その5 少女漫画とかでしか見たことない
駅前通りのオシャレな喫茶店。その店内のテーブル席に結城と向い合わせで座る桜子の頭の中は真っ白だった。
「どうしてこんな事に…」
もちろん「どうしてこんな望ましくない状況に陥ってしまったのだろうか」という意味で桜子の口から思わず出た言葉だったのだが、結城は全く別の意味で受け取ったようだ。
「ほんと、どうしてこんな奇跡が起きたんだろうな。やっぱり運命で結ばれているんだな、ボクら」
上目づかいにチラリと結城のノンキな顔を見て、桜子は泣きたい気分だった。
「お待たせいたしました」
店員がアイスティーを結城の前に、アイスコーヒーを桜子の前に置いていった。結城がすすめる。
「遠慮せず、飲んで飲んで」
どうやら奢ってくれるらしい。
「いただきます」
桜子は断るのも怖くてアイスコーヒーを一口すすった。
喫茶店の中には店員の他に数組の客がいた。怖くてキョロキョロと確かめることも出来なかったが、桜子は視線が気になってしかたなかった。
なにしろ結城の格好は、このオシャレな喫茶店には異質すぎる。
ロングコートなのに腕まくりしていて、アイスティーを飲むような暖かい日なのに脱ぎもしないのはまだいい。
問題は頭の包帯と、先ほどのセバスチャンとの闘いでほどけかけて垂れ下がったままの腕の包帯。飲み物を飲んでいるのに外さない指ぬきグローブ。そして、ひときわ目立つ眼帯。
一緒にいる桜子も変な目で見られるに違いない。しかし、結城本人は全く気にしていないようだ。
「ホントに久しぶりだな。どれだけ会いたかったことか」
「……」
「いったいどこにいたんだ?」
「どこって、ずっと生まれ育った家にいたけど…」
「ま…まあ、そうだよね。ボクも前世の桜子の事しか知らないから」
上手い言いようだ。今の桜子の事を何一つ知らなくても不自然ではない。
ただ、分が悪く感じたのか結城は話題を変えた。
「それにしても参ったよ。あのオジサン強すぎる」
セバスチャンの事だ。桜子も思い出して心配になった。
「セバスチャンは?無事なの?」
「無事もなにも、あのままやってたらこっちのほうがヤバかったよ。途中で桜子がいないのに気づいて闘いをほっぽってきたから良かったけど。――あのオジサン、何者?」
桜子は胸を撫で下ろしながら答えた。
「執事だよ?」
結城は目が点になった。そして、すぐに大笑いしだした。
「アハハハハハッ!嘘だぁ」
「ホントよ」
「だって、あんな執事みたいな格好して、執事みたいな話し方して、名前がセバスチャンって…。ただのコスプレでしょ?それがホントに執事?」
「ホントに執事だもん」
「アハハハハハッ!だって、その執事があんなに強いんだよ?マンガやアニメじゃあるまいし」
「知らないよ。強いのは、さっき
初めて知ったもん」
「知らなかったの?だって桜子の執事なんだろ?」
「違う違う。セバスチャンは茉莉花ちゃんの執事だよ?」
結城の大笑いがピタリと止まった。
急に真剣な顔になり、声のトーンを落として訊いてきた。
「今日、一緒なの?桐生茉莉花と」
「そ、そうだけど」
「もしかして香月雅も?」
「うん、一緒だよ?」
「転校してきたばかりなのに、ただのクラスメイトにしては親しくなるの早すぎない?」
「えっと……バイトが一緒だから」
桜子は仕事の内容をぼかして言った。
ところが結城は詳しく訊いてきた。
「変なバイトに引き込まれてないよね」
「変なバイトって?」
「幽霊退治とか…」
桜子は結城が書いたという相談事ポストの用紙を思い出した。
『この街の危険が増大している。不用意に心霊現象に手を出すな』
どういうつもりで投函したのかは知らないが、色々な意味で余計な事は言えない。
「そ、そんなのじゃないよ」
幽霊退治をするつもりは無いので、嘘ではない。
「じゃあ何のバイト?」
「どうして答えなきゃならないの?」
桜子は初めて強気に出た。これ以上は踏み込まれたくない。
結城はしばらく桜子の顔を見つめていたが、小さく息を吐いてから言った。
「まあ、いいか。とにかくあの二人と親しくなりすぎるのは危険だ。バイトだけの関係にしたほうがいい」
そんな事を言われる筋合いは無いのだが、どうやら結城は心霊現象をとても危険視しているようで、そしてどうやら桜子を心配してくれているようだ。
邪険にもできないが、茉莉花と雅を悪く言われるのは気分が悪い。
「二人とも優しいのよ。わたしが新生活に必要な物を買いたいって言ったら、あのショッピングモールを教えてくれて付き合ってくれたんだもん。だから早くみんなの所へ戻りたいの。今ごろ心配してるかも」
「なら、電話を入れときなよ」
「スマホとか持ってないもん」
「え?」
「じゃなきゃ、道に迷ったりしてないよ」
「道に迷ってたの?」
「……誰かが追いかけてくるから悪いんじゃない」
桜子の目に涙が溜まっている。
結城は慌てた。
「あ、ごめん、ごめん、悪かったよ。ショッピングモールに戻りたいんだよね」
桜子は黙ってうなずく。
「大丈夫だから。ちゃんと連れていくから」
桜子は黙ってうなずく。
喫茶店を出て結城のあとについていく桜子。
歩いていると、正面から来た通行人にぶつかりそうになる。それを庇うように結城が桜子の手を取った。
「ほら、こっち」
「あっ」
桜子は恥ずかしかった。手を繋いでいる結城が特異な格好をしているからではない。
駅に近い人通りのあるところを男の子に手を引かれて歩くなど、生まれ育った田舎の町では考えられない事だった。それこそ少女漫画や学園ドラマでしか見たことがないシチュエーションだ。
「……もう急ぐのはやめるよ」
とつぜん結城が優しい声で話しだした。
「記憶の失われた桜子が戸惑ってしまうのはわかる。ボクだって桜子を困らせるつもりは最初から無いよ」
――うそぉ。追いかけてきたじゃない、追いかけてきたじゃない。
「今は少しずつでも思い出してくれればそれでいいと思ってる」
――もう追いかけてきたりしない?
「それにボクだって知っているのは前世の桜子の事だけだ。――だから思ったんだ」
大きな通りから横道へ入ったあたりで結城は急に振り向き、桜子に覆い被さるような形で道端のフェンスに右手をついて言った。
「今の桜子の事をもっと知りたいって」
――うひゃ~っ!なにこれ。壁ドンよね、壁ドンよね。
男の子に壁ドンされるなんて、少女漫画やラブコメアニメでしか見たことがない。
いきなり当事者にされても桜子にはどうしていいのかわからない。結城の顔から視線を逸らすこともできない。
そうなって初めて結城の顔をちゃんと見た。眼帯で一部隠れてはいるものの、かなり整った顔立ちをしているのはすぐにわかった。童顔だが、向けられた表情は包み込むように優しく、ハチミツに砂糖を入れたぐらい甘い。心なしか漂ってくる香りまでも甘く感じられる。
桜子の素直な感想は――。
――あっ、とけちゃう…。
そこへ至る結城の所作は流れるようで、わずかな不自然さも無かった。
それは言葉も同じだった。
「桜子のこと、教えてくれる?」
「う、うん…」
「もちろん、今のボクも知ってほしい」
「うん…」
「そして、今のボクを少しずつ好きになってくれればいい」
「うん……ん?」
「そのためにも、もっと話せる機会が欲しい。そうだろ?」
「ん?……うん」
「もう、いきなり婚約だ結婚だって言わないから」
「…うん」
「そんなの急に言われたって困るよね」
「…うん」
「まずは交際から始めよう」
「…うん」
結城が、まるでいつもの事とでもいうようにごく自然に、左手の人差し指で桜子のあごをクイッと上げた。
「振り出しには戻ったけど、ボクの気持ちだけは戻っちゃいない。生まれる前から桜子……キミをずっと愛してる」
「あ…………はい……」
男の子に愛を囁かれるなんて、少女漫画や恋愛映画でしか見たことがない。
桜子は夢心地のまま、まだ何が起きたのかさえ理解できていなかった。
結城がニコリと笑った。それを見て桜子は思った。
――あ、かわいい…。
結城は再び桜子の手を取って歩き始めた。
「よし、じゃあ今日からボクと桜子は彼氏と彼女だな」
「…うん……うん?…………え?どうして?」
「どうしてって、交際するってことは彼氏と彼女になるって事でしょ?」
「ああ、そうか……………え!?そうなの!?」
桜子は初めて事態を理解した。そして、もちろん焦った。
「わ、わ、わ、わたし、あなたの彼女なの?」
「そうだよ。そしてボクは桜子の彼氏だ」
結城が甘い笑顔で振り向いた。桜子は思わず見惚れた。
「…うん」
そう返事をしたが、桜子は我に返った。
「いや、あれ?そうじゃなくて、あれ?いつのまに?え?」
桜子は結城の言葉を思い出した。
『まずは交際から始めよう』
「……言ってた。それでわたし『うん』って言った」
「何を一人でぶつぶつ言ってるんだよ。おかしなヤツだなぁ」
気がつけば交際をする事になってしまっていた。
桜子はドキドキしながら訊いた。
「交際って何をするの?」
「ん?んー、よくわからん」
「へ?」
「高校生だから、映画を観に行くとか、公園で弁当を食うとか、そんな感じなんだろ?たぶん」
「あ、あーそーよねー」
桜子はホッと胸を撫で下ろした。
その様子を見て結城はクスリと笑った。
「なんだ、エッチな事でもするのかと思ってビビったのか?バカだなぁ」
――うっ、バレてる。
「ボクたち、まだ高校一年生になったばかりだろ」
――そうよね。考えすぎたわ、恥ずかしい…。
「いくらなんでも早すぎるよ」
――もっと大人になってからよね。
「そういうのは二年生になってからだろ?」
――二年生!?ジュッカゲツゴニスルキデスカ、ソウデスカ。
桜子は急に心細くなった。結城のこのあとの話がその気持ちに拍車をかけた。
「あとね。そういう話になったからついでに言うけど、彼氏ヅラして偉そうな態度を取るつもりでは無いから誤解しないでね」
「う、うん……?」
「ただのお願いだから」
「う…ん」
「あれはどうなのかなぁと思って。子供っぽすぎると思うんだよね」
「――?」
「あのクマちゃんパンツはちょっと…」
「――!!」
ショッピングモールで転んだ時に見られていたのだ。
桜子は思わずサーキュラースカートの前を押さえた。その様子を見て、結城は笑った。
「大丈夫だよ。あのとき周りでは女性しか見てなかったから」
――男性、見てるじゃない!あなたが見てるじゃない!
桜子は耳が赤くなった。
「とにかく桜子の年齢なら、ああいうお子さまパンツはもう卒業しないとね」
――大きなお世話ですぅ。
桜子が、さらに赤くなる。
「そうだなあ。ボクの好みの話をするとね――」
――いや、あなたの好みになんて絶対にしないし。
「シンプルだけど地味すぎず、きれいな飾りがついてるようなのが可愛くて見たいな」
「――!!!」
桜子が、さらに真っ赤になった。
――見たいって言った!見たいって言った!このひとパンツを見たいって言った!笑顔が見たいみたいな爽やかな感じで臆面もなくサラッと「わたしのパンツ」を見たいって言ったぁ!
そのとき桜子はふいに既視感を覚えた。そしてランジェリーショップでの茉莉花とのやり取りを思い出した。
『こういうシンプルだけど地味すぎず、きれいな飾りがついてるようなのが桜子には似合うのよ』
そして、そういうのを大量に買った。
――ちがうっ!この人のために買ったんじゃない!
でも必然的に結城の好みのパンツを穿くことになる。高校二年生になった時も、もちろん穿いているに違いない。
――見せるの?彼女は彼氏にパンツ見せるものなの?
桜子は思わず妄想してしまった。
結城が桜子の部屋のベッドに腰かけて腕と足を組んでいる。眼帯を着けているにもかかわらず見惚れてしまうほどの甘いマスクから、甘い声が発せられる。
「桜子。パンツ見せてくれるね?」
「当たり前じゃないの。彼女ですもの」
結城の正面に立ち、目を伏せて頬を赤らめながらも桜子はゆっくりとスカートの前を捲り上げた。
「……これがシンプルだけど地味すぎず、きれいな飾りがついてるようなパンツよ」
「グッジョブ!」
結城は親指を立てた。
――うわーっ!!
桜子は心の中で叫んだ。
男の子に自らスカートを捲ってパンツを見せるなんて、少女漫画――ではなく薄い本でしか見たことがない。
結城に手を引かれて素直に付き従いながらも、顔は真っ赤っか、脳内の桜子はジタバタと身悶えた。
次回「その6 肌色と癒しと色香」は6/14(金)に投稿する予定です。