その6 大輝の帰京
放課後、雅は大輝と公園のベンチに並んで座っていた。すぐ近くの道路の路肩には、荷物を積んだ大輝のバイクが停まっている。
雅は言った。
「気をつけて帰ってね」
大輝は頷く。
「ああ…」
「お土産、買った?」
「ああ…」
「何を買ったの?」
「蕎麦とわさび漬け」
「渋いわね。お菓子とか買わなかったの?」
「荷物になるから……。バイクが小さいからな」
「そっか」
大輝は雅の顔を見つめた。
「帰りたくない…」
雅は寂しげな苦笑いをした。
「そんなわけにはいかないでしょ?」
「そうだけど……」
「また東京の生活に戻らなきゃ」
「そうだけど……」
「夏休みの課題はやったの?」
「もう終わってる」
「えらい、えらい」
「えらくはないだろ」
「そういえば、高校は登校日って無いの?」
「ああ、あるよ」
「行かなくてよかったの?」
「先生には休むって言ってある」
「律儀ね」
「別に、ごまかす方が面倒だろ?部活の大会とかで休むやつもいるし…」
「そっか。長野へ旅行に行くからって?」
「長野へ好きな人に会いに行くって…」
雅は赤くなりながらも悲しい顔をした。
「……先生はなんて?」
「頑張れって」
先生が頑張れと言っているなら、大輝は片思いだという事も言っているのだろう。恋人に会いに行くと告げているなら「頑張れ」ではなく「楽しんで」になるはずだ。実にバカ正直である。
けれども雅は、そんな大輝のまっすぐな所を尊いと思った。願わくば、そんなところに気付いて好きになってくれる女子がいてくれればいいなと思う。
――っ……。
その時、雅の胸がチクリと痛んだ。大輝に彼女が出来る事を想像するだけで息が苦しい。ただの幼なじみなら素直に喜んであげなきゃいけないのに……。
大輝が驚きの声をあげた。
「どうした?」
呆けた顔の雅。
「へ…?」
気付けば雅の頬に涙が伝っていた。
雅は慌ててハンカチを取り出して頬に当てた。
「あれ?……おかしいな。寂しくなっちゃったのかな?」
「大丈夫だ。また来るから」
「だから、それは……」
雅はそこで言葉を切った。それ以上は強く言えなくなってしまっている自分がいた。
自分の気持ちを振り払うように雅は首を横に振ってから言った。
「そろそろ行った方がいいよ。明るいうちに碓氷峠は越えた方がいいでしょ?」
「そうなんだけど……もう少し……」
「キリがないよ」
「そうなんだけどさ……」
「無事に家に着いたらLINEして。それだけは心配だから」
「う、うん。わかった…」
二人は道路まで出てきた。
大輝はバイクにまたがると、ヘルメットを被る前に言った。
「来るから……絶対にまた来るから」
雅は微笑んだ。
「わかったから……。気をつけてね」
「あ……ああ…」
ヘルメットを被る大輝。可愛く手を振る雅。
大輝はエンジンをかけると、名残惜しそうに振り向き、意を決して手を振ってからバイクをスタートさせた。
大きく手を振り見送る雅。曲がり角で手を振って、そのまま消えていく大輝。
雅は振っていた手を上げたまま、その場でしばらく大輝の消えた方を見つめていたが、ゆっくりと手を下ろして公園内に戻った。
元いたベンチに座る雅。さっきまで大輝が座っていた所を見つめる。そこにそっと手を伸ばす。ベンチに触れたとき、その手は小刻みに震えだした。
そのあとそこを通りかかった何人かの通行人が見たものは、両手で顔を覆って号泣している少女の姿だった。
雅が大輝を見送りに行っているあいだ、茉莉花と桜子は心霊研究会の部室にいた。そこには他に颯空もいたが、今日はもう一人、恋々菜がいた。もうじき件のチャリティー番組の放送日になるので、あらためてお礼を言いに来たのだ。
「本当にありがとうございました。助けてもらえなかったら、きっと今ごろ戦々恐々としてました」
茉莉花が頷く。
「よかったね。笑顔が自然で明るくなったよ」
「そうですか?」
「うん。――ただ、放送日は何となくテレビ見れないんじゃない?長時間やってるから」
「チャリティー番組のことですか?」
「うん」
「え~?平気ですよ。そもそも、あの番組に自分が出るって事の方が現実味ないですもん」
「そっか。そんなもんか」
「それに、番組内のドラマに推しが出るんです。だから、それは見ますよ。絶対」
「あーそー」
すっかり吹っ切れてしまっている恋々菜に、嬉しさとともに少し複雑な気持ちを覚える茉莉花だった。
夜の雅は思いのほか明るかった。いつもと変わらず夕食を並べ、いつもと変わらず食事をし、いつもと変わらず風呂に入り、いつもと変わらずリビングでくつろいだ。
茉莉花と桜子は大輝の話題を出さないようにしていたが、スマホをいじっていた雅の方から言ってきた。
「いま大輝くん。碓氷峠を越えて高崎の少し手前あたりで休憩中だって。どこでか知らないけど、少し仮眠を取ってからまた走るらしいよ」
茉莉花が答える。
「あ、あ~そう。タフね、大輝くん」
「うん。あたしもそう思う」
「気をつけてねって送ってあげれば?」
「もう送った」
「あ…あーそう」
スマホをいじる雅。
しばらくして、クスッと笑う雅。
「なんかね。蛾だかコウモリだかわからないものが飛んでるんだって。大輝くんが怖がってる」
茉莉花が答える。
「って事は、屋外にいるってことよね。風邪をひかないようにねって送ってあげれば?」
「もう送った」
「そ、そう…」
スマホをいじる雅。
しばらくして、フフッと笑う雅。
「さっき自販機でコーラを買おうとして、間違えて隣のソーダを買っちゃったんだって」
茉莉花が答える。
「どっちでもよくない?」
「そう送った」
「そう…………てかさ、仮眠を取ろうとしてるんじゃないの?ずっとやり取りしてたら寝れなくない?」
「あーそうだった。……も・う・そ・ろ・そ・ろ・ね・な・く・ちゃ・ね。お・や・す・み……送信っと…」
そう送っておきながら、それからしばらくはスマホの画面を見つめ続ける雅だった。
翌日の午前中には、大輝から無事に家へたどり着いた連絡が入った。ほっとしている雅の顔は、けれども明らかに寂しさを浮かべていた。
それに気づいた桜子は、こっそり茉莉花にその事を言うと、茉莉花は柔らかく苦笑いしながら桜子に囁いた。
「毎年の事だけど、しばらく続くよ。あんな感じ。無理に明るくしたり、急に寂しい顔になったり。たまに泣いたんだろうなって気づく事もある。一ヶ月以上も長野にいたのにいなくなったんだもん。しょうがないよ。時間が経てば元に戻っていくから、そっと見守ろ」
頷く桜子。
「うん」
雅はクラスメイトには明るく振る舞っていた。
放課後。茉莉花たち三人は部室に寄らず、すぐに学校を出ることになった。雅の買い出しに付き合うためだ。
買い出しはいつも家の近くのスーパーでしている。三人いると量があっても持ち帰れる。桜子が来る前、中等部の頃まではセバスチャンに頼む事も多かったが、今は思い立った時にわりと自由に買い物が出来ていて、雅はとても助かっている。
校舎を出る前に柳原先輩にばったりと会い、少しからかうような会話をして別れたあと、その事を面白がって大笑いしながら三人は校門を出た。そこで一人の女性が声をかけてきた。
女性は背が高く、体型もスラッとしていた。デザインの凝ったお洒落なスーツに身を包み、きれいに整えられた黒髪のショートカットをしていた。メイクのせいもあるのかもしれないが、目鼻立ちのはっきりとした意思の強そうな顔をしている。年齢は三十代位に見えた。
女性は言った。
「すごく楽しそうね。別人かと思ったわ」
怪訝な顔を向ける茉莉花。
「どちら様?」
にっこり笑って首を傾ける女性。
「憶えてないかな?あたしのこと」
茉莉花は少し考えていたが、首を傾げて言った。
「わからないですね」
女性はフッと笑った。
「先日ね。社内で見かけたのよ。大久保プロデューサーに啖呵を切っているところを。昔と全然違うから、最初はわからなかったわ」
茉莉花にも何となく見えてきた。おそらく恋々菜のためにテレビ局へ行った時の事を言っているのだろう。
嫌な予感がした。
「わたしはあなたに見覚えがありません。買い物があるので行っていいですか?」
「ちょっと待ってよ。せっかく会えたのに。――あなたが啖呵を切ってた日からね。どこかで見たことあるんだよな~ってずっと考えてたのよね。印象が違うからなかなか思い出せなかったけど、やっと思い出してね。当時の資料をたくさん見返したわ。……あなた、桐生茉莉花さんよね」
茉莉花は女性を睨んだ。
「そうですが、それが何か?」
「啖呵を切っている姿を思い返して、あらためて驚いたの。ずいぶんと強くなったみたいね。安心したわ」
「…………」
「これなら大丈夫よね。当時の話を聞かせてほしいの」
「…………」
「恋々菜ちゃん、出演を辞めちゃったでしょ?大久保プロデューサーが嘆いててね。代わりの出演者が見つからないって」
「…………」
「もちろん顔も隠すし、声も変えるわ。恋々菜ちゃんを辞めさせた責任ってわけじゃないんだけど、あなたにチャリティー番組に出てほしいのよ」
「先を急いでるので、これで…」
茉莉花は無表情のまま急いで立ち去ろうとした。それを引き止めるように女性の声は少し大きくなった。
「さっき、大笑いをしてたよね。高校生活をすごく楽しんでるみたいじゃない?」
茉莉花の足が止まった。息が乱れる。
女性はさらに続けた。
「びっくりしちゃった。あたし、下を向いて怯えているあなたの姿しか知らなかったから」
「…………」
「もう四年半ぐらい?それだけ経てば、そりゃ立ち直るよね。今なら色々と思い出して話してくれるでしょ?あの事件のこと」
茉莉花の呼吸が荒くなる。
女性は腰に手を当て、自信満々に言った。
「タイトルも思いついたわ。あの時の女の子は今。親友の分も幸せに生きてます。――どお?いいでしょ」
突然、茉莉花の口から吐瀉物が溢れだした。その直後、茉莉花は白目をむき、膝から崩れて倒れ込んだ。完全に意識を失っていた。
雅と桜子は駆け寄って叫んだ。
「茉莉花ぁー!」
「茉莉花ちゃんっ!」
下校中の周りの生徒たちもざわついて見ていた。
次回「その7 茉莉花の過去」は9/5(金)に投稿する予定です。




