其之捌拾話 幼子….…その目に映る者
ある日の夕方、母親は台所で夕食の準備をしていた。硝子戸の奥にはテレビが置いてある部屋があった。そこには、年季の入った丸いテーブルがあった。そのテーブルの上でクレヨンを無造作に出してお絵描きをする幼い女の子。母親は味噌汁の味見をしているその時、子どもが呼ぶ声が……
「お母さん! おかあさぁぁん!」
その大きな声にお玉を鍋に返し、急いで娘の元へ駆けつけた。
「何っどうしたの!」
幼子が指さす、其れはテレビの画面、そこに流れていたのは、天皇皇后両陛下が何処かの施設を訪れられている映像だった。
『天皇皇后両陛下は、先日から開催されている……を視察されました……今回のご訪問は……』
幼子は、その画面を指さしながら母親に問うた。
「お母さん、このおじいちゃんとおばあちゃんは誰なの?」
母親は、何事でも無かった事に安堵し『ふうぅぅ……』と一息つき、心を落ち着かせて答えた。
「この方々は、うぅぅん……なんというかなぁ……簡単に言うとぉ……凄く偉い人達よ」
「お仕事はぁ? 何をしているのぉ」
「えっ? あのぉぉ…ねぇ…うぅぅん……そう! この方のお仕事は、しいて言えば日本に住むすべての人達、私達の事を毎日、祈ってくれている方なの!」
「私達の事? 祈るぅ?」
「そう! 私達が幸せでありますようにって! 毎日楽しく幸せに暮らせますようにって、いつも祈ってくださってるの!」
「えぇぇぇっ! じゃぁあ、私が毎日ぃ保育園でいっぱい、いぃぃぃっぱい楽しいのはぁぁ、おじいちゃんがいっぱい、いぃぃぃぃっぱい、祈ってくれているからなんだ?!」
「うん!」
「うわぁぁい! ありがとうおじいちゃぁぁぁん! 祈ってくれてありがぁぁとぉぉぉ! 明日もいっぱい楽しいぞぉぉぉぉ!!」
母親は、幼子の頭に手を当て、髪がくしゃくしゃになるほど撫で、満面の笑みを浮かべながら答えると、幼子は、余ほど嬉しかったのかテレビの前を飛び跳ね始め、お礼の言葉を叫びながら走り周った。
そして再び、画面を指さしながら、母親に問うた。
「ねぇ! じゃぁこの人は、誰?」
そう言って幼子が指差した画面に映るのは……お二人の他に、黒い服を着た男性二人、恐らくSPであろう男の人が二人……動くカメラの中にチラッチラッと写り込むだけだった。
「ああ……黒い服を着た男の人達? この人達はねぇ、おじいちゃんとおばあちゃんの二人を悪い人達から守る為に、遠くから見守ってくれているのよ」
その答えに幼子は首を横に振り、画面を指さしながら聞き返した。
「うううん、違うよ……黒色の服じゃなくて白色の、お母さんが剣道の時に着る服の人だよ!二人のすぐ後ろにいる人! ほらこの人、さっきからずっと居るよ! あれぇぇ、なにこれ?」
そう言って画面を凝視すると……
「ハハハハハ鳥のお面だぁ! コケェェェェコッコッコッ! この人ニワトリだぁぁぁ!! アハッアハハッ!! コォケコッコォォォォ!! ハハハハハッ!」
そう言いながら再びテレビの前を走り回り始めた。しかし明らかに母親には見えていない。このテレビ画面の中に母親が見えていない何かが、この幼子には見えている。
この不思議な力を持った幼子の名は、神一縷そして母親の名は神舞
そう…幼子の母親は、第弐章で青井優と共に惡鬼『黒鬼』と戦った井桁舞である。
古の神守、東城家の血筋である井桁舞の娘、一縷。幼くして現れたその力……それが幸となるのか……不幸となるのか。複雑な心境で我が子を見つめる舞は、燥ぐ我が子の肩を捕まえ、そっと抱き寄せ背中に手をまわしぎゅっと抱きしめる。
「どうしたのお母さん?」
「一縷……」
耳元で娘の名前を呟きながら心の中で必死に願う。
(舞美おばちゃん……どうか……どうか……この子を……一縷を……お守りください、この子は私達の……私達の希望……一縷の……光)
『纏物語 第参章 月姫と月読尊』 幕開




