其之百拾陸話 許されざる者
一縷の泣き叫ぶ声だけが響き渡る真っ白い街並みの。その中に一本だけ影の様にまっ黒い電柱があった。その中から音もなく現れた神面衆の鹿。
鹿は、ひれ伏せ頭をぐしゃぐしゃになった髪を握り締め嗚咽する一縷にゆっくりと歩み寄った。そして上から見下ろし、勝ち誇った口調で語りかけた。
「クックックッ……どうだぁ小娘ぇ……身近な者を其の手で殺めた気分はぁ。辛かろう……悲しかろうぅ……クックック……いいぞぉぉぉ……もっと苦しめ、もっと悲しめぇぇぇ、クックックッ……お前が絶望、苦悩に悶え苦しむこの瞬間こそが我が至高の時となるのだ……。クックックッ……何とも滑稽なその姿。愉快、愉快……何とも愉快だぞ小娘ぇ」
神面衆、鹿。その神力は、神面衆随一の結界使いであった。鹿が作り出す幻術結界は、超絶強力。其れに引き込まれたが最後、鹿の念が潜在意識心の奥底に眠る記憶にまで潜り込み、その記憶を意のままに操られるのだ。操られた者は、自責の念に駆られ発狂死するか……または、見せられた幻の、その罪の重さに耐えきれず自ら命を立つ……の何方か。派手な剣技を使わず相手を殺める結界幻術……何とも恐ろしく残忍極まりない神面衆、鹿。
我が結界の中で作られた幻術は、お前が生きる現実と寸分変わらん。その刀で友を斬った感触も……お前が顔面に浴びた血飛沫もお前にとっては正に現実……そして何人たりとも、ここから抜け出す事は出来ぬ底なし沼……クックック……。もうじきその罪の重さに押しつぶされ、お前は確実に命尽きるのだ……クックックッ……無様に死にゆくお前を見届けた後、こ五月蠅いジジィ共を消し月姫を貰うとしようぞ……クックックッ……」
【一縷の危機】
(一縷ッ!! どうしたんじゃ! こら一縷?!)
(駄目だ、意識がない……それどころか神氣が……一縷の神氣が徐々に弱ってきておる!)
(このままでは、命が……一縷の命が枯渇してしまうぞッ!)
(これは……一縷の御魂が身体から引っこ抜かれたようじゃ……)
(こらッ月姫! どうにかならんのかッ?!)
その問いかけに月姫は、勾玉から外へ出た、そして白目を剝き、天を仰いで立ち竦む一縷の前で語った。
「どうやら妾達は、鹿の術中に落ちてしまったようじゃ。恐らくここは浮き世から遮断された彼奴の結界の中」
(一縷は、どうなっているのだッ?!)
「娘は……精神を鹿に乗っ取られている……彼奴は悪趣味な奴でのぉ、その者が持つ記憶を操りそれはそれは口にするのも憚れる様な残虐非道極まりない夢を見せ、自我が壊れ悶え苦しみながら死に逝く様を見るのを好むと聞いた事がある」
(なな、なんと?! では今、一縷はその『残虐非道な夢』を見せられているとなっ?!)
驚き焦るオジイ達。しかし月姫は、落ち着き払いこう宣った。
「まぁこの程度の結界、妾なら壊すなど、造作もない事……」
「月姫殿ならばッ早っ!!……」
〈早く一縷を助けてやってくれ!!〉
藁にも縋る思いで、オジイ達がそう哀願しようとした。だが、その言葉を遮るように月姫が言い放った。
「しかしっ!…………妾は、神面衆には手出しが出来ぬ身……」
その言葉を聞き、オジイ達は出掛かった言葉を咄嗟にぐっと飲みこんだ。
(ならばこのまま、一縷を見殺しにせよと言うのか……)
(今、目の前で苦しい思いをしているのに何もできないとは……其れは……余りにも……余りにも、酷な話じゃ……)
項垂れるオジイ達。しかし月姫は、不敵な笑みを浮かべながら一縷を見つめ、言い放った
「五人の御魂衆よ……案ずる事はない。この娘は、その内にまだ自らも気付いておらぬ力を秘めておる。そしてその力の源となる者……フフフッ……真に楽しみじゃ、この娘がこの危機にどのように化けるのか……その時お主らにこの娘を抑する事が出来るかのぉ」
(?????)
オジイ達は、この状況の中、月姫が言い放ったことの真意がくみ取れなかった。
【その鬼、酒呑童子】
中々しぶといではないか……常人ならばもうとっくに狂い死にしているはずなんだが……。ふぅ……仕方がない、お前の無様な姿も見飽きた所……さっさと終わらせて月下の刀を頂くとしよう……クックックッ……」
鹿は、腰の脇差を抜き一縷を見定めた。
「クックックッ……これで私は、月姫を手に入れ月読尊を陥れ、遂には闇を統べる王となる。そして天照大御神をも亡き者にし日ノ本の世を統べる王となるのだ! クックックッ……」
そう言いつつ短刀をゆっくり頭上へ振り上げ項垂れる一縷の首元へ振り下ろした……がっ!
『カッキィィィィン……』
甲高い音と共に鹿の短刀が勢いよく上空高く舞い上がりそして後方遠くの地面に突き立った。
「ぐわぁっ?! な、なにぃぃぃ?!」
痺れる右手を抑えながら、鹿が驚きの声をあげる。一縷は俯いたまま新月の刀を振り上げ鹿の短刀を跳ね上げたのだった。そして跳ね除けると同時に、両手で新月の刀を持ち直し地面に勢いよく突き立て大きく手を広げ拍を打った。
『パンッッ!!』
其の拍と同時に突き立てた刀を中心に地面が唸り始め、一縷の身体からどす黒い神氣が立ち上り始めた。
『ゴッ……ゴゴゴッ……ゴッ……ゴォォォォゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォォォォ……ヒュゥゥゥゥォォォォ……ワォォォォォン……オォォォォォン……』
地鳴りが音が始まり、不気味な唸り声と共に、何か得体のしれない黒い影が一縷の周りに集まり始めた。
その黒い影の正体は……魑魅魍魎、悪霊、怨霊、生霊、ありとあらゆる妖者達だった。一縷の放つどす黒い神氣に引き寄せられ集まり始めたのだ。その数は、見る見る増大していく。
そしてこの妖者達は、我先に一縷を喰らおうと互いに争いを始めた。弱い者は強い者に喰われ、その強い者は更に強い者に喰われ、それは悪霊同士の醜く傍若無人な喰らい合いだった。その争いは、あっという間に決着がついた。最後に残ったのは、巨体に鳥のような顔、体は筋肉隆々、太く長い腕は巨石も一握りで砕いてしまう程の力。その妖者は、一縷を見下ろし舌なめずりをすると大口を開け襲い掛かってきた。
とその時、その妖者よりも遥かに強い惡氣を持った黒い影が現れ、二人の間に割って入り襲い来る鳥顔を持つ巨体の妖者を右の拳一撃で粉々にしてしまった。その黒い影は、俯く一縷に歩み寄り、黒い氣となって口の中から体に入り込んでいった。
黒い影を取り込んだ一縷……ゆっくりと立ち上がり顔を上げた。その眼は血の塊のように真っ赤に染まり肌の色も纏も漆黒に染まり口に鋭く真っ白い牙が四本あった。そして……
「ガアァァァァァアアッ!! アァァァァァァッ!! アアアアアアァァアアァァッッ!!」
空気が震えるほどの雄叫びを上げると、『バキッバリッバキバキッ!』っと大木が打ち折られるような音と共に、頭に歪な大きい角が二本、短い歪な角が二本対で並ぶように生え揃った。
「ガオァァァァァァッ!!………………うぅぅぅぅぅ…………」
天を仰ぎ大きな雄たけびを一つ上げると、唸りながら顔を正面に下げ、鹿を睨み言い放つその声は、二人の声が重なり合っている。一人は一縷の声。そしてもう一人は不気味などすの効いた低い声だった。
「我が名は…………酒呑童子…………貴様を祓う者」
(我が名は…………酒呑童子…………貴様を喰らう者)
「酒呑童子だとぉ……? たかが鬼の怨霊如きの分際でぇ……神に仕える……神面衆であるこの私を祓う……だとぉぉ……」
(グハッハッハッ……祓うのではない……喰らうのだ……ググッハッハッ……)
「お前は黙っていろッくそ鬼ッ!!」
一縷の様子がおかしい、一人で誰かと言い争いをしながら藻掻いている。そしている内に息を切らし苦しみながら四つん這いになってしまった。
その様子を冷静に見る鹿。
「どうやら、凶暴な怨霊を集め、その者の力を借り得て私を倒そうと考えたのであろうが……クックックッ……何とも滑稽な……逆にその惡氣に喰われそうではないか……クックックッ浅はかな……所詮は小娘の考える事よのぉ」
そう呟き余裕の笑みを浮かべる鹿。しかしッ!
「!!!!! うおっ?!!」
『ゴギィィィン!! ズサァァァァァッ!!』
四つん這いになって苦しんでいた一縷が突然刀を握り締め鹿めがけて斬りかかってきた。鹿は、驚きながらも咄嗟に結界による盾を作り出しその太刀を防いだがその強力な一撃は、鹿の身体を盾ごと後方へずり下がらせた。しかし、視界でとらえるよりも早く結界盾を張った鹿の能力も相当の者だろう。
「おのれぇ……小娘、小癪なぁぁぁ」
「……新月の……舞……」
そう呟きながら一旦新月の刀を鞘に戻し抜刀の構えを取り、腰を落とし一気に鹿に突っこむ一縷、手にする新月の刀が怪しく光る。
「そのような剣技、私の結界の前では無意味ぃぃ! 防いだ所で今度は、お前を二度と戻る事の出来ぬ黄泉の地獄に落としてやるわッ!!」
鹿は両手を広げ、拍を打つと正面に何層もの強力な結界盾を張った、と同時に背後に何枚もの結界陣を作り出し、一縷を陥れる用意をした。
「ウゥゥゥ……ガアァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!」
『ヴヴゥゥゥゥンッ!! キィィィン!! キンキンキキキキキンキンッ!!』
耳を劈く雄叫びを上げ抜刀する一縷! と同時に大気が唸る音と結界を斬り裂く甲高い音と共に眩い光線が辺りに飛び散った。閃光が結界盾を次々に斬り裂いてゆく!
「おおおおのれぇぇぇっ小娘がァァァ!!」
必死にこらえる鹿、片方の手で結界壁を張り直そうと試みるが、既に一縷が鹿の懐に飛び込んできた!
そして新月の刀を鞘へ戻すと右腰にある短刀、平野藤四郎の鞘へ手を掛けた。
「櫻嘩…………」
そう呟くと、半身を見せた平野藤四郎の刃身から勢いよく桜の花弁が吹き出し、それが最後の一枚となった結界壁の前で渦を巻きながらダンプカーのタイヤ程の球体となった。そして……
「……瓣の手向け……」
『バボバアァアアアアァァァァァァァァンンンッ!!!』
「ぐわあぁぁぁぁぁッ!!!」
一縷が瓣の球体を真っ二つに斬るや否や、それが大暴発を起こした。強烈な暴発は、結界壁を粉々に粉砕し同時に鹿は、火炎に包まれながら吹っ飛ばされた。そして空中を錐揉みしながら飛ばされた鹿の身体が、建物に叩き付けられた!
『ドガッ!! ピシッ…………ピシピシッ……ピシピシピシピシピシッ……ピシシシシシシシシシッ!!』
すると、そこから大きな罅が入り始め、やがてその罅が乾いた音を奏でながら蜘蛛の巣状となって空間全体に広がっていく。そして……
『グワッシャァァァァァァンンンッ!!!』
凄まじい音と共に、結界で囲われた空間が粉々に砕け散った。
つづく……
ご拝読感謝申し上げます。敏のせいか最近涙もろくて困ってます……