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逝かせてあげる♡  作者: 如月るん
第二話 愛しのジョージ
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その1 オフィスビルの霊

 警備員の男がドアを開けると、他には誰もいない静かなオフィスで無心にパソコンのキーボードを叩くスーツ姿の男がいた。

 警備員が声をかける。


「まだいらしたんですね。たちばなさん」


 橘と呼ばれた男は手を止め、顔を上げた。


「あ…ごめん。あしたプレゼンなんだ」


「大変ですね」


「あと少しで終わるから」


「それは構いませんが、お帰りは西側のエレベーターから降りてくださいね」


「え?遠回りだろ、それじゃ」


「あれ?ご存知ありませんか?東側は夜になると出るって……」


 橘は吹き出した。


「あー、知ってるよ。髪の長い女の幽霊だろ?」


「はい……」


「いやいやいやいや。高田さん、そんなの信じてるの?」


「信じてるというか…………見ましたから」


 高田と呼ばれた警備員は真剣な表情をしている。

 橘は笑いをこらえた。


「わぁかった。わかったから。すぐ帰るって。片付けの時間ぐらいはちょうだいよ」


「急かしたわけではないのですが…」


「わかってる。あとは明日でも間に合うし、今日はもう帰って寝るよ」


「お帰りは西側からですよ」


「はいはい」


 その返事を聞くと高田は去っていった。


 橘はパソコンをシャットダウンして机の周りを簡単に片付けると、オフィスの照明を消して廊下に出た。

 廊下は静寂に包まれ、照明がついているのに不気味な雰囲気を醸し出している。


 ――ま、いい大人が噂を真に受けて遠回りして帰るなんて、そんなカッコ悪いこと出来ないだろ。


 橘はためらいなく、近い東側のエレベーターへ向かった。


 5階の廊下でエレベーターが上がってくるのを待っていると、橘の視界の左隅に影のようなものが通り過ぎた。そちらを振り向く。

 視線の先には、ただ廊下があるだけ。何かがいる気配など無い。


 ――ずっとパソコンとにらめっこしてたんだ。そりゃ目も疲れるよな。


 目をこすりながら何気なく右の方を見る。反対側も廊下は続いていたが、先の方に白い影が見えた。

 さらに目をこすってよく見ると、それは女に間違いなかった。髪は長い。


 ――まだ他に誰か残ってたのか?


 もちろん、その可能性もあった。しかし、それが生きた人でないのはすぐにわかった。

 生きた人では考えられない動きをしている。進んでいるのに歩いていない。直立した姿勢のまま、こちらへ向かって滑るように進んでくる。


「ひっ」


 橘は慌てた。エレベーターのボタンを連打する。

 髪の長い女は、まっすぐこちらへ進んでくる。

 トリックではなく、はっきりと幽霊であることを確信できる距離まで女が近づいたところで、エレベーターは到着した。

 橘は完全に扉が開くのを待たずに滑り込むように乗ると、今度は閉じるのボタンを連打した。ついでに反対の手で1階のボタンも押す。

 女が迫っている。エレベーターの扉はゆっくりにしか動かない。

 さらにボタンを連打する橘。

 女はエレベーターにまっすぐ向かってくる。

 顔にかかっていた髪が揺れて目がのぞく。落ちくぼんだ目は怨めしそうに橘を見据えている。


 ――間に合わない!


 だが間一髪、女の目の前で扉は閉じた。エレベーターが下がっていく。

 橘は大きく息を吐き、壁にもたれかかった。


 ――何だったんだ、あれは…。


 壁の階数表示の数字が一つずつ減っていく。――4――3――2――そこでいきなりエレベーターは停止した。扉も開かない。

 橘は1階のボタンを連打した。反応は無い。


 ――くそっ。


 その時、小さく女性の笑い声が聞こえた。


『ウフフフフッ…』


 橘は声の方向――上をゆっくりと見上げた。

 そこには天井を背負うように女が下向きに張りついていた。


「うわあああああああっ!!」


 橘は叫んだ。





 テレビ画面の中の橘が叫ぶのと同時に悲鳴をあげたのは桜子だった。自分の頭を両手で抱えて下を向き、目をかたくつぶっている。

 それに対して茉莉花は笑い転げていた。


「ぶぁはははぁー!あんな霊、いないってー!なんの意味があって天井に張りついてんのよー。なんだあれ、クモか?ウケるー」


 雅は黙って映画の続きを見ている。それをチラリと横目で見る桜子。


「雅ちゃん、怖くないのぉ~?」


 画面から目を離さずに顔だけ少し桜子へ向けて答える雅。


「あたし、どちらかと言うと茉莉花に近い感想なのよね」


 桜子は茉莉花をチラリと見た。

 茉莉花はまだドタバタと笑い転げている。


「白いー。顔が白いー。美白にもほどがあんでしょー。舞妓はんか?ぎゃははっ」


 映画は場面が変わって翌朝のオフィス、橘が行方不明になり騒ぎが起きているところだった。

 雅は画面から目を離して桜子に訊いた。


「なんでそんなに怖いの?茉莉花の言う通り天井に張りついてるのも顔が真っ白なのも不自然でしょ?」


「不自然だから怖いんじゃない」


「ん?どういうこと?」


「だって、怖がらせようとしてるじゃない」


「まあ、そういう映画だから」


「怖がらせられたら怖いじゃない」


「……ん?もう一回、言って?」


 茉莉花が桜子の頭を抱き寄せて、代わりに解説する。


「つまり、いい観客ってことよ。純粋に悪意を向けられる事に恐怖を感じるんでしょ」


 雅も思い当たる。


「あー、鈴代荘の初日に逃げ出したものね」


「逆に普段見る霊は桜子には日常なのよ」


 そこで茉莉花は再び笑いだし、桜子の頭を撫でくりながら付け加える。


「この子、ショッピングモールで通りすがりの霊とぶつかりそうになってスミマセンって謝ったのよ」


 桜子が恥ずかしそうに茉莉花を見上げた。


「うそ。どこで?」


「ほらね、全く気づいてないの。エスカレーターを逆走してくるヤツなんてたいがい不自然だけど、それでもこの子、普通の人のようによけたのよ」


 雅は腑に落ちて桜子の顔を見た。


「あーなるほどねー」


 その時、玄関のドアを開けようとする音がガチャガチャと響いた。桜子はビクリとしたが、茉莉花と雅は表情も変えない。

 その直後、インターホンがけたたましく連打された。

 雅が黙って立ち上がり、茉莉花は舌打ちをした。



 リビングのソファに茉莉花と桜子、そしてマンチカンが座っている。雅も4人分のコーヒーを並べてから座った。

 茉莉花が忌々しげに言った。


「マンチカンごときにお茶なんぞ出さなくていいよ、雅」


 マンチカンは小指を立ててコーヒーの香りを楽しみながら言った。


「ごときは無いだろ。新しい仕事を持ってきたのに」


「ごときって言われたくなかったら、もっと紳士になったらどうなのよ。女の子だけの家のドアをいきなり開けようとするとか、どんだけ粗暴よ」


「なに言ってるの。オレたち家族みたいなものじゃん」


「あんたを家族だと思った事なんて一度も無いわ。わたしたちが下着姿の時に入ってきたりしたらボコるよ」


「えー?お前は別によくね?さんざん見せられたし」


「ば……誤解をまねくようなこと言うなよ、このチカン野郎」


 茉莉花は焦って桜子と雅に訴えた。


「違うからね。わたしが病気療養してた時にバイトで世話係をさせてただけなんだからね」


 桜子と雅は顔を見合わせ、同じことを思った。


 ――世話係だって、男性に下着姿を見せるのはちょっと…。女性を雇えばよかったのでは?


 そう思われている事に茉莉花もなんとなく気づいたのか、付け加えた。


「それに、子供の頃の話だから。もう時効だから」


 そして話題を変えるべく、茉莉花はマンチカンを急き立てた。


「んで?仕事の話を持ってきたんでしょ?余計な話なんてしてんじゃないわよ」


「余計な話をし始めたのはお前だろ」


 小声で不満をもらしながら、マンチカンはカバンからタブレットを出した。写真を表示させて茉莉花の前に置く。


「このオフィスビルの5階に入ってる会社の依頼だよ」


 すぐに桜子が反応した。


「オフィスビル!?」


 先ほどの映画の余韻が桜子にはまだ残っていた。

 急に出した大きな声に全員で桜子を見たが、少しの間のあと何事も無かったように話を続けた。

 茉莉花が訊く。


「近いの?ここ」


 マンチカンが親指で自分の後ろを示す。


「車で10分ぐらいだな」


「あんたの運転で10分ならセバスチャンの運転で5分ね」


 マンチカンがしかめっ面をする。


「セバスチャンでも10分は10分だよ」


 雅が茉莉花とマンチカンに静かにツッコミを入れる。


「早く本題に入らない?」


 マンチカンは苦笑いしながらタブレットを取った。


「ちょっと待って」


 タブレットを茉莉花のほうへ向けて操作しながら、マンチカンは続けた。


「依頼主は株式会社クリエイト・ニューエポックっていう置き型のコーヒーサーバーとか、なんとか水のウォーターサーバーとか、なんちゃら塩素水加湿器とかよくわからん物を売る企業の支店だ」


 茉莉花がそれに応える。


「あやしい企業ね」


 雅がツッコミを入れる。


「失礼よ」


 マンチカンは続ける。


「この企業、5階のワンフロアを借りきっている」


 茉莉花が頷く。


「じゃあ気がねなく仕事できるわね」


「そうなんだが、いくつか問題がある」


「なに?」


「まず昼間は事務方の人ばかりなんだけど、社員の多くは外回りの営業員なので夜になると帰ってきて人の出入りが激しくなる。場合によっては夜中まで人がいる。でも霊は昼間は出ない。夜に出入りしてる人の目撃ばかりだ」


「人が多いと浄霊に邪魔ね。休みの日は?」


「それが、休みの曜日は決まってない。社員ごとに違うし、営業先の都合優先で変動するから、いつ行けば人がいないとかがわからない。真夜中過ぎならいなくなるかもしれないが」


「いやよ。美容に悪いじゃない」


「あ、そ。まあ、幽霊騒ぎのおかげで夜に顔を出す人が減ってるとは聞いてるけどな」


 そこで桜子がおそるおそる言った。


「あの…少しぐらい人がいても浄霊は出来るよ。全く見えない人にはあやしい儀式に映るみたいだけど」


 マンチカンが頷く。


「場合によっては、そうするしかないな」


 桜子は遠慮がちに切り出した。


「それよりも……霊の話を早く聞きたいんだけど…」


「ああ、悪い。問題ってのはそっちにもあってな、どうもその会社の関係者ではなさそうなんだ」


 茉莉花が訊ねる。


「顔に見覚えが無いとか?」


「それもそうだけど……その会社、今年の3月おわりに入居したばかりなんだが、最初から霊はいたそうなんだ。苦情のつもりでビルの管理会社へ問い合わせてみたけど、鼻で笑われて一蹴されたらしい」


「でしょうね」


「その霊が5階フロアに前に入ってた企業の関係者かはわからないけど、ビルの管理会社にはオレも連絡してみた。そしたら、その企業の名前だけはわかったよ。株式会社ドクターエレクトリックとかいう治療機器メーカーだ。その長野支社として使われてたみたいだ」


「その企業の移転先は調べた?」


「それが県内には見当たらないんだ。仕方なく、このビルの上と下の階の会社の人に聞き込んだら、支社長と仲良くしてた人がいてな、世間話程度だけど情報を持ってた」


「なんて?」


「支社は県内からは撤退したんだと。支社長は今、東京の新宿本社のどこかの部署の部長をやっているらしい。花咲はなさきさんて名前だけはわかった」


「そんで?」


「ネットで会社の場所と電話番号はわかったんで連絡をとってみた。最初は怪しまれたけど、花咲部長に支社の忘れ物の件でって言ったら繋いでくれて、話せたよ」


「で?」


「ちょっと危険かと思ったけど、ダイレクトに死人の話をしてみたら思い当たるフシがあったみたいで、東京で会ってくれることになってな」


「行ってきたの?」


「まだだよ」


「なんでだよ。とっとと行けよ」


「桜子が一緒に行きたいかと思って訊きにきたんだろ」


 桜子は間髪をいれずに答えた。


「行きたい!」


「ほらみろ。週末でいいよな」


 茉莉花が頷く。


「いいけど、その前に現場を見とこうよ。部長さんに質問するにしても、具体的にどんな霊か知っときたいじゃない」


「そりゃ構わんけど…」


「それに、その場で浄霊できちゃったら東京へ行く必要も無くなるしね」


「なら、今から行くか?」


「イヤよ。今日はヤル気スイッチ、もう切ってるし。あした、あした」


「ヤル気スイッチなんてあったのかよ。使ってるの見たことないな」


「おう、なんだ?ケンカ売ってんなら買ってやんよ」


 茉莉花はボクサーのように拳を構えたが、あまり様になっていない。



 マンチカンが帰ったあと、桜子は雅に訊いてみた。


「茉莉花ちゃんとマンチカンって仲が悪いの?ずっとケンカごしだけど」


 雅は微笑んだ。


「気にしなくていいわよ。ただのツンデレだから」


 ペットボトルの炭酸飲料をラッパ飲みしながらリビングに戻ってきた茉莉花には聞こえていた。


「誰がツンデレよ。あの男が単に軽薄で下劣ってだけで、それに相応しい態度をとってるとああなっちゃうの!」


「そうね」


 否定せずにそう返した雅の表情は慈愛に満ちていた。


次回「その2 ホラーな夜」は6/28(金)に投稿する予定です。

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