その2 わたしを地獄へ連れてって
食事が終わると茉莉花とマンチカンは車で姨捨サービスエリアへ向かった。
長野インターから上信越自動車道を通り、更埴ジャンクションから長野自動車道へ。しばらく走ると上りの姨捨サービスエリアに到着した。
車を停め、歩いてサービスエリア内にある展望公園へ向かう。その向こうには最高の夜景が広がっているはずだった。
ところが茉莉花は途中で立ち止まり、マンチカンを引き止めた。マンチカンは振り向いた。
「なに?」
茉莉花が前方を指さす。
「あれ…」
「どれ?」
マンチカンは茉莉花の指先の延長線を目で辿った。展望公園の向こう端、夜景がよく見えるからだろう人が集まっている辺りに、マンチカンの視線は止まった。
「ん?あれは霊体か?」
マンチカンの目から見ると明らかに人間らしからぬ違和感を持つ男女の二人組がいる。正確には違和感があるのは男の方だけなのだが、それが二人で親しげにしていればセットで違和感しかない。じっと見つめるマンチカン。そして気がついた。
「わっ。あれって神田さんと耕平くんだよな。何してんだ?」
「何してるって、夜景を見てるんでしょ?デートよ、デート」
「霊が?」
「いや、そもそもアイツら結婚してるから」
「そうだった…」
「アイツらに典型的な霊の常識を当てはめようとしても意味ないよ」
「だな。――どうする?」
「どうするって、鉢合わせなんてまっぴらごめんよ。なに言われるかわかったもんじゃない」
「だよなぁ。別の所へ行くか」
茉莉花は本線の向こうの上の方を指さした。
「下りの方は?」
「いったん麻績インターまで行って、そこで引き返して来なきゃだけどな」
「いいよ。そうしよ」
踵を返して車へ向かう茉莉花とマンチカン。そこで急に茉莉花がマンチカンを横へ引っ張った。
「こっち、こっち」
引っ張られながらマンチカンは訊いた。
「なんだよ」
「いいから早く」
元の道から大きく遠回りする茉莉花。少し行った所で立ち止まって、元の道の方を指さした。
「ほら、あれ」
「どれ?」
「楢崎夫妻」
「え?マジか…………あ、ホントだ」
マンチカンも楢崎夫妻を見つけた。
「何してんだ?四人で」
「ダブルデートでしょ?」
「ダブルデートって、中学生かよ」
「あの二組、仲いいからね」
「まあ、いいけどさ」
「見つからないように早く行こう」
「だな」
茉莉花とマンチカンは気づかれないように車に戻り、急いで出発した。
麻績インターまで行って一度外へ出て、再び麻績インターから高速へ入って下りの姨捨サービスエリアまで戻ってきた。
車を停め、歩いて下りの方の展望公園へ向かう。公園の向こうの端、夜景を楽しむ人たちが集まっている辺りに近づいていく。
すると、わりと近くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「君の前では夜景も霞むよ、3佐」
茉莉花はフリーズした。さすがにマンチカンもすぐに気づいた。後ろ姿ではあったが、そこにいた大きな男性は間違いなくセバスチャンだった。すぐ横にいる小柄な女性は奥さんに違いない。
奥さんは甘えた声で言った。
「嬉しいです、1佐」
セバスチャンは奥さんの肩を抱いた。
「君はわたしのモノだ。心に刻みたまえ、3佐」
「わたしはあなたのモノです。心にも――」
はにかむ奥さん。
「――体にも刻みつけてくださいませ、1佐」
「煽るのはやめたまえ、3佐。わたしの自動小銃が暴発しそうじゃないか」
さらにはにかむ奥さん。
「構いません。お好きなだけ1佐のグレネードランチャーをわたくしの塹壕へ弾着させてくださいませ」
「悪い部下だ。罰として今日は夜間行軍になると覚悟せよ、3佐」
「ありがとうございます。厳しくご指導くださいますようお願い申し上げます、1佐」
そして二人は激しくキスをした。
茉莉花は呆然と見ていたマンチカンを引っ張って、逃げるようにその場を離れた。
茉莉花とマンチカンは車に乗り込んだ。まだ鼓動の治まらない胸を押さえて、茉莉花は言った。
「見ちゃいけないモノを見ちゃった気がする」
「オレも」
「いや、そりゃもうセバスチャン、めちゃくちゃカッコよかったんだけど。お洒落だったし」
「奥さんも可愛いかったぞ。あれで四十代ってホントか?」
「なのに、なに?あの会話」
「エロすぎるだろ」
「比喩表現が余計に大人の淫靡な感じを強調しちゃってんのよね」
マンチカンはいやらしくニヤけた。
「最初もあんな調子で奥さんに寝技に持ち込まれたのかな?セバスチャン」
「こらっ。さっき見たことは忘れなさい」
「けど、次にセバスチャンに会った時に思い出しそうじゃね?」
「やめてよ。わたし、どんな顔をすればいいの?」
「いやらしい顔?」
「ばか」
マンチカンはとりあえずエンジンをかけた。
「それよりどうする?このあと」
「え~?どうする?」
「しょうがないから姨捨駅でも行くか?姨捨サービスエリアは下りにスマートインターの出口があるから、すぐ外に出れるし」
「ホント?じゃあそうしよ」
「了解」
車は出発した。
少し走ったあと坂道を下り、線路沿いの道に出てまっすぐに進むと駅が見えてくる。姨捨駅である。
マンチカンが解説する。
「姨捨駅は日本三大車窓の一つらしいな」
茉莉花が頷く。
「知ってる。夜景百選にも選ばれてるってね」
「そうそう。駅のホームには……」
そこで茉莉花がマンチカンに手をかけた。
「ちょっと止めて!」
マンチカンはブレーキをかけた。
「なんだ、なんだ?」
「あれ…」
停めた車から茉莉花が外を指さした。その先には駅のホームに作られた展望デッキがあり、そこに立っている男女のカップルが向こうの夜景を楽しんでいる。背中しか見えてはいないが、女性の方は浴衣を着ていた。そして、その浴衣は間違いなく雅のものだった。男性の方の後ろ姿も体型や雰囲気から大輝に間違いないだろう。どうやら電車でここまで来たようだ。
茉莉花は呻くように言った。
「ウソでしょ?なんでみんな姨捨に集まって来てんのよ」
マンチカンは苦笑いした。
「まあ、長野で夜景っていうと姨捨ってすぐ思いつくからな。オレたちも同じ発想だったしな」
「そうじゃなくて、なんでみんな今日に限って夜景なのよ」
「夏も終わりに近づいて、センチメンタルなんじゃね?」
「わたしは別に違うからね。季節に関係なく夜景が見たいから」
「あ、そう」
遠くの雅と大輝を見つめる茉莉花。
「でも、どうしよう。あの二人を邪魔したくないし」
少し考えてからマンチカンは提案した。
「さっき途中で通ってきた公園はどうだ?誰もいなかったけど、景色は良さそうだったぞ」
「ホント?」
「ああ」
「じゃあ行ってみよっか」
マンチカンの車はUターンして、来た道を戻った。
マンチカンの車はすぐに公園に着いた。車を停め、外に出る。
誰もいないと思っていたが、車は停まっていたし、どうやら他の人もいるようだ。構わず歩いて行く。
木でできた柵と東屋があるだけの細長い公園だが、夜景は見事だった。
他の人も夜景を見ていた。さすがに今度こそ知り合いはいなかった。
ベンチがあり、茉莉花とマンチカンはそこへ座って夜景を見た。
茉莉花は言った。
「ここ、穴場なのかな」
「かもな。駅とサービスエリアが圧倒的に有名だからね」
「焦ったぁ。サンドリヨンの面々とセバスチャン夫婦と雅たち。偶然にも程がある」
「まあ、カップルの考える事なんて、みんな同じなんだろ?」
「考える事?」
「キレイな夜景を見て、ムードを高めて、イチャイチャしようって感じ?」
茉莉花はマンチカンを小馬鹿にするように見た。
「なに?あんたまさか、わたしとイチャイチャしようと思ってんの?」
「思ってねえよ」
「だって夜景を見たらムードが高まるなんて安易な事を考えてるんでしょ?」
「いや、待て。思い出せ。そもそも姨捨の夜景が見たいって言いだしたの、お前だぞ。下心があるってんなら、お前の方だろ」
「ちょっ……違うから。下心なんて無いから。そもそもカップルでもないし。誤解しないでよね」
マンチカンは卑屈に笑った。
「わかってるって。お前がオレのこと好きになるわけないもんな」
眉間にシワを寄せる茉莉花。
「この前から気になってたんだけど、何きっかけでそう思ってんの?」
「え?違うの?」
「いや……だから、違うとかじゃなくて、いつそう思ったのよ」
「いつって、あの別荘でだけど」
考える茉莉花。
「…………ごめん。わかんない。そう思わせる要素なんて思いつかない。むしろ逆だと思ってたんだけど」
「逆って?」
「えっと…………」
茉莉花は答えるのをしばらくためらっていたが、声を落として言った。
「自暴自棄になってたとはいえ、好きでもない男に裸を晒すとか、ましてや触らせるなんてしないって考えないの?」
「考えたよ。――いや最初は考えなかった。山岸さんにも似たような事してただろ」
「山岸さんは女性じゃない」
「女性だとしても、普通は五体満足な人間が風呂でお手伝いさんに体を洗わせるなんてしないだろ?どこのお姫様だよ」
「だって、ホントに何もやる気が起きなかったんだもん」
「お陰で嫌気がさして山岸さん辞めちゃうから、残されたオレがお前の面倒を一人でみなきゃならなくなったんだろ」
「ちょうど夏休みに入ったところだったんだから、いいじゃない」
「いや、でも、さすがに風呂は一人で入ってくれると思ってたんだよ、こっちは」
「おトイレは一人で入ってたわよ」
苦笑いするマンチカン。
「それ、当たり前。お前、風呂に全く入ろうとしないから、オレが入れるしかないじゃないか」
「役得だと思ったでしょ?」
「思ってねえよ。最初は目をつぶって服を脱がせて風呂場に放り込んでたけど、お前、髪も体も洗わないから途方にくれたんだぞ」
「でも最終的には洗ってくれたじゃない。隅々まで」
渋い顔をするマンチカン。
「お前がそうしろって言うからだろ」
「だってホントにやる気が起きなかったから」
「それだけじゃないだろ?お前、絶対にオレを煽ってたよな」
目を逸らす茉莉花。
「そお?」
「それで、さすがにオレのこと好きなのかもって思ったんだよ。小学生の頃は懐いてたしな」
鬼の首を取ったように自慢げな茉莉花。
「ほら。そう思うでしょ?普通」
「思うよ。オレに体を全て預けて無防備にしてれば、相思相愛なんだって錯覚するよ。元々お前のこと好きだったんだから嬉しかったし」
「嬉しいだけじゃないでしょ?興奮もしてたくせに」
「そりゃするだろ。好きな女の子の体を洗ってるんだから」
「一部、元気だったもんね」
「わ、悪いか。こっちは爆発しそうな気持ちを必死に抑えてたんだからな」
「抑えなくてよかったのに。自分の部屋で毎晩わたしを思い出しながら、おさらいに勤しむぐらいなら」
焦るマンチカン。
「覗いたのか?!」
「覗かなくてもわかるわよ。サルの考える事なんて」
「サルじゃねえし」
茉莉花は自分の体を腕に抱いて、横目でマンチカンを見た。
「てか、ホントにわたしでおさらいしてたんだ。スケベ」
「しょうがないだろ。日に日にお前の煽りもエスカレートするし」
とぼける茉莉花。
「そうだった?」
「オレはてっきり、お前もオレへの好きが溢れてきたのかと思ってたよ。でも違ったんだな。初めから好きでもないオレに抱かれるのが目的だったんだな」
「だから、どうしてそう思うのよ」
「あの日だよ。オレが逃げた前の日だ。お前がはっきり我慢しなくていい、好きにしていいって初めて言葉で誘ってきたあの日。オレは有頂天だった。好きな女の子と結ばれるんだっていう喜びもあったし、最高に興奮してた。ところが、オレがお前を抱きしめた直後に、お前は耳元で言ったんだ。――『わたしを地獄へ連れてって』って」
「…………」
思い出して涙目になるマンチカン。
「その瞬間にいっぺんに悟ったよ。目が覚めた。お前はオレの事を好きなんかじゃなかったんだって思い知った」
茉莉花は眉間にシワを寄せながらも、悲しい顔をした。
「なんでそうなるの?」
マンチカンの目から涙がこぼれた。
「なんでって…………オレに抱かれる事は地獄なんだろ?オレのこと嫌いって事じゃねえか」
「あ……」
「お前はただ、自分に罰を与えたかっただけなんだ。嫌いな男に抱かれる事で、罪悪感を上回る苦痛を味わおうとしてただけなんだ。そうなんだろ?」
「…………」
茉莉花は口を開けたまま、しばらく動けなかった。
マンチカンは涙を拭って少し笑った。
「見くびるなよ。好きな女の子に苦しみなんて与えてたまるもんか」
マンチカンは寂しそうに夜景の方へ視線を戻した。
次回「その3 女性一選」は8/8(金)に投稿する予定です。




