その3 ボクっ子
月曜日の朝、学校へ行くと茉莉花たちを追いかけるように颯空が教室に入ってきた。すると教室内の他の生徒たちからざわめきが起こった。
一ヶ月ほど前に転校してきた颯空は、すでに有名人だった。初めの頃は可愛い女の子が転校してきたと話題になり、颯空が何も隠していない事から既に男の娘として噂は広まっていた。
颯空は茉莉花たちに駆け寄ると話しかけてきた。
「ねえ。なんで部室に来ないの?」
明兎の依頼があってからこちら、茉莉花たちは部室の方へ全く行っていなかった。その間も颯空は何度か部室へ足を運んでいたようだ。
颯空の質問に雅が答えた。
「ごめんね。忙しかったから」
茉莉花が颯空を無視しつつ言った。
「なに謝ってんの?部外者に気を使う必要なんてないでしょ?」
颯空がしなを作って言った。
「つれないこと言わないでよ、茉莉花ちゃん」
茉莉花が眉間にシワを寄せた。
「男が仲よくもない女の子の下の名前をちゃん付けで呼ぶとか、気色悪い。あんたの教室は隣でしょ?とっとと出でいきなさいよ」
そこへ、以前に声をかけてきたクラスメイトの二人がやってきて言った。
「桐生さんたちって、北山さんと知り合いなの?」
茉莉花は答える。
「知り合いと言えば知り合いだけど…」
颯空がしゃしゃり出る。
「心霊研究会に入ったんだよ」
茉莉花は顔をひくつかせた。教室では猫をかぶっているので強く出れない。
「正式に入会したわけじゃないのよ」
クラスメイトは勝手に深読みした。
「体験入会ってやつね。他の部活も見てから決めたいもんね」
颯空は乗っかった。
「でも、ほぼ心霊研で決まりかな」
茉莉花は聞こえないほど小さく舌打ちをした。
クラスメイトは前のめりに颯空に質問した。
「委員会とかは入った?」
颯空は可愛い仕草で首を振った。
「ううん。入ってない」
クラスメイトは興奮して早口になった。
「そうなんだ。隣のクラスだけどなかなか接点がないじゃない?ずっと話しかけたいと思ってたのよね」
「いつでも話しかけてよ。ボクは友達たくさん欲しいから」
「やだ、ボクっ子なんだね。可愛い!」
「え~、そ~お?」
その時、チャイムが鳴って颯空は手を振りながら出ていった。
茉莉花はそれを見送りながらボソッと雅に訊いた。
「ボクっ子の定義ってなんだ?」
雅は小さく笑った。
放課後に部室へ行くと、そこには明兎が立って待っていた。
明兎はすぐに先日のお礼を言ってきたが、茉莉花はひとまず部室の中へ誘った。
明兎を座らせ、雅がコーヒーを並べると、茉莉花は訊いた。
「あれから何かあった?」
明兎はしっかりした口調で答えた。
「いえ、特に何かあったわけではないんです。ただ少し落ち着いてきたら、あの人にお礼を言ってない事に気づいたので…」
「あの人?」
「はい。お母さん役をやってくれた、あの人。あの時は取り乱してしまって、お礼のひとことも言えなかったので」
「ああ。あれなら気にする必要ないよ。ただのバイトだから」
「でも…」
「あ、じゃあ今度会ったら伝えとくよ。明兎ちゃんがお礼を言ってたって。いちおー彼女も幽霊だから、自分の心残りを果たすのに忙しいの。なるべくそっとしときたいんだ」
そう説明したが、茉莉花は本当は会わせてほしいなどと言われるのが面倒くさいだけだった。けれども明兎は納得した。
「そうですよね。それなのに、つい甘えてしまうところでした。本当のお母さんじゃないのに、会えばまた優しくしてもらえるなんて下心があったのかも」
「それはしょうがないよ。子供が母親の愛情を求めるのは普通の事だから」
「まあ、本当の母親があれですからね。先輩たちにも恥ずかしいところを見せちゃいました。代理とはいえ、あんな母親に泣いてすがるなんて」
そこで桜子が悲しい表情で、しかしはっきりと言った。
「恥ずかしくなんてないよ。明兎ちゃんの思い出の中のお母さんはいいお母さんだったんでしょ?」
明兎は自嘲した。
「そうですけど、滑稽ですよね。ずっと騙されてたんですから」
「ずっとなのかな。大夢くんがうんと小さい頃、お父さんと明兎ちゃんがいない昼間の間はお母さんと二人きりで過ごしてたんでしょ?全く愛情なしで育ってたら写真みたいなあんな笑顔を大夢くんが見せるかな。それに、少なくとも明兎ちゃんの小さい頃にないがしろにされた記憶は無いんでしょ?」
明兎は困惑の表情を見せた。
「それはそうなんですけど…」
「どこかで何かが狂っちゃったんだと思うよ」
明兎は少し考えてから言った。
「言われてみれば仕事を始めた頃からですね。なんとなく違和感を感じたのは」
茉莉花が冷静に言った。
「仕事をすること自体が悪い事だとは言いたくないけどね」
明兎の記憶がよみがえってきた。
「あ、でも仕事へ行くようになるよりも少し前から違和感はあったかも。あの頃、母親はある人と頻繁に会ってて、その人に心酔してました。仕事をしたいって言い出したのも、その影響みたいで…」
茉莉花の眉間にシワが寄った。
「なに?宗教かなにか?」
「違います。子育て教室で知り合ったボランティアのお医者さんって言ってました。よく相談にのってくれたそうで…」
「心療内科とか小児科の医者なのかな?」
「それは知りませんけど、しょっちゅうミナミ先生、ミナミ先生って名前を言ってましたね」
そこで雅が素っ頓狂な声をあげた。
「ミナミ先生?!」
茉莉花が驚いて振り向いた。
「なに?どしたの、雅」
「またミナミ先生?」
「またとは?」
「覚えてない?ここのところ、その名前をちょくちょく聞いたんだけど」
「そうだっけ?」
「例えば加賀谷さんに睡眠薬を渡したの、ミナミ先生って医者だったわよ」
「ああ、言われてみればそんな話だったね。名前まではっきりとは覚えてないけど」
「それから日下部くんの遺書に書かれてた、性別違和の事を教えた医者も南先生だった」
「う~ん、そうだったかも」
「それに、耕平くんの話の時に紫織ちゃんにボランティアを紹介したっていう医者もミナミ先生よ」
「そ、そうだった?よく覚えてるね」
「あたしも、ん?とはなったけど、偶然だと思ってたのよね。でも、そんな偶然が四つも続くと関連性を考えちゃうじゃない」
茉莉花は笑った。
「ちょっと待ってよ。百歩ゆずって全て同一人物だったとしても、死との因果関係がありそうなのって加賀谷ぐらいじゃない?そのミナミ先生が原因で他の人たちが死んだわけじゃないでしょ?耕平なんて、ただの事故だし」
「もちろん死に直接関与してるとは言ってないわよ。結果として亡くなった人が出たってだけだもん」
「それって偶然ってことよね」
「そうなんだけど、こう続くとそこに意味を考えちゃうでしょ?」
「それは意味があるように見えるだけよ。そんな論理性に欠けること言うなんて、雅らしくもない」
「いや、そうなんだけどね。なんか引っ掛かるのよね」
「女のカンってやつ?」
「うん、そんな感じ」
「それが当たってたとしても、そこに犯罪性を見いだすのは無理があるかなぁ」
「だよねぇ」
「わたしたちには関係ない話だし」
「ごめん。話の腰を折って」
「あれ?なんの話だったっけ?」
明兎が話を戻す。
「母がミナミ先生に心酔してた頃から変わったかもって話です」
茉莉花が頷く。
「あ、そうそう」
「でも、そう考えると悔しいけど救われます。大夢が小さい頃はちゃんと愛情を注いでもらえてたんだなって」
「明兎ちゃんもね」
「…はい」
そこへ颯空がやってきた。
「ねえねえ、何の話?」
当然、茉莉花は攻撃する。
「部外者には関係ない事よ」
「えー、ボクにも教えてよぉ」
そこで明兎が興奮気味に訊いてきた。
「誰ですか?誰ですか?このめちゃくちゃ可愛いボクっ子の先輩は」
雅が笑いながら茉莉花に言った。
「ボクっ子だって」
茉莉花は仏頂面を雅に向けた。
「言われて喜んでる颯空がムカつく」
「明兎ちゃんに教えてあげたら?」
「教えて驚かれて喜ぶコイツはもっとムカつく」
けれども颯空は自分から男の娘だと名乗り、明兎は驚いた上で称賛した。茉莉花の予想通り颯空は喜んでいる。
桜子は正体のわからない不思議な感覚に囚われながら、なんとなく颯空と雅を見比べていた。
その夜、食事をしながら茉莉花は言った。
「明日は終業式だからね。持って帰る荷物は忘れないでね。セバスチャンが迎えにきてくれるから」
桜子が口に食べ物を入れたまま答えた。
「うん。わはっは」
「それから明日は仕事が入ったから。マンチカンから話を聞いてるでしょ?」
「うん」
「結局は四十九日法要で逝ってもらえなかったって。明日は本来の四十九日に当たるから、なんとかそこで逝ってもらいたいそうよ」
「ご本人の心残りが何かってわかるかな」
「マンチカンが言うにはね――」
亡くなったのは老夫婦の妻だった。その老夫婦は若い頃から長年にわたり二人きりで町中華の店を切り盛りしてきた。
けれども去年の十月いっぱいで店を閉めた。夫が体力的に厳しくなってきた事と、妻が体調不良でたびたび入院するようになって、店を休まざるを得ない事態が続いたからだ。
息子夫婦に二世帯住宅を建てるからと言われた事も閉店を決めたきっかけになった。
ところが、店をやめてから夫はすっかり元気をなくしてしまった。妻も入退院を繰り返すようになり、先日入院先で亡くなった。
妻は生前、夫が病院へ見舞いに行く度に自分のせいで店が出来なくなったと謝り続けていたそうだ。その辺が心残りだったのではないかと息子が語っていたという。
桜子は考えながら言った。
「実際にその老夫婦にお会いしてみないとなんとも言えないけど、大丈夫だと思う」
茉莉花の顔が緩んだ。
「ホント?」
「うん。家族が心配とか、家族に謝りたいとか、そういうのが心残りなら、家族に協力してもらえるから難しくないよ。同じようなケースの浄霊は一番経験してるし」
「あら頼もしい」
「ふふっ」
桜子は自然と誇らしげな顔になった。
食事と風呂を済ませた桜子は、部屋でLINEでの結城とのやりとりを見返しながらニヤニヤしていた。
本当はこの時間も結城とLINEをしたいのだが、何も用事が無いのにこちらから声をかけるのは、まだ桜子にはハードルが高かった。
ところが、そこへタイミングよく結城からLINEが入った。
『まだ起きてる?』
桜子は慌てて返事をした。
「起きてるよ」
『委員長からクラスの夏休みキャンプに誘われてたんだけど桜子は行くの?』
「行くよ」
『じゃあボクも行こうかな』
『断ろうかと思ってたけど桜子が行くなら楽しそうだし』
「ホント?嬉しいな」
『でもみんながいる前ではイチャイチャできないね』
「イチャイチャしなくていいよ」
『そうなの?』
『ボクはいつだってイチャイチャしたいけど』
「そんなこと言われたら恥ずかしいよ」
そんなやりとりをしばらく続けたあと、結城の『おやすみ、大好きだよ』の言葉でLINEは終わった。
桜子の顔は赤かった。エアコンは動いていたが桜子は無性に暑さと喉の渇きを感じ、冷たいものを飲むためにダイニングへ下りていった。
ダイニングには茉莉花と雅がいて何やら話をしていた。テーブルにはそれぞれの前にコーラのペットボトルと牛乳の入ったコップが置かれている。
肩にバスタオルをかけている茉莉花の髪は濡れていた。雅の髪は乾いていたが、いつものツーサイドアップはほどかれている。
茉莉花と雅が二人で風呂に入ったあとに見かける光景である。それを目にした瞬間、桜子は見てはいけないものを見た気持ちに襲われて、二人に気づかれないように慌てて自分の部屋へ帰っていった。
部屋に戻った桜子は混乱していた。考えればわかる事だった。茉莉花は雅と頻繁に一緒の風呂に入っている。何も見ていないわけはないし、何も知らないわけがない。
それよりも何よりも、お互いに裸を見せあっているはずなのに二人とも平然としている。そこから導き出される説明のつく何かは想像もできない。
いや、強いて言うなら二人が大人の関係にあるという事だろうか。それなら全てを見せあっていても不自然ではない。桜子が見てはいけないものと感じてしまったのは、そんな可能性をわずかでも考えたからかもしれない。
――ダメだ。考えてわからない事は考えるのをやめて寝てしまおう。
桜子が考えるのをやめるのは得意である。眠るのは早かった。
次回「その4 自慢のチャーハン」は11/1(金)に投稿する予定です。




