其之百拾肆話 兄者の仇
「ちっ……」
母、舞の思いがけない乱入に、鹿は舌打ちをし、一縷達に背中を向けるとその場から立ち去って行った。
「ああぁっ?! お前ぇぇぇっ! 待てぇ! お母さん、気を付けてっ! そいつの剣、もの凄く速いから!」
「分かってる……ありがとう、貴方も気を付けて……」
一縷は、その言葉に頷くと、鹿の後を急ぎ追った。
そして……狼と対峙する舞。半面越しでもわかる位、その目つきは鋭く憎しみに満ちている。じりっ……じりっと滲みよる狼……そして再び体がゆらりと揺らめくと、右の死角を突くように狼の剣が斬りかかってきた!
『シャンッ! キィィィィン……』
其の太刀を何なく受けとめた舞。しかし狼の体がゆらりと揺れると今度は、背後から太刀が振り下ろされてきた。
『キンッ……キン……キン、キン! キンキンキンキンッ! キキキキキキンッ!」
狼の身体がゆらりと揺れる度に電光石火の如く剣が繰り出される。しかしその全てを神楽鈴で受け流す。
「ギリッ……ギリリッ……ぬぅぅぅぅ……小癪な娘めぇぇぇ……ギリリッ……」
狼は、歯ぎしりをしながらそう呟き、腰を落としながらその刀の切っ先を舞へむけるように顔の横へ持って行き、突の構えを取った。舞は、それを迎え撃つべく、神楽鈴を一旦『シャンッ!』と左肩迄振り上げ地面に向けて振り下ろした。すると舞の目前に白い冷気を伴った煙が立ち上り始めた。
「そのような小細工…………私には通用せん。疾鳳刺突牙……」
『キィィィィィィィィィィィィィィィィィィ…………ン……』
甲高い音と共に一筋の閃光が舞めがけて放たれた!
『バリバリリッ!! バシャァァァァァァァァンンン!!』
それは、ほんの一瞬の出来事、その閃光が舞を貫いたと同時に何かを引き裂く音が轟き続けてガラスが割れ飛び散る音が響き渡り辺りが白煙に包まれた。
『ヒュンヒュンッ………………シュゥゥゥ……カチン……』
狼は、二、三回刀を振るとそれを静かに鞘へ納めた。そして顔を上げ、後ろを振り返り言い放った。
「どこまでも小癪な娘よ……わが剣を、こうまで愚弄するとはのぉ……」
白煙の中から現れたのは、四方を氷の鏡に囲まれた舞だ、狼が疾鳳刺突牙で刺突したのは、氷の鏡に映し出された舞の姿の一つだった。
無言のまま佇む舞の周りに『パリ……パリ……パチッ……』と乾いた音と共に白い極小さな閃光が弾け始めた。そして右手に持つ神楽鈴を左肩の前までゆっくりと振り上げ、勢いよく振り下ろした。
『シャンッ!』
すると神楽鈴が手元から光を纏いながら伸び行き白銀に輝く刀に変わった。
「雷撃刀……」
呟く舞。その刀を目の当たりにした狼は、絶句した後、唸りながら問いかけた。
「!…………うぉぉぉ…………む……娘、そ其の剱はぁぁぁ……」
「そうよ……これは、雷神の剱……お前の片割れ『雷神の狼」の力が宿った剱……こんな弱っちくて貧弱な神力でも、貴方の様な弱っちい妖者を祓うには、この貧弱な剱で十分よ」
何故か舞は、狼に見せつけるように剱を見つめながら言い放った、その仕草は、まるでわざと狼を怒りの境地に導くかのようだった……。
「どうしたの? 顔色が悪いわね。私、何かいけない事でも言ったかしら?……」
「がぁぁぁぁっ!! 我が兄者を弱っちいだとぉぉぉ?!! 我が兄者を貧弱だとぉぉぉ?!! おのれぇぇっおのれおのれおのれぇぇぇぇ許さん許さん許さんぞぉぉぉぉ兄者の仇ぃぃぃ今こそっいまこそぉぉぉぉ!!」
怒りに我を忘れ早口で吠え散らかす狼は、全身に血のように真っ赤な旋風を纏い、抜刀術の構えで突っ込んできた。
『ゴイィィィィィンッ!! ブワァオォォンッ!! ドガゴッッッ!!』
「『ドオォォォォォン!!』 ぐはっっ!!」
その一撃は、雷撃刀で受け止めたものの、鉄の塊で殴られたような凄まじい衝撃。その衝撃は、正面で受け止めた舞の身体を軽々と後方へ吹っ飛ばした、そして狼は、飛ばされた舞の後方に瞬で回り込み、追い打ちをかけるように強烈な蹴りを放ち、その体を地面に叩きつけた。
「ごほっ……ごほっごほっ……ぺっ!」
舞は、土煙の中からゆらりと立ち上がり口の中にはった砂を吐き出した。地面に空いた穴が衝撃の凄さを物語っていた。ふらつく舞にゆっくりと歩み寄る狼。その身体に纏う赤風が更に激しさを増し、仮面の下からは、血の涙が止めどなく流れ出ていた。
「お前が……お前こそが我が仇……我が兄の仇っ! ただでは殺さぬ……我っ怒り!恨み!悲しみっ! 思い知るがいいっ! なぶり殺しにして、最後にその身体をズタズタに斬り裂いてやろうぞっ!」
怒りに我を忘れる狼。舞は分かっていた。復讐に駆られ暴走するこの神面衆に一縷は、絶対敵わないと。しかも狼の兄、雷神の狼『羅神』はもうこの世にはいない。今、この状態の狼にこの事実を伝えても結果は同じ、その恨みを晴らすまで暴走は止まらない。例え舞が雷神の狼の、仇ではないと分かってもだ。
だが舞は、疑問に思っていた。この神面衆は『東城家、我が兄の仇』と言っていた。確かに神面衆が言う風神の神『羅神』は、東城舞美の愛犬だった『ラッシー』が獣魂となってこの世に留まり、雷獣と進化し舞美と共に最恐の鬼、蛇鬼と闘いでその命を賭した。しかし誰が、東城舞美が風神の神を祓ったと偽った話を伝え煽っているのか……。
(あの鹿か……)
そう舞は考えた。では、どのようにしてそれを狼に信じ込ませたのか……。
(もしかしたら……鹿には、それが出来る技か術があるのではないか……この狼もその術で操られているのか? だとすれば……一縷が危ない!)
「死ねぇぇぇぇ娘ぇぇぇぇぇ!!」
『パアァァァァァァァァァァァァァァァァンンンッ!』
狼が渾身の一撃を繰り出そうとしたその瞬間、甲高く鋭い落雷音と共に、二人の間に眩く輝く雷壁が聳え立ちよろけながら退く狼の目に映ったのは、青白い雷光を纏った舞の姿、そしてその傍らには、白く煌く巨大な雷獣の姿が……。
『カラァァァン…………』
「あ……兄……者……」
その煌く雷獣を目の当たりにした狼は、刀を落とし力なく呟いた。そして震えながら透明の美しい涙を流し始めた。そして舞は、剱をゆっくりと振り上げ……唱え振り斬った。
「極……雷神斬……」
「パァァァァンッッ!!ヴガァルルルル……ガアァァパパパァァァァン!!」
雷音が二度響き渡った後、雷獣が一筋の閃光となり、狼の身体を一直線に貫いた。その衝撃により狼の身体は、蹴られた鞠のように凄まじい勢いで後ろに飛ばされ地面に叩きつけられた。
「うっ…………うぅぅぅぅぅ…………」
力なく横たわる狼の口から微かな呻き声が聞こえ、その全身から焼けるような煙が立ち昇っていた。
つづく……