其之捌拾弐話 田中蘭子
その日の放課後、帰りの支度をしていると後ろから声をかけられた。
「一縷さぁん! それではよろしくお願いしまぁすっ!」
さっきとは打って変わってとても明るくハキハキした口調、どれが本当の彼女だろうか。
田中蘭子、髪はショートカット、色白で大きな目は、くっきりとした二重、目鼻立ちは均等に揃っていて、よく見れば結構可愛い。身長は一縷と変わらないが彼女の方が多少…ふくよかである。
正門から出て右へ、大通りから住宅街へ入る。学校から道場のある家まで普通に歩いて三十分程…結構距離がある。
「田中…さんの家は? こっちの方向なの?」
「蘭子で良いよっ! うううん、私の家はあっちの方!」
そう言いながら今向かってる方とは逆の方向を指差した。
「家から学校まで三十分位かかるんだよ! 遠くて参っちゃうよぉぉ」
ケラケラと笑って話す蘭子、この子の元の性格は、こんなに明るかったんだと改めて思う一縷。
この短い時間で二人の距離が急速に縮まっようだ。二人は卒業した小学校の事や友達の話など、自己紹介を兼ねるように語り合いながら歩く。
しかし次の角を曲がった、その時…一縷がすっと立ち止まった。視線の先には、一本の電柱が…一縷は、その電柱の根元を凝視していた。
「どうしたの? 一縷…さん?」
急に立ち止まり真顔になった一縷を不思議に思い、問うてくる蘭子。
「あっ…うううん、何でもない!」
(やっばいなぁ…よりによって今、会っちゃうなんてっ…)
一縷の目に見えていた者…それは、妖者…とは言っても下級の妖者、意思を持たない白くて丸い人魂のような妖者。その正体は『悪霊もどき』…東城舞美も神力を身に付けた当初、これには苦労させられた。
悪霊もどきは『清き力』に惹きつけられる性質がある。清き力を持つ者が悪霊もどきの傍に行くとまるで磁石に吸い寄せられる砂鉄のように引かれるのだ、しかも、ものすごい勢いで。
悪霊もどき自体、目標物に当たったと同時にその力により浄化され、泡のように消えてしまう。それ自体の惡氣は大した事はないのだが…まともに当たったら…かなり痛い。東城家の血を引く一縷も舞美や優程ではないが『清き力』が備わっているので例外ではなかった。
(まだこっちに気付いていない…引き返して違う道へ…)
そう考えた一縷は蘭子に声をかけた。
「ねぇ蘭子…さん、ちょっと道を間違え……」
「えっ? どうしたの?」
そう言いながら振り向こうとする蘭子、と同時に悪霊もどきが何の前触れもなく、二人に向かって跳ね飛んできた! その動きは相当速かった!
(ちっ!)
一縷は、振り向く蘭子に合わせ素早く背後に回り込み、向かって来る悪霊もどきを平野藤四郎で一閃、瞬で消し去った。
「なぁにやってるの!? フフッ…変なのっ! それも剣道の動き方なの?」
「そ…そうそう! 相手に気づかれないように背後に回るっていうね、ははは…」
(ふぅぅぅ…危なかった…でも…今の悪霊もどき……蘭子に向かって跳ねた?………気のせい…かな…)
【お父さん】
そして神家の道場兼自宅に到着した。玄関を目の前にして蘭子が緊張した面持ちで呟く。
「きき…緊張するぅぅ……」
「ははっ何言ってんのよ! お母さんはお化けじゃないよっ!」
そう言いながら玄関を開ける。
「『ガラガラガラ』ただいまぁぁぁ!! お母さん!? おかあぁぁさぁぁぁんっ!!」
長い廊下の奥に向かい、大きな声で母を呼び叫ぶ一縷、すると玄関のすぐ横の部屋の扉が『バァアンッ!!』と激しく開き一縷の母、神舞が目を吊り上げ、怒り叫びながら顔を出した。
「うるさぁぁぁいっ!!そんなに叫ばんでも聞こえとぉぉぉ……ぉ……こ、こんにちは……あはは……あは……」
一縷の隣で佇む、怯えた様子の蘭子に気付いた舞は、鬼の形相から一瞬で優しい母の顔に戻った。
それから蘭子は奥にある広い居間に通された。最近の家とは違い、昔ながらの古民家と言う感じで新鮮さを感じていた。物珍しさにキョロキョロと室内を見渡す蘭子。畳から香る干草の香り、高い天井、静かな部屋の中に『コチ……コチ……』とゆっくり時を刻む大きな振り子時計、不思議と心が落ち着いた。
そうしていると、ふと…ぬいぐるみが幾つも置いてある棚の上に目がいった。その中にある色褪せた大きなネコのぬいぐるみの懐に、幼い子どもを抱いた男性の写真が埋もれるように並べてあった。よく見渡すと、キャビネットの中にも…テレビの下にも…そう言えば玄関の靴箱の上にも…目に触れる場所にその男性と幼子との写真が何枚も飾ってあった。
蘭子が、その写真達をじっと見つめているとジュースとケーキをお盆に乗せて持ってきた一縷が隣の台所から『ガラガラ』っとガラス戸を開けて部屋へ入ってきた。
「お待たせ蘭子! 今日丁度お母さんがケーキを買ってきてたんだ、苺のケーキ好きでしょ? ん?…」
蘭子が父の写真を見つめている事に気付いた一縷。
「あっその写真ねっ、私とお父さん! お父さんかっこいいでしょっ!」
そう言いながらお盆からジュースとケーキを蘭子の前に置きながら、父の事を明るく語り始めた。
「お父さん、警察官だったんだ。でも仕事中の事故で死んじゃって…実を言うとね、私は小さかったからお父さんの事余り…と言うか殆ど覚えてないんだ! でもぉ!とっても優しかったっていうのは、なんとなく覚えてる!」
蘭子は、『一縷に話したくない事を話させてしまった』と少し気の毒そうな表情を浮かべ……
「ご、ごめんなさい!一縷…さん……私そう言うつもりで見てたんじゃ……」
と言いながら俯く蘭子に一縷は…。
「なぁぁに謝ってるの? お父さんの事殆ど覚えてないって言ったでしょ! それより、ほらほら! ケーキ食べよっ! 生きている私達は死んだ人の分まで食べなきゃねってお母さんがいつも言ってるんだっ!! それと私も一縷って呼んでよ!」
そう明るく振舞い、ケーキを食べ始める二人。そこへ化粧を直して着替えを済ませた舞が入ってきた。
「蘭子…さんだったかな? ごめんなさい、お待たせしちゃって!」
「ケーキありがとうございます、美味しくいただいています!」
「あらやだっ?! 礼儀正しいっ! 誰かさんとは大違いっ! 育ちが分かるわぁ!」
「……そんな誰かさんを貴方が育てたんですけど……」
ぼそっと呟く一縷を再び鬼の形相で睨む舞が一言。
「なんか言った! 一縷っ!!」
「いい、いいえっ!……何でもありません……ご免…なさい……」
慌てて謝りしゅんとして頭を垂れる一縷。その二人のやり取りにクスッと笑みを浮かべる蘭子だった。しかし、一縷は本当に母親が怖くて頭が上がらない。
「蘭子さん、剣道やりたいんだって?」
「は、はい剣道、習いたいです。でもぉ……塾があって両親がどうしてもそっちを優先しろって言ってて……」
「うん、ご両親が言われている事は、ごもっともよ! 学生は学業を優先しないとねっ! 分かった、塾がない日があるなら、その日に来ればいいからさ、日曜でも土曜でも、朝でも昼でも夜でも! 蘭子ちゃんに合わせてあげるよ」
「蘭子ぉ、何習ってんの?」
「えっとねぇ、普通の学習塾と、ピアノと英語とバレエそれとバイオリンも習ってるかな」
余りの習い事の多さに絶句する神親子、因みに一縷は何も習っていない。
「す……凄いね……蘭子……そんなに習い事やってて、大変じゃない?」
その言葉に蘭子は、あっけらかんと答えた。
「そうかなぁ、普通だと思うけど。私小学校一年生の時からこんな感じだったから何とも思ってないよ!」
「こりゃ『美味しくいただいてます』って言える訳だ……じゃぁさぁ、こういうのはどお? 蘭子ちゃんの都合がいい日と都合のいい時間を一週間のスケジュールを作る! それに合わせて稽古してあげる!」
「えっ? いいんですかっ? やったぁぁ! 私剣道女子になれるように頑張ります、師範よろしくお願いしますっ!!」
そう言いながら深々と頭を下げる蘭子、しかしその時、蘭子に何か違和感を感じたのか、舞が蘭子を真顔でじっと見つめ始めた。頭を上げると目の前の舞が、自分をじっと見つめている事を不思議に思い蘭子は、ゆっくりと舞に問うた。
「あのぉ……師範? どうしたんですか、私の顔になにか…ついてますか?」
「えっ? いやいいや! 何でもない、蘭子ちゃんが余りに可愛いから見とれちゃった! あは、あはあははは…」
そして夕方になり舞が車で家まで送って行く事を提案したが、大通りのバス停留所から蘭子の住むマンションの目の前のバス停留所まで繋がっている事が分かったので二人でバス停まで見送った。バス停に着くと丁度、向こうからバスが近づいてきた。
「よかったね蘭子、これからはバスで来れるじゃん、乗り継ぎなしだし!」
「うん、舞師範これからよろしくお願いします、それからケーキ御馳走様でした! それでは失礼します、じゃぁ一縷また明日!」
そう言い終わると、お辞儀をしてバスに乗り込んだ。一番後ろの席に座った蘭子は、向こうから二人が見えなくなるまで手を振り続けていた。舞はバスを見送り終えた後、佇んだまま話始めた。
「ねぇ一縷…蘭子ちゃん……いい子だね……」
「うん? そうだよ、とってもいい子だよっ!」
「一縷……蘭子ちゃん……何か感じなかった?」
「えっ?…………い、いいや……私は何も感じない……感じないよっ何も感じる訳ないじゃん!」
一縷は、母のその言葉を聞いて今日の出来事……悪霊もどきが自分ではなく蘭子に向かって跳ねた……かもしれないという事を思い出した。
だとしたら……田中蘭子は『清き力』を持っているという事になる、果たして…………。
つづく……




