その9 マンチカンの秘密
レストランで向かい合って食事をしながら茉莉花は言った。
「意外とリーズナブルだったね」
マンチカンが苦笑いする。
「さすがお嬢様だな。オレにはこれがリーズナブルだとは思えないけど」
「だって1万円もあるのよ。ぜんぜん余るじゃない」
「まあ、そうだけど…」
「店の外観はすごくおしゃれよね、ここ」
「中もおしゃれだよ」
「うん。てっきりドレスコードがあるのかと思った」
「浴衣だから大丈夫だったんだろ?」
「なに言ってるの?浴衣は和装のカジュアルよ。フォーマルオンリーのとこはアウトでしょ」
「そっか」
「ま、他のお客さんもカジュアルな人いるし、気楽に入れるお店ってことよね」
「お値段は気楽じゃないけどな」
「無粋なこと言わないでよ。たまにはこういうのもいいでしょ?」
「……こういうのって?」
「こういうのはこういうのよ」
「ちょっとおしゃれなレストランで二人で食事をするってこと?」
「うん」
マンチカンは店内を見回した。
「そう言えば、カップルだらけだな。この店」
茉莉花も見回した。
「ホントだ。おしゃれだし、そういう需要が多いんじゃない?入口にお子様の入店お断りって書いてあった」
「オレたちも、そう見られてるんだろうな」
茉莉花は照れもせず、あっけらかんと答えた。
「でしょうね。どう見られても別にどうでもいいけど」
マンチカンは少し考えてから言った。
「また行くか?二人で食事」
「は?なに言ってるの?」
「だってさっき、たまにはこういうのもいいって。こういうのって、ちょっとおしゃれなレストランで二人で食事する事だろ?」
「違う。ちょっとおしゃれなレストランで食事をする事だけを言ったんであって、二人でってとこは無視していいから」
「あ、そ」
茉莉花は食事を続けながら言った。
「でも、美味しいわね、ここ」
「提案したオレに感謝だろ?」
「シェフに感謝よ」
「あーそうですか」
「しかも、こんなにリーズナブル」
「まだ言うか」
「余ったお金、どうしよ」
「雅や桜子に使ってやれよ。特に雅は苦労してやりくりしてくれてんだから」
「ま、そうよね。けど、何がいいかわかんない。プレゼントとか?」
「三人で遊びに行くのもいいんじゃないか?こないだ雅がチラッとそんなこと言ってた気がする」
目を丸くする茉莉花。
「あの雅が?遊びに行きたいって?」
「いや直接的な言い方はしてなかったと思うけど、自分たち高校生には仕事ばっかじゃなくプライベートも大切だみたいなこと言ってたよ」
「あーまー確かに。今週はちょっと詰め込みすぎたしね」
「仕事を持ってきたオレが言うのもなんだけど、そう緊急性の高い霊なんて少ないんだから、依頼の数にかかわらず自分たちのペースでやっていいんだぞ」
「わかってる」
「いま慌てて自立しようとしなくても、コンスタントに依頼をこなして実績を積めば、そのうちマリアさんみたいに報酬のいい仕事が向こうから来るようになるよ、きっと」
「わかってるって」
わかってはいるが、茉莉花は自分の中の焦りを消し去る事は出来なかった。
食事が終わってマンチカンは言った。
「さて、帰るか」
動き出そうとするマンチカンを茉莉花は止めた。
「あ、ねえ。ちょっと寄り道しない?この先に、夜景の綺麗なとこあったでしょ?」
「夜景、見たいの?」
茉莉花は膨れた。
「ちょっ。わたしが夜景を見たいってのがおかしいとでも言いたいの?」
「いやそうじゃなくて、オレと二人だからさ」
「だって、足が無いもん。あんたいないと見に行けないじゃない」
「なら、セバスチャンでもいいって事か」
「バカ言わないで。できるだけ夜はセバスチャンを帰してあげたいでしょ?奥さんいるんだから」
「ああ。若い奥さんね」
「その点、あんたは暇人じゃん。それとも、わたしと夜景を見るのは嫌なの?」
「嫌じゃないけど、いいムードにはならないぞ。きっと」
「はっ!望んでないわよ」
茉莉花は吐き捨てた。
夜景の綺麗な所に車を停め、茉莉花とマンチカンは外に出た。眼下に長野市の灯りが星の絨毯のように広がっている。
茉莉花は思わず声をあげた。
「うわあ。きれい…」
茉莉花の笑顔を見て、微笑むマンチカン。そのマンチカンにハッと気付いて茉莉花は付け足した。
「――って雅なら言うわね」
マンチカンは否定しない。
「そうだな」
「…………」
茉莉花は気まずそうに視線を夜景に戻した。
二人は並んで、しばらく無言で夜景を眺めた。
少し時間が経ったころ、ぼそっと茉莉花は言った。
「なによ、あれ」
マンチカンは突然の質問に訊き返した。
「ん?あれ…とは?」
茉莉花は無表情のまま、無感情な声の調子で言った。
「初恋の中学生を裏切れないって」
マンチカンは茉莉花の質問の意図が読めずに戸惑った。
「いや、そのままの意味だよ」
「初恋の中学生って、わたしの事でしょ?」
「…………そうだよ」
「あんた、わたしが初恋なの?」
「……そうだよ」
「あの別荘の時から?」
「もっと昔からだよ」
「ウチが引っ越す前?」
「そうだ。そこしか接点ないだろ」
「近所の面白おにいさんだった頃ね」
「変な肩書きつけるなよ」
茉莉花は夜景を見たまま表情を変えずに言った。
「ふーん。で?裏切れないって?別に付き合ってもいないんだから、裏切りも何も無いでしょ?」
「自分の気持ちを裏切れなかったんだよ」
「他の女をやろうとしてたのに?」
「やるとか言うな」
「じゃ、なに?誘った女の子たちとやってないの?」
「やってないよ」
「ホテルまで行っといて?」
「ホテルまで行ったのは、さっきの子だけだよ」
「でも、全員やろうとしてたんでしょ?」
「……してたよ」
「やっぱり性欲魔人じゃん」
少しの沈黙があり、マンチカンは両手で顔を覆って悲痛な声をあげた。
「無理だよ!あんなに性欲を刺激されて悶々としない男子高校生なんていないよ!」
「…………わたしのせいなの?」
マンチカンは顔を上げて茉莉花を見た。
「違う違う。お前のせいじゃない。お前は何も悪くない。他の女に逃げたオレが悪いんだ」
茉莉花は呟くように小声で言った。
「わたしを性欲の捌け口にすればよかったじゃない」
マンチカンはとても悲しそうな顔で言った。
「捌け口なんて言うなよ」
「あんな無防備なわたし、あの時だけだったのに。チャンスだったのに」
「オレだってそう思ったよ。でも出来なかったんだよ」
「中学生だから?」
「違うよ。わかってんだろ?」
茉莉花は少し沈黙し、ぼそっと答えた。
「わかんないよ」
「オレは坊主なんだよ。不幸になろうとしてるヤツの手助けなんか出来ないんだよ」
「なにカッコつけてんの?怖じ気づいただけじゃない。そもそも、まだ坊主でもなかったくせに」
「気持ちは坊主だったんだ」
「その坊主が中学生に誘惑されて、悶々としてたんだ」
「そうだよ。修行が足りなかったんだよ」
茉莉花は恨めしげな目でマンチカンを見た。
「それでわたしを見捨てて、女エロ教師の所に夜の授業を受けに行ったんだ」
マンチカンは下を向いた。
「そうだよ…。――けど見捨てたわけじゃない…」
「おんなじ事じゃない。わたしは救いを求めてたのに」
マンチカンは表情を歪め、茉莉花の顔をまっすぐに見た。
「救い?あれが?」
「そうよ。あの時わたしを壊してくれてたら、少しは罪悪感が和らいだかもしれないのに」
茉莉花の顔を見るマンチカンの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
茉莉花は少したじろいだ。
「…なに?なんで泣いてんの?」
マンチカンは涙を流したまま、弱々しく言った。
「……あの子が死んだのはお前のせいじゃない。何度言ったらわかってくれるんだ」
茉莉花は泣き出しそうにマンチカンを睨んだ。
「やめて。わたしの罪を勝手に否定しないで」
「なんでオレの言うこと、わかってくれないんだ」
「あんたを信用してないからよ。いまだにエロ教師と連絡を取り合って、夜の授業を受け続けてるあんたの何を信用しろと言うの?」
マンチカンは涙を拭ってから言った。
「誤解してるようだけど、東京へ行った時はファミレスぐらいしか入ってないぞ。そもそも、そういう関係じゃないし」
「だったら何なのよ。初めての女が忘れられなくて追っかけてんの?キモッ」
「そんなんじゃない。オレのせいで先生が辞めさせられたから、その償いだよ」
茉莉花は小馬鹿にするように笑った。
「そりゃ、生徒に手を出せば辞めさせられて当然でしょ?なんであんたが償うのよ」
「手なんて出してない」
「ウソ言わないで」
「ウソじゃない。もちろん、オレの方はそのつもりで先生に声をかけたんだよ。それは言い訳のしようもない」
「ようやく本性をあらわしたわね」
「お前とあの事があった直後だったからな。悶々が止められなかったんだ。そしたら先生はオレを連れ帰って、マンションの部屋へ入れてくれた」
「とんだ変態教師ね」
「それでオレの悶々の理由を聞いてくれて――」
茉莉花はマンチカンを睨んだ。
「話したの?」
「詳しくは話してないよ。初恋の人とエッチなムードになったけど、フラれて悶々としてるってだけ」
「フラれてないでしょ?」
「同じ事だよ」
「……で、そのあと、夜の授業を受けたわけね」
「夜の授業……ね。言い得て妙だな。――避妊具の使い方から、そういう時の女の子の扱い方から、そういう時の女の子の立場や気持ちの問題から、それによって生まれる男の責任と心構えまで、女の子を守るための大切な事を詳しく教えられたよ」
「実技をまじえて?」
「座学だけだよ」
茉莉花はキョトンとして訊いた。
「は?じゃあ、初体験は?」
「してないよ」
「は?じゃあ何で後ろめたそうにしてんの?」
「しようとしたのは事実だから」
「でも、してないんでしょ?」
「そうだよ」
「じゃあ、なんで先生は辞めさせられたの?」
マンチカンは苦々しい顔をした。
「目撃者がいたんだよ。朝、マンションから二人で出てきたところを見られてた。何もしてないって信じてもらえると思う?」
「厳しいね」
「もちろん、オレは何もしてないって証言したよ。けど、そもそも疑われるような行為は教師としての自覚が無いからだってさ。先生としては切羽詰まった顔をしてたオレをなんとかしてやりたい一心だったらしいけど」
「それで辞めさせられたんだ」
「かなり噂が広まってたしね。学校としても辞めさせなきゃけじめがつかなかったんだろ?」
「どっちにしろ、あんたのせいではないじゃない。なんでいまだに償う必要があるの?」
「原因を作ったのはオレだから。教師をやめて今ちゃんと生きているのか、少しは幸せになれているのか、オレには確認する義務がある」
「また、ずいぶんと背負い込んだね」
「ぶっちゃけ、愚かなオレに真剣に向き合ってくれた優しい先生があんな目にあって、純粋に心配ってのが正直なところだよ。大人相手におこがましいとは思うけど」
「……まあ、話は理解したわ」
茉莉花は夜景の方を向いた。
「あのさ…」
マンチカンも夜景を見た。
「なんだよ」
「もしかしてマンチカン、女性経験ないの?」
「…………」
「…………」
「……悪いか」
しばらく沈黙があり、いきなり茉莉花は爆笑した。
「だぁーっはっはっはっはっ!そうか、あんたドーテーかぁ!!」
マンチカンは慌てて周囲を見回した。
「ばかっ。声が大きい」
「こんなとこに誰もいやしないよ。あんなチャラいカッコして、そうかドーテーかぁ。金髪なのにドーテーかぁ」
「ドーテー、ドーテー、言うなよ」
茉莉花は楽しそうに悪態をつく。
「あはっ。ドーテーにドーテーって言って何が悪い」
「かんべんしてくれ」
「じゃあなに?わたしに欲情して、辛抱たまらず他の女を漁りまくって、でも結局わたしを忘れられなくて、ひゃははっ…ドーテーを拗らせて右手が火を噴いてるってわけ?」
「噴いてねえよ」
茉莉花は本当に楽しそうに大きく何度も頷いた。
「いいから、いいから。わかってるから。そうか、そうか。ドーテーかぁ。残念だったねぇ。わたしが無防備だったあの時が、あんたがドーテーを捨てる最後のチャンスだったかもしれないのに。バカだねぇ」
マンチカンは不貞腐れた。
「そうだよ、バカだよ。オレだって思ったよ。こんなに苦しいんなら、あのとき勢いにまかせて手を出しとけばよかったんじゃないかって」
「後悔先に立たず、下は立ちっぱなしってね」
「でも手を出してたら、それはそれで悲しすぎるだろ。あの瞬間にわかったんだから。両想いだと思ってたのが、実はオレの片想いだったって」
茉莉花が目を丸くした。
「え?」
「もういいよ。お前にバカにされるなら本望だよ。オレが勝手に操を立ててただけだから」
意志の強い目をしているマンチカンを見て、茉莉花はたじろいだ。
「そ、そお?本望だってんならしょうがないわね。これからもバカにしてあげるわよ」
「好きにしろ」
「…………」
強い風が吹き、茉莉花の髪が少し乱れ、浴衣の裾も大きく捲れた。茉莉花はとっさに手で押さえた。
マンチカンはその美しい所作に見惚れていたが、我に返って言った。
「そろそろ帰るか」
車の助手席で茉莉花は言った。
「さっきのレストラン、美味しかったね」
運転中のマンチカンは前を向いたまま答えた。
「そうだな」
「さっきみたいにおしゃれで美味しそうなレストランって他にも知ってる?」
「気になってるとこは何ヵ所か」
「一人で行きにくいところ?」
「まあ、そうだな」
茉莉花は少し小声で言った。
「わたしも行ってみたいから、そのうち誘って」
チラリと茉莉花の方へ目をやるマンチカン。
「え?」
「二人で行こうって言ってるの」
前を見たままのマンチカン。少し嬉しそうに答える。
「……じゃあ誘うよ」
「言っとくけど、一人じゃ入りにくいし、足が必要ってだけだから」
「……わかってる」
「それから、あんたの奢りだからね。露店を手伝った貸しがあるんだから」
「あーそー」
「借りなんて何でも返してやるって言ったじゃない」
楽しそうに答えるマンチカン。
「だから、ダメって言ってないだろ」
「それに、一人じゃ入れない所にわたしみたいな美少女を連れていけるんだから、感謝してほしいくらいだわ」
「ご一緒していただけて光栄に存じます、姫」
マンチカンはこれ以上ないようなイケボで、運転しながらも胸に手を当てて姫を守る騎士の如く頭を下げた。
「苦しゅうない」
平静を装って乗っかってはみたものの、茉莉花には動揺している自覚がはっきりとあった。
次回「その10 顔に書いてあるから」は1/17(金)に投稿する予定です。




