其之漆拾㭭話 帰還
黒鬼との壮絶な闘いが終わり、美月の父、神酒忠之助も無事に助ける事が出来た。誰もが全ての事が終わった…と感じていた。しかし鬼姫だけは、その警戒を解こうとしなかった。辺りをゆっくりと見渡し、そしてある一点の方向を凝視した。
「どうしたの優?」
鬼姫は、美月のその問いに直ぐには応えず暫く沈黙した後、呟くように声を発した。
「…………皆…………早くここから逃げて………………」
「えっ何?どうしたの優…何かあるの?」
「いいから早くっ!! 出来るだけ遠くへっ! 急いで離れてっ!! 舞! 美月のお父さんをお願い!!」
急に声を荒げここから離れる事を促す鬼姫。
「美月早く! ここから離れよう!」
舞は言われた通りまだ目を覚まさない忠之助を抱き抱え、美月の手を引き急ぎ飛び立った。
残った鬼姫は、刀の柄を握り締め、その気配がする方へ向けて抜刀の構えを取った。
「黒鬼……お前…………まだ」
鬼姫がそう呟き見つめる先にあったものは…地面に刺し立つ折れた半刀…………其れは黒鬼が自ら身体に刺し、我が身に取り込んだ月下の刀…その半刀だった。
其れから湧き立つどす黒い呪氣と醜悪な瘴氣、其の余りにも醜悪な氣に一体の山中に潜むあらゆる魑魅魍魎が半刀に引き寄せられ、それが塊となってみるみる膨らんでゆく。
そしてその呪いの塊、呪塊が膨らみながらグニャグニャと顔の形となった。その顔の半分は黒鬼、半分は鬼姫には見覚えが無い鬼の顔になった。
その連なった顔は怒りとも苦しみとも言えない歪な表情を浮かべながら、おどろしい声で唸りながら喋り始めた。
「ぬぉぉぉぉぉぉぉ……恨めしや東城……舞美……憎っくきや…東城……青井優……鬼……姫…嫗千里…乃守……」
二つの顔が同時に唸る、聞こえてくる声は…黒鬼、そしてもう半分は…東城舞美に祓われた最恐最惡の鬼、蛇鬼の声。
何故、今更蛇鬼の怨念が黒鬼と共に現れたのか……それは邪気を祓った月下の刀…その半刀に染み付いた、僅かばかりの蛇鬼の怨念が黒鬼の邪念に増長された事により邪鬼の怨念を呼び覚ましたのだった。
「舞美おばあちゃんの事を知っている?お前……蛇鬼かっ!」
「おのぉれぇぇ…最早これまでぇぇぇ……ならば死なば諸共…主ら全員……地獄に道連れだあぁぁぁ!! 呪ってやるっ! 呪って呪ってぇぇぇぇ…呪い、苦しめてから殺してやる……六郷諸共全ての人間を呪い殺めてくれるわぁぁぁぁぁ!!」
「ちいぃぃ!」
鬼姫は渦巻く惡氣に向け突っ込みながら抜刀した!
「火焔龍極絶斬!」
抜刀と同時に火焔の龍が現れ激しく渦を巻きながら天に昇る、その渦に辺りの瘴気を取り込み燃やし尽くしながら浄化していく。しかし辺りの呪氣をいくら浄化しても其れを撒き散らしている本体、呪塊を祓わなければ全く意味がない。そうしている間にも呪塊は辺りの魑魅魍魎と惡氣を取り込み、
益々膨れ上がって行く。
焦る鬼姫!
「くっ! いけない、天狗、辨慶、鬼一法眼! 私に力を貸せぇぇ! 円陣斬鋼ぉぉぉッ!」
鬼姫がブワッっと幾人にも分身する!
「絶力亀剛斬!」
鬼姫の分身が呪塊を取り囲み一斉に斬りつける!
がっ!
『バリッバババリッバッチィィィィィィィィンッ!」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
月下の刀が雷撃を受けた様な甲高い音を立てながら跳ね返され、身体ごと後方へふっ飛び、崖の岩斜面に激しく叩きつけられるとそのまま力なく滑落した。
鋼鐵の様に硬い鬼の体をも、紙のように斬り捨てた月下の刀を、斬るどころか呪塊に触れる事さえ許さない、それ程までの凄まじい怨念の塊。
よろけながら立ち上がり、刀を鞘に戻し、再び抜刀術の構えを取りながら見上げる。
「ぐっ!?」
しかしその目に映ったのは…最悪な現実……罅が入り、今にも破裂する寸前まで巨大に膨らんだ呪塊だった。
絶句する鬼姫。
「グワッハァッ! グガァァァァァァ! ハハハハッハッハッハッハッハアァァァァァァァァッ私のっ私のぉぉぉッ勝ちだぁぁぁ青井優ぅぅぅ!! 人間諸共ォォォ死ねぇぇぇぇ!!!」
「い、いけないぃぃッ!」
鬼姫は破裂寸前の呪塊の前に立ちはだかると月下の刀を抜き胸の前で立て、右手で棟を支えた。そして翼を大きく広げ唱える!
「月晃煌鳳翼結界陣!」
鬼姫の体が淡い青色を発しその背にある翼が『ブワサッ!』っと羽ばたきその光を広範囲に広げる、更に月下の刀が破邪の晃を放つ、二つの光は呪塊の前に強力な結界を作った。
『ブワァァァァァァァァァァァァァァァァンンンンンンンッ!!!!』
呪塊が轟音と共に弾け、呪氣が凄まじい勢いで一気に六郷(人吉市)へ向けて放たれる。鬼姫の結界がそれを受け止めた!
しかしその呪力は鬼姫の持つ神氣の力を遥かに凌いでいた!正面からまともに受け止めた鬼姫は、呪氣を抑えきれず押し負け、六郷(人吉市)の街明かりが見える所まで退いてしまった。
「ぐがっ……ぐっ……ぐっ……ぐぐぐっ……ぐぁぁぁぁぁ…………駄目……この呪氣……抑え……きれ……ない……」
『ピシッ……』
そう思っている時、月下の刀から鈍い音が……
「?! か…刀に……罅がっ?!」
恐るべし呪氣、その悍ましい呪いの力で、月下の刀に罅が入ってしまった。
じり…じりと押される鬼姫。この後の展開をどうするか…予測も出来ない、それでも何とか呪氣を抑える事が出来ていた。
しかしその時、呪氣の中からニョロっと黒い蛇、呪蛇が這い出で鬼姫の両肩と両足に喰らいついた。
「きゃぁぁぁぁぁッ痛あぁぁぁいッ!」
大蛇が持つ毒は、負の力を併せ持つ鬼姫には効かない。だが喰らいついた呪蛇の力は、肉を引き千切らんとするほど強力、その想像を絶する痛みに鬼姫は気が遠くなりそうだった。しかし結界を張り続けなければいけない鬼姫に、呪蛇を振り払う手立てはない、只々この痛みに耐えるしか出来なかった。
「ぐっ……ぐっ……駄目……力が……抜けていく……」
そう感じたその時、右腕の腕輪が『カッ!』と光り輝き眼前に四神が現れた。四神達は『グワッ』と大口を開け鬼姫に喰らい付く呪蛇の頭に噛みついた。それでも離れない呪蛇、しかし次第に呪蛇の動きが鈍くなりその身体がしわ枯れ始めた。それと共に、次第に四神達の身体が黒く変色していった。
そして呪蛇が抜け殻のようになり完全に消えてなくなると同時に真っ黒く変色した四神達の身体が…ボロボロと崩れていった。四神が呪蛇が持つ怨念と邪毒を全て己の体に取り込み、その呪命を枯渇させたのだった。
「四神様ぁぁぁぁ!!」
四神達が崩れさる中、優が助けた四神の一つ、白虎が鬼姫に向けて頭を下げ、静かに目を閉じながら逝った……そして…四神が宿っていた腕輪の輝きが失せ、ポロ…ポロ…っと崩れ落ちた。
「うあぁぁぁぁぁ!! 黒鬼ぃぃぃぃッ!! 蛇鬼ぃぃぃぃぃッ!!」
わなわなと震える鬼姫の悲しみと怒りが爆発する!
『キィィィィィィィィィン…………バァワァササササッッ!!』
甲高い金属音と共に頭の二角が『ボッ!』と伸び、鋭い八重歯がさらに鋭く伸びる。そして背中には、新たに左右に伍枚の翼が現れた。
「おおおぉぉぉ!!! ああああぁぁぁぁぁ!!! お前なんかぁぁお前なんかぁぁぁッ! 消えてなくなれえぇぇぇぇ!!! 月下神々晄鬼神滅ぇぇぇつッ!!!」
月下の刀から放たれた蒼き晄が満月の形を成し呪氣を照らす、その神々しい晄に呪氣は見る見る間に蒸発して逝く。
「おおおぉぉぉッ…のぉぉぉれぇぇぇぇ…あ青…井…………優ぅぅぅぅぅぅ……………あおっ!……グ?!ギ、ギャオェアギャォォォォォォァァァァァァァァァァァ!!!!」
凄まじい断末魔を上げ、黒鬼と蛇鬼の顔が呪氣と共に醜く歪みつつ、蒸発して逝った。
すべてが終わり辺りに静寂が訪れた。すると…鬼姫が持つ月下の刀が晄を失い『サラ…サラ…サラ…』と砂のように崩れ、風に乗り空へ昇ってゆく。
そして最後に鬼姫の掌から零れ落ちた砂は、鬼姫の周りをくるりと周り、月夜に向かって舞昇る……まるで別れを告げるように……。
すべてを見届けた鬼姫は、肩を落とし俯いた。眼から出大粒の涙が地上へ落ちてゆく。そして刀を失くしてしまった自分の未熟さに後悔の言葉を発した。
「ごめん…なさい…涼介おじいちゃん…私が……私が未熟なばっかりに……おじいちゃんを……月下の刀を……ごめんなさい…うっうっ…」
すると……肩を震わせながら泣き続ける鬼姫の頭に、誰かが優しく掌を当てる感覚が……。ふと顔を上げると目の前に、淡く光る誰かが立っていた。其れは白いシャツに、紺色のスボン…祖母から写真を見せてもらった事のある、学生服姿の神谷涼介の姿だった。
「涼介……おじい…ちゃん?」
鬼姫が名を呼ぶと涼介は、優しく微笑みながらゆっくり頷いた後、手を振って振り向き歩いて行った。その歩み行く先には、セーラー服姿の女の子が涼介を待っていた。二人は合流すると見つめ合いながら微笑み合い、仲睦まじく光の奥へ歩み行き、次第に消えていった。
「涼介おじいちゃん……あり…がとう…」
そう呟き終わると背中の翼が『フワサッ…』っと音もなく静かに弾け飛んだ、と同時に鬼姫は眠る様に気を失い元の姿に戻りながら、力なく地上へ落ちていった。
「優ぅぅぅ!!」
優の戦いを遠くから見守っていた舞と美月、空中で優をそっと受け止め、地上へゆっくりと降り立った。
【戦い終えて……】
「ゆ………………ゆ…………う………………ゆ…………う……ゆ……う…優……優!」
遠くから聞こえてくる……舞と美月の声。
「舞……美月……あれ…?…私…私……どうしちゃったの?……あれは夢?………」
先の出来事が夢か現実か……それが分からぬ程、疲労し、意識が混乱する優。虚ろな眼差しで天を見つめ、ぼそぼそっと語り始める。
「私ね…とても……とても悲しい夢を見たの……友達を助けられなくて……その子が死にそうになっちゃって………………それから…美月がね……舞を…舞を傷つけようとして……………それからね…私が鬼になっちゃって……皆を……皆を……あの…ね……あ…のね………………うっうっ……うううっ……」
舞はその言葉を遮るように、寝そべったままの優に抱き着き、美月はそっと優の右手を両手で握りしめた。そして二人とも泣きながら優の目を見つめ、語り掛けた。
「優……もう終わった……終わったんだよ……全部……終わったの……」
「うん………だから……安心して家に帰ろう、ねっ優……」
その言葉に………
「舞……美月……うっうっ……うっうっ………………う………うん……」
優は泣きじゃくりながらゆっくりと頷き、返事を返した。そして………
「さぁ!行くよっ!」
舞と美月は、優の肩を支え立ち上がった。
「痛たたたたッ……体中が…痛いんですけど……もっと優しく…お願いします……」
「文句を言わないっ! 行くよっ!」
「はぁぁぁい……あのね……帰ったら二人の奢りで……林檎堂のりんご飴食べたい……」
「はいはい!」
「それと……」
「『それとやたけ茶園の限定シェイク』でしょ!」
「はは……当たり……」
第二章最終話へつづく……




