其之陸拾壱話 忘却
『パンッ!』
「桜……纏」
『ヒュゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……………』
緩やかな風が吹き、その風が徐々に渦を巻き始め、それが桜吹雪に変わり優を包み纏いと優の姿を変えてゆく……。
纏と髪が桜色に染まり、右腕の蛇も桜色となって腕に巻き付く。そして…閉じた瞼を開けると瞳も桜色……そして…右腰に有る平野藤四郎に掘られた桜の彫刻に見事な色彩がつき、そこに満開の桜が浮かび上がった。
「桜華の纏……」
優が呟く……
「おおぉぉ……なんと美しい……」
陣の中央に佇む宮司が、優の姿を見入って思わず呟いてしまった。
「名も知れぬ宮司……私の……私の大切な友達を……こんな酷い…酷い目に合わせるなんて…………絶っ対にぃ!許さないっ!」
そう言いながら優は、腰の平野藤四郎に右手を当て、腰を落し、抜刀術の構えを取った。
「ほおぉ……陣を壊しに来るか……しかし!『パンッ!』お前の鈍ら刀ではこの結界は、絶対に壊せはせんぞ……」
宮司が打った拍に合わせ、結界の周りにその地を埋め尽くすほどの凄まじい数の、刀や弓矢を構えた落武者共が地の底より現れた。しかし優は、その光景を目の前にしても、決して臆すること無く言い放った!
「絶対と言う事はっ!絶対にっ!ないっっ!!」
そう言いつつ、落武者の群れに突っ込んでいく優!
「おりゃぁぁぁ!!亡者退散ぁぁぁん!!!桜華一閃!!」
『キィィィィィィィィィィィン!!』
抜刀と共に甲高い金属音が辺りに響き渡り、正面の落武者共が真っ二つに斬られ、桜吹雪となって消え失せた。しかし次々と地から湧き出てくる落武者共。
無数の怨念がこもった鏃が優に向って放たれる。それに目もくれず真っ直ぐ宮司に向かっていく優。
(早くっ早く陣を壊さないと…鈴が……鈴が元の姿に戻れなくなってしまう!早くっ早くぅぅっ!)
『ガギッンンッッッ!!』
優の渾身の抜刀は、陣の結界に止められ傷一つ……つけられなかった……。
その光景を陣の中心で腕を組んで見ていた宮司が言い放つ。
「言ったはずた……お前のその鈍ら刀では、私の結界は絶対に壊せない……と……」
「……れ……い…………れ…………い……れ…い……れい…鈴…鈴鈴鈴…………」
夏木鈴子の名前をつぶやく優の身体から薄朱の神氣が湧き立つ。
「鈴いぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!おぉぉぉぉぉ!!!桜華ぁぁぁぁぁぁぁぁ乱舞ぅぅぅぅぅう!!!」
幾人もの優が現れ、陣を取り囲む!
「円神斬剛ぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
『ガギッガギッガガガガガガガガガガギッガガガガギッガガガガガガガギッガガガガガガガギッガガ!!!!』
分身した優が凄まじい勢いで結界を叩き斬り続ける!
(お願いっ!!壊れてっ!壊れて壊れて壊れて壊れて壊れてぇぇぇぇぇぇぇ!!!)
力の限り、息の続く限り斬り続ける優! そして……
『ピシッ……」
(割れたっ!?)
僅かだが1箇所、結界に亀裂が入る音が聞こえた。すかさず身体を戻し、亀裂の入ったその1点に神氣を集中する。
「鬼一法眼! 私にっっ!!力を貸せぇぇぇっぇぇぇ! 桜華! 絶力亀剛拳! 連激ぃぃ!」
『ドガッドドドドドドドドドガッドドドドッ…ガッシャァァァン!!」
「ばばばっ馬鹿な!?結界師の!結界師の!!私の結界が壊されるなんてっ!そんなのあり得ないぃぃ!!」
「おりゃぁぁぁぁぁッ!!」
『ドガッ!』
「もう一丁ぉぉぉッ!!」
『バカッ!』
「ぐわぁぁぁぉぉぉッ?!」
宮司は、優の右鉄拳と左回し蹴りをまともに喰らい、陣の外へ吹っ飛ばされた。悪の宮司だとしても、日の本を滅ぼす事を目論んでいたとしても、生身の人間を斬る訳にはいかない。
優はすぐさま、平野藤四郎を陣の中心に突き立て、嫗めぐみから伝授された解呪の術を唱えた。
「結・解・破ぁぁぁぁぁ!!」
『ガッシャァァァン』
すると水面に張った薄い氷が割れるように、粉々に陣が崩れた。
優は、急ぎ山肌にぐったりと倒れ込む化け猫の下へ舞い降りた。そして身体を揺さぶりながら声をかけた。
「鈴!鈴ぃぃ!お願い、返事をして!」
化け猫の身体から光の蒸気が立ち昇り、徐々に人の形に戻って行く……そしてその立ち昇った光の蒸気が何か……を形作っていき鈴のお腹の上に舞い降りた。それは……猫…小さな猫だった。
鈴の服上で丸まっていた小さな猫を、そっと手で包み込むと『ミィヤァァァァ……』と小さな声で鳴き、あくびを一つ、するとスースーと寝息を立てて再び寝入った。
すると……優は背後に何かの気配を感じた。後ろを振り向くと橙と朱の着物を纏った女性が微笑ましく佇んでいた。
その女性は、優の前に静かに歩み寄ると一礼をし、両手を差し伸べた。
(この子の飼い主さん?……良かったね、迎えに来てくれて…)
優は、そっと……子猫を女性の手の上へ乗せた。すると女性は再び一礼をし、ゆっくりと東のそらへ昇って行った。
後に優は、この人物が玖月善女だったと言う事を知る。
そして……その光が消え去り、夏木鈴子の元の姿が現れた。
「鈴……ごめんなさい……ごめんなさい……鈴……うっうっ…うっううっ…」
横たわる夏木鈴子の手を握り、涙を流す優……すると鈴が目を開け…優の顔を見ながらゆっくりと口を開いた。
「あれ……ふふっ……優…………何…その髪……凄く…可愛いいんですけど………」
鈴が優の纏った姿を見てそう呟いた。そして虚ろな眼差しで上を見上げ語り始めた。
「私………夢を…見たの……何にも見えない真っ暗闇の中に……私…立ってるの……。とても怖かった……そしたらね、白い子猫が私の傍に来て…………ついておいでって…『ニャァニャァ』って……。私の前を……走っては振り向いて……走っては振り向いて…………明かりが見える方へ……連れて行ってくれたの…………そう……優の声も聞こえたよ……鈴…こっちだよって……」
「ありがとう……私の……大切な……友達……優…………」
最後にそう呟くと鈴は、静かに目を閉じていった。
「れ…い……嫌……嫌よ………れ…い…鈴……」
もうどうする事も出来ない……絶望の余り、声が詰まる優………。
しかしその時………
力なく横たわる鈴の体の中から、白い珠が浮かび上がり、その珠が大きく膨らみ、形が崩れ始め……それが1人の禿た老人になった。
そして、その老人がその手を鈴の身体に翳すと身体中の傷が治癒し、顔に血色が戻り『すぅ…すぅ…』と息を始めた。
「鈴……鈴!!わぁぁぁぁん!鈴ぃぃ!」
泣き叫ぶ優にその老人が語りかける。
「青井優……舞美の力を受け継ぐ者よ……お前のその力……しかと見届けたぞ……優……見事じゃった……」
「あ、貴方は……」
「儂は……白珠……東城彦一郎……優よ女房に……千里乃守に……よろしく伝えておくれ…………」
そう言い残し、空へ昇り行き……そして……消えていった。
宮司に囚われ、化け猫に与えられていたのは、浄化、治癒の力を備える白珠、東城彦一郎だった。もしかしたら、月下の刀は、この事を分かっていて……優に刀を抜かせようとしていたのかも……しれない。
【大切な友達】
そして、化け猫騒動から一カ月程が経った日の放課後……。
「すずぅぅ!ラスト2周!!ファィトォ!!」
「はぁい!」
そこには、学校の陸上トラックを、誰よりも速く駆け抜ける夏木鈴子の姿があった。そしてそれを遠くから見つめる優と嫗めぐみ。
「本当にこれでよかったの……優」
「うん……。鈴は、私が頑張っている姿を見て剣道部に入って来てくれた……そして私の事を大切な友達って言ってくれた……とても嬉しかった。でも……私のせいであんなに……あんなに辛い目に……怖い思いをさせてしまって……私……私……」
俯き涙をぐっとこらえ、声が震える優。
「あの子が辛い思いをしたのは……貴方のせいではないわ……そんなに自分を責めないで……」
「うううん……私にもっと力があったなら……めぐみさんみたいに冷静に状況を見る事が出来たのなら……鈴にあんな思いをさせなくて済んだのにって…………もし……もしあの時、彦一郎さんが居なかったら……最悪な結末になっていた……そう思うと……怖くて溜まらないの……」
「優…………」
「でも、ありがとう!めぐみさん、鈴は私の事、もう友達だって思ってはいないけど、私はっ!…………私は……鈴の事……いつまでも大事な……大切な友達って思っているから……それで……それでいいの!」
優はあの後、嫗めぐみに『化け猫の事と夏木鈴子の中にある自分の記憶を、あの術ですべて消して欲しい』と頼み、その結果、鈴は剣道部に入らず中学校から続けている陸上部に入部し、現在に至っている。
クラスが離れている優と鈴は、全く接点がない。廊下ですれ違っても言葉を交わす事もなければ目を合わせる事もない。優にとって辛い日々がしばらく続いたが『これでよかったのよ』と自分に言い聞かせる。
でも……でもまたいつか……沢山のお菓子を分け合えるような、そんな日が来てくれると……心のどこかで……思っている優だった。
水上村の化け猫編……終




