その4 ハードスケジュール
コンビニでの浄霊の翌日の午後、茉莉花たちはある個人のお宅に来ていた。過去に四十九日法要をしたが、本人が逝っておらずに残ったままの家だ。だから今日は三人とも制服姿だった。
亡くなったのはこの家の奥さんである。残されたのは夫と、当時は小学六年生と小学四年生だった息子二人だった。一年たった今では息子たちは中学一年生と小学五年生になっている。
近くに助けてもらえるような身内もおらず、夫と息子たちが心配で逝けないのだろうというのがマンチカンの見たてだった。
家の中に確かに奥さんはいた。聞くと、場所が決まっているわけではなく、色々な所に現れたり消えたりするという。
家の者はもう慣れてしまって、なんなら「おはよう」や「ただいま」などの挨拶までしているらしい。ただし返事は返ってこない。何も喋らないという。
桜子たちが夫に事情を聞いているところへ、長男が人数分のお茶と野沢菜漬けと爪楊枝立てを運んできた。
桜子は言った。
「息子さん、しっかりしてらっしゃいますね」
夫は照れくさそうに、けれども自慢げに答えた。
「上の子も下の子も家の事をよくやってくれて助かってます」
桜子は家の中を見回しながら頷いた。
「そうみたいですね。男性だけなのに、家の中がとてもきれいです」
「一年前、徳満さんに我々がしっかりして妻を安心させれば自然と成仏してくれるかもしれないって言われましたからね。頑張りましたよ」
「そうだったんですね。いい旦那様ですね」
「いやあ、それほどでも…」
「ただ、奥様はその事に気付いてないのかも。先ほどお顔を拝見した時は沈んだ表情をしてらっしゃいました」
「そうなんですよね。気付いてもらえますかね」
「これから奥様とコミュニケーションを試みます。そのあとで皆さんにもご協力いただくかもしれません。その時はよろしくお願いしますね」
「もちろんです。お願いしてるのは、むしろこちらの方なんですから」
それから桜子は奥さんの所へ行き、目の前に正座した。
後ろの方では他の全員が見守っている。
桜子は奥さんとのコミュニケーションを試みた。
「こんにちは。わたしは高遠桜子といいます」
『…………』
奥さんは喋らない。
桜子は構わず続けた。
「率直にお訊きしますね。あなたがこのおうちにいる理由って、ご家族が心配だからじゃないですよね」
その言葉に夫とマンチカンが同時に「えっ?」と言った。
桜子は続ける。
「だって皆さん、しっかりしてますもん。全く心配が無いかと言ったら違うと思いますし、愛する息子さんたちの行く末も気にはなるでしょうけど、それ以外に残ってる理由があるのではないですか?」
『…………』
桜子の表情と声が慈愛に満ちる。
「わたしはそれが聞きたいの。教えてくれる?」
『……………………』
奥さんの口が微かに動いた。桜子は素早く擦り寄って奥さんの口に耳を近づけ、言った。
「もう一度、お願い」
再び奥さんは何かを囁いた。
それに対して桜子も何かを囁き、それに返事をするように奥さんもまた囁いた。
桜子はそれに頷いてから立ち上がり、見守る皆の所へ来ると静かに言った。
「子供たちには席を外してほしいの」
長男は一瞬だけ驚いたが、素直に「あ、はい」と言った。
雅が何かを察して言った。
「あたしが連れていくから…」
桜子が頷き、雅と息子二人は部屋を出た。
それを確認してから桜子は言った。
「奥さんは、こう言いました。浮気相手との再婚なんて許さないって」
夫は青ざめ、マンチカンは額に手を置いて言った。
「あー、そっちかぁ」
夫が呟いた。
「なんで知ってるんだ…」
茉莉花が鼻で笑ってダルそうに言った。
「むしろ何でバレないと思ってるのかな。男どもは」
マンチカンの表情が曇った。
桜子は続けた。
「今後の再婚が全てイヤなのか訊いてみたの。そしたらどうもそうじゃないみたい。長いあいだ苦しめられたその浮気相手だけは許せないそうよ」
茉莉花が吐き捨てる。
「そりゃ、そうよね。当たり前よ」
マンチカンが桜子に訊いた。
「でも、どうする?どう収める?」
桜子は夫に訊ねた。
「その相手とは、今も?」
「とんでもない。片親になってそれどころじゃなかったですからね。とっくに別れました」
「じゃあ、それをそのまま伝えてください。もちろん謝罪もしてくださいね」
「それで成仏してくれますか?」
「わかりません」
「そんな…」
桜子は真剣な顔になって訊いた。
「そんなに奥さんが邪魔ですか?」
「そんなわけないでしょ」
「じゃあ、いいじゃないですか。ずっといても」
「それで彼女は幸せですか?」
「そんなのは本人にしかわかりません。ただ、ずっと浮気をされたという辛い気持ちを持ち続けたまま留まる事になるでしょうね」
「なんとか彼女を助けてあげられませんか?お願いします」
桜子は笑顔になって言った。
「その言葉を聞けて良かったです。ただ、なんとか出来るのはあなただけです。もし奥さんがあなたを嫌いになってたら、とっくにここにはいませんよ。たとえ憎んでたとしても、嫌いになれないからここにいます。今の気持ちを忘れずに、心から奥さんのための言葉を送ってあげてください。それさえ出来たら、あとはわたしが引き受けます」
「ありがとう。ありがとうございます」
桜子は夫を奥さんの前へ導くと、奥さんに言った。
「謝りたいそうよ。聞くだけ聞いてあげて」
奥さんは黙って小さく頷いた。
夫は頭を床に押し付けるように土下座をした。
「ごめん!俺が悪かった」
『…………』
夫は顔を上げ、許しを請うような表情で話し出した。
「あの子は同じ部署の部下だったんだが、どうやら俺の事が――」
そこで桜子が手を伸ばして話を止めた。
「相手との話も言い訳も、奥さんは一切聞きたくありませんよ。もっともっと奥さんの気持ちになってみてください。奥さんは何を聞きたいのか。よく考えて。さっきの気持ちを忘れないで」
夫はあらためて奥さんを見た。奥さんは無表情である。
夫の顔が辛そうに歪んだ。
「俺が馬鹿だった。本当に俺を愛してくれたのはお前だけだった」
『…………』
「笑ってくれ。お前が亡くなって間もなく、俺はフラれたよ。子供がセットの俺には興味が無いんだそうだ。子供達の事に必死になっている俺は所帯臭くてイヤなんだとさ。家庭を臭わせないスマートな俺が良かったのに、幻滅したんだと」
『…………』
「でも、そんな風にスマートでいられたのは、全部お前のおかげだったんだよな。家の事や子供達の事がどんなに大変だったのか、お前がいなくなって初めてわかったよ」
『…………』
「家の事を何も手伝わず、本当にすまなかった。お前ともっと家族でいたかった」
夫は涙を流していた。それでようやく奥さんは笑顔を見せた。
それを見て、桜子は奥さんにそっと近寄って囁いた。
「安心した?旦那さんがその相手と再婚する事は、もうないよ。見張ってなくても大丈夫。子供達の事も一生懸命やってるみたいだし、浮わついた人生はもう送らないと思うの。だから、あなたは逝けるよね」
奥さんは小さく頷いた。
桜子は奥さんを抱きしめると言った。
「逝かせてあげる♡」
桜子は目をつぶって祈った。すると奥さんの姿が光り始めた。
『…………ぁ……』
光が増す。
『……ぁ……ぁ』
奥さんの顔が恍惚としている。
『…………逝……』
奥さんの姿はひときわ明るく輝き、光がおさまるのと同時にスッと消えた。
桜子はポケットから数珠を出し、手を合わせた。そのまま何かを唱えてから、ゆっくり目を開ける。そして茉莉花たちの方を見ると言った。
「逝っちゃった…」
茉莉花は渋い顔で「うんうん」と頷いた。
茉莉花とマンチカンは見ていた。奥さんが消える瞬間、夫をあざ笑うように見下していたのを。
目をつぶっていた桜子は、それを知らない。どういうつもりで奥さんがそんな顔をしたのか、茉莉花とマンチカンには測りかねたが、背筋に冷たいものを感じていた。もちろん二人とも、その事実を桜子に言うつもりは無かった。
家のリビングで茉莉花は言った。
「もうダメ。ギブアップ」
雅が訊いた。
「なにが?」
「なにが?じゃないわよ。おとといも夜。昨日なんて、めちゃ深夜。なのに今日は真っ昼間。そんで明日は夜中の2時頃でしょ?ハードすぎるのよ。なんでこんなにスケジュールを詰め込んでんの?」
「びんずるまでに終わらせるからよろしくって言ったの、茉莉花よね」
「そうだっけ」
「ウソでしょ?夏休みを満喫したいから仕事と宿題はとっとと終わらせるとかなんとか言ったじゃない」
「あーまー言った気はするけど」
「言ったのよ」
「だってだって眠いんだもん。睡眠不足はお肌の敵なのよ」
「あのね…。あたしだって大輝くんが会いに来たいって言ってたのを断ってるんだからね」
「なんだよ。そんなにイチャイチャしたいのかよ」
「なに言ってるの?」
「今夜、約束してるんでしょ?夜の逢瀬なんて、まあいやらしい」
ため息をつく雅。
「怒る気もしないわ。とにかく、明日の仕事は夜中の2時頃よ。ただ、明日は昼間のうちにノンキボーテに行くからね。じゃなきゃ、桜子の浴衣がびんずるに間に合わないでしょ?」
「相手、結城じゃない。浴衣姿なんて無理に見せなくていいよ」
「ねえ、言うことコロコロ変えないでよ。買いに行こうって言ったの、茉莉花でしょ?」
「言ったけど、それは桜子を少しでも可愛く仕上げたいからで、けして結城を喜ばせるためじゃないから」
「あーそーですか。めんどくさいな」
「あー!今、めんどくさいって言ったぁ!」
「あのね。言っとくけど、桜子が可愛くなれば必然的に結城くんは喜ぶ事になるのよ」
「うわぁー!なにそのジレンマ。どうしたらいい?」
「知らないわよ…」
雅と桜子からは苦笑いしか出てこない。
次回「その5 幽霊電車」は12/13(金)に投稿する予定です。




