その2 最期の混浴
浄霊のために日帰り温泉施設に来るのは営業終了間際でもよかったのだが、せっかくなのでと茉莉花と桜子だけ早めに来て、温泉を楽しんでいた。
露天風呂の湯船に浸かりながら桜子は隣の茉莉花に訊いた。
「早めに来たのに下見とかしなくていいの?」
茉莉花は苦笑いしながら答えた。
「下見したいならしてもいいよ。男湯はまだ男性客の裸祭りの真っ最中だけど」
桜子は赤くなった。
「そうだった。だから終了間際なんだった」
「そんなに男の裸が見たいのかと思ってびっくりしたわ」
「そ、そんなわけないじゃない」
「わかってるわよ。なにせ問題の霊にも話しかけにくいんでしょ?」
「裸の男性の霊って初めてかも」
「大丈夫よ。最初はわたしが声かけるから」
「茉莉花ちゃんは恥ずかしくないの?」
「恥ずかしいのは向こうでは?まあ、好きでもない男の裸は気持ち悪いけど、男の裸ぐらいで動じたりはしないかな」
「なんか見慣れてるみたいな言い方だね」
茉莉花は動揺した。
「あ、えー……見慣れてるってわけではないんだけどね」
桜子の顔がいきなりパッと明るくなった。
「わかった。マンチカンでしょ」
「な、なんでよ」
「だって、雅ちゃんが言うには茉莉花ちゃんとマンチカ…ン……は……」
そこで桜子は基本的な事を思い出した。
「あ……ごめん…………雅ちゃんとのお風呂……かな?」
茉莉花は慌てた。
「ち、違うよ。雅のことなんて、わたしもすっかり忘れてたよ。そもそも女の子同士で入ってる感覚しかないもん」
それから茉莉花は困り顔になり、弱々しく言った。
「そうよ。マンチカンよ。わたしが病気療養してた時にバイトで世話係をさせてたって話、したでしょ?そのころ別荘に一緒に住んでたから何回も見ちゃったのよ。見たくもないアイツの裸を。――雅は関係ないからね」
桜子はうろたえた。
「ごめん。余計なこと言って。なんか、無理にマンチカンのこと話させちゃったね」
「マンチカンの事は、まあどうでもいいんだけどさ。雅のことはホントに女の子としか見れないのよ。そこだけは絶対に誤解しないで」
桜子は大きく頷いた。
「うん、わかってる。茉莉花ちゃん、雅ちゃんにさっき『温泉いかない?』って普通に誘ってたもんね」
「はは。本気で忘れてた。雅が入れないってこと」
「雅ちゃんは気にしてないみたいだったけどね」
「……」
雅は家事が残っているから後で合流すると断った。マンチカンと一緒に来るはずである。
しばらく沈黙が続いた。雅のいない所で雅の話はお互いにこれ以上したくない。
茉莉花も桜子も別の話題を探したが、何かを無理に話そうとすると、かえって何も思い浮かばない。ただ、桜子には気になっているけれども出そうか迷っている話題が一つあった。
桜子は沈黙に勝てず、訊いてみた。
「茉莉花ちゃんがどうでもいいって言ったから訊くけど、マンチカンの裸を見ちゃったのって、どういう状況?」
茉莉花は苦い顔をして言った。
「何を訊いてるのよ」
「気になっちゃって。だって何回も見ちゃったんでしょ?ラッキーすけべ的なやつ?」
「アイツの裸はラッキーじゃないよ」
「でも、そんなエッチでマンガみたいなシチュエーションなんて、現実では想像しにくいもん」
「想像しなくていいから。二人とも無防備だっただけ。わたしなんて中学入る前だったもん」
「どう無防備だったの?」
「勘弁して。アイツの裸なんて、思い出したくもないんだから」
「気持ち悪いの?」
「いや、気持ち悪くはないけど。ただ、恥ずかしいだけで」
「ふ~ん」
桜子は茉莉花から何か大切な事を聞いた気がしたのだが、それがなんなのかまではわからなかった。
営業終了時間が近づき、茉莉花と雅と桜子とマンチカンは従業員用のユニフォームに着替えた。ユニフォームは基本的に作務衣だが、下は浴室での作業をしやすいショートパンツになっている。女性用は薄いピンク色、男性用は薄い水色だった。
茉莉花はマンチカンのユニフォーム姿を見て鼻で笑った。
「あんた、寺の作務衣もそれにすれば?金髪の不良坊主にはピッタリじゃない」
マンチカンは苦笑いする。
「親父に怒られるわ」
「いや、逆に金髪は怒られないの?」
「最初は怒られたけど、もう諦められてるよ。檀家にもそういうキャラクターで浸透してるしな」
笑顔のマンチカン。
それを見つめる茉莉花。安堵の表情を浮かべて呟いた。
「痕は残ってないみたいね…」
「なに?」
「なんでもない」
茉莉花はそっぽを向いた。
営業終了のアナウンスが流れたあと、男性客が全て出るのを待って、茉莉花たちは男湯へ立ち入った。浴室からドアを開けて露天風呂へ出る。すると、聞いていた通り男性の霊が浸かっていた。
予定通り茉莉花はそっと近づくと、明るく声をかけた。
「湯加減はいかがですか?」
男性は振り向いてにっこり笑った。おそらく三十歳前後だろう。色黒で体格はよかった。
男性の霊は笑っているだけで何も話さないので、茉莉花は側まで行ってしゃがむと再び声をかけた。
「温度は丁度いいですか?」
男性は頷いてから小さな声で答えた。
『いいよ』
「よかった。――お客さんはどちらからいらしたんですか?」
『東京』
「あら。観光ですか?」
『観光もしたけど、目的は登山』
「へえ。登山のほうは、もう行ってらしたんですか?」
『ああ』
「どうでした?」
『景色が最高だった』
「それは良かったですね」
男性は小さく笑った。
『よかぁないよ。滑落した』
「え?滑落って、落ちたってことですよね」
『そうだよ。お陰で大ケガした』
「それは災難でしたね」
『災難だよ。痛いし動けないし。救助は一応されたんだけど、病院に着いた時には手遅れだったみたい』
「あー、そうでしたか」
茉莉花が急に振り向いた。男性に気付かれないように桜子に手招きをする。ここから先は茉莉花の手に余った。
桜子は素早く近づくと、茉莉花の隣に並んでしゃがんだ。
「こんばんは」
男性は桜子を見てにっこり笑った。
『あれ、ここの女性従業員さんは、みんな可愛いね』
「ありがとうございます」
『なんか可愛い女の子と混浴してるみたいで、気分がいいや』
「あはは。仕事中じゃなかったら入っちゃうところですけどね」
『若いのにお仕事えらいね』
「そんな事ないです。――それより大ケガしたあと、どうしてウチヘいらしたんです?来たことあるんですか?」
『初めてだよ』
「誰かに聞いたんですか?それともネットで調べたとか?」
『さっき救助された話をしたの、聞いてた?』
「はい」
『あの時、登山前に健康チェックをしてくれた女医さんが搬送されるボクに付き添ってくれて、励ましてくれたんだよ。その時、助かったら傷を癒しに行きなさいってここの事を教えてくれたんだ』
桜子は、まさかと思いつつも訊いた。
「その女医さんの名前って?」
『なんだっけな。みんなにミナミ先生って呼ばれてたかな?』
「ミナミ先生?!」
茉莉花と桜子は同時に振り向いて雅を見た。雅はわかるように大きく頷いた。
桜子は落ち着いて訊いた。
「そのミナミ先生ってどこの人かわかりますか?」
男性はかぶりを振った。
『知らないな。登山口にある麓荘って宿に前泊したんだけど、そこにボランティアって言って無料で登山者の健康チェックをしに来てた』
「そうなんですね」
その「麓荘」の人に訊けば何かわかるかもしれない。
なんにせよ、男性は自分が死んでいる事をどうやら自覚しているようだ。ならば、慎重になりすぎてもあまり意味はない。
「ところでね…」
桜子は男性と視線を合わせるようにグッと近づき、慈悲深い笑顔と優しい声で切り出した。
「ご自身が亡くなってる事には気付いていますか?」
『ああ』
「じゃあ、なぜあちらへ逝かないんです?」
『ここが気持ちいいから』
「いつまでいるつもりです?」
『わからない』
「ここで極楽、極楽、言うよりも、ホントにあちらへ逝ってみない?」
『ここより気持ちいい?』
「それはわからない。逝ったことないから多分としか言えないかな」
『そりゃ、そうか。――わかった。ただ、逝ってもいいけどどうすればいいのか知らないんだ』
「大丈夫。わたしにまかせて」
桜子は茉莉花と場所を代わるために立とうとしたが、滑って頭から湯船に落ちた。
ジタバタと浮き上がって湯船の中で立ち上がると、顔のお湯を拭った。
男性は笑顔で言った。
『大丈夫かい?お嬢ちゃん』
桜子はトホホな顔で答えた。
「うん。大丈夫」
『でもずぶ濡れだよ?かなり色っぽい事になってるけど』
桜子が自分の体を見下ろすと、作務衣の左肩は大きくずり落ちてブラの一部が露出し、濡れた作務衣が体に貼りついて下着がはっきりと透けてしまっていた。
桜子は慌てて肩を直すと、男性の前のお湯に急いで体を沈めた。すると、男性の裸が正面に見えている。
「――!」
桜子は赤い顔で素早く目を逸らし、ぷかりぷかりと小さく上下運動しながらお尻からゆっくり移動して男性の横に並んで座った。
「ご、ごめんなさい」
男性は軽く笑って言った。
『君には悪いけど、逝く前に嬉しいハプニングだったよ。こんなに可愛いお嬢ちゃんと混浴できたのもありがたい事だし。冥土の土産としてはだいぶ贅沢だな、こりゃ』
桜子は深呼吸して落ち着きを取り戻してから静かに言った。
「そう思ってくれたのなら落ちた甲斐があったわ。気持ちもいいし、もう少しこのままお話しましょ?」
『お仕事中に、いいのかい?』
「もう閉める時間だからいいのよ。今まで毎日来てくれたお礼もあるし、いい思い出で締めくくってほしいもの」
『それは嬉しいね』
「あなたのお名前は?」
『近藤』
「下は?」
『菊之助』
「素敵なお名前ね」
『君は?』
「高遠桜子」
『君こそいい名前だ』
「ありがとう。――ところでね…」
桜子の声が慈愛に満ちた。
「心残りはある?」
菊之助は遠くを見つめた。
『あるって言えばある。まだずっと長生きするつもりだったからね』
「例えばどんな?」
『まだ登りたい山だって沢山あったし、職場に気になってる女性もいたしね。ただ、そんなこと言ったらきりがないのもわかってる。最期に聞いた温泉の話があまりに魅力的で気になって来ちゃったけど、ホントはこんなに長居するつもりじゃなかったんだ』
「堪能できた?」
『滑落の痛さを除けば、長野に来た最初からずっと堪能してたよ、色々と。君たちみたいに親切な人も多いしね。いい所だね、君のふるさとは』
「ありがとう」
桜子にとっては自分の故郷ではないのだが、茉莉花の言葉を代弁するつもりでお礼を言った。
菊之助がお礼を返す。
『こちらこそだよ』
「わたしたちに何かしてほしい事はある?」
菊之助は少し考えてから答えた。
『無いかな。たぶん身内がもうボクの体を引き取って供養とかしてくれてると思うから、それで充分でしょ』
「それならいいけど…」
『むしろラッキーだよ。下手すればここから動けなくなりそうだったのに、どうやら君にはボクたちみたいなのを送る力があるようだね』
「うん」
『任せていいんだよね?』
「うん……逝かせてあげる♡」
桜子は隣の菊之助を抱きしめ、目をつぶって祈りを込めた。すると菊之助は光り始めた。
『あっ……』
菊之助の光が増す。
『あっ……あっ……』
光が脈動し始める。
『ああっ…………な、なんか変な声を出して、ごめん……あうっ…』
桜子がかぶりを振る。
「いいのよ。ぜんぶ委ねて」
脈動が速くなる。
『でも、なんか……ああっ……恥ずかしい声…』
真面目に答える桜子。
「恥ずかしくなんてないよ。あらゆる悩みや苦しみから解放されて浄化されてるところなの。あなたの中が至福でいっぱいに満たされると高まって出ちゃう声だから、我慢せずに出していいのよ」
『はあっ…』
雅たちの所までさがっていた茉莉花が、小声で雅に言った。
「崇高な話をしてるんだろうけど、桜子の言い方がどうしてもエロく聞こえるのは、わたしの脳が穢れてるせい?」
雅が苦笑いする。
「自覚はあるんだ」
菊之助の表情が恍惚としている。
『……逝く…』
菊之助の姿はひときわ明るく輝き、光がおさまるのと同時にスッと消えた。
桜子は数珠を出して手を合わせた。何かを唱えるように口をパクパクさせてから、ゆっくり目を開く。そして茉莉花たちの方を向いて言った。
「逝っちゃった…」
桜子の目は涙でにじんでいた。
次回「その3 サラダチキンは罪悪感が少ない」は11/29(金)に投稿する予定です。
現在、執筆が遅れております。そのため来週からは週一回、毎週金曜日の朝に投稿いたします。




