その2 異世界のツンデレ姫はホントは勇者の本音を聞きたい
脱衣場で雅と鉢合わせをした翌朝、桜子は起きているのにベッドにうつぶせになって枕に顔をうずめていた。一階には雅がいるに違いない。毎朝そうなのだから、たまたま茉莉花がいなくても同じだろう。
「毎朝…」
桜子は思い出してしまった。よく考えたら、いやよく考えなくても毎朝三人で朝食を取っている。ならば今日は二人きりということだ。
――いやいや、あんな事があった昨日の今日で一緒にご飯を食べるなんて、雅ちゃんの方がイヤでしょ?
そう考えてはみたものの確信が無い。確かめるには直接訊くしかない。
――む~り~。
足をバタつかせてうだうだしていると、いきなりスマホの着信音が鳴った。桜子はびくりとしたが、根拠もなく茉莉花だと判断して藁にもすがる思いでスマホを手にした。朝一番で帰ってきてくれるとありがたい。
ところが電話は期待に反して雅からだった。桜子の頭はパニックになった。どんな表情で電話に出ればいいのかわからず、顔もパニックを起こしていた。顔なんて見えないという事さえ忘れてしまっている。
出ないという選択肢も無くはないが、それで部屋にやってこられるのはもっと怖い。震える指で応答ボタンをスワイプする。
「も、もしもし…?」
『なにしてるの?』
雅の声は、いたって普通だった。
『朝ごはん食べるでしょ?早く下りてきて』
「あ…ごめん。二度寝しちゃった」
『もう、しょうがないな。何時の約束か知らないけど、お弁当も作るんじゃなかったの?』
結城とのデートを忘れたわけではなかったが、しれっと下りていける気分でもなかったのだ。
だが、この流れでは下りていかない方が不自然である。
「す…すぐ下に行くね」
桜子は電話を切った。
スマホの声から受けた印象はいつも通りの雅だった。自分の考えすぎだろうか。とりあえず早く下りていかなければ。桜子は急いで部屋を出た。
ダイニングではメイド服姿の雅が桜子のいつもの席に朝食を並べていた。桜子が席についたのと同時に全て並べ終わる。いつもの事だが魔法のようだ。
「休みの日だからって寝坊する癖をつけちゃうと、夏休みに入ってから困るわよ」
「うん、ごめん。いただきます」
トーストもコーンスープも冷めていない。湯気の上がったスクランブルエッグはトロトロで、たったいま作ったばかりに見える。電話を切ってからすぐに下りてきたのに、こんなにジャストタイミングなのは不思議としか言いようがない。それとも雅には相手の行動を予測する霊能力でもあるのだろうか。
雅もいつもの席に座って食事を始めた。いつもの席が桜子の隣なので、二人きりなのに横に並んで朝食を取ることになる。なんとなく気まずい。
桜子は横目で雅を見た。表情は――いつものような穏やかな顔である。桜子は少しほっとしていた。
桜子の視線に気づいて雅は訊いた。
「なに?」
「あ、雅ちゃんは今日どうするのかなって」
「家事よ。あとは……縫い物かな?」
「出かけないの?」
「茉莉花がいつ帰ってくるかわからないからね。午前中なら昼食も用意しなきゃならないし」
「あ、そうか」
「それよりお弁当は大丈夫?間に合うの?」
「それは平気。時間の余裕はあるから」
「なら、よかったわ。――キッチン使ったあとは片付けなくていいからね。洗い物にも拘りがあるから。あたしなりの」
「あ、うん。ありがとう」
「……」
「……」
そこで話題が途切れてしまった。話題なんていくらでも有りそうだが、何か話さなければと思えば思うほど何も出てこない。無理して出したとしても、気まずさを何とかしようとしている事が見え見えなようで、かえって切り出しにくい。
だが、桜子にはこの沈黙が耐えがたかった。だから、つい一番ダメなセリフを吐いてしまった。
「今日はいい天気ね」
確かにそうなのだが、天気の話題など愚の骨頂である。あなたとは話す事が他にありませんと言っているようなものだ。
ところが雅は逆に心配顔を向けた。
「体の具合でも悪いの?」
「え、どうして?」
「今朝は様子がおかしいから」
「そお?べつに普通よ」
「ならいいんだけど。茉莉花ならこんなとき、周りに人がいるのも構わずに『生理?』とか訊いてきそうよね」
「あはは、そうね。雅ちゃん、訊かれたことある?」
「あたしは無いなあ。訊いても無視されるの、わかってるんじゃない?」
「わたし、真面目に答えちゃいそう」
「桜子らしいわね」
仄かではあるが、雅が微笑んだ。桜子はテンションが上がった。なんだ、二人きりでも問題ないじゃない。この空気なら昨日の事も自然に訊けるかも。そう思って桜子は切り出した。
「あのね、昨日の夜の事なんだけど――」
言いかけたその瞬間、雅は無表情になり、昨日と同じ闇を映したような瞳を向けてきた。
「昨日の夜、何かあった?」
ついさっきまでの言葉には感情的な抑揚があったのに、雅の声音からも表情が消えた。桜子は「やっちまった」ことを悟った。
「あ、いや、昨日の夜のシチュー、美味しかったなって」
「そう?ありがとう」
やはり言葉に抑揚がない。
「マンチカンも喜んでたよね」
「そうね。――で?それだけ?」
「え、う、うん」
「昨日の夜の話はそれだけ?」
闇の瞳がぐっと近づく。朝だというのにホラーな気分だ。
「うん、それだけ、それだけ。他になんてなんにも無いよ、うん」
「そう…」
雅はそのまま桜子をじっと見つめ、しばらくして視線を外しながら言った。
「…なら良かった」
それきり桜子は喋れなくなってしまった。
少しのあいだ、うわの空になっていた桜子に結城は声をかけた。
「どうした?何か心配ごと?」
桜子と結城は公園に来ていた。ベンチに座って桜子の作ったサンドイッチを食べている。
結城に会えた喜びで最初は気持ちも切り替わってはいたのだが、つい雅の事を考えてしまっていた。
「あ、ごめん。なんでもないの」
「ホントに?何かあるなら、はなし聞くよ」
結城の優しい顔に、桜子の心は揺れた。
「あのね、例えばの話ね。結城くんが誰かの秘密を知ったとするじゃない?そしたら、どうする?」
「ん?どうするとは?」
「その秘密をどうすればいいのかなって」
「どうするも何も、秘密なんだから隠さなきゃ。他に選択肢ある?」
「無い……かな…」
「誰かから助けでも求められて困ってる?」
「そういうわけじゃないんだけど」
「助けを求められてるなら話は変わってくるけど、そうじゃないなら他の人には絶対に言っちゃダメ。どんなに桜子が信用できると思ってる人にでも。誰かに言った瞬間、それは秘密ではなくなっちゃう。墓まで持っていく覚悟が無いのなら、そもそも秘密なんて聞かない方がいい」
「聞いてはいないんだけど…」
「まだなら良かった。秘密を自分だけに留めるって、思ってる以上にしんどいからね」
――聞いてはいないけど、知っちゃったのよね。そういうのはどうすればいいの?
桜子はコップに注いだ紅茶を結城に差し出した。それを受け取って結城は言った。
「そういえば、前世で二人だけの秘密ってあったな」
「え?ホント?」
桜子の気持ちは一瞬で元に戻った。結城の前世話は桜子の楽しみの一つになっていた。
結城は続けた。
「人の秘密を守るってしんどいものだけど、二人の秘密だと嬉しいってあるんだよね」
「うん、わかる」
「まあ、いま考えるとたいした秘密でもないんだけど、二人で共有した事で絆を感じるというか。まだ付き合ってもいなかった頃にできた秘密だけど、二人しか知らないって事だけですごく高揚してたから、もうあの時には桜子に魅かれてたんだろうな」
「そうなの?」
「ちょっと刺激的な出来事でもあったしね」
桜子は興奮気味に体をのり出した。
「そこんとこ詳しく!」
「うん。――あれは確か休みの日で、先輩たちが山を下りて街へ遊びに行っちゃったもんだから二人きりになっちゃって、つまらないからピクニックでもしようみたいな話になって、今日みたいにお弁当を持って出かけたんだよね」
「お弁当はなに?」
「忘れたよ。なんか余ってたものを適当に詰め込んだ気がする。でも、装備はちゃんと持って出たはず。ピクニックって言ったって、山歩きは山歩きだから」
「また迷ったりしないように?」
「まあ、その頃はだいぶ周囲がわかってたけどね。目指したのも、一度行ったことのある沼だったし」
「なら安心だね」
「問題は帰りなんだよね」
「うんうん」
桜子は昨日の夜の事を忘れて結城の話に聞き入った。
沼からの帰り道、ユウキは立ち止まってサクラコに訊いた。
「こっちって行ったことある?」
ユウキが指をさしたのは、歩いていた獣道の右側下方の傾斜である。
「ないよ。そもそも道なんて無いじゃない」
「でも、ここからなら下りられそうだと思わない?」
「下りたいの?」
「ちょっと耳を澄ましてみ?」
言われてサクラコは耳を傾けた。
風が吹いて木の葉がサワサワと鳴っている。その音と似ていてわかりにくいが、わずかに質の違うサラサラとした音が重なっている。
「……水の音?」
「この下に小川が流れてる気がする。水源は一つでも多く知っていた方がいいだろ?」
「そうだけど……下りられる?」
「そんなに急じゃないよ。念のためロープを垂らしておけば安全だし」
「うん…わかった」
ユウキは側の木にロープを結わくと、それを伝って斜面を下りていく。サクラコもそれに続いた。
斜面を下りきった所に小川はあった。そこから上流方面に振り向くと、先の方に霧がかかっていた。
ユウキが目をこらす。
「あれ、ホントに霧?」
ユウキは上流へ向かって歩き出す。サクラコも続く。
けれども少し近づいただけで、それが霧でない事はすぐにわかった。湯けむりである。
「温泉だ!」
湯けむりは小川のカーブと岩に隠された向こうから上がっている。ユウキとサクラコはそこを回り込んだ。
岩の向こうには本当に温泉があった。右側の岩で出来た崖の下端がえぐれていて、その根元に大きくはないが湯船があった。どうやら自然に湧いていた所を誰かが掘って広げ、岩で縁を組んで露天風呂にしたようである。その縁の一ヶ所からは溢れたお湯が少しずつ小川へと流れ込んでいる。
ユウキは興奮しながら言った。
「お風呂だぞ、サクラコ」
「でも、誰かが作ったみたいじゃない?」
「たぶん、もう使ってないよ。端の方が崩れてるし、かなり放置されたままなんだよ」
湯船の岩組の崩れが何ヵ所か見受けられる。
「ホントだ」
「ここ、ボクたちの温泉にしないか?」
「師匠たちに報告しないってこと?」
「だって訓練中の発見じゃないし、言う必要ないだろ」
「そうだけど…」
「師匠たちにはお酒とか楽しみがあるじゃん。兄弟子姉弟子たちにも。休みの日は街へだって繰り出すし。ボクたちに何も無いのは不公平だろ」
サクラコは後ろめたさに迷っていたが、早口で捲し立てるユウキにまんまと惑わされていた。
「う…うん、そうよね」
「じゃあ、ここはボクたちの温泉な。決定!」
「ってことは、二人だけの秘密の場所って事よね」
「えっ?あ…ああ、そうだな」
「なんかドキドキしちゃうね。二人だけの秘密なんて」
サクラコの言葉に、今度はユウキの方が動揺した。
「う…うん…」
「ん?どうしたの?――恐くなった?」
「ば、ばか。恐いわけないだろ。――そんな事より入ろうぜ」
「え?一緒に?」
「ばっ…違うよ。順番にだよ」
「そ、そりゃそうよね」
二人とも赤くなった。
「待つ方は岩の向こうで見張りをしよう」
「うん。――でも、どうやって体を拭くの?」
「汗ふき用の手拭い持ってきただろ。それでいけるよ」
「ちょっと心もとないけどね。次からはちゃんと準備して来よ」
「そうだな。――んで、どっちから入る?」
「ユウキくん先でいいよ」
「いいのか?」
「わたし、岩の向こうで見張ってるね」
「じゃあ、先に入るからな」
そう言うと、ユウキは服を脱ぎ始めた。
「ちょ、ちょっと。わたしが向こうへ行ってから脱いでよ」
「あ、わりぃ」
温泉は少しぬるめだが、充分に温まれる温度だった。
小川のせせらぎと知らない鳥の鳴き声、風が木々を揺らす音、他にも様々な音が聞こえてくる。静かだと思っていたが、お湯に浸かっていると森は音に満ちている事がよくわかる。
その音の中に人の気配を感じてユウキは振り向いた。サクラコのいる方である。ただ、サクラコの姿は見えない。
「おい、サクラコ。お前いま覗いただろ」
岩の向こうから返事が返ってくる。
「覗いてないよ!」
「覗こうとしてただろ」
「違うよ。あとでわたしが入った時のために、こっちから見えるか確認してただけだから」
「見ないよ、サクラコの裸なんか」
「……ウソつき。何度か着替えを見ようとした事あるじゃない。見たいなら見たいって言いなさいよ」
「言うわけないだろ。興味ないからな」
「なによ、馬鹿!」
サクラコとユウキはそれっきり黙ってしまった。
しばらくして交代することになり、今度はユウキが岩の向こうへ行った。
サクラコは服を脱ぎながら言った。
「見ないでよね。いま上を脱いでるんだから」
ユウキは冷めた声で答えた。
「見ねえよ」
サクラコはさらに言った。
「見ないでよね。いま下を脱いでるんだから」
「だから、見ねえよ」
「いま絶対に見ないでよね。下着を脱いでるんだから」
ユウキは少し怒った声で答えた。
「見ねえって言ってんだろ。しつこいぞ」
ところがサクラコの状況説明が、ユウキを冷静でいられなくしつつあった。
「今すっぽんぽんで湯船に浸かるところなんだからね。覗いたら絶対に見えちゃうけど隠しようがないんだから、やめてよね」
「余計な事は言わなくていいから、早く入れよ」
「もう入ったわよ」
「…………」
それからしばらく沈黙が続いた。
少しして、サクラコはユウキに聞こえる声で独りごとを言った。
「あ~っ、気持ちいい。こんな自然の中で何も身につけてないなんて、すごく開放的」
岩の向こう側ではユウキが葛藤していた。サクラコのいる方向に背を向けていたが、気になって仕方がない。チラリと振り向く。
――なんだよ。のんきなヤツ。人の気も知らないで。
サクラコのいる方からザバッと立ち上がる音がするのと同時に声が聞こえてくる。
「う~ん。立ち上がって伸びをすると、温まった体に風が気持ちいいなぁ。――これで誰かがいたら全部まる見えね」
ユウキは首だけ振り向いたまま、視線の先の岩を凝視している。
サクラコの声がさらに聞こえる。
「師匠に知られたら怒られちゃうかな?こんな無防備なの。離れた所に服を脱いじゃったから、誰かが来たら着てる暇も無いし、隠れる場所も無いもんね」
ユウキの息が荒くなる。岩をよく見ると覗けそうな箇所が無くはない。そこに意識が引き付けられる。
サクラコの独りごとは続く。
「でも、ちょっと涼しくなってきたな。もう一回あったまってから出よっと」
再びお湯に浸かる音がする。
それからまた少し沈黙が続いた。
しばらくしてサクラコがユウキに声をかけた。
「ねえ、ユウキくん。いるの?」
ユウキは一瞬ドキッとしたが、冷静を装って答えた。
「……いるよ」
「ちゃんと見張ってくれてる?」
「当たり前だろ」
「覗いた?」
「覗いてないって」
「ホントに?」
「ボクのこと信用してないのかよ!」
「信用してないわよ」
「なんでだよ」
「だって見たいんでしょ?わたしの裸」
「見たくないよ」
「見てもいいよって言っても?」
「えっ……?」
「わたしの裸なんか見たくもない?」
「いや……えっ?……いや…」
「見るなら今のうちだよ。――わたし、もうあがっちゃうから」
「え?でも、だって…」
「見なくていいの?」
「だって……怒るだろ?」
「怒らないよ。いいよって言ってるのに――見たいの?見たくないの?どっちなの?」
「え……と」
「はっきりしてね。見たい?」
「み…見たい……」
「じゃあ、恥ずかしいけど…………こっちに来て?」
ユウキは生唾を飲み込み、ゆっくり岩を回り込んだ。すると目の前にはサクラコが真っ直ぐユウキの方を向いて立っていた。――服を全て着おわった状態で。
ユウキはしてやられた事を悟った。
「サクラコ。お前……」
サクラコは嬉しそうな笑顔で言った。
「ほおら、やっぱり見たいんじゃない。エッチ。これからはもっと素直になりなさいよね」
「ズルいぞ、サクラコ」
「ズルくないもん。見たいくせに見たくないなんてウソつく方がズルいんだもん」
「ウソじゃないよ」
「もう遅い~。もうバレたもんね」
「だったら見せろよ。見てもいいって言っただろ」
「ウソだもん」
「ウソつく方がズルいんじゃないのかよ」
「先にウソついたのユウキくんでしょ?」
「なんだよ!サクラコは見たいとか平気で言えちゃうようなヤツがいいのかよ!」
ユウキの涙目を見て、サクラコは少し後ろめたくなった。
「な、泣くことないじゃない」
「泣いてねえよ」
「そんなに見たかった?わたしの裸」
「悪いか」
「……ちょっとやり過ぎたかも。反省してます。――でもゴメンね。わたし、将来の旦那様以外に自分の裸は見せられないの。だって将来の旦那様に悪いでしょ?」
「……」
「だからね。エッチな気持ちだけじゃ見せてあげられない。たぶん無いとは思うけど――ううん。きっと無いけど、万が一……万が一の話ね。もしユウキくんがわたしを好きになって結婚する事になったとしたら、そしたらいくらでも見せてあげられるんだけどね」
サクラコは照れながら笑った。
桜子は自分の部屋のベッドの上で身悶えた。サクラコが自分の女としての魅力を否定され、カチンときて逆襲した気持ちはよくわかる。だが、そのあとのやり取りがサクラコもユウキも可愛すぎた。お互いに意識しているのは明白だった。
桜子は初めて会った時の結城の言葉を思い出していた。
『ボクだよ。忘れたのかよ。――ウソだろ?生まれたままの姿で、あんなに愛しあったのに…』
あのセリフに基づいて考えるなら、サクラコの話は万が一なんかではない。いずれはそうなっていくという事だ。
もちろん結城の創作したフィクションなのはわかっているが、空想を巡らせると桜子は身悶えずにはいられなかった。
次回「その3 ボクっ子」は10/29(火)に投稿する予定です。




