その7 雅の場合
約束の17時半には、まだ少し早い。何事も先に先にと動く雅は既に待ち合わせ場所に来ていた。
それなのに、先ほど大輝から少し遅れると連絡があった。仕事を早抜けできると言っていたが、結局は思うようにいかなかったらしい。それでも終わり次第こちらに来ると言っていたので、とにかく待つしかなかった。
目立つのが嫌いな雅だったが、浴衣の美少女がポツリと一人で立っていれば、それは嫌でも目を引く。通行人の、特に男性の視線が無遠慮に飛んでくるのを、雅は気付かないように下を向いていた。
ところが、そんな拒絶オーラを読み取れない鈍感な男、または読み取れてはいても気にしない厚顔な男は何人もいて、頭の悪いセリフで声をかけてくる。
「ねえ、キミひとり?」
二人の若い男が声をかけてきた。
ひとりな訳ないじゃないと思いながら、雅は答えた。
「待ち合わせです」
「お友達?待っててあげるから、来たら一緒に行こうよ」
「いえ、彼氏です」
「なんだぁ。彼氏かぁ。チッ、じゃあねー」
二人組は去っていった。
そしてまた別の二人組が声をかけてくる。
「彼女、どうしたの?彼氏と待ち合わせ?」
「そうです」
「自分の彼女を待たせるような彼氏なんかほっといて、オレらと行こうよ」
「いえ、結構です」
「そんなこと言わずにさ」
雅の手首を掴もうと男の手が伸びてくる。ところが触れる直前で、何かにバチッと弾かれる。
手を引っ込める男。
「イタッ……静電気?」
懲りもせず、今度は雅の肩に手を伸ばす男。けれども同じように触れる直前で弾かれる。
男は体ごと後ろに引いた。
「イッタ……なんなの?」
雅は下を向いたまま、目だけ男の方を見て言った。
「あなた達を拒絶してるので、さわれないですよ」
「そんなわけないだろ」
もう一人の男が勢いよく掴みかかってきた。けれども結果は同じである。それどころか雅の張った結界に勢いよく触れたものだから、余計に強く弾かれた。
「イッテェ!」
男は伸ばした方の手をもう片方の手で押さえた。
「なんなんだよ、おまえ!」
などと捨て台詞を言いつつ、二人組は去っていった。
その後もふた組に声をかけられたが、彼氏を待っていると言うと、どちらもすぐに離れていった。
大輝が来たのは最後の男たちが離れていった直後だった。大輝は嬉しそうに言った。
「待ってる彼氏って俺のこと?」
雅は少し不満げに答える。
「そうよ」
「そっか。彼氏か」
「わかるでしょ?ああいう人たちにはそう言うのが正解だって」
「それでも嬉しい」
「そう…」
「じゃ、行こうか」
二人は並んで歩きだした。
大輝はTシャツにジーパンというシンプルな姿だった。バイクに乗って来たのだから当然である。
雅は訊いた。
「バイクは?」
大輝は後ろの方を指さして答えた。
「駐輪場に停めたよ」
「そう…」
少しの沈黙のあと、雅は空を見上げて言った。
「見て。入道雲」
ほんのりとオレンジに色づいた空に小さな入道雲が浮かんでいる。
大輝も見上げた。
「ホントだ。夏だな」
「うん、夏ね」
また少し歩いたあと、雅が指をさして言った。
「ほら、あそこで何かやってる」
雅の言った方で何やらやっていたみたいだが、どうやら片付けをしているようだ。
「もう終わっちゃったみたいだな」
「昼間から色々なイベントをやってたみたいよ」
「ごめんな。遅くなって」
「いいよ。びんずる踊りがクライマックスだもん」
それからまた少し歩いた。前方にたくさんの提灯が見えてくる。雅は言った。
「わあ。提灯がキレイね」
「ああ。ホントだな」
また少し歩く。松明が見えてくる。
「見て、見て、松明」
「ああ。すごいな」
「ねえ。キッチンカーがたくさん並んでるよ」
「ホントだ。屋台だけじゃないんだな」
人が増えてくる。雅は大輝のTシャツの裾の後ろを掴んだ。大輝は「ん?」と振り向いたが、雅の掴んだ手を確認するとニッコリ笑って言った。
「離れるなよ」
「うん…」
雅は頷いた。
間もなくびんずる踊りが始まった。
大輝が訊いた。
「どこかで座って見る?」
雅は首を振る。
「今からじゃ、いい場所は無いよ。スペースあったら、そこで立って見よ」
びんずる踊りは通行止めにした道路をたくさんの連が杓文字を両手に持って踊りながら進んでいく。見物客は歩道に場所を取ったり立ったりしてそれを見る。歩道には行き交う人もいるので、混雑していてあとから来て場所を取るのは難しい。
二人はほんのわずかなスペースを見つけると、そこに立って踊りを見物した。
雅が一つの連を指さした。
「あの連、可愛いよ」
女の子たちが派手な衣装でオリジナルダンスを踊っている。中にはすごく小さな子まで混ざっている。どうやら、どこかのダンス教室の連らしい。
大輝が笑った。
「あはは、ホントだ。あんなちっこい子まで一生懸命に踊ってる」
そのあと、若い男性中心の連がやってきた。
大輝が指さした。
「あの連、カッコいいね」
お揃いの黒い法被に身を包み、スタンダードな踊りよりもグッと腰を落として大きな振りで勇ましく踊る連だった。
「そうね。でもあたし、ああいう人たち、ちょっと苦手。悪い人たちじゃないのはわかるんだけど、周りを威圧してるのわかった上であの格好してるんでしょ?絶対に仲良くなれない」
「あーまあ、雅ならそうかもね」
「でも、若い人たちに混じって踊ってるあの最後尾のおじさま方は、なんかカッコいい」
「え?雅ってイケおじ好き?」
「違うわよ。でも、粋って感じしない?」
大輝は面白くなさそうに答える。
「まあねぇ」
雅は大輝の顔を見上げて言った。
「あくまでも踊ってる姿の話よ。私生活で会ったら、あのおじさま方もやっぱり苦手だと思うもん」
大輝は笑顔で雅を見下ろした。
「まあ、雅ならそうだろうね」
雅が笑顔を返す。
次に来たのは女性たちの連だった。若い人から年輩の人まで様々な世代が揃っている。同じ着物を着て、綺麗に揃った女性らしい優雅な振りで進んでいく。
雅から思わず感嘆の声が漏れた。
「すてき」
大輝が頷く。
「うん、そうだね」
「憧れるなぁ」
「あの連に入って踊りたい?」
「え~?入ってみたい気はするけど、あのお姉さん方みたいにステキにはなれないよ」
「そんなことないよ」
「そんなことあるわよ。だって、みんな色っぽいもん」
大輝は少し怒りぎみに言った。
「でも、あの中に入ったら雅が一番かわいいに決まってる」
雅は苦笑いした。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、言い過ぎよ」
「真実だよ」
真剣な眼差しを向けてくる大輝を少し見つめ返してから、雅は言った。
「うん。ありがとね」
それから雅は視線を踊りの連に戻しながら言った。
「そういえば、今日会ってから今までの会話。去年やおととしのびんずるでも似たような会話をしてなかった?ちょっとデジャヴュ」
大輝も視線を踊りの連に戻した。
「そうかもね」
「マンネリね、あたしたち」
「それがいいんだよ」
「そお?新鮮さとか無いよ」
「保育園から一緒なのに、今さら新鮮さなんて必要?それとも俺といて楽しくない?」
雅は慌てた。
「あたしはすごく楽しいよ。でも大輝くんが楽しくないかなって」
「俺は雅といるだけで幸せだから」
「……」
「去年もおととしも似たような会話をしてる?それって、長野に来てからの雅のびんずるの思い出には必ず俺がいるって事だろ。なら、これから先もずっとマンネリでいい」
「…………」
雅は黙って下を向いてしまった。
大輝は下を向く雅をしばらく見ていたが、明るく言った。
「でも、俺はいつだって新鮮だよ。今年は今年の雅が見れたからな」
雅は下を向いたまま、少し首を回して目だけで大輝を見上げた。
「去年と同じ浴衣だよ?」
大輝は合っていた視線を逸らし、反論するように言った。
「で…でも、み、雅自身は毎年きれいになってるから」
言ってから大輝は赤くなった。
雅は照れながらも顔を上げ、囁くように言った。
「大輝くんもカッコよくなってるよ」
「――!」
大輝はさらに赤くなり、目を合わせずに言った。
「からかうなよ」
「ホントよ。モテるでしょ?彼女なんて、すぐできるわよ」
大輝は悲しそうな顔を雅に向けた。
「雅以外の女にモテたって、なんの意味も無いよ」
大輝の真剣な目に、雅はたじろいだ。
「そ…そうなの?」
「なんで長野に来てると思ってるんだよ」
「…………」
踊りが休憩に入った。
雅は何も無かったように言った。
「今のうちに向こうへ渡ろ。屋台、いっぱい出てるよ」
雅は大輝の手を取って引っ張った。
踊りの休憩中は道路の反対側の歩道へ渡る事ができる。二人は休んでいる連の間を抜けて、屋台がいっぱい出ている『ながの表参道セントラルスクゥエア』へ向かった。
雅は大輝と手を繋いだまま言った。
「セントラルスクゥエアって今は公園だけど、長野オリンピックの時は表彰式会場だったんだって」
大輝は静かに言った。
「その話も去年かおととし聞いた気がする」
「あはは。何か食べる?」
「雅はなに食べたい?」
「クレープ」
「好きだよな」
「うん」
二人はクレープの屋台に並んだ。
雅は首を傾けて列の前の方を見て言った。
「けっこう並んでるね」
「そうだな」
「大丈夫?並ぶのとか嫌いでしょ?」
「一人ならね。二人だから苦じゃないよ」
「ならいいんだけど…」
「……」
雅は下から覗き込むように大輝の顔を見上げて訊いた。
「どうしたの?元気ないけど。やっぱり並ぶのダメ?」
「違うよ。――雅は平気なんだな」
「何が?」
「俺、手を繋いでるの、ドキドキするんだけど」
雅は微笑んだ。
「だって保育園の頃はいつも手を繋いでたじゃない」
「今は俺たち高校生だぞ。男女で手を繋いだら、そりゃドキドキするじゃないか」
「イヤ?」
「イヤではないけど」
「じゃあ、このままでい?」
「いいけど……俺、手汗すごくない?」
「あたしも緊張して手汗かいてるから、わかんないよ」
「緊張してるの?」
雅は大輝の口真似をした。
「そりゃ、高校生が男女で手を繋いでたらドキドキするじゃないか」
「それホント?冗談?」
「どっちだと思う?」
「わかんないよ」
「じゃあ、教えない」
「なんだよ、それ」
「あはっ」
大輝は前を向いたまま言った。
「……楽しいなぁ」
「なら、良かった」
「これがずっと続けばいいのに…」
「夏休みはいつか終わるのです」
「夏休みが終わっても、ずっと長野にいたいなぁ」
「そうはいかないでしょ?学校行かなきゃ」
「ウチが金持ちだったらなぁ。転校してくるのに」
「お金があったって、おじさんとおばさんが許してくれないでしょ?」
「それが、最近は父さんがなんとなく応援してくれてるんだよね。バイクを買うお金も貸してくれたし」
「え?嘘でしょ?あの漢て書いてオトコと読むみたいなおじさんが?」
「うん」
「あたしのこと嫌いなのかと思ってた」
「え?なんで?」
雅は声を落とした。
「だって、男の子は男らしくってタイプの人でしょ?」
「そうだよ。だから俺が雅のこと守りたくて大喧嘩したとき、周り中からは責められたのに父さんだけは褒めてくれたんだ」
「知らなかった。誤解してた。ごめんなさい、おじさん」
「まあ、父さんって見た目ちょっと恐いもんね。でも根は優しいよ」
「うん。そういえば、ちっちゃい時すごく可愛がってくれた覚えがある。大きくなってからは、あまり会わなくなっちゃったけど」
大輝が目を細めた。
「俺も父さんは雅とのこと反対なんだろうなって思ってた。学校の対応についてはいつも雅を応援する立場だったから嫌いではないのはわかってたけど、息子の相手としては認めてないのかなって。俺が雅の話をしても素っ気ないから」
「息子に茨の道を歩いてほしくないのよ」
「でも去年な。夏休みに撮った雅の写真を見せたら、綺麗になったなって。幸せそうで良かったなって。あのちょい悪おやじの目が潤んでたんだぜ。笑うだろ」
「…………」
突然、雅の目から涙が溢れ出した。両手で顔を覆う。
慌てる大輝。
「ど、どうした?」
「……なんでもない」
「なんでもなくはないだろ」
「……なんでもないの」
「…………」
雅は巾着からハンカチを出して涙を拭うと、顔を上げて笑顔で言った。
「おじさんに伝えて。あたしは今、幸せですって」
「う、うん。わかった」
順番が来てクレープを頼む。手渡されたクレープを持って屋台を離れ、空いているスペースでかぶりつく。
口の横にクリームをつけながら美味しそうに食べる雅に、大輝は見惚れていた。今の雅の表情は、幸せですと言った言葉を裏付ける最高の笑顔だった。
次回「その8 茉莉花の場合」は1/3(金)に投稿する予定です。




