其之百捌話 月の晄輝くとき
月晄が榊の街をほんのりと照らす夜。その月夜の空に、緩やかな風に乗り、まるで波間に浮かぶ海月の様に、夜空をふわふわと漂う者の姿があった。長い髪が風に靡き、銀欄の着物に白っぽい帯、体には、玉虫色の長い羽衣を巻きその姿は、昔話に登場する天女の様な姿だった。
その頃、一縷は、榊の東、あの岩隗山の麓、呪木の森でひとり修練をしていた。
(ほれ、下からくるぞ、次は右いや左からじゃ)
(纏うのが遅いぞ!一縷、この間のあれはどうしたっ?!)
「分かんない! 拍を打たずに纏うなんてどうやって出来たのか、私にもわかんないよぉぉぉ……きゃぁぁぁ!!」
修練の為にこの森に来たのだが、呪木には、こっちの都合などそんな事は関係ない。唯々、一縷が放つ清き神氣の力を貧欲に欲して襲い掛かるのみだった。
「緋纏!」
緋珠の纏は、五珠の中でも強力で、その剣技には、劣勢を一撃でひっくり返す程の大技もあった。多勢の相手をする時、広範囲に渡って祓う事が出来る技があった。一縷は、その身に火焔を纏うと山の麓に降り立ち、波のように押し寄せてくる呪木の鞭群の中を中心に向かって斬り進んでいった。
「目指すは、親玉の呪木! 行くよぉぉぉッ!! 火焔爆輪!!」
呪木の鞭に突っこんで行きながら火焔の剱を横一閃で振り抜くと、剱から発せられた火焔が一縷の身体を中心に土星の輪の様な炎輪を生成する、それが高速で回転しながら迫る呪木を薙ぎ払って焼き尽くす。だが斬っても斬っても次々に新しい蔓が生え広がり、次第に薙ぎ払うよりも迫りくる蔓の量が勝ってきた。
「切りがないよっ! それじゃぁ!!」
そう言いつつ立ち止まり、火焔の剱を地面に深々と突き立てた。
「爆っ! 火焔壁っ!!」
『ゴゴゴゴッ………ドドドドドドドオオオォォォォンッ!!!』
轟音と共に凄まじい爆炎が立ち上り、辺り四方の呪木を一瞬にして薙ぎ払ってしまった。
(ううぅぅむ……素晴らしい神氣の力じゃ)
(おぉぉぉ、千里乃守にも匹敵する力かもしれぬなぁ)
「次、行きますっ! 陰ッ!!」
漆黒の纏に身を包み腰にある新月の刀と短刀、平野藤四郎を抜いた。
(ほほおぉぉぉ……二刀とは……この呪木の群れ、それでどうするつもりだ一縷よ)
「まぁ見ててよ、この刀だけで……此奴等を祓って見せる!」
そう言いつつ二刀で構えを取りながら中心に向かって歩き始めた。爆炎で吹き飛ばされた呪木は、一気に伸び茂り、一縷に向かって無数の鞭を伸ばしてきた!
「ヒュンヒュンヒッヒヒヒヒュン……ヒュンヒュンヒュンヒュンヒヒヒヒヒュン……」
常人の目では、捕らえられない程の速い動き、鞭が風を切る音だけが辺りに響く。しかし一縷は、それを物ともせずに前に進みながら確実に斬っていく。しかも三百六十度、あらゆる方向から来る呪木の鞭を振り返る事なく真直ぐ前を見据えたまま確実に祓い斬っている。
(これは見事! まるで体中に目があるみたいだ!)
(見よ、この刀捌き! 儂の目にも速過ぎて見えんぞっ!」
(お前は目が悪いだけじゃろっ! しかし確かに速い、速すぎる太刀筋じゃ!)
そして遂には、森の奥底にある呪木の本木にたどり着き平野藤四郎を振り翳し、舞い踊る……
「櫻嘩……乱舞……」
『シュッ、シャンシャンッ!!』
最後は、平野藤四郎の奥義で呪木を真っ二つに斬った。すると広範囲に生え茂っていた分木が一瞬で枯渇し『パサパサパサ……』と乾いた音を立てながら崩れていった。
しかし斬った……と言っても完全に祓った訳ではない。それと言うのも完全に祓ってしまっては、次の修練に使えなくなってしまうからである。人が立ち入る事が出来ない所に生え茂るこの呪木群は、一縷のいい修練相手でもあった。その証拠に呪木の本木は、一見、真っ白になり崩れているように見えるが、よく見ると『フルフル……』と小刻みに震えながら既に新しい木々が芽吹きだしていた。
『シュルルゥゥゥ……カチン……カチン……』
「ふぅぅぅぅぅ……」
二本の刀を鞘に戻し一息つく一縷。体から発していた惡氣も消え、纏も元に戻った。
(見事よ一縷、裏返った五珠の力を我が物に出来ているようじゃな)
珍しく虎五郎が誉め言葉を掛けた。しかし一縷は、首を横に振りながら困ったような笑みを浮かべ言葉を返した。
「うううん……やっぱり駄目……。だって陰の力を纏うと、どうしてもまだ気持ちが高ぶってしまう……もっと冷静に判断出来たはずなの。今だって二刀なんて使わなくても、もっと楽に祓えたはず……なのにわざわざ二刀を使うなんて、余計な事しちゃったなって、反省してる……」
その言葉に彦三郎が優しく返した。
(一縷よ……そんな事はない。己は、余計な事と思っているが、其の修練が役に立つ時があるやもしれん)
(そう、無駄な事など何一つ無いのだよ、一縷……)
「ありがとう、オジイ達…………じゃあ帰ろっか!」
そう言いながら一縷がその場から飛び立とうとした……その時、異様な気配を感じた一縷、一瞬で身体が硬直し、背筋に冷たい水が溢れ落ちたような感覚に襲われた。立ちすくみ辺りを見渡す一縷。
(なに?……この気配、そしてこの感覚……何かが近づいてくる、それも……とてつもなく大きな何かが……)
(どうした一縷?)
オジイが一縷の様子に問いかけたその時!
「オジイぃ上!! ものすごいのが来るっ!」
上を見上げると青白く光る月を背に、何かが舞い降りてくる、それは、格別大きなものではなく一人の華奢な体の女性が一縷の目の前に舞い降りてきた。その女性は、とても美しく一縷は思わず顔を赤らめて見入ってしまった。そしてその女性は、薄く笑みを浮かべながら優しく語り掛けてきた。
「ふふっ……ふふふふっ……其方……可愛い童よのぉ……ふふっ真、可愛し童。どれ、妾の傍へ近うよれ、可愛いし童よ」
(な、なにこいつ?! 妖者? 『近う寄れ』なんて……バカ殿様かっ!)
「うん?……馬鹿殿とは、なんぞや? 可愛いし童よ」
「うぎゃぁ!? 此奴、私が考えている事が分かるの?!」
「ふふっ……妾は、何でもお見通しよ……童……ふふっ」
(おい一縷! お前誰と喋っておるのじゃ!)
(オジイ! 何言ってんの?! 目の前にいる奴に決まってんじゃない!)
そう言いながら不気味な笑みを浮かべる謎の女、一縷は、月下の刀の柄を握り締め、考えた。
(妖者か? しかしこの人から発せられる妖氣……いや……神氣か? 尋常じゃない程、尋常じゃない。しかもオジイ達にこの人は、見えていない、何故?……落ち着け私、どうする、どうする?!)
すると天女は、刀に手を乗せ抜刀しようとする一縷を目を輝かせながら見つめ、問うてきた。
「童……その腰の物は、月下の刀か? おおっ……感じる、感じるぞ。正に其れこそ妾が探し求めていた月下の刀!」
(此奴の目的は、やはり月下の刀かっ!)
「火焔壁っ!」
一縷は、到底太刀打ち出来ないと悟り、火炎壁で目眩ましを仕掛け、その隙に森の中に逃げ込み、闇夜に紛れ全速力でその場から離れた。
「あんなの相手にしてらんない、逃げるが勝ちよ!」
森を抜け、地上ギリギリを氷上を滑るように駆け飛び、振り返る事もせず家まで一気に飛びきった。庭に降り立ち、纏を解くと大声で叫びながら一目散に母の姿を探した。
「お母さんお母さんぁぁぁん!!お母さんどこぉぉ!!」
すると道場の入り口が開き、剣道着姿の母が向こうから歩み寄ってきた。一縷は、母の元へ走り寄り呼吸を整え、空から舞い降りてきた女の事を話し始めようとした。
「あああのあのああののあのねっ!!そ、そそ空からね!人がね!人人……あのね女の人がねっ!」
慌てふためき、呂律が回らない一縷を静かに窘める舞。
「どうしたの一縷、落ち着いて。ほらこれを飲んで落ち着いて話してごらん」
舞は、そう言って手に持っていたスポーツドリンクが入ったの水筒を一縷に渡した。
「あ、あ、ありがと」
そう言って受け取ると口に持っていきゴクゴクと飲み始めた、その時……
「このお方が其方の母君か……余り似ておらんのうぉ……」
真後ろ、それもすぐ耳元であの女の声がした!
『ブブブブッゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!』
一縷は、驚きの余り口に含んだものを正面の母の顔に目掛けて全部噴き掛けた。
「きゃぁ!! きき汚いっ! 何やってんの一縷っ!!」
「お、お母さん?! ごご御免なさい! まままさかッ?!」
そう言いつつ後ろを振り向くと、あの女が微笑みながら立っていた。
「どうしたのじゃ童? 急に黙って走り出すとは……行くのなら一言、言ってもらわねば困るぞ」
(つ……付いて来てたの? ていうか付いて来れたの、あの速さに……やばい、やばすぎるやばいよぉぉ」
「先程から言っている『やばい』……とはなんぞや? それは旨い物なのか?」
その問いに、ため息を一つ付いて返した。
「はぁぁ……『やばい』とは……貴方の事です……。て言うか、貴方はいったい誰なんですか? どうして私に付き纏うんですかっ?!」
返した問いに、その女は、姿勢を正し、凛として答えた。
「妾は……妾の名は、月姫。月の晄から生まれた者……。月下の刀を持つ者よ……妾を月の日の出が終わるまで妾を守っておくれ……」
つづく……
閲覧感謝感謝。連載1年で300,000文字達成。ここまで続けてこれたのは読者様のお陰、超感謝。そして続けている自分も少しだけ褒めてあげたい。
300,000字突破記念にエピソードタイトルは、壱章の最終話タイトルにしてみました
つばき春花