が見えた、と同時に!
「焔爆……壁」
「ボゥワッ……ボボボボボォォォォンッ!!」
舞は仰向けになると最後の力を振り絞り、近づいて来る妖しい者の目前に激しく燃え盛る焔の壁を作り、一縷が逃げる時間稼ぎを図った。
「い……一縷……今のうちに……早く……逃げ…………なさい……」
息も絶え絶えにこの場から逃げるように促す舞、しかし一縷は動こうとせず必死に語り掛ける。
「嫌……嫌よ………お母さん………一緒に…一緒に逃げよう………お母さん………」
舞は微笑みながら一縷の頬に血だらけの手をそっと当て消えそうな声で語った。
「一縷……貴方は、私達の…希望の光……希望の……一縷………生きて……私達の分まで」
そう言いながら力なく手が落ちていき……そして静かに目を閉じた。
「あ……あ………ああ……あ………」
声にならない声を出しながら、まだ暖かい母の手を握り自分の頬に当てる一縷。すると焔の壁の中から妖しい者が焔に包まれながらゆっくりと壁を抜けてくるのが見えた。一縷は、悲しみを振り払って立ち上がり、扉を開けるとその奥の道場の扉を開け、真っ暗な中へ逃げ込み、奥にある神棚の裏に隠れた。
そして暫くすると……
『バァァァン!!』
勢いよく扉が開く音がした後……
『ヒタ………ヒタ………』
冷たい足音が道場の中へ入ってきた。口を両手で抑え吐息さえ押し殺す一縷。足跡が聞こえなくなり、妖しい者が中にいるのか出て行ったのか、分からない状況でどれくらいの時が過ぎたのだろうか。物陰から少し顔を出したその時!
『ドガッ!! バギッバギッバギギッ!!』
凄まじい爆風と共に神棚が粉々に壊され、一縷はその勢いで道場の真ん中まで吹っ飛ばされてしまった。母親が目の前で絶命し、もはや戦意を喪失してしまっている一縷に、妖しい者はゆっくりと歩み寄ってきた。そして手に持った妖しく光る巨大な剱を一縷の目の前に突き出し問うてきた。
「小娘……半刀は何処にある?」
「半刀??」
「知れた事………月下の刀、その半刀……隠すな正直に申せ」
「知らない知らないぃぃぃっ! そんなの知らないっ! お母さんを返してよっ!!」
猿面の妖しい者は、取り乱す一縷に荒ぶる事もなく落ち着いた口調で言い放った。
「そうか…………ならば死ね!」
つづく……




