その8 茉莉花の場合
雅が家を出たすぐあとに、家のチャイムがいきなり連打された。
めんどくさそうに茉莉花がインターホンを見ると、案の定マンチカンだった。
茉莉花が不機嫌にドアを開けると、浴衣姿のマンチカンが入ってきて両手を合わせた。
「頼む。一生のお願い。手伝ってくれ。バイト代は出るから」
「なによ、藪から棒に」
「檀家さんの頼みなんだ。来る予定だった女の子が来なくって、浴衣の女の子が必要なんだ。おまえ浴衣を持ってたよな」
「待った待った待った。慌ててるのはわかったから、ちょっと落ち着いて説明してよ」
「あ、ごめん…」
リビングのソファに座ってマンチカンが説明する。
「村松さんって檀家さんがオーナーしてる居酒屋が権堂の近くにあるんだけど、今日はその店の前に露店を出す予定なんだ」
権堂は長野市の繁華街で、びんずる踊りのコースに近い。この日、びんずる祭りの会場の周辺では店の前に露店を出す飲食店も多い。
マンチカンは続けた。
「オレも夕方からその露店でバイトすることに急になったんだけど、一緒にやるはずだった女の子が来れなくなったらしくてな。夕方までは店の人が見てるんだけど、居酒屋の営業が忙しくなっちゃうと手が回らなくなるんだ。それでオレの所に連絡が来て、浴衣の女の子に心当たりは無いかって」
「浴衣の女の子じゃなきゃダメなの?」
「よくわかんないけど、伝統なんだとか。まあ、こだわりの強いオーナーだからな。オレは焼き物とかやるから、お前は飲み物を担当してくれればいい。びんずる踊りの終る21時までの3時間ちょっとで一人五千円くれるって言ってたから悪くはないバイトだろ。売り物は好きに飲み食いしてもいいって言われてるし」
「えー、めんどくさい。あんたとこの檀家なんて、わたし関係ないし」
「関係なくはないぞ。西南中学校の教頭を紹介してくれて、お金を払ってくれたの、村松さんだし」
「うっ…。そういうの出すの卑怯だぞ」
「なあ、頼むよ。オレの知り合いの女の子なんて、お前しかいないんだよ」
「手を出してる女の子なんていっぱいいるでしょ?」
「いねぇよ」
「それにしたって、知り合いの女の子がわたしだけって事はないでしょ?少なくとも雅とか桜子だってそうじゃない。二人ともおデート中だけど」
「…………オレの知り合いの『ヒマ』な女の子なんて、お前しかいないんだよ」
「おう、ケンカ売ってんなら買ってやんよ」
マンチカンは手を合わせて頭を下げた。
「ホント頼むよ。村松さんには世話になってるんだよ」
茉莉花は大きく溜め息をついた。
「もう……わかったわよ。手伝ってあげるわよ。そのかわり一つ貸しだからね」
「おー、サンキュー!返す返す。借りなんて何でも返してやるよ」
茉莉花のびんずる参加が決まった。
浴衣姿の茉莉花とマンチカンが店の男性に説明を受けていた。
店の前には露店が出されていて、右半分にフランクフルトを焼くホットプレートと焼き鳥類を焼く網とキュウリの一本漬けを並べる台があり、左半分にはペットボトルや缶を冷やす水槽とビールサーバーとハイボールのサーバーが並んでいる。
言っていたように、マンチカンは右半分を、茉莉花は左半分を担当する事になった。
マンチカンは僧侶とは思えないほど様になっていた。肩にタオルをかけた浴衣姿の金髪イケメンは、まるで初めからこの仕事をしていたように調子よく通行人に声をかける。その結果、なぜか女性客にキュウリの一本漬けがよく売れていた。
それに反して茉莉花は上品に振る舞っていた。まるで連れてこられたお嬢様だ。いや、本当に連れてこられたお嬢様なのだが、普段の茉莉花の態度では全然ない。ただ、お嬢様然とするのはお手のものだった。優しげな微笑みを絶やさず、その漂う色香で男性客に次々とビールを売りさばいていく。
そうこうしているうちにびんずる踊りが始まった。そこで少し客足が落ち着いた。
マンチカンがクーラーボックスからキュウリの一本漬けを出して並べながら茉莉花に言った。
「悪い、茉莉花。飲み物はオレが見てるから、中に行ってまだ一本漬けあるか聞いてきて。もうすぐ無くなる」
「わかった」
茉莉花は店の中へ入っていった。
びんずる踊りが始まってすぐだったからか、客が途切れた。マンチカンは肩のタオルで汗を拭うと、水槽からコーラを取り出してがぶ飲みした。げっぷが出る。
その時、青い浴衣と黄色い浴衣の若い女性二人組が声をかけてきた。
「おにいさん。キュウリ二本ちょうだい」
「はいらっしゃい」
マンチカンはキュウリを取ろうとしたが、その時、青い浴衣の女性が驚いた声を上げた。
「あれ?ともくんじゃない?」
マンチカンの手が止まった。
「え?」
「ともひろくんよね。金髪にしてるから、一瞬わかんなかった」
マンチカンの本名、徳満智寛=とくみつちかんは僧侶としての呼び方で、プライベートでは徳満智寛=とくみつともひろと読ませている。
黄色い浴衣の女性が青い浴衣の女性に訊いた。
「ともひろって、あんたの元カレじゃなかった?」
青い浴衣の女性は持っていたうちわを横に振った。
「違う違う。強いて言えば、元セフレ候補よ。話したじゃない」
「うわっ、思い出した。ラブホまで行っといて何もしなかったっていう彼?」
「そ。――ね、ともくん♪」
マンチカンはたじたじだ。
「その話はもう…」
青い浴衣の女性の口は滑らかだった。
「あの時はびっくりしたわよ。さあこれからって時に、いきなり好きな人を裏切れないとか言い出したのよね。あたし、てっきりあの辞めさせられた女教師のこと言ってるんだと思った」
黄色い浴衣の女性がはしゃぐ。
「噂になってたよね。教え子の高校生に手を出してクビになったって。それがともくんだったんだ」
「でもあたし、カッコいいって思ったのよね。女教師との禁断の恋。かなり年上の分別のある女性を狂わせて虜にしちゃう男子高校生」
マンチカンは呟くように否定する。
「そんなんじゃないよ…」
青い浴衣の女性の口は止まらない。
「いいじゃない。それがあったから、あたし、ともくんに近づいたんだもん」
青い浴衣は黄色い浴衣に向かって訊いた。
「興味あるでしょ?」
その質問に黄色い浴衣が答える。
「ある、ある。どんなスゴいの?とか思っちゃう」
「エッチがスゴいなんて話はしてないよ。あんた欲求不満なの?」
「とか言って、それも期待してたんでしょ?」
「まあね~」
青い浴衣は面白そうに続けた。
「ところがよくよく聞くと、裏切れない初恋の人は女子中学生だって言うじゃない。とんだロリコン野郎だと思ったら、一気に冷めたわよ」
マンチカンは呟いた。
「もういいだろ?」
青い浴衣はふざけるようにわざとらしく口を尖らせた。
「よくはない。ラブホ行ったこと彼氏にバレて、何もしてないのにケンカになったんだから」
マンチカンは低い声で言った。
「それはオレのせいじゃない」
「そうかもしれないけど、ともくん、そのあとも懲りもせず他の女の子たちを誘ったでしょ?筒抜けよ」
「誘ってない。誘われたんだよ」
「どっちだっていいけど、誘いに乗っていいとこまで行くくせに、これからって時にその中学生を裏切れないって全部断ってるよね」
「だからなんだよ」
「そんなの好きな人がいるからって最初から断ればいいじゃない。イケメンが寸止めは、そりゃ罪でしょ」
黄色い浴衣が大きく頷く。
「正論よね~」
青い浴衣は嘲笑うようにマンチカンに訊いた。
「んで?相変わらずロリコン拗らせてるの?」
その時、茉莉花がマンチカンの背中を力の限り平手ではたいた。マンチカンは思わず声を上げた。
「いってぇ!!」
茉莉花は自分の腰をさすりながら反論した。
「痛いのはこっちよ!何であんなに元気なの?!」
マンチカンは面食らった。
「な、なにが?」
「だって、今日この仕事あるってわかってたのに、朝まで寝かせてくれないんだもん。激しすぎて、今になって腰に来たわよ。あんな格好やこんな格好させられて、わたしは雑技団じゃないっての。めちゃくちゃ恥ずかしいんだから」
腰をさする茉莉花。
マンチカンは目を剥いた。
「お、お前、なに言ってんだよ」
「いや、そりゃ、なに言ってるって思うのはわかるよ。あんなに喜んでたじゃないかって思ってるんでしょ?そうよ。めちゃくちゃ良かったわよ。良すぎておかしくなりそうだったわよ。わたし、あなた無しでは生きられない体にされちゃったわよ。もう毎晩お願いしますって心の底から思ってるわよ。でもホントに毎晩は日常生活に支障が出るのよ。初恋が成就して嬉しくて、わたしに夢中なのはわかるけど、そろそろ疲れてよ。あんた絶倫すぎるのよ。このままじゃ、わたし廃人じゃない」
「お、お前…お前…」
マンチカンは青い浴衣をちらりと見た。それを見て、茉莉花は初めて気付いたようなフリをした。
「あら、やだ。お客さん、いたの?早く言ってよ、恥ずかしい」
青い浴衣と黄色い浴衣は唖然としていたが、ハッと我に返った。
茉莉花はマンチカンを突っついた。
「ほら、注文を聞いて、聞いて」
マンチカンも我に返った。
「あ…ああ。一本漬け二本だったよね」
青い浴衣は頷いた。
「う、うん…」
マンチカンはお金を受け取り、一本漬けを青い浴衣と黄色い浴衣に一本ずつ渡した。
立ち去る前に青い浴衣は少し上気した顔をマンチカンに近づけ、小声で言った。
「ともくん。せっかく会えたんだから、LINEぐらい交換しない?」
マンチカンは、別の客の注文でビールをコップに注いでいる茉莉花の方をチラリと見てから、青い浴衣をまっすぐに見て言った。
「彼女を悲しませたくないからお断りします」
青い浴衣はつまらなそうに「あっそ」と言って去っていった。
マンチカンは茉莉花に訊ねた。
「キュウリは?」
茉莉花が答えた。
「あ、取りに来てって。来るとき空のクーラーボックス、持ってきてって」
「じゃあ、ちょっと行ってくる。お客さん来たら待ってもらって」
「了解」
少し時間が経った。お客さんが引いたところでマンチカンが茉莉花に訊いた。
「さっきのあれ、なんだよ」
茉莉花は無意味にとぼけた。
「さっきのって?」
「あのエロい作り話だよ」
「どこがエロいの?あれはフィットネスが激しいって話よ」
「フィットネスの表現で絶倫て言葉を使うの、初めて聞いたわ」
茉莉花は不敵に笑った。
「マンチカン、国語の成績わるかったでしょ。絶倫て、単に並外れて優れていることを言うのよ。エロい話なら精力絶倫でしょ?」
マンチカンは渋い顔をした。
「ただ絶倫って言ったら、普通その事だろ」
「あんたの頭がエロいから、全部そう聞こえるのよ」
マンチカンは怒らず、真面目な顔を向けた。
「まあ、そんな事はどうでもいいよ。あの子との話、いつから聞いてた?」
茉莉花は鼻で笑った。
「たぶん、わりと最初から?」
「それで、何がしたかったんだ」
「別に」
「別にってことあるかよ」
「なんとなく腹が立っただけよ」
「腹立った?なんで?」
「わかんないよ。強いて言えば、ロリコンってところ?」
苦笑いをするマンチカン。
「それはしょうがないだろ?実際、あの頃、お前は中学一年生だったんだから」
「だって三つしか離れてないじゃない」
「そうなんだけど、高一が中一はアウトなんじゃない?世間的には」
「じゃあ、今は?十九歳が十六歳はアウト?」
「そう思ってないから、あんな芝居したんだろ」
「まあね」
「あの二人、ドン引いてたぞ」
バカにしたように笑う茉莉花。
「思う壺よ。あの人、最後にあんたにアプローチしてきてたでしょ?」
「聞こえてたのか」
「あれ、絶対に逃がした魚って思ってたよ。そう思われたら作戦成功だけどね」
「何の作戦かしらないけど、通行人までドン引きしてたからな」
目を丸くする茉莉花。
「え?マジ?」
「すごいエロい目で見られてたぞ」
茉莉花は眉間にシワを寄せた。
「まあ、いいか。二度と会わない人なんか関係ないし」
「知り合いがいたりしてな」
「やめてよ、もう」
また時間が過ぎた。すると、店の中から最初に説明してくれた男性と、二十代ぐらいの浴衣の女性が出てきた。
男性は告げた。
「もう、いいよ。店も余裕が出てきたし、社長の娘さんが来てくれたから」
浴衣の女性はオーナーの娘だった。
「代わるわよ」
時間的には、まだ一時間以上残っている。なんとなく申し訳ない。
マンチカンは思った事をそのまま言った。
「なんか悪いですよ。途中であがるのは」
男性は笑った。
「心配しなくてもバイト代はちゃんと出すから安心して」
「そういう事じゃなく、なんか途中で投げ出すみたいで…」
「律儀だね。でも、いいんだよ。こっちが急に頼んだことだから。彼女とお祭り、楽しんできな」
男性はマンチカンと茉莉花に一封ずつお金の入った封筒を渡した。
マンチカンはありがたく受け取りながら言った。
「オレたち、そういうんじゃないですから」
「またあ。毎晩激しいって聞いたよ」
「え?」
「お客さんが店に入ってくる時に、君たち二人の話を聞いちゃったんだって」
「あれは嘘ですから」
「いいから、いいから。まだ時間あるし、二人で遊んできな」
促されて、マンチカンと茉莉花は店を離れた。
歩きながら、マンチカンはもらった封の中を見た。
「わっ。1万円も入ってる」
「うそ」
茉莉花も確認する。
「ホントだ。太っ腹」
マンチカンは1万円札を財布にしまいながら言った。
「軍資金も入ったし、その辺の屋台でなんか食べる?オレ、フランクフルトしか食ってない」
「わたしなんて、あんなとこで食べにくくて、飲み物しか口にしてないよ」
「お腹空いたな」
「うん。屋台じゃなくて、どっか入る?屋台の行列に並んでチマチマ食べるの、しんどくない?」
「そうだな。どこにする?」
「どこも混んでそうよね」
「落ち着いて食事できるとこ無いかな」
「いっそ、車で移動しない?学校の知り合いと会うのやだし」
「ありだな。行こう」
「うん」
駐車場の方へ歩き出す二人。
マンチカンは訊いた。
「なに食べたい?」
茉莉花は下卑た笑顔を見せた。
「えへへ。ひとり1万円もあるんだから、いいもの食べようよ」
「そういえば山の方におしゃれなレストランがあったな。気にはなってたんだけど一人じゃ行きにくいし。確か遅くまでやってるはず。そこ、どお?」
「いいねぇ。そこにしよ」
目的地は決まった。
次回「その9 マンチカンの秘密」は1/10(金)に投稿する予定です。




