その6 肌色と癒しと色香
「わたし、どうしてこんな格好をしてるの?」
もちろん自分で着替えたのだが、桜子は決して喜び勇んでいたわけではない。むしろ抵抗すらある。全く興味が無かったかというと嘘になるが、初体験ともなると恥ずかしさが勝ってしまう。
桜子が自らすすんでやるという選択肢は元々ないので思わず出てしまった「どうして」だったが、茉莉花には全く真意が伝わっていなかった。
「素晴らしいアイデアでしょ?これでわたしたちが敵とみなされる事は無いわ」
ホテル鈴代荘の宴会場に集まった三人はコスプレをしていた。霊としてホテルに留まり続けている片桐がコスプレ好きだとわかったからだ。
前回の攻撃のせいで片桐から敵視されてしまうと、桜子の浄霊に支障が出る。それを避けるために茉莉花が「いい考えがある」と言っていたのはこの事だった。
コスプレは、茉莉花本人はベレー帽のミニスカ軍服だった。
ネクタイの湾曲とボタンのはち切れそうなシャツが胸を強調していて、短い裾からはチラリとヘソが覗いている。
ミニのプリーツスカートの下から伸びたガーターベルトは、ロングブーツの上から覗いたサイハイ丈の網タイツを吊っている。
かなりセクシーなデザインだったが茉莉花は見事に着こなしていた。
腰には大きめの拳銃をぶら下げているが、茉莉花が「なんか実家にあった」と言っているモデルガンだった。桜子が聞いた話によると、箱に書いてあった銃の名前は「コルトなんちゃらアーミー」だそうだ。茉莉花自身よくわからないけれど、なんとなくカッコよかったから箱だけ残して黙って持ってきたのだという。
雅のコスプレはメイド服だった。
普段からメイド服を着ているのでコスプレと言えるのかは不明だが、今日のメイド服はいつものとはかなり違っていた。
いつものはモノトーンでスカートは膝下までの控えめなデザインだったが、いま着ているものは白地にパステルブルーのチェック柄でヒラヒラも多め、きわどいミニスカートがパニエで膨らんでいて、白いストッキングを太ももに留めているガーターリングまでフリル多めな、かなり乙女チックなものだった。
後ろで結んだ幅広の紐が大きなリボンを作っているエプロンと、可愛いヘッドドレスによってメイドに見えてはいるが、無ければアイドルの衣装のような華やかさだ。
最後に桜子のコスプレだが、巫女だった。いや、見た目の印象は間違いなく巫女なのだか、ありがたさが違う意味になってしまっている。
まず普通の巫女なら緋色の袴を穿くはずだが、どう見ても袴ではなくハイウエストなミニスカートだ。ウエストの前面には紐に模した大きなリボンまでついている。
袖はちゃんとあるのだが、肩が大きく露出している。
足元は足袋を模したソックスと、草履っぽく改造されたグラディエーターサンダルだった。
神社の人に怒られそうな、いわゆる巫女服というやつだ。もっとも、依頼を持ってきたマンチカンはお寺の人であり、神社とは関係ないから問題は無い。――と茉莉花は主張した。
手には茉莉花曰く「なんかバサバサってヤツ」を持たされている。正式には大麻という名称なのだが、名前など茉莉花にも桜子にもどうでもよかった。そもそも雅が100円ショップで買った材料を使って10分で作ったアイテムに、何のご利益があるだろうか。
この三人のコスチュームは、モデルガンやブーツやストッキングなどの有りもの以外は雅が作ったものだった。
茉莉花の思いつきから数日で完成させることができる高い手芸スキルの持ち主だったが、それなりに苦労はしたに違いない。そう思うと桜子は嫌だと言えず、素直にコスチュームを身につけた。
けれども、この宴会場には他にマンチカンとセバスチャンも来ているし、更衣室代わりに借りた部屋からここへ来るまでに何人かのホテル従業員にも見られているものだから、桜子は恥ずかしくてしかたなかった。
「雅ちゃん。これ何の作品のなんてキャラ?わたし知らないんだけど」
「あたしも知らないわ。茉莉花のデザイン画を元に作っただけだから」
「訊かなかったの?」
そう言いながら見ると、雅は一人でこっそり可愛いポーズを決めていた。案外ノリノリである。
桜子は質問する相手を変えた。
「茉莉花ちゃん。これ何てキャラ?」
茉莉花はおおらかに笑った。
「ハッハッハ。わたしにキャラとかわかると思う?全部わたしのオリジナルデザインよ」
「えっ、そうなの?でもそれじゃ片桐さん、納得しないと思うけど」
「なに言ってんの。三人もの超絶美少女がこんなカッコーしてんのよ?肌色と癒しと色香に悶え死ぬわよ」
雅が、また違うポーズを決めながらツッコミを入れる。
「もう死んでるけどね」
桜子は茉莉花の言った「肌色と癒しと色香」のフレーズが「桜子と雅と茉莉花」に対応しているように思えてならなかった。
こっそり可愛いポーズをまた決めている雅は「癒し」キャラに間違いないし、拳銃を構えるポーズをセバスチャンに見せてカッコよさをチェックしてもらっている茉莉花は「色香」に溢れている。消去法で考えても「桜子=肌色」ということになる。
――肌色って…。
確かに露出面積は三人の中で一番多い。特に足などは。
そんな事を考えながらぼんやり茉莉花たちを見ていたが、ふと気になって桜子は訊いてみた。
「のんびりしてるけど、前回みたいに霊をさがして回らなくていいの?」
「ダイジョブよ。今回は雅の結界のおふだと一緒に誘導のおふだも貼って回ってもらったから」
「え、そんな事もできるの?雅ちゃん」
「雅はPCスキルも高いからね」
「PCスキル?」
「ほら」
茉莉花は側にあった用紙を取って桜子に広げて見せた。そこには「アニメコスプレイベント会場はこちら」の文字と矢印とどこかから拝借した画像がレイアウトされている、もっともらしいチラシがあった。
「あとは待つだけよ」
茉莉花は自信満々だ。
そんなに都合よく引っ掛かるものかしらと桜子が思った矢先、コスプレイベント会場の貼り紙がある入口から、片桐は普通に入ってきた。見た目はスーツを着た普通の若い男の人だ。宴会場をキョロキョロと見回している。
茉莉花の合図で雅が動いた。ゆっくりと片桐に近づき、さっきやっていた可愛いポーズをとりながら、初めて聞くような可愛い声で言った。
「お帰りなさいませ、ご主人さま♡」
『お、お…』
「もっと奥へどうぞ」
雅が奥へ導く。その隙に茉莉花がそっと入口を閉める。
雅に促されて片桐はテーブル席に座り、笑顔で言った。
『キミ……可愛いね…』
「ありがとうございます、ご主人さま♡」
『そのコス見たことないけど、誰?』
「誰…?」
『片っ端からチェックしてるつもりだったけど不覚。どの作品のキャラ?アニメ?ゲーム?』
「あ…えと、その…」
桜子が慌ててフォローに入った。
「こんにちは」
『おっ、キミも可愛いね』
「あ…ありがとうございます」
『キミは…ん~、巫女キャラはだいたい知ってると思い込んでたけど、俺の知ってるのとは髪型とか衣装の作りとか微妙に違うんだよなぁ。――誰?』
「あっ、わたしたち次クールの夏アニメのキャラです。7月スタートの」
『あ、そうなの?次クールは全部チェックしたつもり…………あれ?次クールは冬でしょ?』
桜子は間違いに気づいた。
片桐が亡くなったのは年末なのだ。すると次クールは冬という事になる。
口ごもった。
「あー、えーとぉ…」
そこへ茉莉花が自信満々でフォローに入った。
「キャラとかどうでもいいじゃないですかあ」
片桐の笑顔が消えた。茉莉花を上から下まで舐め回すように見てから低い声で言った。
『なに言ってんの?どうでもいいわけないだろ』
「いやいや、よく見て?わたしたち可愛いでしょ?それで良くないです?」
茉莉花は得意げに拳銃を構えて、思いきり悩殺ポーズを決めた。
片桐は無表情で答えた。
『バカ言うなよ。2次元が3次元に昇華されてるからコスプレはアツいんじゃん』
「あ…あれ?」
茉莉花のフォローは空振りだったが、時間を置いたお陰で桜子は冷静になれた。なんとか辻褄を合わせてみる。
「言いかた間違えちゃいました。ちょっと先ですけど、来年の夏クールです。『制服戦記』っていうオリジナルアニメで、いろんな制服の女の子が出てきてバトルするんです」
片桐の笑顔が戻った。
『へー、そうなんだ。二人は何てキャラ?』
「あー……桜子と雅です」
『そっか。知らなかったな。不覚』
片桐は桜子と雅を交互に見てニコニコしている。
その真ん中に茉莉花が入ってくる。
「どうです?写真も撮れますよ」
片桐は、また無表情になった。
『キミは間に合ってるよ』
「まに…!」
『どうせ好きでもないのに腹の中でバカにしながら仕事で仕方なくやってる数合わせの人でしょ?それにモデルだか何だか知らないけど大人の女を売りにしてる人は苦手なんだ。桜子と雅だけでいい』
「……!」
今にも襲いかかりそうな茉莉花を雅が止めた。これで先日の事を思い出されでもしたら水の泡だ。
桜子も悠長な事はしていられないと思い、さっそく自分の仕事に取りかかった。
「ところでね…」
桜子は片桐と視線を合わせるように床に両膝をついてグッと近づき、今まで茉莉花たちに見せたことのないような慈悲深い笑顔で片桐を見つめた。その表情に、怒っていた茉莉花も魅入られた。
桜子の声音は、まるで菩薩の声でも聞いているのかと錯覚するような深く優しい響きに変わった。
「このホテルに落とし物をしませんでしたか?」
片桐は呆けた顔で桜子を見つめていたが、ここに留まっている理由を思い出したようだ。
『あっ…』
桜子は懐から封筒を取り出し、中のチケットを見せた。
「これでしょうか?」
『そう!』
「見つかって良かったですね」
片桐は差し出された封筒を受け取った。
『ありがとう!本当にありがとう!』
「これでこの場所に固執する理由は無くなりましたね」
『……うん』
「ところでね…」
桜子の表情と声が更に慈愛に満ちた。
「どうしてこれを落としたの?」
『どうして?』
「上着のポケットに入れてたのでしょう?」
『うん』
「この宴会場をよく見てね」
『ん?』
片桐が見上げる。
「見覚えあるでしょ?」
『…ああ』
「あの日、ここで何があったのかな」
『……何もない』
「よく思い出して?」
『嫌だ。それより電車の時間があるんだ』
「電車に乗って、どこへ行くの?」
『…東京』
「東京のイベントに行きたいのね?」
『そうだよ。だから急いでる』
椅子から立ち上がろうとする片桐を桜子は手で制した。
「急いで行っても、今はイベントやってないわよ?」
『なに言ってるんだよ。そんなわけないだろ』
「今はもう5月。次のイベントは8月よ」
片桐の顔に怒りの色が浮かんだ。
『そんなわけないだろ!どうせお前も「たかだかヲタクイベント」って馬鹿にしてるんだろ。でも俺にとっては生き甲斐なんだよ!』
桜子は大きくかぶりを振った。
「わかるよ。わたしにとっても憧れだもん!」
『な、なに?』
「わたしのふるさとは近所に本屋も無い田舎なの。メディアとのつながりはテレビとネットと通販で手に入れた本だけ」
『……』
「都会のキラキラしたイベントなんて中学生の貧乏娘には夢の世界。せいぜい取り寄せた同人誌で自分を慰めるばかり」
『じ、自分を慰める…』
片桐の表情に淫らな色が浮かんだ。
茉莉花が呟き、腕をまくる。
「あいつ不届きだな。消してやろーか」
「どうどう」
雅が茉莉花をなだめる。
桜子は片桐の不埒な視線や感情に全く気づくこともなく、続けた。
「だから気持ちはすごーくわかるわ。行きたいよね?」
『あ…ああ』
「でも思い出して。あなたは行く前にこのホテルに来たの。なんで?」
『…ばか課長に呼び出されたからだよ』
「ここに来て、何をしたの?」
『…照明を交換したんだよ』
「この宴会場の、どの照明?」
『あそこだよ。あれは俺が交換したんだ』
片桐は指をさした。桜子はそれを見ながら言った。
「高いわね。あんな高い所、どうやって交換するの?」
『脚立を使ったんだよ』
「のぼったの?」
『ああ』
「交換したあと、どうしたの?」
『もちろん下りたよ』
「チケット落としたんでしょ?ちゃんと下りられたの?」
『もちろん、ちゃんと……』
「……下りられた?」
『…………』
「何があったの?」
『あ……あ……』
下を向く片桐の顔を覗き込むように桜子が顔を寄せる。
「話してくれるでしょ?」
『……………………落ちた』
「落ちて、どうなったの?」
『……………………死ん…だ?』
桜子が両手で包み込むように片桐の頭を優しく撫でた。
「話してくれてありがとう。もうこの場所に縛られることはないのよ。安心して浄土へ逝けるわ」
片桐が泣き出した。
『嫌だ…逝きたくない……怖いよ…』
「大丈夫よ。怖い所じゃないから」
『東京へだって、まだ行ってないし…』
「ごめんね。冬は諦めて。でも夏のイベントはお盆の時期よ。帰ってくればいいじゃない」
『そうだけど…』
「逝けるよね?」
『でも…どうやって逝けばいいのかわからないよ』
「大丈夫。わたしにまかせて」
『どうするの?』
桜子は立ち上がり、座ったままの片桐をそっと抱きしめた。
「逝かせてあげる♡」
明らかに片桐の顔色が変わった。至福の表情を浮かべている。
『キミが逝かせてくれるの?』
「うん。まかせてくれる?」
『ああ…』
桜子は片桐を抱きしめたまま、目をつぶって祈りを込めた。すると片桐の姿が光り始めた。
『あ…逝きそう』
さらに光が増す。
『あっ……あっ……もう逝く…』
光の強弱が脈動する。
茉莉花が雅に囁く。
「あいつ……なんか、けしからん」
雅がツッコミを入れる。
「とか言いつつ、なんでそんな嬉しそうにハァハァしてるの?」
片桐は桜子の胸に顔を深く埋め、恍惚としていた。
『……………………逝く…』
片桐の姿はひときわ明るく輝き、光がおさまるのと同時にスッと消えた。
桜子は懐から数珠を出し、手を合わせた。そのまましばらく目を閉じ、何かを唱えるように口をパクパクさせていたが、ゆっくり目を開けた。
茉莉花が声をかける。
「桜子?」
桜子は燃えつきたように腕をだらりと垂らし、涙のにじんだ目で茉莉花を見ると静かに言った。
「逝っちゃった…」
その姿を茉莉花は不純な感情とともに見惚れていたが、すぐ我に返って素直にねぎらった。
「おつかれさま」
桜子はほんのり笑い返した。
次回「その7 露天風呂にて」は6/18(火)に投稿する予定です。