其之漆拾肆話 白銀の鬼姫
【葛藤】
暗い……真っ暗い……目を開けているのか……閉じているのか……それさえもわかない……真っ暗な空間。その中で優は、一人膝を抱え、蹲り泣いていた。自分が何故、泣いているのかも解らずに……。
「………ひっく…えっ…えっ……ひっくひっく……えっえっ………」
その暗闇の中、何処からともなく聞こえてくる足音……
『ひた……ひた……ひた……ひた……』
まるで冷えた石畳の上を素足で歩くような、冷たい足音が優に近づいてくる。しかし悲しみに暮れる優に……その足音は聞こえていない。
軈てその足音は、優の目の前で止まった。そして暫くの静寂の後……その足音の主が…ゆっくりとした口調で語り掛けてきた。
「優さん……どうして…泣いているの?」
誰だか分からない……人か妖者か……敵か味方か……素性の知れない者の声。それは優しく、優の心に心地よく響いた。しかし、そう感じながらも顔を上げる事が出来ない優は、俯いたまま返事を返した。
「………分からないの……なんで泣いているのか…自分でも、分からないの。すごく、すごく悲しくて涙が止まらないの……悲しくて悲しくて……涙が止まらな……い。……でも解るの、今の私には…私にはもう泣く事しかできないって……何もできないって……それだけは分かるの……ひっく……ひっく…えっ……えええん……」
そう言い切った優。そのせいなのか感情が高ぶり、一層すすり泣く声が大きくなってしまった。
「優さん……そんなに悲しまないでいいんだよ……さぁ顔を上げて……」
その声に促され暗闇の中、俯いたまま少し目を開けると、その視界に仄かに青く光る素足が見えた。優しく不思議な光…ゆっくりと顔を上げる優……すると其処に佇んでいた声の主は……鬼……青白い光に包まれた肌が青い鬼だった。その鬼の表情はとても穏やかであり、手を差し伸べ、優しい眼差しで優を見下ろしていた。
「あ…あなた……は?」
そう問いながら差し伸べた手を握り、ゆっくりと立ち上った優にその鬼が答えた。
「僕は……鬼……蛇鬼の半片…………青…鬼」
「蛇鬼の半片!? じ…じゃぁ……もしかして、舞美おばあちゃんの……舞美おばあちゃんと戦った……そ、あの……神…谷……」
「そう、僕は……神谷涼介と名乗り、舞美さんに近づいた……とても卑怯で、卑劣な……腹黒い……そして邪悪な鬼、蛇鬼の片割れ……」
その青鬼の言葉に優は『キッ』っと鬼を睨み、大きく息を吸い込みそれを一気に吐き出すように強い口調で言い返した。
「違うっ! 涼介おじいちゃんは卑劣な鬼じゃない! 全然腹黒くもないっ! だって、だって私、知ってるもん! 舞美おばあちゃんは、優しいおじいちゃんの事が好きだった、大好きだった! おじいちゃんが鬼って分かってもその気持ちは変わらなかった! おじいちゃんが悪い鬼なら、舞美おばあちゃんが好きになる訳ない! 私知ってる! 知ってるもん! 知ってる……もん……うっ……うっうぅぅぅ……」
自分の事を卑下にした青鬼に優は、腹を立て怒りを顕わにして捲し立てつつ、その胸に飛び込み、顔を埋め啜り泣いた。青鬼は優しく優を抱きしめ頭を撫でながら語り掛ける。
「優……ありがとう……僕の事も『おじいちゃん』って呼んでくれて。赤ん坊の君を抱き、愛おしくあやしてくれたのは……人の心を持つ『神谷涼介』……でも僕も君がさくらさんのお腹にいる時からずっと……見守っていたよ……涼介おじいちゃん、そして舞美さんと一緒に…ね……」
青鬼の胸の中で少し落ち着いた優は、鬼の顔を見上げ不安そうな表情を浮かべながら問うた。
「……涼介おじいちゃん……私……私…………鬼…………になっちゃったの?」
その言葉に青鬼は優の両肩に手を置き、優の目を見つめゆっくり頷いた。
「私…………私………本当は薄々感じていたの。美月が……親友が目の前で鬼弥呼に食べられて………また…また大切な友達を助けてあげられなかった……そう思ってたら、心の奥底から自分でも信じられない位、自分への怒りが湧き出て来て………そしたら突然目の前が真っ暗になって…気が付いたらここに居て………………おじいちゃん!私どうしちゃったのっ!頭の中に、声がずっと聞こえているの!気持ちが悪い、とても気持ちが悪い大きな汚い声が『憎め!憎め!憎め!』って繰り返し繰り返し頭の中に聞こえてくるのっ!その言葉に抗えない!このままじゃ皆をっ!仲間を!友達を!沢山の人を傷付けてしまう!私…どうしたら…うわぁぁぁぁぁぁん!!」
優は再び青鬼の胸に顔を埋め、大きな声で号泣した。青鬼は、自分にしがみ付く優の両肩に手を置きゆっくり引き離し優を見つめながら静かに頷き、優しく言い聞かせた。
「大丈夫だよ……優さん……君には僕……月下の刀……それに舞美さんが付いている。そして…何よりも君の事を想ってくれている…心強い仲間もいる……」
そう言い終わると自分の額を優の額に付けた。すると外の様子が頭の中に、まるで映画を見ているように映し出された。
そこに見えたのは、嫗めぐみを纏った井桁舞と、ボロボロになりながらも自分を元の姿に戻す為に奮闘している神酒美月の姿だった。
「舞……それに……美月……美月だっ!美月がいるっ!…………美月……良かった……美月……」
優の中では、鬼弥呼に喰われてしまっていた神酒美月が、自分の為に戦ってくれている。その姿を見た優は俯き体を震わせ嬉し涙を流した。そしてすっと顔を上げると満面の笑顔で青鬼を見つめ言った。
「涼介おじいちゃん……私、行くねっ、皆が…皆が待ってる!」
その言葉を聞いた青鬼は、安心した笑みを浮かべ、ゆっくり頷き、そして…消えていった。それと同時に辺りは元の一寸先も見えない暗闇に戻った。しかし優はその闇に臆することなく、目を見開き、大きく息を吸いながら手を広げた。
(舞……めぐみさん……美月……今行くからね……)
そして精一杯の拍を……打つ!
『パンッ!!』
『パァァァァァァァァァァァァァ…………………………』
「纏ぇぇん!!」
『ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ…………………………』
闇の中に拍を打った音と優の声が木霊する!
『……………………ヒュゥゥゥ…………ヒュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ…………』
暫くの静寂の後、合わせた両手の甲から黄金の風が吹き出し優の身体を包み込み眩しく輝く。そしてその風が光を伴って暗闇の中に広がると『ピシッピシピシッ…』っと音を立てながら闇の中に縦横無尽に罅が入り始め、それがあっという間に闇の中全体に広がった、そして…
『パリィィィィィィィィィィィィンッ!!!ガッシャァァァァァァァァンッ!』
凄まじい音を立てながら一気に崩れていった。
【回帰】
その頃外界で美月達は、人吉市を焼き払いに向かおうとする鬼姫の周りに美月が結界を張り、足止めをしながら何とかして優を元の姿に戻そうと奮闘していた。
「美月! あんまり無茶しないで! そんなに近づいたらやられちゃう!」
舞の忠告を聞かず、優に早く正気を取り戻して欲しい美月は、形振り構わず近づいて行く。
「優!優!私は大丈夫だから!お願いだから元に戻って優!」
必死に呼びかける美月。優は、自分が鬼弥呼に喰われた事がきっかけとなり、舞美から受け継いだ五珠の裏の力、邪悪な鬼の力が発動した。その自分が無事だった事を伝えればきっと静まってくれる、元に戻ってくれる、そう考えた美月は、優に自分が無事だった事を必死に伝えようとしていた。
しかし凶悪な鬼姫と化した優に、その声が届くはずもなかった。鬼姫は容赦なく鬼剣と化した月下の刀を振り回してきた。絶え間なく繰り出されるその剣技を身軽にかわしていた美月だったがそれも限界に達し、その凄まじい剣圧に負け、防御の陣ごと軽々吹き飛ばされ、地表に叩きつけられた。
「美月ぃぃ!!」
「おおっとぉ……よそ見はいけませんねぇ……」
背後から聞こえたその声に振り向くと、不気味な笑みを浮かべた黒鬼が仁王立ちしていた。そして舞に身構える暇も与えず、右足で蹴り飛ばした。
『ズドッゴッ!!』
「きゃぁぁぁぁぁ!!」
不意打ちを喰らった舞は、美月同様激しく地表に叩きつけられた。
「うっうっ……いったぁぁぁい……か、体が……動かない……な、何で……神氣の息が……続かないぃ……」
「ふんっ、小賢しい。遊びは終わりですよ。貴方達そこで六郷(人吉市)が焼けるのを見てなさい。さぁ鬼姫!お前が持つ真の悪氣を解き放ち六郷を焼き払ってしまえぇぇ!!」
「............」
黒鬼の言葉に応える事無く佇む鬼姫……様子が違っていた……黒鬼は気付いていなかったが、よく見ると鬼姫の目から黒色の涙が溢れ出ていた。
「どうした!?鬼姫さっさとやらんかっ!」
業を煮やした黒鬼は、動こうとしない鬼姫に強い口調で命令する。すると……
「お…おおぉぉ……おおおおおがが!!ががががががぐがぁぁぁぁ!!ががががががぐあぁぁぁぁ!!!!!」
鬼姫は、何かに抗うように髪を振り乱し涙を飛び散らせながら頭を抱え、激しく悶え苦しみ叫び出した!
その絶叫と共に鬼姫の全身に『ピシッ…ピシッシッ…ピシピシピシピシ……』と罅が入り、その罅から眩い光が漏れ出そして……
『カッ…シャァァァァァァン……』
薄い硝子が割れるように乾いた音を立てながら鬼姫の体が崩れ落ち辺りが光に包まれる。その光の中にいる者……風になびく白銀の髪と白銀の纏を纏い、背中には純白の大きな羽を広げ頭には2本の角を生やす。鬼?…いや…違う…鬼ではない、その証拠に透き通るような白い肌からは神氣……溢れんばかりの神氣を醸し出している。そして左の腰には青い氣を発する真月下の刀を挿す。
その者は人ではない、妖者でもない……紛れもなく鬼。そう…その姿はまさに白銀の鬼姫……。
そして鬼姫は左手を前に差し出し、何かを念じるように頭を垂れた。
(舞美おばあちゃん……何処?……お願い……応えて……)
すると舞が倒れているすぐ横の地中から埋もれていた赤い指輪と短刀が現れ、鬼の目前に向かって飛び行った。そして指輪が人差し指に収まり、その手で桜色に輝く短刀『平野藤四郎』を握りしめ、右の腰に挿した。
ゆっくりと目を開ける鬼姫……その瞳は煌びやかな銀色。
「めぐみさん……舞……美月……ただいま…」
三人の名前を呼ぶその声は紛れもなく青井優……優の声だった。
「優っ!」
「優ぅぅぅぅ!」
二人が優の名を叫ぶ!
「な、な、何いぃぃぃ?!そそそんな馬鹿なっ?!」
黒鬼が驚愕の声を上げる!
優は、腰に挿す月下の刀を『シュラッ…』と抜き、刃先で黒鬼を指し示し言い放った。
「諸悪の権化……黒鬼……。お前は……お前は私が祓う……」




