その7 茉莉花の過去
リビングには雅と桜子とマンチカンがいた。マンチカンは静かに話しだした。
「茉莉花の意識は戻ったけど、まだ朦朧としているみたいだ。しばらくは入院するって。今はお母さんが看てる。今夜は病院に泊まるそうだ」
雅は心配顔で小さく頷いた。
「そう…」
「テレビ局の人が来たのは聞いたけど、何があった?もう少し詳しく知りたいんだけど…」
「うん。今日、帰りに校門を出たらね――」
雅は見たことをそのままマンチカンに話した。
聞き終わると、マンチカンは悲痛な表情で低く言った。
「そうか……。すぐにオレに電話をくれてありがとう」
「マンチカンが呼んだ救急車に同乗したけど、指定した病院の先生って精神科の医者よね。茉莉花、大丈夫なの?」
「まあ、そういうの雅ならわかっちゃうよな。――たぶん大丈夫だとは思う。ただ、オレも医者じゃないから入院がどのぐらいになるとかは正直わからん」
「そう……」
「茉莉花の両親は二人とも社会的に責任ある立場の人達なので、茉莉花にずっとつきっきりってわけにもいかないだろうから、基本オレがついてる事になると思う。お母さんともそういう話になってるし。交代要員としてセバスチャンもよこしてくれるらしいけど」
「そう…」
「だからお前たちはちゃんと学校へ行ってくれ。もちろんお母さんもそうしてくれって言ってる」
「うん…わかった」
桜子が心配顔で訊く。
「ねえ、お見舞いに行かないの?」
雅が事務的に答える。
「今は行かない方がいい。事情をよく知らない人間が行くと、かえって邪魔になる」
桜子がマンチカンに訊く。
「ねえ。茉莉花ちゃん、どうしちゃったの?」
雅は桜子を諭すように言う。
「それは訊いてはダメよ。本人がずっと隠してるみたいだったから」
そこでマンチカンは言った。
「隠してるわけではないと思う。知ってる人は知ってるし。ただ、自分からその話はしたくなかっただけだろうな」
雅はマンチカンに微笑んだ。
「あたしは別に知らなくてもいいよ。だから無理に話さなくてもいい」
マンチカンは首を横に振る。
「いや。ある程度は知っておいてもらった方がいいかもしれない。今日はじめてそう思ったよ。今回みたいな事が今後も起きないとは言えない。一緒に住んでるのに何も知らなきゃ、心配と不安しか無いだろ?それはあまりにもお前たちに負荷をかけすぎだよ」
「でも……」
「お前たちに話した事はオレから茉莉花に言っておく。自分では話せないだけだから、茉莉花も別に怒りゃしないよ。安心しろ」
「……じゃあ」
マンチカンは頷いて話し始めた。
「茉莉花は小学校六年生の時、親友だったクラスメイトの星野沙織ちゃんと一緒に下校途中で誘拐された」
桜子が変な声をあげた。
「えっ?!」
マンチカンは続けた。
「目的は茉莉花の家の金だ。だから茉莉花の家に身代金要求の電話が来た。ただ、その時には既に警察が茉莉花の家に入ってた。誘拐現場が目撃されていたからな」
頷く雅。続けるマンチカン。
「犯人グループはどうやら秘密裏に要求するつもりだったらしいが、計画通りには最初からいっていないわけだ。犯人たちは焦れただろうな。それでも予定通り身代金の要求はされたそうだ。茉莉花の両親はすぐにでも払えるように金を用意した。けれども警察は引き延ばし作戦を取っていた。誘拐に使われた盗難車が見つかって、足取りを掴めそうだったからだ。だけど結局は足取りが掴めず、時間稼ぎをされて業を煮やした犯人グループは最悪の選択をしやがった」
マンチカンの顔が見たことの無い憎しみの表情に変わった。
「茉莉花の親友の沙織ちゃんを殺して死体を返してきた。見せしめのつもりで」
雅と桜子は驚愕し、顔には恐怖が浮き上がった。声も出ない。
マンチカンは悲しげに言った。
「そのあと間もなく茉莉花は救出された。犯人のアジトがわかったからだ。救出された時、もちろん茉莉花は誘拐された恐怖で怯えていたが、すぐには沙織ちゃんの死を知らなかった。別の場所に連れていかれて殺されたんだろうな。でも、いつかはわかってしまう。知った時には半狂乱だったそうだ」
雅と桜子の顔が悲痛に歪む。
マンチカンは二人に訊いた。
「話、大丈夫か?しんどくないか?」
間髪を入れずに桜子が答えた。
「つらいけど、少しでも茉莉花ちゃんの気持ちになりたい。だから話して」
雅も頷いた。
マンチカンは続けた。
「どうやって落ち着かせたのかは知らないけど、しばらくして入院してる病院にオレが呼ばれた。茉莉花が呼んでるって」
雅は首を傾げた。
「どうして?親しかったのかもしれないけど、そんな時に好きな男の子に会いたがるかな?」
首を横に振るマンチカン。
「好きとかじゃないよ。実はオレ、事件に無関係じゃないんだ」
「どういうこと?」
「アジトを見つけたの、オレなんだ」
「え?」
「沙織ちゃんの死体が発見されたっていうニュースを見た日のその夜に、オレの所に沙織ちゃんがやってきた」
息を飲む雅と桜子。
「沙織ちゃんは、ひたすら茉莉花を助けてくれって。だからオレ、必死だったよ。まだオレ、中学三年だったけど、親に気付かれないように家を出て、沙織ちゃんの案内でアジトの空き家にたどり着いたんだ。もちろんすぐに通報したけど、あとでなぜわかったのかを刑事さんに訊かれて、つい本当の事を言っちゃったんだ。今なら上手くごまかすところだけどな」
頷く雅。マンチカンは続けた。
「どうやら、その話が茉莉花に伝わってしまったらしい。茉莉花の呼び出しで病室へ行くと、いきなり訊かれたよ。沙織ちゃんはどこかって。だから言ったんだ。茉莉花を助けられて成仏したんじゃないのかって。そしたらウソだって。一緒に中学へ行く約束をしたんだから成仏なんてするわけないって。沙織ちゃんをすぐに呼んでこいって」
「無茶を言うね」
「オレもそう言ったよ。でも許してくれなかった。沙織ちゃんが来るまでここにいろって。さすがにずっといるわけにはいかないけど、毎日通ったよ。たまに半狂乱になることがあったみたいだけど、オレがいるときは穏やからしくて、茉莉花の両親に信用されてさ。あの人たちとは、そこからの付き合いだな」
「そうだったんだ」
「茉莉花はしばらくは入院してた。半狂乱になるだけじゃなく、突然泣き出したり、怯えたり、吐いたり、眠れなかったり、逆に無表情のまま身じろぎもせずに半日いたり。今回みたいに気を失う事もあったみたい」
雅は思い出した。
「PTSD?」
「診断はそうだけど、茉莉花の引きずってるのは、たぶんそれだけじゃない」
「…………?」
「考えてみろよ。家が金持ちなので茉莉花が狙われるのはわかるだろ?じゃあ沙織ちゃんは?」
「あ…」
「誘拐現場を目撃した人の話だと、沙織ちゃんは茉莉花を助けようとしてたらしい。それで犯人グループは仕方なく一緒に車に押し込んで二人とも連れてったらしい」
「巻き込まれた……?」
「それで見せしめに殺されたんだ。茉莉花はどう思う?」
「まさか…………」
「そう。自分のせいで殺されたって思ってるんだよ」
「茉莉花のせいじゃない」
「そうだよ。悪いのは犯人たちに決まってる。でも茉莉花は自分のせいだと思ってる。自分が友だちじゃなかったら、自分の家が金持ちじゃなかったら、沙織ちゃんは殺されずに済んだのにって」
「いまだにそう思ってるの?」
「ああ」
「それでなのね。自分が幸せになる事を恐がってるのは」
「そのテレビ局の女に高校生活を楽しんでるって指摘されて罪悪感に苛まれたんだろうな。なんなら茉莉花、罰を与えられたがってるぐらいだし」
その時、横から「うえぇ…」と声が聞こえた。雅とマンチカンが振り向くと、大泣きしている桜子がいた。
「ねえ、マンチカン。どうしたら……どうしたら茉莉花ちゃんを助けてあげられるの?」
マンチカンは優しい笑顔を桜子に向けた。
「オレたちに出来る事は少ない。無理に何かをしたところで茉莉花の深い傷がすぐに癒されたりはしない」
泣きながらマンチカンを見る桜子。
「そんな…」
「ただな。オレはお前たちがいてくれただけで茉莉花は凄く変わったと思ってる。友だちは要らないとか、幸せにはならないとか、そんな事はいくらでも言わせておけばいい。あいつが認めようが認めまいが、お前たちは紛れもなく最高の友だちだよ。それにな。幸せなんてなるものじゃない。感じるものだ。オレはあいつがたまにでもいいから笑顔を見せてくれれば、それだけでいい」
「マンヂガ~ン」
桜子は鼻水をたらしながら盛大に泣いた。
マンチカンが病室の窓から外を見ていると、ベッドの方から「う、う~ん…」と声が聞こえた。振り向くと、ベッドの上の茉莉花がゆっくりと目を開いた。
マンチカンはベッドの横の椅子に戻ると言った。
「起きたか?」
茉莉花はボーッとしたまま目だけマンチカンの方へ向けた。
マンチカンは微笑んだ。
「よく寝てたな」
「……」
「今日はオレがずっといるから。欲しい物とかあったら言ってな」
茉莉花はかすれた声で言った。
「……水」
「あ……ちょっと待って」
マンチカンはペットボトルにささったストローを茉莉花の口へ持っていき、咥えさせた。茉莉花は水を吸い込んだが、飲み込むのと同時に少し咳き込んだ。
マンチカンはタオルで茉莉花の口を拭いた。
「大丈夫か?」
茉莉花はタオルを押し退けると呟いた。
「ぬるい」
「あ、ごめん。冷たいの買ってくるよ」
立ち上がろうとしたマンチカンの服を茉莉花はベッドの中から手を伸ばして引っ張った。
「いい……いて」
「……ああ」
マンチカンは再び座り直した。
黙ったままマンチカンの顔を見つめる茉莉花。見つめ返すマンチカン。
しばらく見つめあっていたが、マンチカンは小声で言った。
「お前はいい子だ……何も悪くない」
茉莉花はゆっくりと二回、まばたきをした。
「……じゃあ、頭を撫でて」
「……わかった」
マンチカンは子供の頭にするみたいに優しく、指で髪をとかすように何度も何度も撫でた。
茉莉花は気持ち良さそうに目を細めた。
「……わたしがいいって言うまでやめないでね」
「ああ……わかった」
しばらく黙って頭を撫でられていたが、茉莉花は不意に質問した。
「さおりんはどこ?」
マンチカンは一瞬だけ撫でる手を止めたが、すぐにまた撫でながら答えた。
「ごめん……」
マンチカンの情けない顔を無表情でじっと見つめる茉莉花。しばらくそのまま見つめていたが、ゆっくりと目を閉じた。その目尻はほんの少しだけ涙で濡れていた。
第十一話 おじさまはコーヒーの香り
――終わり――
次回9/12(金)にはおまけの話を投稿する予定です。




