其之捌拾漆話 蛇眼
【井桁舞】
某県榊市。ここは『第壱章 五珠の御魂と月下の刀』の舞台となった街。
この街は、日ノ本を我が物にせんと画策した、惡の権化であり最恐最悪の鬼『蛇鬼』を祓った古の神守、東城家の子孫、東城舞美の生まれ育った街。
井桁舞は、熊本の人吉商業高校卒業後は夢だった警察官になる為、地元に帰るつもりだった。しかし青井優の影響か、あの戦いの後、叔母の東城舞美が守ったこの街に住みたいと思うようになり、高校卒業後は、榊市の国立大学に入学。そして卒業の年、県の警察試験に見事合格し念願の警察官になった。
それから数年後、同じ県警の同僚と結婚、一女、一縷を儲けるが出産して間もなく、夫は職務中に起きた不慮の事故で命を落としてしまう。その後、夫の『子ども達に剣道の楽しさを教えたい』との意思を継ぐ為、警察を退職、夫の実家である町道場『神武館』で祖父と二人で指導にあたっていた。その祖父も数年前に他界、今では一人でこの道場を切り盛りしている。
【掛かり稽古】
田中蘭子が道場『神武館』に通い始めて三ヶ月が過ぎた。防具はまだ着けてはいないが剣道着は着るようになった。袴は黒上着は白と言うお嬢様(私見)スタイルだ。師範も『強そうに見える!』と蘭子の選択を絶賛した。何より蘭子の剣道センスは抜群だった。覚えも早いし体から醸し出す雰囲気も普通の初心者とは、まったく異なっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして、その日は、初めての防具を付けての修練となった。
「面ぇぇぇぇぇんッ!! 小手ぇぇぇぇぇぇぇッ!! 胴ぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
蘭子の声が道場内に響き渡る。
「うん! 蘭子ちゃんすっごくいいよっ! これならもう防具が着けられる……そうだ! よかったらこの後、ちょっと着けてやってみる?」
「えっ! いいのですか?! お願いしますっ!!」
それを横で聞いていた一縷も、自分を指さしながら師範に問いた。
「えぇ?し、師範、わ、私は?!」
すると呆れた顔をしながらその問いに答える師範。
「あなたはね、いつも言ってるでしょ! 右手に力が入りすぎているのッ! だから何処を打たれてもすっごく痛いっ!! 『ガツン!ガツン!』って首を持っていかれるぐらい痛いのよっ!! そんなんじゃ打たれる蘭子ちゃんが可愛そうよ! 一縷はもう少し修練が必要ですっ!」
「は……はい。すみません……」
和やかな雰囲気の中で休息する三人。そして師範が蘭子に防具を着けるように指示を出す。
「よしっ、じゃぁ始めようか! 一縷、蘭子ちゃんに防具の付け方を教えてあげて」
「分かった! 蘭子こっちに来て!」
そう言って蘭子の手を引き防具が並んでいる倉庫へ行き、蘭子に合うサイズの防具を探した。
「これがいいかなぁぁぁ…うん! いいみたい、これ家紋が鬼の文字になってかっこいいんだ!」
それは、胴の部分が紫色で右胸の所に『鬼』と刺繍が入っている物だった。それをもって道場へ戻るとすでに師範が正座をし防具をつけ始めていた。蘭子も正座をしその後ろから一縷が防具の付け方を教え始めた。
「まずは、垂をつける、後ろから回して真ん中の垂の下で結ぶ。次に胴、紐をこの輪っかに通してこう結ぶ、次は面タオルの付け方ね。こうしてこうして畳んで袋を作り頭に被る、最初はこれでいいよ。そして面をつける、紐をギュッと引っ張る『パンパンッ』とね! 大事なのは、こことここの長さは同じにする事、うん、出来た完璧! 蘭子、着心地はどお?」
「あ…頭がっお…重ぉぉぉぉい…前が見えにくいし動きにくいぃ」
「よし頑張れ、剣道少女!」
「じゃあ蘭子ちゃん、私の前にきて。いい? ゆっくり行くよ、お互いに、礼。そして三歩前に出る、蹲踞をして竹刀を合わせ……立ち上がって……始めっ!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
師範が声を出すと……
「えいやぁぁぁぁぁ!」
蘭子も負けじと声を出す。
「蘭子ちゃん、遠慮はいらないから好きな所を打ち込んできてっ!」
「はいっ!」
びっと構える蘭子、その構えを見て舞がふと思う。
(この子から…何かを感じる…とても違和感。なんだろう?この感じ……)
「いやぁぁぁぁぁ面ぇぇぇんっ!!」
『パァアアァァァァァァンッ!!』
乾いた音が道場内に響き渡る、続けざまに小手に入る。
「小手ぇぇぇぇっ! 胴ぉぉぉっ!」
『パァァァンッ!』
そして引き胴
『バアァァァァンッ!!』
初心者とは思えない動きに、驚くばかりの舞。しかし舞はこの時、竹刀を構える蘭子の変化に気づいていた。
(この違和感、これは…殺気…僅かばかりだけど、この子から殺気を感じる! しかも構えに隙が無くなって打ちもだんだん強くなってきている…)
それ以上に気になったのは……
(それに…それにあの右目。黄色い眼あれは……まるで爬虫類の……蛇、蛇の眼だ)
「ウェヤァァァァァッ!! 面ぇぇぇぇんんっ!!」
打たれる側の舞だったがその剣の鋭さに思わず竹刀を立てその打ちを横へ流した。
『パアァァァァァァァンッ!!』
舞はその剣を受け咄嗟に感じた。
(これは……本気で……斬ろうとする太刀筋……この子!)
そして蘭子が鍔迫り合いに竹刀を持っていくと驚愕の力で舞を押し始めた。
(こ、この力?! やばいっ! 倒されるっ!)
そう感じた舞は、思わず左足に力を入れ、本気で押し返してしまった。するともの凄い力で押し当っていた蘭子の身体から急に力が抜け、押し返されその弾みで後ろにひっくり返ってしまった。
「蘭子ぉっ?!」
「ご、ご免なさい!! 蘭子ちゃん大丈夫?!」
驚きの余り、叫びながら蘭子に駆け寄る二人。
「痛たたたたぁ……ハハハハハッ! 大丈夫、大丈夫!調子に乗っちゃったらこけちゃった! ハハハハハッ!」
そう言いながらゆっくりと立ち上がった蘭子。ほっと胸をなでおろす一縷と舞、ここで一旦竹刀を納め防具を外す事となった。面を外し始める蘭子に、興奮した一縷が手伝いながら問いかけた。
「でも凄かったよ蘭子! あんな『面』が打てるなんてっ! やっぱり剣道部、入った方がいいんじゃないっ?! 足さばきも『本当に初心者?』って感じで上手だったよ!」
一縷のその問いかけに蘭子は、ちょっと浮かない顔をして答えた。
「う、うん…でもね、私……最初の何本かは、覚えているんだ。構えて剣先を相手の目線に合わせて……大きく振りかぶって打突する。でもその後、あんなに速く動いて、あんなに速く竹刀を振ったって……なんか自分の身体じゃない見たいって思って……」
「なぁぁぁに言ってんの?! 自分の身体じゃないって! それだけ蘭子が集中して出来てたって事だよ! 無意識であんな動きが出来るなんて、剣を極めたんじゃないの、宮本武蔵みたいじゃん!」
無邪気な二人の会話を後ろで聞いていた舞。蘭子が発した『自分の身体じゃない』……その言葉と面の奥に見えた右目の『蛇眼』に一抹の不安を感じていた。
つづく……




