その5 帰りを待つ人
八月十三日の夕暮れ時、茉莉花たち三人は家の玄関先にいた。かんばを焚くためだ。
かんばは長野県、特に北の方で迎え火、送り火として焚かれる白樺の皮である。
桜子が訊いた。
「焙烙は使わないの?」
茉莉花が答える。
「使ったこと無いなぁ。その家によっては使うとこもあるみたいだけど」
雅が桜子に訊いた。
「桜子の所では焙烙におがらでしょ?」
頷く桜子。
「そうそう。かんばなんて初めて見た」
「全国的にはおがらが多いからね」
「雅ちゃんとこはどっち?」
「かんばは長野特有だからね。でも拘りは無いよ。そもそもウチの実家、お盆らしいこと特にしないから」
「そうなんだ」
「でも、あたしは長野にずっと住むつもりでいるから、長野の風習は色々と取り入れたいって思ってる。ただ、それがけっこう楽しいのよね」
「うん。楽しいね」
雅はかんばをセッティングすると、茉莉花にチャッカマンを差し出した。
「つける?」
頷いてチャッカマンを受け取る茉莉花。
茉莉花が火をつけるとオレンジ色の炎が上がり、真っ黒な煙と共に独特な香りが漂った。
茉莉花が炎を眺めながら、小さな声で何かをぶつぶつ呟いている。桜子は聞き耳を立てた。茉莉花が歌うように「おいでおいで」と言っているのが聞こえる。
昼間、茉莉花は胡瓜と茄子に割り箸の足を刺して馬と牛を作っていた。それをおばあちゃんの部屋だった所に飾って手を合わせた。いつもなら雅に任せそうな事である。けれども自分で作っていた。毎年、そうしているらしい。
そういえば、茉莉花はお盆に会いたい人をおばあちゃんと言っていた。小さい頃にこの家で一緒に住んでいたのだという。
桜子は、炎をじっと見つめている茉莉花のいつになく柔らかい表情を見て、可愛く、そして愛おしく思った。
八月十四日、茉莉花たち三人は佐々木さんというお宅に来ていた。マンチカンから聞いていた依頼主の家だ。古い平屋の家で、普段は依頼主一人で住んでいるという。
古いスイッチだけのチャイムを鳴らすと、出てきたのは四十歳前後と見える女性だった。
「どちら様?」
茉莉花は心の中で舌打ちをしてから、名乗った。
「秀峰寺のお坊様から紹介を受けて参りました。桐生と申します」
雅も続いた。
「香月と申します」
桜子は慌てた。
「た、高遠です」
女性は訝しげな顔で訊いた。
「秀峰寺?お寺さん?」
茉莉花はいたって真面目に頷いた。
「はい。こちらのご主人様からのご依頼という事で参ったのですが、いらっしゃいますか?」
「父さんからの依頼?」
どうやら依頼主の娘のようだ。お盆なので帰ってきているのだろう。
茉莉花が「はい」と返事をすると、娘は「ちょっと待ってて」と言って奥へ入っていった。
しばらくすると、依頼主らしい男性が娘を伴って玄関まで出てきた。
「ご苦労さん。秀峰寺の放蕩息子が女の子を従えて色々やってるって聞いてたけど、まさかこんなお嬢ちゃんたちだったとは…」
その言葉に対して言いたい事はあったが、茉莉花は飲み込んだ。さっさと終わらせて引き揚げた方が賢明だ。
「確認するだけなら、わたしたちでも事足ります」
「そうか。じゃあ早速たのむ」
「家の中を見て回っても?」
「ああ、もちろんだ」
そこで娘が割って入った。
「ちょっと待ってよ、お父さん。何を確認するの?」
依頼主はいたって普通に言った。
「博子が帰ってきてるか、確認してもらうんだ」
茉莉花は再び心の中で舌打ちをした。
娘の顔色が変わった。
「ダメよ、そんなの。なに考えてるの?」
依頼主は首を傾げた。
「何がダメなんだ」
「家の間取りなんて人に知られちゃダメに決まってるじゃない」
「おまえ、こんなお嬢ちゃんたちが悪さをすると思ってるのか?」
「思ってるわよ。何よ、お母さんが帰ってきてるか確認するって。怪しすぎるじゃない」
「おまえ、失礼だろ」
「まさか、お父さん。お金を払うんじゃないでしょうね」
「払うに決まってるだろ」
「ウソでしょ?しっかりしてよ、お父さん」
茉莉花は既に面倒くさくなっていた。
「あー、ちょっといいですか?」
娘がキッと睨んだ。
「なによ」
「わたしたち、帰りましょうか?お盆休みにわざわざ時間を作ったのに腹は立ちますが、詐欺師呼ばわりされてまでするほどいい報酬でもありませんので」
依頼主は慌てた。
「いや、困る。報酬なら倍払うから」
娘は声をあげた。
「ちょっとお父さん!なに言ってるの?!」
娘は茉莉花を睨みつけた。
「年寄りを食い物にして、恥ずかしくないの?!」
茉莉花は大きく溜め息をついた。
「いや、だから帰りますって。それでは、これで」
帰りかけた茉莉花たちを依頼主は引き止めた。
「ちょっと待ってくれ。頼んだのは俺だ。俺は断ってないぞ」
茉莉花は振り向いた。
「でも、娘さんはわたしたちを詐欺師だと思ってますよ。そんなんで仕事なんか出来ませんよ」
「こいつは関係ない。払うのは俺の金だ。俺が俺の金を何に使うかは俺の勝手だ」
「そうは言いますけど…」
そこへ、奥から二人の少年が出てきた。おそらく依頼主の孫だろう。その年上と思われる方が言った。
「なに、なに?大きな声を出して」
依頼主が不機嫌に言う。
「お前らは引っ込んでろ」
ところが年上の少年は茉莉花たちを見て驚いた。
「あれ?桐生さんたちじゃん」
茉莉花は渋い顔をした。
「だれ?」
雅が苦笑いしながら教える。
「同じクラスの石井くんよ」
「……………………帰ろ」
踵を返す茉莉花に、依頼主は慌てた。
「待て待て待て待て。こいつらも関係ないから。なんだったら全員追い出すし」
振り向く茉莉花。キリッとした顔。
「じゃあ、それで」
娘が怒声を上げる。
「ふざけないで。どうせお母さんは帰ってきてるとか適当な事を言って、喜ばせてお金を取るつもりでしょ?」
茉莉花が眉間にシワを寄せた。
「喜ぶならいいじゃないですか。あなたが心配なのはお父さんですか?それともお父さんのお金ですか?」
「何を言ってるの?父が心配に決まってるじゃない」
「そんなにお父さんが心配なら同居したらどうです?」
「父がここを離れるの嫌だっていうんだから、しょうがないでしょ?」
「そりゃ、奥さんとの思い出の場所から離れるなんて嫌に決まってます」
「じゃあ何?わたしたちにこっちで暮らせって?事情も知らないくせに勝手な事を言わないで」
「まあ、そりゃそうでしょうけど、心配なんですよね?」
「当たり前でしょ?」
「じゃあ、お父さんが色々な人と繋がってるって知ってます?」
「き、急に何の話?」
「表の掃除をお隣さんがしてくれてるのって知ってます?」
「知らないけど…」
「前の道の様子をよく観察すればわかりますよ」
門のすぐ外には箒の跡が残っていたが、それは隣の家の前と、さらにはその先のもう一つ隣にまで続いていた。隣の家の門のすぐ内側には、いつでも掃除が出来るようにだろう。その跡に合致すると思われる箒とちり取りが置いてあった。
茉莉花は続けた。
「たぶん配達員さんでしょうか。定期的に来るんでしょうね。今だと冷たい麦茶か何かを出して、ここで休んでもらってるの、知ってます?」
「は?なんでそんな事わかるのよ」
「ほら」
茉莉花が指さす方を見ると、玄関の隅にお盆の乗った小さな台と小さな座布団があり、お盆の上には爪楊枝のたくさん入ったケースと朱肉のいらないハンコが置いてある。爪楊枝は野沢菜漬けを出すためだろう。
娘は驚いた。
「ホントだ。気付かなかったわ」
「それに秀峰寺の徳満僧侶とも繋がりがあるし、その周辺の人たちとの繋がりが無いと知らないような情報を持ってます。頻繁に交流がある証拠です。わたしたちに繋がったのも、それでです。だって、徳満やわたしたちからは何も売り込んだりしてないですもん」
娘は依頼主の顔を見た。
「そ、そうなの?」
依頼主は呆れ顔で言った。
「おまえ、結婚するまでここに住んでたくせに、なんで知らねえんだよ。俺の人付き合いなんて、そう変わってねえよ」
「だって…」
茉莉花は柔らかな表情で言った。
「お父さんが、なんでそんなにお母さんに会いたいか知ってます?お盆に訪ねてくるのは良い事だと思いますけど、日頃からもう少しお父さんに興味を持ってもよくないですか?」
娘は依頼主に訊いた。
「なんでそんなに会いたいの?」
依頼主は答えた。
「別に普通だろ。お前は会いたくないのかよ」
「そりゃ、会えるなら会いたいけど…」
「それに、俺は死に目に会えなかったからな。俺自身が入院しちまってたから」
「そうだったわね」
「あいつ、ずっと療養施設にいただろ?絶対に俺が来るのを待ってたはずなんだよ」
「確かに最後のほうは寂しそうだったけど…」
「だから、会いにいけなくてごめんって一言あやまりたいんだよ」
「…………」
茉莉花は穏やかに言った。
「ただ…申し訳ないけど、わたしたちはサービス業じゃないんで、帰ってきてもいないのに嘘をついて喜ばせるような事は出来ません。確認をするだけっていう依頼でしたしね。それでいいならやりますけど」
依頼主は頷いた。
「それでいい」
「じゃあ、入っても?」
「ああ、頼む」
「では端から確認していきますので、案内をお願いします」
「わかった」
茉莉花たち三人は家へ上がり、依頼主のあとについて奥へ入っていった。今度は娘も何も言わなかった。
結局、依頼主の奥さんは帰ってきていなかった。
仏間でお茶と野沢菜をいただきながら、茉莉花は軽く頭を下げた。
「申し訳ありません。奥様はいらっしゃいませんでした」
依頼主は諦めきれない様子で訊いた。
「今は他を回ってるんじゃないか?お盆が終わるまでにここに帰ってくる可能性は?」
「僧侶である徳満と違って、わたしたちは他人の家のお盆を知りません。ですから可能性があるとも無いとも言えません」
「じゃあ十倍の額を払うから、お盆の最後までこの家で寝泊まりしてくれないか?」
茉莉花はあからさまな困り顔を見せた。
「わたしも自身の祖母が帰ってきてくれないかと待っている身です。できるだけ家にいたいんです。だからホントはここにも来たくなかった」
「えっ?そうなのか?」
「はい」
「それは悪かった。いま金を払うから、すぐに帰ってくれ」
最初ほど強気ではなかったが、娘は不服そうに訊いた。
「お母さんいなかったのに、お金を満額で払うの?」
依頼主は低い声で言った。
「また、お前は。わざわざ足を運んでくれたんだぞ」
茉莉花は、あくまでも穏やかに言った。
「なんとなく具合が悪いなって病院へ行って、異常が無くても診察代は払いますよね。わたしたちもボランティアでは無いですからね。ただ、料金は最初に徳満が決めた額で結構です。多くもらって詐欺師呼ばわりされるのも面白くありませんから」
依頼主は頭を下げた。
「ホントに申し訳なかった。気分が悪かっただろうけど、孫たちは関係ないから学校では嫌わないでやってくれ」
「わかってます。――ただ、奥様がいらっしゃらなかった場合を考えて、徳満がツテも無いのにイタコさんを探してみるって言ってました。いいヤツなんです。アイツの事も秀峰寺の放蕩息子だなんて言わないであげてください」
「そうか…。そうだな。今後はそうするよ」
「ありがとうございます」
茉莉花は頭を下げた。
帰りのバスの中で桜子は言った。
「カッコよかったね、茉莉花ちゃん」
茉莉花は心当たりが無いといった顔で訊いた。
「カッコいいって、なにが?」
「娘さんに言い放ったセリフ」
「ん?どのセリフ?」
「日頃からお父さんに興味を持ってもよくないかって、あれ」
「ああ、あれ。……あれはわたし自身に言った言葉よ」
「え?」
「わたしは自分の親に全く興味が無いの。あんなに愛してくれてるのに」
「でも今日、実家に帰るんでしょ?」
「明日の夕方には戻ってきちゃうけどね」
「でも……」
「理屈じゃないの。自分の事だけで余裕が無いの。たぶん、あの娘さんと一緒ね。今日帰るのだって、親に興味を持ってるフリをしてればそのうち興味も出てくるのかなって思ってるだけ。だからさっきのは自分の事を棚に上げた思いっきりカッコ悪いセリフなのよ」
「でも茉莉花ちゃんは興味を持とうとしてるじゃない」
「あの娘さんだって同じかもよ。子供たちと旦那の事でいっぱいいっぱいで、でもお盆には会いにきてるんだもん。――ただ、自分を育ててくれた親に対してまるで小さな子供でも叱るように否定するだけで、話を聞こうともしなかった。心配だって言いながらめんどくさがってた。そこにカチンときちゃって、つい…」
「な…なるほど……」
「天を仰いで唾を吐くとはこの事ね」
自嘲する茉莉花に、雅が渋い顔を向けた。
「そんなの、誰だってそうでしょ?」
茉莉花はフッと笑った。
「そうなんだけどさ。だから何も出来なくても、せめて興味ぐらいは持ちたいって思うのよ」
「耳が痛いなぁ、もう」
桜子が思い出しながら言った。
「依頼主さんが奥さんに会いたい理由を言ったら、娘さん黙っちゃったね」
茉莉花も思い出しながら答えた。
「あれで、依頼主さんが奥さんのことすごく大切だったって思い出したんでしょ?まあ、マンチカンに無理やり依頼してる時点で、わたしにはわかってたけどね。だから娘さんに追い返されるなら追い返されるで、ホントはよかったんだけど」
「え?どうして?」
雅は茉莉花に訊いた。
「茉莉花、奥さんがいないって、ホントは玄関でわかってたんでしょ?」
茉莉花は小さく頷いた。
「まあね。でも仕事だから、やるとなったらちゃんと確認すべきでしょ?その方が依頼主の納得感も違うだろうし」
桜子は困った顔をした。
「でも、石井くん?――に仕事しているところ、見られちゃったね。クラスに知られちゃうんじゃない?」
茉莉花は苦笑いした。
「ホントはあんまり知られたくなかったんだけど、まあ心霊研究会なんてやってるし、いつかはバレると思ってたからしょうがない」
雅も苦笑いして言った。
「要は興味本位に色々と訊かれるのが鬱陶しいだけなんでしょ?いいわよ、茉莉花は黙ってて。あたしが対応するから」
「そうしてもらえると助かる」
「それより問題は、結城くんにもバレるって事よね」
結城は既に浄霊の仕事のことを桜子から聞いて知っていたし、聞いた事を黙ってくれている。
桜子は少し動揺しながら言った。
「海に行った時から結城くん、わたしたちの仕事のことをなんとなくわかってるみたいだったよ」
雅は冷静に訊いた。
「結城くん、何か言ってた?」
「危険な事はしないでねって言われただけ。わたしのする事は尊重してくれてるみたい」
「なら、問題ないわね」
茉莉花は不機嫌な声で言った。
「問題、大ありよ。彼自身が危険人物だもん」
桜子は不安な顔をした。
「えっ?何で?」
茉莉花は結城が裏路地で乱闘していた話を聞いている。どう考えても普通じゃない。しかし、それを桜子に言うわけにはいかない。
茉莉花が答えあぐねていると、雅が助け船を出した。
「結城くんって躊躇なく海に入ったり霊の手を蹴ったりしたんでしょ?桜子のためなら悪霊とも躊躇なく格闘しそうなのよね」
桜子も大いに納得して笑った。
「あはははっ。結城くんって前世では勇者で、わたしはお姫様だったんだって」
茉莉花は笑えなかったが、雅は桜子の笑うのに合わせて上手に笑った。
次回「その6 お寿司はサビ抜きで」は4/25(金)に投稿する予定です。




