その5 だって愛してるもの
テレビ局へ行った翌日、茉莉花たち三人がリビングでアイスコーヒーを飲みながらくつろいでいると、マンチカンから茉莉花のスマホに電話がかかってきた。茉莉花はぶっきらぼうに電話を取った。
「はい、なに?」
マンチカンは早口に言った。
『頼む。一生のお願い。これから仕事に行ってくれ』
「はあ?なによ、藪から棒に」
『今日、暇だろ』
「暇じゃないわよ」
『つい今しがたLINEで雅に訊いたら、今日は予定が無いって言ってたぞ』
茉莉花は雅に文句を言った。
「ちょっと雅。マンチカンに余計なこと言わないでよ」
雅の頭にクエスチョンマークが乗った。
電話の向こうでマンチカンが懇願している。
『なあ、頼むよ。オレ、午後からの予定はどうしても外せないのに、佐々木さん帰ってくれないんだよ』
「は?誰?佐々木さん…」
『お盆に奥さんが帰ってきてるか確認しに行っただろ』
「ああ…。その佐々木さんがどうしたのよ」
『詳しい話は来てからするよ』
「まだ行くとは言ってないでしょ?」
『そう言うなよ。セバスチャンにはもう頼んだから、もうすぐそっち着くと思う』
「人の執事を勝手に使うな」
『とりあえず、セバスチャンの車で寺に来てくれよ。仕事を受けるも受けないも、話を聞いてから決めていいから』
「コノヤロ。卑怯だぞ」
『受けてくれたら週末に新潟県でやる花火大会に三人とも連れてってやるから。長野の花火大会はタイミングが悪くて、どれも行けなかったって嘆いてただろ』
「嘆いてはいないよ。桜子が行きたがってただけだから」
『なんなら結城くんや大輝くんも誘ってみたらいいんじゃないか?』
「わかったわよ。行くわよ。――花火大会、すっぽかすなよ」
電話を切ってから少し待つと、セバスチャンが迎えに来た。
セバスチャンの車で秀峰寺に着くと、マンチカンは茉莉花たちを住居の方へ通した。マンチカンが袈裟を着ているところを見ると、午後からの予定というのは本当のようだ。
家の者は誰もいないようだった。生活の音は聞こえてこない。
茉莉花はマンチカンに訊ねた。
「お母さんは?」
マンチカンは答えた。
「たぶん買い物かなんかで出てる」
「あ、そう。久しぶりに会えると思ったのに…」
仏間に通されると、そこには佐々木が座っていた。
「よお」
「こんにちは」
挨拶をしながら、茉莉花たちは座卓の周りに座った。
人数分のお茶を入れて並べ終えると、マンチカンも座って話し始めた。
いきさつは、まず佐々木がお盆の礼で寺を訪ねて来たところからだった。
妻が帰ってきていなかった事は残念だったが、真剣に向き合ってくれた事が嬉しくて、礼を言いにきたのだという。
マンチカンは佐々木の気持ちを察して、会いたくなくて帰ってこないのではない、帰ってきてる人を見る方が稀なのだと慰めを言った。その言葉を受けて、佐々木は質問をした。
どのぐらい見るのかの質問に対しては、マンチカンは一割に満たないと答えた。他に回る場所があるだけで、お盆期間のどこかでは帰ってきているのではないか。その家にずっといれば見れたのではないかの質問には、そうかもしれないと答えた。
またマンチカンは補足として、そもそもお盆に帰るという事が仕組みとしてどういう事なのか、われわれにもわからない。もう逝ってしまった人だからそもそも姿を持たずに意識だけ帰ってきているのかもしれないし、自分たちに見えている逝きそびれた霊とは違う存在なので見えていないだけかもしれない。だからこそ見える見えないに関係なく、帰ってきていると信じる事が大切なのだと諭した。
それでも佐々木は、では見えている一割はなんなのかと納得しなかったので、マンチカンはまた余計な事を言った。遺族は故人が逝ったと思っているけれど、お盆に現れる一割は実は現世に残ってしまった霊が帰ってきているだけかもしれないと。
それに対して佐々木は、現世に残っていれば全てお盆に帰ってくるのかと質問した。マンチカンは、例えば地縛霊のように場所が決まっていて動けない、または動かない霊もいるから全てではないだろうと説明した。
そしてここでマンチカンは、さらに余計な事を言った。桜子から聞いた話の受け売りなのだが、病院で亡くなった人には病室や待合室やバス停など、どこかでお迎えの家族を待っている人も多いと。
佐々木の妻は療養施設で亡くなっている。おまけに佐々木自身の入院により、最期は面会にも行けず、死に目にも会えなかった。だからこそ妻がその療養施設で待っているに違いないと佐々木は確信した。
それによって生まれた緊急クエストである。マンチカンは茉莉花たち三人に、佐々木と一緒に療養施設へ行ってほしいと頼んだ。そしてもし会えたら、可能なら浄霊もしてほしいのだと言う。
佐々木は三人に好好爺のような笑顔を向けた。
「依頼料はもちろん言い値で払う。頼むよ」
そして深々と頭を下げた。
セバスチャンの運転するミニバンは茉莉花たち三人を乗せ、佐々木の車を先導に温泉地の療養施設に到着した。療養施設と言っても診療科と一つになった大きな病院で、佐々木の妻はその病棟の個室に長い間いたのだという。
佐々木に案内されて茉莉花たち三人とセバスチャンは建物に入った。佐々木は受付も通さず、勝手知ったるなんとやらと言わんばかりに病棟へ入っていく。三人とセバスチャンはあとを追った。
エレベーターに乗ったところで茉莉花は佐々木に言った。
「奥さんの病室にはもう違う人が入ってるかもしれないんで、突撃しないでくださいね」
佐々木は渋い顔をした。
「そんなことはわかってる」
ところが佐々木の妻が入院していた病室は、今は都合よく誰も入っていなかった。ドアは初めから開いていて、中は次の患者を待つように綺麗に整えられていた。
ただ、茉莉花たち三人にはベッドの上で上体を起こして窓の外を眺めている年配の女性の姿が見えていた。三人は、ほぼ同時に佐々木の顔を見た。
佐々木は驚いた顔をしていた。その目線はベッドの方へ向かっている。そしてすぐに表情は崩れ、情けない笑顔で呟いた。
「博子……」
どうやら佐々木にも霊は見えているようだった。茉莉花たちは黙って佐々木の様子を見守った。
佐々木はゆっくりベッドへ近づくと、妻に声をかけた。
「……博子」
妻はゆっくりと振り向いてからニコリと笑い、まるでいつもの事のように自然に言った。
『あら、啓介さん。来てくれたのね』
佐々木は苦しそうな表情で答えた。
「ああ、来たよ」
『どうしたの?どこか痛いの?』
「いや、なんでもない」
『そう?』
「それより、お前に謝りたいんだ」
『……なにかしら?』
「ずっと……」
佐々木は目を閉じて下を向いた。それからすぐに顔を上げ、目を細めて妻を見た。
「……ずっと会いに来れなくてごめん。待たせただろ?」
『うん、待ってた。でも謝らなくていいのよ』
「なぜ?」
『だって来てくれたから』
「そりゃ、ずっと会いたかったんだ。来るに決まってる」
『あたしも会いたかったわよ。啓介さんに』
「ホントに?」
妻はイタズラっぽい表情を見せた。
『だって愛してるもの。フフッ…』
佐々木は真剣な顔で言葉を返した。
「俺も……俺もお前を愛してる。今までも……これからもずっと……」
妻は少しはにかんだ。
『うん…』
それから佐々木は妻に色々な話をした。自分の近況、娘や孫の話、思い出話、そして結婚前の話。
「なんで俺を選んでくれたんだ?」
『またその話?』
「昔、優しいからか?って訊いたら、違うって言ってたよな」
『優しい男なんていっぱいいたもの』
「お前、モテたもんな」
『フフッ』
「男前だからか?って訊いても違うって…」
『そうね』
「じゃあなんで俺なんだよ」
『どうして理由なんて知りたがるの?』
「……自信が無いからだろうな」
『あたしの全てを……人生をあげた人なのに?』
「…………」
『理屈じゃないの。強いて言うならあたしをときめかせてくれた、ただ一人の人だから……。それじゃダメ?』
佐々木は優しい笑顔の妻を見つめた。拳を強く握りしめている。
「俺なんかといて、幸せだったのか?」
『当たり前でしょ?』
「俺もだ。俺もお前がいて幸せな人生だったんだ」
『そう…。嬉しいわ』
「だから逝かないでくれ」
『…………あ……あたし、逝かなきゃいけないんだっけ』
佐々木は慌てた。
「い…逝かなくていい。逝かなくていい。このまま俺と一緒にいてくれ」
『そういうわけにはいかないんじゃないかな?』
「だって、やっと会えたんだぞ」
佐々木は泣き出しそうな笑顔になった。
「なあ、俺と一緒にうちに帰ろ」
『そんなこと言ったって……』
堪えきれず、笑顔のままの佐々木の目からは涙が溢れ出した。
「会いたかった……。ずっと会いたかったんだ……。せっかく会えたのに……。やっと会えたのに……」
『啓介さん…………』
「一緒に帰ろう……。うちに帰ろう……」
そこで桜子が遠慮がちに声をかけた。
「あのー……。おうちになら、たぶん帰れますよ」
佐々木は桜子の方へ振り向くと涙を拭い、明るい顔で訊き返した。
「ホントか!?」
「はい。この場所に奥さんが執着する理由はありませんし、お迎えもいる事ですので、本人が望むのなら帰れるかと…」
佐々木は妻に向き直った。
「もちろん帰りたいよな。な!?」
妻は嬉しそうに頷いた。
『ええ…』
佐々木は調子づいて桜子に言った。
「なんだよ、そういう事は早く言えよ。てっきりここから動けないのかと思ったじゃないか。なんか恥ずかしいやりとりを見せちまったな」
桜子は首を横にゆっくりと振った。
「恥ずかしい事なんて全然ありません。ただ――」
桜子の顔は曇った。
「――奥さんが佐々木さんに会いたくて待ってたならもう望みは叶ってますし、一緒に帰るためにお迎えを待ってたなら家に帰った時点で成就します。この世に残る理由がなくなります。そのあとのこと、家に着くまでに考えておいてくださいね」
佐々木は苦しそうに訊ねた。
「なあ。……必ず成仏させなきゃいけないものなのか?」
桜子は少し考えてから答えた。
「……いけないのかと訊かれれば、わかりません。ただ、残ったとしても人生を謳歌できるわけではありません。それなのに、他の人の生は見せつけられるんです。それでもいいかどうかじゃないですか?」
「…………」
佐々木と妻は顔を見合わせた。
セバスチャンの運転するミニバンは茉莉花たち三人を乗せ、妻を乗せた佐々木の車を先導に長野市の家へ向かった。
当初はまっすぐに家へ向かうはずだった。ところが佐々木の車は途中で何ヵ所も寄り道をした。
佐々木の言い分は「まだ昼めしを食ってないから」とか「思い出の場所が近かったから」とか「喉が渇いたから」とか「どうせ通り道だし」といった強引なものが多く、茉莉花たちを散々に引っ張り回した。
けれども茉莉花たちは佐々木を咎められないでいた。まるで佐々木が彼女をデートにエスコートする青年に見えたからだ。だからランチの時以外はなるべく二人きりになるよう距離を保った。
やっと家に着いたのは、だいぶ日が傾いてからだった。
仏間に全員が揃うと、佐々木は言った。
「悪かったな、引っ張り回して」
茉莉花は苦情を言うような口調で訊いた。
「ホントよ。デートは楽しめたんでしょうね?」
「まあな。でもデートとか言うなよ。照れるだろ」
「楽しめたんならいいですよ。お昼もご馳走になったし、差し入れもくれたし」
そこで佐々木は真面目な顔になって言った。
「施設を出てからすぐな、博子と話して家に着いたら送ってもらおうって事になったんだ。残るのはやっぱり不自然だし、どうせ俺もすぐに逝くだろうしな。そしたら家に着く時間を少しでも遅らせたくなっちまってな。すまなかったな」
桜子は佐々木にあらためて訊いた。
「いいんですね?逝かせてあげて」
佐々木は頷いてから言った。
「ただ、ちょっと待ってくれないか?たぶんもうじき娘が来る。会わせてやりたくて、さっき連絡したから」
「構いませんよ」
娘はまもなく到着した。孫二人もついてきていた。
桜子は家族が別れを惜しむ時間をしばらく待っていたが、佐々木の「頼む」の言葉で浄霊を始めた。
「逝かせてあげる♡」
佐々木や娘、孫たちの見守る中、桜子は妻を穏やかに送った。
妻が消えゆく瞬間、涙を流していた佐々木は片手を上げて「またな…」と言った。
茉莉花たちの帰り際、玄関で佐々木は言った。
「秀峰寺の放蕩息……いや、智寛僧侶には俺が泣いてたこと言わなくていいから」
茉莉花は優しい顔で返した。
「きれいな涙でしたよ」
佐々木は赤くなった。
「ばかやろう。年寄りをからかうんじゃねえよ」
茉莉花たち三人は満面の笑顔を残して家を出た。
次回「その6 笑っていてほしいだけだから」は6/27(金)に投稿する予定です。




